【三】






 大規模なビニールハウスでのトマト栽培において、朝希は人を雇っている。そのため、週に二日は休める。勿論自分で農作業をする事が圧倒的に多いし、休日であっても顔を出す事も多いが、本日はゆっくりと居間でお茶を飲んでいた。

 インターフォンが音を奏でたのはその時の事で、朝希はモニターに視線を向ける。立ち上がって画面を見ると、そこには先日顔を合わせた眞郷という営業の姿があった。

『お世話になっております、先日は――』
「帰ってくれ」
『――もう一度お話をさせて下さいませんか? キュウリの件、少し調べてきたのですが、直接お話を伺わせて頂きたくて』
「……キュウリは例だ。俺の専門じゃない」
『構いません。私は葉宮さんの意見をもっとお聞きしたいんです』

 そう言われると、朝希も考えるしかない。家に上げずに追い返すという選択肢もあったが、知りたいと言われたら、答えるのが真摯な対応だと朝希は思っている。相手が何を調べてきたのかは分からないが、きちんと答えたならば、もうこのように会いに来る事もなくなるのではないかという期待もあった。鬱陶しく煩わしい事を減らせるならばという考えが大きい。

「……今、鍵を開ける」
『ありがとうございます』

 朝希の返答に、モニターの向こうから明るい声が響いてきた。そのまま朝希は玄関へと向かい、扉を押した。するとその先には、笑顔を浮かべている眞郷の姿があった。

「入ってくれ」
「お邪魔します」

 こうして居間へと眞郷を促す。そしてそばにあった急須に茶葉を入れて、傍らのポットからお湯を注ぎ、その後二つの湯飲みに朝希は緑茶を淹れた。

「お構いなく」

 ローテーブルをはさんで朝希の正面の席に、眞郷は座っている。その前に一つ湯呑みを置いてから、朝希は改めて眞郷を見た。

「それで?」
「先日は、味を含めての規格……完成品だという事を教えて頂き、ありがとうございます。その上で、ならば水分量の多いキュウリや少ないキュウリには活用法が無いのか調べてみたのですが、いくつかありました。一つはそれをお伝えして、ご意見を伺いたくて」
「……無理に有効活用する必要も無いと思うが、あんたの仕事はそれだものな」
「無論、仕事でもありますが、俺――私は、個人的に本当に勿体ないと思っていて」
「気軽に喋ってくれて構わないぞ。俺の意見は、口調で変わったりはしねぇからな」

 頬杖をついて朝希が言うと、吐息に笑みをのせてから眞郷が頷いた。

「俺としては、少しでもフードロスを減らしたいだけなんです。環境に配慮をしたいわけでもなんでもない。ただ純粋に、美味しいと思えるものや、美味しく出来るものを、捨ててしまうのが勿体ないと、その一心なんだ。それこそ無駄の削減ですらなくて、廃棄するのが残念だという考えからなんです」

 それから眞郷は、キュウリを用いたカクテルや飾りとしての活用案など、複数の事例を挙げた。その後、既に軌道に乗っているトマトに関しての、ジュースやレトルトのパスタソースの資料を広げた。頬杖をついたままで、朝希はそれを聞きつつ、資料を眺める。

 本当に眞郷がじっくりと調べてきたらしいというのはすぐに分かった。山岡が熱心だと評していたのも、嘘ではないと感じる。

「――いかがですか?」
「ああ……いいんじゃないのか? 俺でなく、賛同者に説明すればいい」
「葉宮さんの意見を伺いたいと、お伝えしたと思いますが」
「だから、いいんじゃないのかと、話しただろう。もういいか?」
「葉宮さんは、熱意をもって育てたトマトを廃棄する事、残念だとは思わないんですか?」
「規格外は、所詮規格外だ。それ以上でも以下でもねぇよ」

 そう答えつつも、勿論本心では、残念であるし、勿体ないとも思っていた。だがそれらを思い出す時、自身とどうしても重ねてしまう。同じ規格外であっても、自分はどこにも使い道なんてない。そうである以上、トマトだって有効利用できるように見えても、規格外はやはり規格外なのだと考えてしまい、それを活用する事には躊躇いしかない。

「いいや、以上になる。規格外には規格外の魅力があります」
「作ってもいないのに、何が分かるっていうんだ?」
「葉宮さんこそ、規格内にこだわりすぎているように思える。関わりすぎているからこそ、外からは見える良さが、見えないんじゃありませんか?」
「外から見える良さ?」

