【7】芋虫
目をさますと、もう蓮二君の姿は無かった。いつものことである。
ただ服を脱いだままでシーツにくるまっている以上、最後まで致してしまったことは紛れもない事実だ。その上、好きなのかと聞かれて、多分俺は好きだと言った。だが肝心なことに、残念ながら、蓮二君が俺をどう思っているのかを聞けなかった。
「とりあえず恋人はいないらしいけどな……」
だからといってその位置に俺が収まれると言う話しじゃない。
酷く喉が渇いていた。
視線で飲み物を探すと、ベッドサイドのテーブルにミネラルウォーターのボトルがあった。
蓮二君が置いてくれたのだろう。
こういう気遣いが、優しさが、多分俺は好きだ。
俺のまずい菓子を、文句を言いつつとはいえ、いつもちゃんと全部食べてくれるところも好きだ。
嗚呼、好きなんだなぁ、俺。
自慢じゃないが、俺はコレまでの人生で、多分恋というモノをしたことがない。
だからどうすればいいのかも分からない。
静かに瞼を伏せると、蓮二君の笑顔だとか、学校の事だとか、悪役のバイトの事だとか――そう例えば弟の佐織のことだとか、色々なことが過ぎっては消えていく。
たっだ一つ、たった一つだけ分かることは、俺は今幸せだって言う事だけだ。
「きっとそれで十分だよな、”快晴”」
翌日の放課後、俺は総帥のカノン様に指定された旧高田馬場駅早稲田口へと向かった。
「なんだ早かったなぁ」
プカプカと口から煙を吐きながら、喫煙所では先に着いていたユウトが声をかけてきた。
「家に帰らないで直接来たからな」
俺はそう言って、悪役スタイルをONにする準備をした。
準備と言っても、普段は首から提げてる茶色い腕輪を、左手に装着しただけである。
ユウトの手にも同じ物がある。
これに≪靴はき猫≫関連の魔力を込めると、衣装がサクッとかわるのだ。
変身するまでの間は、勿論俺達は一般人のフリをしておく。
「珍しいな、家近いのに。今日は、試食する品余らなかったのか?」
大概菓子を置いてから来る俺に、首を傾げながらユウトが言った。
色の抜きすぎで、日の加減によってはピンクに見える髪が揺れてる。
「ちょっとな……」
本音を言えば、蓮二君に会う度胸が無かったのである。
「何、お前も≪Oz≫から身辺調査されてんのか?」
「――へ?」
だが続いた意外な言葉に、俺は思わず顔を上げた。
するとプカプカと煙を吐き出してから、≪鼠(魔王)≫ことユウトは、疲れたような顔で眼を細めた。
「ヤヒロだっけ、≪臆病なライオン≫」
「あ、ああ」
「最近あんまりにもストーカー行為が著しいから、直接話しかけてやったんだよ。何せ毎日毎日、俺の大学院出待ちしてるし、バイト先に飯食いに来るし。何考えてるんだろうと思ってな」
多分恋しているんだよ、と言う言葉を俺は飲み込んだ。
「そうしたら、身辺調査だって言うんだ。≪Oz≫の邪魔してる≪靴はき猫≫のメンバーの素行調査らしい。俺がされてるって事は、多分お前もされてるだろ。それにしても、どこから身元がバレたんだろうな」
溜息をついたユウトを見ながら、多分それはヤヒロの口からの出任せだと思うぞと言おうか迷った。何せはっきり言って、俺は誰にも調査なんかされていないし。ヤヒロはユウトに恋をしているって丸わかりだしな。学校でも日々、いかにユウトが格好いいかしか力説されていない俺が此処にいる。
「ま、それは兎も角、今日の仕事面倒くさそうだよなぁ」
ユウトの言葉に、俺は腕を組む。
「ついに、≪Oz≫が”新宿迷宮”の探索に乗り出すんだよな?」
「らしいな。で、俺達はその出鼻を挫くって言う。ま、大規模な探索だから、≪Oz≫以外にも沢山の正義の味方が協力するらしいけど」
新宿迷宮とは、平行世界と日本が繋がった後から、地下に出現した一大ダンジョンだ。恐らくいずれかの異世界日本の地下にあったモノが、こちらにも出現したのだろうと推察されている。”異邦神”の巣窟なので、ダンジョンを攻略して浄化することは、正義の味方に求められている本来の仕事の一つだ。何でも最下層の”聖十字の欠片”を破壊すると、”異邦神”が沸かなくなるらしい。だが、新宿迷宮は規模が大きく、出てくる”異邦神”も強いため、これまで何組も侵入して、何組も死亡した、第一級危険指定迷宮だ。まぁ、≪Oz≫ならば大丈夫だろうと、何となく思う。根拠はない。
「それにしても人が多いな」
ユウトの声で我に返って周囲を見回すと、確かにその通りだった。
屋台まで出てる。
≪ラグナロク≫の特設実況ステージまである。
みんなどこからか≪Oz≫の動向を聞きつけて、見物にやってきたのだろう。
「あ、≪能無しカカシ≫だ!」
その時誰かの声がした。
俺とユウトは視線を短く交わし、腕輪を操作する。
≪靴はき猫≫此処に見参である!!
