第十二話



 カップにインスタントの粉を淹れながら、細く吐息する。

 亘理は、まさか直接家に来て上がり込まれるとまでは思っていなかったが、近々森永少佐あるいは少佐に近しい人物から話しかけられるだろう事は予測していたのだ。彼らの目的も分かっているつもりだ。

 彼らは、大貫中佐を、キツイ言葉で言うのならば、蹴落としたいのだろう。統括軍部であるこの中央に、大貫中佐という存在は有害だから、排除したいと思っているのだと考えられる。実際部下として働く中で見ていても、大貫中佐は組織の癌と言えないこともない。

 階級こそ大貫中佐よりも下ではあるが、森永少佐の実力と頭の切れる配下の者達であれば、大貫中佐を追い出すことは、本来ならばそう難しくないことのはずでもある。

 しかし追い出せないのは、恐らく自分がいるからだろうと亘理は考えた。
 森永少佐達の打つ手を、いくつも封じて潰してきた自覚がある。

 その理由としては、まぁ一応、遇津コーポレーションからの依頼だというのは、確かに一点だ。そして二点目は、大貫中佐に関わりがあるのだろう、亘理が常々考えている事柄である。

 それは、今回の監視カメラの件にも通じる。

 亘理大尉が監視カメラの存在を自覚した上で、妹とのやりとりをしたことには、きちんと理由がある。おそらく森永少佐達は、亘理大尉の弱みを探ろうとしているのだろう事も分かっていた。亘理大尉の弱みを掴み、動きを封じることで、大貫中佐を蹴落とすチャンスを得るためだ。

 だが亘理には、みせて困る弱みは存在しなかった。

 それこそ、仮想現実を利用中の妹との通話は、森永少佐達にしてみれば、やっと見つけた弱みなのかも知れない。だが亘理としては、その光景こそを、あえて見せたかったのだ。
森永少佐達が、どこまで、国防軍の一部の人間が遇津側に実験を依頼したことを知っているのか、それを探りたかったのである。

 結果として、森永少佐達は、遇津総合病院を疑ったことしか言わなかった。
 その事実だけでも、彼らは亘理の弱みを握ったつもりでいることだろう。

 しかし亘理にしてみれば、森永少佐達が何も知らないと分かった事だけでも収穫だった。

 そして――大貫中佐は、仮想現実利用実験について、多くのことを知っているのだ。

 それが即ち二点目なのである。

 大貫中佐が関わっている実験について知ること、なお言うならば、実験に賛成する派閥のメンバーを把握したいという点、そして今後国防軍がこの実験をどのように活用していくつもりなのか。

 それを亘理が知るためには、余計なことで大貫中佐に軍を去られては困るのだ。大貫中佐の悪どい行いは、確かに本来であれば見過ごせるようなことではないし、手助けなどすべきではない。軍人として告発するべき事だ。それは嫌と言うほど分かっている。亘理は、これでも軍にはいることを決意した時から、優秀な軍人になりたかったのだから。

 カップを持って戻ると、森永少佐が苦笑していた。

「逃げられたのかと思っちゃったけど、座って。僕、話を変えるつもりはないよ」

 さて、どのように答えたものか。
 熱い珈琲を飲みながら、緩慢に亘理大尉は瞬きをした。
 こういう時は、簡単な事実を述べるに限るかもしれない。

「大貫中佐に関する個人的理由は、中佐殿が持つカードキーが理由です」
「カードキー?」
「ええ。病院の地下十階にある、俺の家族の脳が浮かんだ水槽の場所。そのフロアに到達するためには、大貫中佐がお持ちのカードキーが必要なんです。あれがなければ、立ち入ることが困難なんです。あの鍵は、中佐殿の身体情報に反応する仕様なので、複製も盗難も出来ません。よって、大貫中佐のそばで、今後も俺はお仕え致したいと思っています」「――家族を人質だとは思っていないんだよね? なのに、会うための鍵は必要なんだ?」
「別にそれらが相反するとは思いませんけど。時には、家族の姿を見たくなるものです」「これまで話した感覚から掴んだだけだけど、僕の亘理大尉の印象としては、その鍵を手に入れて地下十階に行ったら、家族の水槽に向かって発砲しそうな気がする」

 どこかうかがうような顔で森永少佐が呟いた。
 図星をさされた亘理大尉は、息を飲むことは堪えたが、反射的に顔を背けてしまった。
 少しの間、その場に沈黙が降りる。

「まぁ、この話はいいや」

 先に静寂を破ったのは、森永少佐だった。

「それより、大貫中佐が、総合病院の地下施設に通じるカードキーを持っているというのは不思議だね。あの病院に地下があるという話は、公的にはないんだけどね。今は、最低十階まではあるって分かってるけどさ。だけど本当に、それは妙だな。遇津の病院が、利用実験をしているとして、どうして軍の人間に鍵を渡すわけ? まるでそれじゃあ、軍の指示による極秘実験だから、いつでも視察に来て下さい、と言うような態度じゃないか」

 自分でそう口にしながら、漸く事態を飲み込み、森永は目を瞠った。
 ――なるほど、そういうことだったのか。

 自身が所属する国防軍こそが、この実験を先導しているのだ。遇津コーポレーションと連携しながら。そして実験へ軍側の代表として表立って動いているのが、大貫中佐だと言うことなのだろう。だからこそ、亘理大尉は、大貫中佐の立場が危うくならないように、様々な配慮や工作をしているに違いない。

 これでは、家族を人質に取られて泣く泣く仕事をしている、なんて言うような亘理大尉への思いこみは、完全に間違っていたと言うことになる。確かに有能な彼が、仮にそうだった場合であれば、何も手を打たないとは考えがたいではないか。

 その上、一つ、かなり厄介な問題が浮上した。

 亘理大尉をひきこむために、政府に仮想現実の利用を認可させるという方策は、一時的に封印するべきだ。すでに実験すらしているらしいのだから、国防軍にはこの利用に関して含むところがある人間が少なからずいるはずだからだ。

 恐らく亘理大尉も分かっているのだろうが、こう考えた時、大貫中佐はただの表面的な位置にあるだけの踊り子だ。実際にはその裏側に控えている人間、あるいは集団こそが、仮想現実利用に関して含みを持っているはずなのだ。しかし現状では、そういった背後に関する手がかりは大貫中佐しかいないのだから、やはり彼がいなくなっては困るというわけだ。

 だが、誰が何のために、仮想現実のシステムを利用しようとしているのだろうか。

 そもそもの大前提として、森永少佐には、仮想現実についての知識が、あまり多くはないのだ。精々老人ケアの新技術といった認識である。まずはその点から、確認しなければならないのは間違いない。

「亘理大尉。ちょっと僕の方の考えと状況が変わった。そこで、最初から一つ一つ、君に説明をお願いしたい」
「はぁ……構いませんが」
「そもそも仮想現実とは何なんだい?」

 そこからか、と、思わず亘理大尉は目を瞬いた。