 朝希が怪訝そうに眉を顰める前で、眞郷は大きく頷いた。

「たとえば形一つとってもそうです。葉宮さんから見ればただの規格外であっても、その形を『個性』と捉え、『味がある』と判断する人もいる」
「……そうなのか?」
「ええ、そうです。野菜の個性もまた、俺は尊重したい」
「そんなものがあるのか?」
「俺はあると思いますよ」

 実際、朝希もそれには同意見だった。一つ一つを丹念に育てているからこそ、感じる事の一つでもある。同じトマトであっても、確かに差異はある。そこから大きく逸脱しているものが、規格外となるだけで、元々は確かに同じトマトだ。それは朝希だって同じだ。元々は、人間であり男だ。だが、その枠組みの中で大多数とは異なり、同性を愛するという規格外の部分がある。それは、世に出してはいけない個性だ。そう考えずにはいられない。目の前にいる眞郷を、朝希はじっと見た。整った顔立ちで、新部門の代表で、きっと女性にもモテるのだろう。自分とは違う。規格内中の規格内。そんなイメージを朝希は眞郷に対して抱いた。だから気づくとポツリと訊いていた。

「あんた、奥さんはいるのか?」
「いいえ。俺はゲイですので」
「――え?」
「何か?」

 さらりと言われた言葉に、思わず朝希は目を見開いた。何度か瞬きをしてみる。現実感は薄かったが、自分が眠っているわけではないというのはよく分かる。

「それ……本当に?」
「ええ。驚かせてしまいましたか?」
「……」
「別に男だからと言って、男性なら誰でも対象になるというわけじゃないので、二人で話しているからと言って、襲ったりはしません。誰かれ構わず押し倒したりはしない。ご心配なく」
「なっ、べ、別にそう言うつもりじゃ……ただ、その……隠さない事に驚いて……」
「どうして隠す必要があるんですか?」
「え?」

 それ、は――と、言いかけて朝希は口ごもった。これまでの間、ずっと己がゲイである事について、朝希自身は『規格外』だと思っていて、それは隠すべき事だと思っていたからだ。男性は女性を好きになるのが正しい、そんな価値観が普通だと感じる。だが、『どうして』と問われると、咄嗟に答えは出てこない。

「……世間の、だから……常識というか……」
「人を好きになる事、愛する事を、俺は素晴らしい感情だと思っています。恥ずべき事でもないし、隠す必要性も感じない。だから聞かれたら事実を答えます、俺は」

 笑顔で穏やかに答える眞郷を見て、朝希はまだ信じられない気持ちだったが、同時に眩しく思った。不思議なもので、己については確かに『規格外』だと感じるのに、同じゲイであると分かっても、眞郷の印象は少なくとも『規格外』には思えない。いいや、規格外なのかもしれないが、『良い意味で規格外』に思える。朝希自身は、自分に対してはネガティブな方向からそう思うため、眞郷が明るく見える点がとても不思議だった。

「葉宮さんこそ、ご結婚は?」
「いや、俺は……してないけど」
「恋人は?」
「いない」
「いつから?」
「……できた事がねぇよ」

 素直に答えて、朝希は俯いた。同性愛者である事をひた隠しにしてきたし、女性とは付き合える気がしなくて、告白されても断ってきた。そして男性には告白された事が無いし、する勇気も無かった。片想い以外の恋愛経験などゼロと言える。

「あんたはその……男の恋人がいるのか?」
「実は先月、別れてしまって」
「ふぅん。なんで?」

 性的指向が同じ相手と巡り合えるなんて、羨ましい事だと朝希は思う。その相手と別れるなんて、贅沢にすら感じる。

「浮気されてしまって。仕事柄俺は出張が多いから、寂しい思いをさせてしまったというのもあるんだろうけど、浮気は俺には分からない価値観なんだ。俺は我ながら一途だし、相手にもそうあって欲しい。さぁっと冷めてしまって」
「なるほど」
「だから別れました。後悔は無い。と、言うわけで、俺は新しい恋を探している最中だ」
「へぇ。好みのタイプとか、あるのか?」
「それこそ、一途で真面目な人だな」

 頷きながら、お茶が無くなったので、朝希は己の湯飲みに新しい緑茶を注いだ。それから眞郷を見る。

「あんたも飲むか?」
「いいんですか?」
「ああ」
「では、お願いします」

 湯呑みを差し出した眞郷に頷いてから、朝希はそれを受け取った。

「すぐに追い帰されるとばかり思っていました。特に性癖の話なんていうプライベートな雑談をしたものだから」
「っ、その」

 お茶のおかわりを渡してから、そうするべきだったと朝希は思った。カミングアウトの衝撃と、同じ同性愛者の話をもっと聞いていたいと感じた事が理由で、つい追い帰すのを忘れていた。