「ふはははははは、待っていたぞ、≪Oz≫よ!」
俺が精一杯悪役っぽく叫ぶと、隣でユウトが吹き出した。
本当コイツってたまにイラッとするよな。
「黙って俺達が新宿迷宮に潜らせると思うなよ」
しかし仕事を思い出したのか、そう言って≪鼠(魔王)≫が高笑いをする。
「やはり来ましたか」
面倒くさそうにクオンが言う。
その隣では、静かにトーヤがこちらを眺めていた。
黒づくめなので表情は見えない。
「……っ、か、可愛い」
ボソリと呟き、正面にいた≪臆病なライオン≫が前屈みになった。
前屈みになった……。
ヤヒロの頭がたまに俺は心配になる。
そんな≪臆病なライオン≫に、クオンが回し蹴りを入れた。うわぁ、痛そう。だけど、クオンの気持ちもよく分かる。
「毎度毎度何の恨みがあるのかは知りませんが……いや、大体分かりますが――兎に角今日は、あなた方の相手をしている時間はないのです。トーヤ」
クオンがそう言った瞬間、クルクルと杖を回し≪ブリキの木こり≫が呟くように呪文を唱えた。
「≪気絶、途絶、時間融解≫」
瞬間、周囲の風景がぐにゃりと歪んだ。
コレは視覚情報に影響を与え、時間感覚を狂わせて、対象者を気絶させる魔術だ。
しかし俺もユウトも慣れたモノなので、左右に飛んで回避する。
この魔術は指定範囲を抜ければ、効果が消えるのだ。
そうして我に返ると俺達は、≪Oz≫以外の様々な、迷宮探索集団に囲まれていた。
正義の味方達に囲まれるようにして、≪Oz≫と≪靴はき猫≫の俺達は対峙しているのである。円になった観衆達は、お祭りの出し物でも眺めるようにこちらを見ていた。
コレも案外いつものことである。
ユウトはどうしただろうかと一瞥すると、≪魔王の杖≫で、ボコボコにヤヒロを殴っている。こんな風にされてユウトのことがまだ好きだというのだから、ヤヒロは大概変態だと思う。そしてユウトは流石はアスモデウスの一族だ。一撃一撃に、素麺をパスタに変化させるくらい強い魔力がこもっている。――だなんて傍観している場合ではなかった。
俺は眼前に迫ったクオンの木刀を、のけぞって交わす。
木刀――本当にそう呼ぶのが正しいのか俺には分からない。
当たったら確実に、胴体が二つに分かれる。
まだ切り傷で住む普通の剣の方がマシなんじゃないのかと思わせる、聖なる光が宿った木刀を、クオンは使っているのだ。多分、カカシだから、木の棒を武器にしているのだろうが、そんな配慮はイラナイ。
全体的な魔術を使った後、魔力温存のために、戦いに参加しないトーヤも通常運転。
このまま行くと、あと五分くらいで俺がクオンに倒されて、そのクオンの手でユウトも倒されて、今日のバイトは終了だ。そんな事を考えながら、なんだか今日はあんまり帰りたくないなぁだなんて思う。蓮二君に合わせる顔がないからだ。どんな表情で接すれば良いんだろう、俺。
そんな事を考えていた、その時の事だった。
「≪限界範囲指定:対象:オロボス:魔力取得封印結界≫」
どこからか、機械的な音声が響いてきたため、俺を含めその場にいた一同が動きを止めた。
「?」
なんだろうかと思い顔を上げる。
後ろに飛んで、クオンがトーヤの隣に立った。
「何です今のは」
「僕じゃない――使った分の魔力を自然回復できないようにされたみたいだけど」
ローブのせいでトーヤの声はぐぐもって聞こえる。
抑揚のないその声を聴いていると、ヤヒロもそちらに戻っていくのが見えた。
ということは、ユウトの手が空いたのだろうと思い振り返る。
「おいおい、これまずそうだから、撤退しないか?」
俺の隣に立つなり、ユウトがそう言った。
「何が起きたんだ?」
「知らん。ただ、分かるのは、オロボスの魔術師が、今体内に持ってる魔力以外使えなくなったって事だ。こんな事するのは、≪30A≫だろうな」
