東條は俺を嫌っている。
「ぁ……ぁァ……んン……」
硬い剛直の感触を、俺の中が記憶していく。東條(とうじよう)の肉茎は、長くて太い。少し右に曲がっている。何より硬くて、最奥まで貫かれると、俺はそれだけで達しそうになる。
「……」
東條が冷たい色の浮かぶ瞳で、俺を見ている。
俺達は、いつも正常位だ。これには理由がある。
「北潟(きたかた)、締めるぞ」
「ん、ぁ……」
俺に挿入したままで、東條が左手を持ち上げた。東條は左利きだ。骨ばった長い指と掌が、それからすぐに、俺の首に触れ、そのまま締めてきた。首を絞められながらのSEXを、望んだのは俺だ。俺は東條に首を絞められながら貫かれる事が、何よりも好きだ。
次第に東條の手に、力がこもり始める。触れているだけだった手は、今では俺の首をきちんと締めていて、俺は震えている。息が苦しい。それがたまらない。目を閉じて、俺は支配されているような感覚に浸る。
「っ」
いつもよりも、今日は強く締められている。そう思った時、俺は息が出来なくなった。うっすらと目を開けて東條を見ると、東條は相変わらず冷たい顔をしていた。声が出ない。息が出来ない。これ、は――……ああ、意識が遠のいていく。これまで、こんな事は一度もなかった。俺はそのまま、闇に飲み込まれた。
すると、青空の下で、俺は東條を見ていた。走馬灯だろうか。なにせ、その光景は、俺が東條に声をかけられた日のものである。
『お前、ケーキか?』
そう考えていたら、俺はいつの間にか、東條の前に立っていた。その場に入り込んだ感覚だった。
「お前、ケーキか?」
ある日、俺は唐突に、東條に声をかけられた。ケーキ、という存在は、俺も聞いた事があった。この世界の大多数は一般的な人間だが、ごく稀に、ケーキとフォークというカテゴリに属する人間もいるのだという。フォークは味覚障害である事が多いそうで、ケーキ以外の味を感じないらしい。ケーキとは、フォークにとって、唯一味のする存在で、フォークにのみ感じ取る事が出来る甘い匂いを放ち、その体や精液は、とても美味しいのだとされる。
ケーキは、世界にほとんど存在しない。
フォークの方が、数が多いという。
ただしケーキは、自分でも香りや味を自覚できないため、フォークに指摘されなければ、己がケーキである事を、一生気づかずに寿命を迎える事も多いそうだ。
「そうなの? 俺がケーキ? それが分かるってことは、東條はフォークなの?」
聞き返しながら、俺は東條をまじまじと見た。
俺は東條の事を知っていた。
同じ学部の東條は、黒く少しパーマのかかったマッシュボブの髪をしていて、非常に背が高く、その割に少しやせ型の、どこか気怠い空気を放っているダウナー方向の、めったに表情を変えないクールな、まぁ俗にいうイケメンである。
雰囲気が、ではない。顔面造形が整っているから、男女を問わず、東條に告白してフラれたという話を、俺はよく聞いていた。
それだけではなくて、俺は入学当初に、東條と話した事がある。
あの日東條は、大講堂で一人屈んでいた。たまたま忘れ物をして戻った俺は、不思議に思ってそちらを見た。すると真っ青な顔をした東條が、ゆっくりと俺を見た。具合が悪そうだとすぐに判断し、俺は歩み寄った。
「大丈夫? 貧血?」
「……ああ。貧血で眩暈がしたんだ」
「よかったら、コレ」
俺は持っていた板チョコを差し出した。すると東條が不思議そうな顔をして、そのチョコを受け取った。
「甘い香りがする」
「まぁ、チョコだからな」
「……」
