【一】僕は国王には向いていないとは思う。






 父であった前国王陛下の喪が明けたのは、今年の二月の事だった。
 僕は二十三歳にして、昨年王位を継承し、もうすぐ二十四歳になる。

 突然の父の訃報に、僕も含めて、周囲はポカンとした。死因は、視察中に階段から滑って転倒し、頭部を強打した結果である。本当に、呆気なかった。ちなみに僕の正妃は一昨年に、次期王位継承者の息子を産んだ際に亡くなってしまったので、僕の家族は息子のユアスのみだ。幼い息子と二人、僕は引きつった顔で玉座に座っている。

 正直父は、あと二十年は生きるだろうと思っていたから、僕はこれまで、あまり帝王学のようなものは意識して身につけてこなかった。なんなら、僕はすっ飛ばされて、父の次にはユアスが即位する未来もあるだろうと思っていた。はっきり言って、僕は王位にあまり興味がない。なお母は隠居して、今は離宮で前王妃として暮らしている。

「シアン陛下、聞いておられますか?」

 そこへ冷淡な声がかかった。僕はより顔を引きつらせ、ただ必死に唇だけに弧を張り付ける。僕に声をかけてきたのは、時の宰相ロイである。ロイは僕より四歳年上の二十七歳で、宰相としては非常に若い。ただこのハルカディラ王国は、宰相職は前任者の指名制で、完全実力主義なので、仕事が実際に出来るロイが就任する際、誰も批判はしなかった。

「な、なんだったかな?」
「……ですから、明日の視察の件です」

 絶対王政のこの国で、一応立場としては、僕が上だ。だが、父が亡き今、全てを取り仕切っているのは、実際にはロイであるし、本当は僕を通さずに決めてしまいたいんだろうなというのは、明らかだ。

 黒い髪に紫色の目をしているロイは、傍から見ていると非常に格好良いのだろうが、僕から見ているととても怖い……。僕は泣きそうだ……。

「三の月は、聖なる期間です。喪に服していた昨年、一昨年とは異なり、今年は国力も示さなければなりません。そこで――」

 ロイがつらつらと語りだした。僕の耳を素通りしていく難解な騎士団配備情報、泣きたくなるような他国からの客人との会議ラッシュの日程……僕の胃がギュッと締まった。

「宜しいですか?」
「う、うん! 任せるよ」
「……御意」

 早く謁見の時間なんて終わってしまえと思いながら、僕は膝に載せている息子を抱きしめた。


 ――僕は、それでも、政務は大嫌いだけど、実はロイの事は嫌いではない。
 誰にも打ち明けた事は無いが、僕の初恋の相手はロイだった。この国では同性婚も認められているから、幼少時僕は、ロイの伴侶になりたいと願った過去がある。しかし僕は国内で逆に唯一血を残さなければならない立場で、子供をもうける必要があり、許婚だった正妃と結婚した。正妃はとても優しかったので、上手くやっていけるんじゃないかなと思っていた。なお僕は口を閉ざしていたが、正妃は僕の気持ちを知っていた。ちょくちょく、『ロイ様に告白はしないのですか?』と僕に聞いてきたから間違いない。そんなに僕って分かりやすかったんだろうか。それとも幼少時からセットで育てられた正妃は特別に、僕について詳しかったのだろうか。詳しかったんだと願おう。ちなみに正妃は、僕ではなく、ロイの弟の事が好きだった。しかし彼女は、僕と結婚してくれた良い人物である。

 一方のロイは、僕に対して非常に冷ややかだ。昔は優しい時期もあったが、宰相補佐官になった頃くらいから、明確に僕と距離を取るようになり、僕が結婚した頃には、仕事以外ではほぼ会話を交わす事は無くなった。ただ僕も、遠くから見ていたら満足だったので、それで良かったし、実らない恋なのだからこのくらいの距離感が丁度良いとすら考えていたものである。

 ちなみに僕がロイに惚れたきっかけは、実に簡単だ。王宮庭園で迷子になっていた時に、助けられた結果だ。僕の手を引いて、乳母の元まで連れて行ってくれたロイが、あの瞬間からずっと特別である。

「それと、シアン陛下」
「ん!? な、何?」

 その時またロイに唐突に名を呼ばれ、僕は我に返った。

「今宵、二人でお話させて頂きたい事がございます。お時間を取って頂けませんか? 日程は調整済みですので」
「う、うん? 話があるなら、今聞こうか?」
「俺には仕事がありますので」
「あ、ああ、そ、そっか。分かったよ……」

 引きつった顔で笑い、僕は頷いた。
 こうして漸く、謁見の時間は終了した。僕は息子を乳母に任せ、執務室へと向かう。僕の仕事は僕の署名が必要な書類に名前を書く事だ。その書類の分類もすべて宰相府が行ってくれるので、本当に僕は気軽に名前を書くだけで良い。この日もそうして、途中で昼食にサンドイッチを食べたほかは、夜になるまで名前を書いて過ごした。