「要するに≪ブリキの木こり≫が、魔術使えなくなったって事か?」
「今ある魔力で放てる分しか使えないだろうな。それだけならまだしも、迷宮攻略に来てる魔術師のほとんどは、オロボスの魔術師だ。他のソロモンの悪魔の一族の魔術師は、多分お前と俺だけだ」
ユウトがそう言った時、周囲に大量の”異邦神”が現れた。
「「っ」」
俺達は多分、ポカーンと言うのが相応しいような顔をしていたと思う。
腕輪を弄って一般人の人混みに紛れようとしていた俺達よりも先に、その場には阿鼻叫喚が溢れた。
そこには、”蛆虫”と呼ばれる”異邦神”がいた。
蛆虫にしか見えない巨大な魔物と、奥にいる蛾に似た本体を殲滅しない限り、際限なく沸き続けて、一つの街を崩壊に至らしめるとされる、おぞましい戦略型の異邦神だ。異世界日本では、コレで戦争をしていたのだとか何とか。”蛆虫”の活動時間は36時間とされている。それが終われば、蹂躙され破壊された街が残るだけ。汚染も残さないし、平和的な”兵器”として扱われている世界もあるそうだ。難点を上げるならば――”ヒト”を食べることだ。
「チッ、クソが。ふざけんなよ」
ボソリとユウトが呟くように言った。舌打ちが聞こえた。
「え、ユウト?」
驚いて俺が顔を向けたとき、既にそこにはユウトの姿は無かった。
気づけば、”蛆虫”の本体に、ペロペロキャンディみたいな形をした、飴色の樫の杖が突き刺さっていた。紫色の体液が、噴水みたいに飛び出してくる。
突き立てたのは、ユウトだった。
「≪The jaws that bite, the claws that catch≫」
険しい目をしてユウトが呪文を紡ぐ。
「≪The Jabberwock, with eyes of flame≫」
あんな風に激情に駆られた様子のユウトを見るのは、初めてだった。
「≪manxome――Came whiffling through the tulgey wood≫……よくも、俺の姉さんを……っ、≪He took his vorpal sword in hand≫」
そういえば、左腕と右足を失ったユウトの姉は、未だに意識が戻らず入院しているのだと、総帥から聞いたことがある。だが、詳しく何があったのか、俺は知らない。ただ分かるのは、現在ユウトが唱えているのは、アスモデウス一族の魔術だという事だ。
「≪He left it dead, and with its head≫――死ね消えろ潰えろカスが。発動、Jabberwocky !!」
ユウトの言葉が終わると同時に、”蛆虫”の本体がはじけ飛んだ。
黄ばんだ白い脂肪が、紫色の体液と共に、周囲に飛び散る。
ユウトってこんなに強かったのかとポカンとしてしまった。普通、本体は、数十人で倒す代物だと、学んだ覚えがある。しかしそれを見届けて力が抜けたのか、ユウトが、残っている周囲の蛆虫集団の中へと落下しかけた。助けなければと飛び出そうとした俺よりも早く、その体を≪臆病なライオン≫が抱きかかえる。
「散れ――≪Vi mortos de esti bruligita≫」
そしてもう一方の手で周囲を薙ぎ払う動作をした。
すると蠢いていた眷属の蛆虫たちが炎に包まれていく。
呆気にとられてそれを俺が見ていると、クオンが木刀を振るって前へと出た。
辺りに紫色の体液が舞い、次々に”芋虫”達が切り裂かれていく。
「駄目ですね、きりがありません。やはり定石通り、魔術で一掃しなければ、いくらでも沸いてきます」
淡々とクオンが言う。
実際他の正義の味方集団の魔術師達――大勢いるオロボスの魔術師達も、できる範囲で、広範囲にわたる殲滅攻撃をしているようではあった。しかしながら、いかんせん数が多すぎて対処できているようには見えない。
「……」
クオンに声をかけられたトーヤは、腕を組んで、その場の地獄絵図を見ている。
