【第三話】兄上と月の徒弟
なお、BLゲームでは、王太子が高等課程の一年に入学という、平民も許可された年からの場面が舞台となっていたが――現在は、その六年前だと予測できる。十三歳から十八歳までの義務過程がまずあるのだが、俺はそこに通うようだ。
王太子殿下や悪役の公爵令息は一学年下だから、今はいないし、平民はまだ一人もいない学園生活である。
入学試験は、紙試験と実技試験だった。
実技の方は、毎日実戦に駆り出されていた俺には余裕であったし、紙試験は勉強なんて全くしていないが、小学校の算数みたいな内容だったので、大学生の記憶がある俺には、やはり余裕だった。
他に、父の手で、派閥関係者の子息の名前を暗記させられた俺は、本当にこの世界には女性が一人もいないんだなぁと漠然と思いながらも、頭に叩き込んでおいた。俺も大概名もなきモブであるが、今となってはここがリアル。
多くの人間は、モブだ。
逆に、攻略対象として名前があった存在が、印象的過ぎるほどである。
ちなみに義務過程は通学、高等課程は寮との選択式との事で、俺は入学式のその日から、兄と同じ馬車で学園へと通う事になった。兄は蔑むように俺を見るだけで、朝の挨拶すらしない。が、俺もまた喋る気分にあまりならないため、会話が生まれない。
今考えてみると、幼少時は、兄から時折漏れ出すグレアを本能的に恐れていたのだと思うが、現在俺が口を開かない理由は簡単で、二年半に及ぶ魔物討伐部隊での死闘の結果、無駄口を叩くと死ぬような気がして、俺は沈黙をよしとするようになった結果である。
だがこの日、珍しく兄が俺に言った。
「僕にも徒弟が出来た」
その言葉に、最初俺は、話しかけられているとは気づかずに、一拍置いてから耳を疑い、そうして顔をあげた。徒弟というのは――ゲーム設定のままであれば、十五歳の誕生日の日から持つ事が許される、【月の徒弟】という疑似的なDomとSubのパートナー候補間の関係だったはずだ。
「……兄上、おめでとうございます」
「めでたいわけではないが、Domとはいえ男爵家の後継の僕には、過ぎた相手だとは思っている。その者が、お前を紹介してほしいと望んでいてな」
「俺を、ですか?」
「ああ。時間を作れるか?」
「兄上の仰せとあれば、いつでも」
「そうか。では、今日の放課後、帰りの馬車に同乗させる。待っていろ」
「はい」
頷いた俺は、命令的ではない兄を見たのがほぼ初めてだったので、少々意外だった。
ちなみに家族や特例時以外は、基本的に十歳で下された判定結果は、十五歳になるまで、全体公開はされない。十五歳になっても、非公表を在学中は選択可能だ。絶対的に公になるのは、学園卒業後の就職活動であるが、どうやら俺にはその必要はなさそうなので(それまで生きていて、余程環境が変わるなどすればあるかもしれないが……)今後も特に俺は誰かに言う予定もない。
この日の授業は、文字の書き方だった。
多くの貴族令息は家庭教師により習得済みで、それは俺も同じだったし、ここがBLゲームの世界だからなのか、現代ニホンとほぼ同じであるから、俺は特に困る事もなく、『あいうえお』と書いて褒められた。中一の年齢で、小一の勉強をしている感覚である。
学園は一クラスが二十人で、一講義が九十分の午前中二時限、午後二時限である。
昼食は、学食がある。
こうして本日も授業を普通に終えて、俺は校門にいた。兄とその徒弟と合流するためだ。待っていると、リュード兄上が一人の少年を伴って歩いてきた。どことなく既視感があるなと、俺は先輩を見て思う。
「スコット、紹介する。弟のライナだ」
「お初にお目にかかります、スコット先輩。アンドラーデ男爵家の次男のライナです」
ネクタイの色で学年が違うため、兄と同じ色のネクタイをしている相手に俺は述べた。同時に、名前を聞いて思い出した。スコット・ディユーズというNPCが課金ショップにいた。確かゲームの設定では、新卒で学園教師になったというはずだった。俺より二歳年上であるから、全然そのコースはあり得る。課金ショップでは、Sub不安症抑制剤などが有料で購入できた。購入すると、体力が回復し、シナリオを読み進められたりしたのだったと思う。
俺が頭を下げていると、猫のような形の眼を細くして、スコット先輩が微笑した。
「はじめまして。ディユーズ伯爵家の三男の、スコットです。よろしくお願いします」
伯爵家と聞いて、確かに随分と家格が上のお方だなぁと考える。三男とはいえ、伯爵家と男爵家では、越えられない溝が爵位として存在するからだ。
「スコット、馬車が来ているから、中へ」
「ありがとう、リュード」
こうして二人が先に乗り込んでから、僕は最後に乗った。御者が扉を閉めて少ししてから、馬車が走り出す。
「いつもリュードが心配してばかりいるから、嫉妬していたんだけど、ちょっと分かるね。ライナくんは、可愛いもの」
「スコット……余計な事を言うな。≪黙れ≫」
「はいはい。≪|命令《コマンド》≫を使ってまで止めるほど照れられたらなぁ」
「……スコットの方が、可愛い」
「うん。有難う、愛を感じた」
なんだか馬車の内部に、甘ったるい空気が広がっている。兄上が俺を可愛がっているとは微塵も思わないし、ダシにされた気がした。しかし別に何とも思わなかった。その後俺は、馬車が男爵邸につくまでの間、甘ったるい二人のやりとりを終始眺めていた。
俺には、過去、こういった【命令】が下された事は、人生で一度も無い。
父とアドバズル卿に、強制的に魔物討伐関連の命令を下されてばかりだったから、最初、兄の言う≪|見せろ《プレゼント》≫の意味が分からなかったほどである。俺にとって、見せろと言われたら、それは、『|殺《・》|し《・》|て《・》|見《・》|せ《・》|ろ《・》』という場合が圧倒的に多かったので、ちょっと冷や汗が浮かびそうだった。
しかし端緒に返れば、ここはゆるふわで甘々なBLゲームの世界だったはずで、何故なのか俺の境遇だけちょっと違っていたとしか言いようがない。
こうして家に到着してからは、最初は応接間に行った。
だが、俺は兄が、時折もの言いたげに俺を見る事に気づいていた。
……二人きりになりたいんだろうなぁ。
すぐに悟り、俺はそれとなく提案する事に決める。
「スコット先輩」
「ん? なぁに?」
「兄上は、読書家なんです。沢山の本がお部屋にあるので、スコット先輩も是非、見ていかれては?」
実際、リュード兄上は、暇さえあれば本を読んでいる。なので俺が述べると、スコット先輩が柔和に微笑した。一方の兄は、虚を突かれたように目を丸くし、直後真っ赤になった。
「そ、その……よ、よかったら、見ていくと良い」
「うん。気になるし、もっとリュードの事が知りたいから、ぜひ」
「では俺は、そろそろお部屋に戻って、宿題をします。ごゆっくり」
こうして空気を読み、俺は自室に戻った。
その後、二人は長い事部屋にこもっていたが、月の徒弟という関係は、公的に認められているから、何かあったとしても、それが≪Sub drop≫でも無い限り問題が無いだろうと考えつつ、俺は宿題をした。
「しかし兄上も照れたりするんだな」
なんとなくそんな事を思いつつ、俺はその後宿題を片付けた。