 夜になると――ノックの音がした後、ロイが室内へと入ってきた。
 勿論僕が入室の許可を出してからではあるが。

「シアン陛下。食事をしながら朝お伝えしたお話を」
「ああ、そうだね」

 頷いた僕は、その後ロイと共に執務室から出て、近衛騎士達に先導されながら、晩餐の間へと向かった。僕の分とロイの分が用意されている。ユアスはもう眠っている時間だ。

 給仕の者に葡萄酒を注いでもらってから、僕は正面に座るロイを見た。

「それで、話って?」
「――率直に申し上げますが、このままでは、国が傾きます」
「う、うん?」
「陛下。もっと真摯に国政に取り組んでいただけませんか?」

 ロイが真面目な声で僕に言う。僕は俯いた。じっとグラスの中身を見ながら、ロイの言葉は正論だと考える。僕には熱意や芯みたいなものはないし、そもそも国王業は性に合わない……。

「ど、努力するよ……」

 それでもこれ以上ロイに蔑まれるのも胸が痛いので、僕は必死にそう返答した。

「具体的には?」
「え?」
「どのような努力を?」
「え、えっと……」
「口だけで放つ上辺の努力など、他国からの脅威の防衛はおろか、国内での王位の維持にすら、役に立たない」

 ドきっぱりとロイに言われた。僕の胃が、またギュゥウウっと締まった。

「もう見ていられない」
「ご、ごめん……」
「そこで、今日をもって、陛下には王位を退いて頂く」
「え……?」

 それは願ったりかなったりだが、ユアスはまだ三歳だ。僕は事態が呑み込めず、顔をあげて首を傾げた。

「本日から、ユアス殿下を次期国王とし、俺が国王代理をする」
「う、うん?」
「陛下にも分かりやすいように言うならば、俺が国王になる」

 ロイの口調が変わった。昔、二人きりで雑談していた時と同じ口調だ。

「確かに、ロイなら向いているんじゃないかな……?」
「身分の剥奪を宣言されている状況で、覇気も無いのか?」
「……ほ、ほら、人には向き不向きがあるから」
「それはあるだろうな。実際、シアン陛下に国王業は無理だ」

 ロイはそう言うと立ち上がった。気づくと近衛騎士達は、僕とロイを取り囲んでいるのだが、どちらかというとその全員がロイの側を守っている立ち位置だ。

「既に王宮は俺が掌握している」
「そ、そう……ええと……身分の剥奪という事は、僕は国王ではなくなり、王族でもなくなり、その? どうなるの?」

 処刑されるのだろうか? 投獄されるのだろうか? 国外追放だろうか?

「王族の身分は保証する」
「う、うん」
「代わりに、俺と結婚してもらうぞ」
「へ?」

 最初は何を言われたのか分からなくて、僕は首を捻った。それから、思い当って頷いた。

「なるほど、僕と結婚すればロイも王族になるし、国王代理もやりやすくなるから?」
「確かにその側面はあるが、なぜこういう時だけ、普段は回らない頭が余計な回転を見せるんだ? 残念だが、その推測はハズレだ」
「え? 正解は?」
「俺はシアン陛下を愛している」
「え!?」

 僕は思わず声を上げた。
 そして声を上げたのは、僕だけでは無かった。周囲にいた近衛騎士達の過半数以上が盛大に咽た。そして皆、驚愕したようにロイを見た。

「え、えっと?」
「宰相閣下、それは、その」
「え? ご本心ですか?」
「あ、愛……」
「国をまとめるために国王代理になるのだとばかり……」
「ま、まあ、シアン陛下とロイ宰相閣下なら、なんというか」
「お似合い……ですね?」
「そ、そうですね!」

 晩餐の間はそのようにして、奇怪な気配と謎のフォローに包まれた。
 呆気にとられた僕は、夢でも見ているのかなと考えながら、ゆっくりと葡萄酒を飲み込む。ロイが僕に歩み寄ってきて、隣に立った。僕はグラスを置き、ボケっとそちらを見ていた。

「俺と結婚してもらう」
「あ、あの……え? ロイは僕の事が本気で好きなの?」
「ああ。この日のために特注で作らせた結婚指輪がこれだ」

 僕の左手を取ると、ロイが豪華なアメジストの指輪を嵌めた。その輝きを、僕は唖然としながら見ているしかない。

「三の月に客人達が来るのは、結婚の公表と俺が代理となる宣言にも都合が良い。明日、各国に結婚式の招待状も急ではあるが送っておく」
「……ねぇ、ロイ。あの……僕の何処が好きなの?」
「放っておけないところだ」
「あ、はい」

 僕もロイに放置されたら、即刻ロイ以外の手で王位を簒奪されていたと思うので、曖昧に笑うしかなかった。

 このようにして、僕は国王改め、なんと国王代理の妃になる事に決まったのである。