【二】摘発後メンタルケア(☆)
「凄い……」
誰かが呟いた。そちらを一瞥してから、コートのポケットに手を入れて、ロボットの残骸の山の上にいる篝を、青山は見上げた。篝は両手で、芸術家の亡骸の首を絞めている。既に頭部は破裂して飛び散り、ダラダラと首から下を、飛び散る血液が染め上げている。
「被疑者死亡、制圧は完了した。事後処理は任せた」
そう冷淡な声で告げてから、青山は指輪経由で篝の首輪に指示を出す。
即効性の鎮静剤の注入させると、ガクンと篝の体が揺れ、ロボットの山から野削るようにして落下してきた。嘆息してから、青山が抱き留める。すると朦朧とした様子で虚ろを見ている篝が腕の中にいた。
そのまま抱き上げて車に戻り、後部座席で青山は篝を見る。
「よくやった」
「……」
「さて話の続きだが、二つ目の希望――基本的には却下で申請は通らなかった。理由は芸術家を一般市民と同じ住宅に住まわせることは出来ないからだ、監視外で。即ち、俺が一緒であれば一定の自由は与えられる。よって、上層部の判断で、俺の家で暮らすようにと決まった。俺の家であれば、好きなだけ家事をすればいい」
「……」
「今から連れて行く」
「三つ目の希望は、次に自我が清明だと首輪が判別した段階で問う」
その言葉を聞いてすぐに、篝は眠るように意識を落とした。
自分の肩にもたれかかってきた篝を、不機嫌そうな顔で青山は見ていた。
「起きろ」
「ん……」
「篝。さっさと起きろ。そうでなければ、強制起床を促すために、電流を流す」
「……ぁ……声……」
「首輪は緩めている。早く起きて、車から降りろ」
ぼんやりとしたままで、篝は言われた通りにした。アスファルトの上に立つと、日の光が降り注いでくる。ふらふらとしていると感じた次の瞬間には、エレベーターに乗っていて、ふらつく体の腰を支えられていた。自分が今、立っているようだと、やっと戻ってきた思考で考える。
「どこに、行くの?」
「新しい家だ」
「俺の?」
「そうだ」
「移送されるの?」
「そうじゃない。お前の希望は、普通の生活を送ることなのだろう?」
「あ……」
そこで篝は、そのような話をしたなと思い出す。
その後マンションの七階で降り、エレベーターホールを抜けた先で、青山が鍵を開けた。黒灰色の扉を背に、篝は正面を見る。壁がガラス張りで、窓になっている。ソファセットとローテーブルがある。右手にはアイランドキッチン、左手の閉まっている部屋は、寝室だろうか。
「ここが今日から、お前の家だ」
「っ、俺の、家……」
「俺の部屋は、窓際の奥だ」
「――えっ!? 一緒に住むの? か?」
「だから元々ここは俺の家だ。そこに篝、お前を住ませると言っている」
「っ……、……」
「何処まで聞いていて、何処まで制御できているのかが、外見からは分かりづらいのが難点だな。まぁ、ケアするにも都合がいいし、移動時間の短縮にはなるか」
青山は、そう言うと嘆息した。そして、じっと篝を見る。
「今から、摘発後メンタルケアを行う。さっさと服を脱げ」
「服……?」
血でドロドロの己の服を見て、篝が首を捻る。
「さっさとしろ」
「着替えろって事?」
「俺は脱げと言っているんだ。お前には、従う以外の権利は無い」
冷ややかな声がした。篝は少しずつクリアになってきた思考で、それもそうだろうと考えながら、服に手をかける。下着だけになったところで、改めて青山を見る。
「脱げと言っているだろう」
「で、でも……は、恥ずかしいし」
「? 適切な処置・医療行為だ」
「なに? それ?」
「なにって……一紗――兄だってしていただろう?」
「なにを?」
「摘発後メンタルケアだ」
「? だから、それは何?」
困惑したような声を上げつつ、ゆっくりと篝が下着を脱ぐ。
それを腕を組んで見据えながら、左目だけを細くして、青山がいう。
「その首輪は、バディ判定された刑務官のリーディングに反応する。リーディングは分かるか?」
「なに? それ?」
「……、リーディングは、刑務官の資質だ。刑務官になる用件だ。芸術評価指数のことだ。AIの与える善と、人間が生み出す歪んだ芸術品である悪を正確に読み取る能力だ。刑務官の指揮の元とはいえ、芸術家を制圧したり、殺害するために、己の芸術家としての能力を殺傷能力に転換した場合、しばらくは内側で、芸術家衝動が巻き起こる。例えばお前であれば、小説を書かなければより一層異常者としての度合いが深まる。それを解消するために、バディである特別刑務官は、事件後に摘発後メンタルケアを実施するのが職務の一つだ」