俺も加勢できたら良いのだろうが、アマイモンの魔術師は、残念ながら範囲攻撃には向かないのだ。勿論単体攻撃はできるし結界も張ることができるが、なにもそれはアマイモンの力を使う必要はない。だから俺は、≪長靴を履いた猫≫の力を駆使して、さっきからとりあえず結界を張って、一般人を逃がすことに注力している。
36時間を待たずして、”芋虫”を駆逐するには、現在確認されている限りだと、オロボスの最強攻撃範囲魔術である≪イカサマビハインド≫を用いるしかないと言われている。だがこの魔術は使える者も一握りならば、消費魔力量も半端無いと言われている。下手に使えば失敗して暴発するか、魔力欠乏で術者が死ぬらしい。
「どうしましょうか」
「……うん。使えないことはないんだけど」
「≪イカサマビハインド≫ですか?」
「うん」
「確かに現在の新宿区で使えるのは貴方だけでしょう。ですが、魔力を自然補完できないのでしょう? 現在は」
「そうだね」
「仮にソレでこの場が救われたとしても、貴方が欠けるのは痛い」
おいおいお前ら正義の味方だろうと思いながら、俺は、倒れている人々の介抱をしながら、間近で交わされるやりとりを聞いていた。
「……魔力補給の宛がないこともないんだ」
「なるほど! 我々は正義の味方です! さ、思う存分魔術を使って下さい!」
一気に明るい声でクオンがそう言った。
何て変わり身が早い奴なんだ。
そんな事を考えながら、怪我人を地に横たえたとき、不意に俺の正面にトーヤが立った。
「?」
なんだろうかと首を傾げていると、ガシッと肩を掴まれた。
「え」
俺は――それから俺をのぞき込んできたトーヤの、ローブの下の顔を見て硬直した。
そこにあったのは、蓮二君の顔だったからだ。
「っ」
何か言おうと唇を開いた瞬間、深く深く俺はキスをされた。
瞬間的に体から力が抜けていき、魔力を吸収されているのが分かる。
ぐらぐらと目眩がしてきて、俺は倒れ込みそうになった。
その体を、優しい手が支えてくれる。
いつもとは比べものにならないほど、急速に魔力を取られたのが分かった。
「≪イカサマビハインド≫」
トーヤの――蓮二君の声が響いた。
瞬時に周囲は光に飲まれ、”蛆虫”は一掃されたらしかった。
俺が気がついたとき、辺りにはすがすがしい空気が立ちこめていた。
「……大丈夫?」
淡々と声をかけられ、我ながらトロンと虚ろだった瞳を、ハッと見開いた。
「え、あ……――なんで……」
なんで蓮二君が此処にいて、と言うか、≪ブリキの木こり≫のトーヤで……と考えて、俺は息を飲んだ。それから唇を噛む。そもそも蓮二君の名字は、稲屋、トウヤ、トーヤだ。
それから、先ほど聞いたユウトの言葉を思い出した。
――お前も≪Oz≫から身辺調査されてんのか?
なるほどなるほど。
俺だっていくら何でも、偶然隣に引っ越してきた片思いの相手が、正義の味方だったと思うほど純情じゃないし、運命なんて信じない。
――あ、見張りだったんすね、さーせんw
と言うことで、この時俺は、失恋した。
よくよく考えてみれば、そもそも基本的に、すれ違ってもスルーされる事が多かったではないか。向こうからは基本的に話しかけてこなかったのだ。というか、考えてみれば、いつも話しかけてるの自分からだったよな……うわ、俺恥ずかしい。
「……ああ、うん。分かってたから、俺!」
「……?」
「お前が正義の味方だったって事なんてお見通しだったんだよ!」
俺は精一杯の強がりでそう言いきって、トーヤの腕から離れた。
まだ体がふらついたが、気にしないことにする。
「さらば!」
俺はそれだけ言うと、一人颯爽とその場を後にした。ユウトのことは置いてきてしまったが、ヤヒロが一緒だし何とかなるだろうと、後で考えたのは内緒である。