「よ、用件が済んだんなら、帰ってくれ」
「ゆっくりお茶を頂いたら、帰らせて頂きます。今日のところは」
「何度来たって、俺の考えは変わらない」
「変えて見せます。それに俺は――トマトと同じように、いいやそれも少し違うか、全ての存在、か。勿論人間も含めて全ての動植物に個性があると思っていて、ビジネスをする上では、相手の個性を知り、信頼関係を築く事が肝要だと思っています。だから俺は、葉宮さんの事も、もっと知りたい」
「……そうか」

 ゆっくりと頷きつつも、誰かにゲイだと知られる事は、相手が同じゲイだとしても回避したいと朝希は思った。平穏な生活の中に、そのような余計な刺激は不要だ。

「でも、少し意外ではあったな」
「え?」
「葉宮さんは堅物だというイメージがあって、頑固一徹というか、よく言えば古風、悪く言えば古臭い考えの持ち主かと思っていたんだ」
「正直者だな」

 朝希が半眼になって告げると、クスクスと眞郷が笑った。

「だからもっと、ゲイだと伝えたら嫌悪感をあらわにされるかと思っていたんだ」
「べ、別に――」
「偏見はない?」
「その……分かんねぇよ。俺は初めてゲイに会ったからな。それにさっき、あんたも言ってただろ。男なら誰でもいいわけじゃねぇって」
「ええ。ただ俺は、別に葉宮さんが『ナシ』だという意味で言ったわけじゃない」
「は?」
「俺は真面目な人が好きだ。そして真面目な人と言うのは、自分なりの信念を持っている事が多いし、それはある意味で頑固と同じでもある。だから俺は、葉宮さんの事、嫌いじゃないです」
「な、何言ってるんだよ」

 なんだか眞郷の顔を見ていられなくなってしまい、朝希は視線を逸らした。すると眞郷が、どこか楽しそうに笑う気配がした。

「葉宮さん、下の名前は?」
「朝希だよ。それが?」
「おいくつですか? 俺は二十七です」
「二十四だ」
「――朝希くん。そう呼んでも構わないか?」
「好きに呼べばいい。名前一つの呼び方でも、俺の考えは変わったりしねぇよ」

 顔を背けたまま、ぶっきらぼうな調子で朝希が述べると、眞郷が湯呑みを手に頷いたようだった。

「少し話を戻すと、どうしても規格外のトマトは、卸してもらえないか?」
「そのつもりはねぇよ。何度も言ってるだろ」
「勿体ないとも思わない?」
「それは……その……」

 本心では、勿論思っている。だがそれを認めてしまえば、自分自身がよりいっそう惨めに思えてくる。規格外でもトマトには使い道があるのに、なにもない己を直視すると悲しくなってしまう。

「思うようだな。他に何か、卸したくない理由があるんじゃないのか?」

 その言葉に、自分を重ねているからだとは言えないため、ゆっくりと長めに瞬きをしてから、朝希は理由をひねり出す。

「規格品と違って、規格外野菜はなるべく出ないように作る。わざと規格外を作る事も無い。だから、安定した供給も約束できない。俺の仕事は、規格内のトマトを作る事だ。あんたらに卸すために、わざわざ土地を割いて規格外を作る事も勿論できない」
「その部分は、本当に問題ないんだ。そうだ、朝希くん。次のお休みにでも、改めて時間を作ってもらえないか?」

 明るい声音で眞郷が言った。再び頬杖をつき、朝希は片目だけを細くする。眞郷の浮かべる笑顔の理由が分からないからだ。

「時間を作ってどうするんだ?」
「実際に規格外野菜を使って、料理を提供しているレストランがある。隣の仙鳥市に、俺の会社の直営店があるんだ。是非そこを直接見て、メニューや味を確かめて欲しい」
「何料理の店なんだ?」
「行くまで秘密だ。アレルギーはあるか?」
「無いけど」
「ならば心配はないな。それで? 次のお休みは?」
「来週の水曜」
「一週間後か。分かった。その日、俺が車を出すから、一緒に来てほしい」

 その言葉に、朝希は逡巡した末、顎で頷いた。どうせ、料理を食べたところで、己の考えは変わらないと思っていた。