「つまり?」
「わかりやすく言えば、お前を抱く、あるいは抱かれると言うことだ。最も優しいケアは、抱きしめる皮膚接触。次がキスか? 粘膜接触。そして一番効果があるのがSEXとなる。上か下かは、ケアする刑務官側が選択する権利を法で保障されている。俺はお前を抱く」
「え……? ま、待って。え?」
「一紗兄上にも抱かれてきただろう?」
「なっ……あ、青山は……お前じゃない青山は、そんな事しなかった」
「冗談は止めろ。それでは、お前の精神はとっくに崩壊していたはずだ」
だが、そんな事を言われても、篝には記憶が無かった。思わず首を振る。
「そんなのは知らない」
「――だが、内側に、お前であれば『小説を書きたい』『この物語を書きたい』という衝動が、手を下せば生まれる。それを内側に抱えたままだと、お前は自我を失う。それが芸術家というものだ。蒐集家に所属する鑑賞者、即ち刑務官によるリーディングは、お前に『自分の創作物を読み取っている』という満足感を齎す。お前は、リーディングをされなければ、持たない体だぞ。試しに、俺に触れてみろ」
淡々とした青山の声に、困惑しながら、右手を篝が持ち上げる。制限が少し緩んでいて、基本的な進退動作が行える。すると――ペンを持ちたいという欲求に苛まれた。だが、それはしてはならないと、脳裏で歪んだ音がし、文字が見える。瞬きをしてそれを抑えながら、篝は震える手を伸ばした。その手首を、ぐいと青山が掴んで、自分の胸板に、シャツ越しに当てた。
――ドクン。
ビクリとした篝は、心臓の音を聞いた次の瞬間、崩れ落ちていた。その手首を掴んだまま一歩前へと出て、屈んだ青山が抱きしめる。
「あ」
すると、篝の胸中が温かくなり、脳裏にネガのように風景が躍った。
それは先程まで、脳裏を埋め尽くしていた小説の着想だった。
「あァ……あ、なんでっ」
次に気づいた時、篝は後ろから青山に抱きしめられて、ソファの上にいた。
服を脱いだ青山の厚い胸板が、背中に当たっている。抱きしめているよく筋肉の付いた腕。その温度を感じていると――自分の考えた世界を、『読んでもらえている』と、分かる。創作が許されている。考える事が許されている。
「気づいたか?」
「あっ……な、なに、これ……なにこれ。うあ……なんで、なんで?」
「なにが?」
「どうして、俺は考えていいの? お前の腕の中なら、考えていいの?」
「――まだ錯乱しているとしか思えないが、本当に初めてに見えるな」
「俺は、そ、そうなんだよ。お姫様と、王子様が、キスをして……っ」
青山は嘆息した。先程から、己の腕の中で喘ぐようにすすり泣きながら、ずっと篝が口走っている陳腐な物語について。人は、AIが生み出した物語で無ければ感動しない。そして特にその適性が高い者がリーディング才能がある者だ。即ち、芸術家が何を語ろうとも、感情を動かされない者が、特別刑務官となる。青山も、無論無くなった一紗だってそういった人種だった。それは、模範的市民の中でも、さらに模範とされる者の才能だ。だから当然、今篝が口走っている稚拙な空想になど、心は動かされない。だが、告げる言葉は決まっている。
「篝。中々、面白かったぞ」
「!」
「俺の前では素直でいればいい。いくらでも、お前の話は聞いてやる」
篝の体がビクンと刎ねた。ぐったりしながら、汗ばんだ体に黒い髪を貼り付けて、篝が喘ぐ。もうその瞳に、理性は見えない。チカチカと情欲に濡れている。摘発後メンタルケアは、芸術家の身体的な快楽信号を制御し、快楽と刑務官による肯定感を結びつけて、受け入れられていると脳に錯覚させる行為だ。本当には特別刑務官は共感などしていないが、芸術家の体はこれをされると、快楽が認められているという感覚に変換され、多幸感に飲み込まれる。そうなれば後は、肯定された感覚を与える快楽に飲み込まれ、自我が飛ぶ。
「ぁ、ぁァ……」
篝の首元を舐めながら、青山が篝の陰茎を握り混む。青山の肌から、快楽信号に等しいリーディングの発信する刺激が出て、篝の理性を飲み込んでいく。
「や、ャだ。あ、出る。待っ……あああ」
篝が理性を飛ばしたのは、それからすぐのことだった。