東條はそのまま沈黙した。その時俺のスマホに、バイト先から連絡が来たので、俺は心配だったがその場に東條を残して、忘れ物を手に、大講堂を出た。それが出会いだった。それが一年生の時で、以後、同じ学科であるから講義などもかぶっていたので、俺は時々東條の姿を視界に捉えると、貧血の日の事を思い出していた。東條は、もう忘れてしまっているのだろうかと、すれ違っても会話は生まれないので考えていた。
そうしたらある日、大学の学生ラウンジ前で、何気なく天を見上げていた俺に、東條が声をかけてきたのである。その日は青い空が、いつもより高く見えた。
「――ああ。俺はフォークだ。俺が怖いか?」
低い声で、東條が答えた。
フォークは、度々ケーキを食い殺して、文字通り貪りつくして命を奪うので、メディアでは犯罪者として報道される事が多い。だが不思議と、東條に対して、怖いという感覚はなかった。
「別に? 全然怖くないけど。それで? 俺がケーキだとして、何?」
俺は己がケーキだという自覚はなかったが、続けて尋ねた。
「率直に言って――」
「うん」
「食べたいんだ。別に、血肉を欲しているわけじゃない。そこは安心してくれ。ただ少しでいいから、噛んだり舐めたり、させてほしい。お前を見ていると、俺はもうずっと感じていない味を、確かめたくなるんだ。甘い味がするんだろうと思うと、我慢が出来なくなりそうなんだ」
冷静な声だったが、切実そうな内容だった。俺は腕を組んで、長身の東條を見上げる。俺も背はそんなに低い方ではないのだが、東條は大きい。
「別にいいよ」
「――え?」
「唾液とか精液でもいいんだよな?」
聞いたことのある知識を、俺は口にした。すると東條が虚を突かれたような表情をした後、顔を背けながら頷いた。
「じゃあ、俺の家に行こう。好きなだけ飲んでいいし」
「……ああ」
俺の誘いに、一拍だけ間をおいたが、東條はのってきた。
ちなみに俺の貞操観念はユルユルだ。俺はかなり遊んで生きている。童貞でも、処女でもない。女を相手にする場合は陰茎で貫くし、男を相手にする場合は、後孔で受け入れる事が多い。男に挿入した経験はないが、ヤレと言われたら、きっとできる。ただ東條くらい俺と体格差があって大きければ、俺が押し倒すという光景は比較的想像が難しい。
俺は、SEXが好きだ。人の体温が好きだ。俺は陽キャだなんて言われがちだが、実際には寂しい人間で、幼少時に火事で両親祖父母と兄弟を失い一人だけ生き残ってから、いつも孤独感に襲われてきた。いつかいなくなってしまう気がするから、恋人や家族が欲しいとは思わない。でも、誰かの温もりが欲しい。そこに快楽が伴えば、嫌な事も忘れられるし、最高だ。だから俺は、SEXが大好きで、何人ものセフレがいる。
大学構内のロータリーからバスに乗り、俺達は、最寄りの駅前で降りた。そのすぐそばに、俺が一人で暮らしているアパートがある。五階建てのアパートは、とても壁が薄いのだが、家賃が安くて、貧乏学生の俺には丁度良かった。隣室は空き部屋なので、壁が薄くても問題はない。角部屋なので逆隣はない。
「どうぞ」
鍵を開けて、俺は扉を開けた。そして中に入ると、東條も続けて入ってきた。鍵を閉めるために、俺は振り返ろうとしたのだが、その直前、東條が後ろから俺を両腕で抱きしめて、俺の首筋に噛みついた。俺は狼狽えて、硬直する。甘く噛まれただけだから、痛みはない。だがドキリとした。暫くの間、何度も東條は俺を噛みなおし、それからハッとしたように、俺から離れた。今度こそ俺は振り返り、目を見開いている東條を一瞥した。
「悪い……」
「べ。別に。俺、同意してたし。その……味はしたの?」
「ああ。凄く甘い。味を感じた記憶がもうないから、俺にとっては初めてに等しい」
「そっか。とりあえず、中に入ろう」
俺は改めて東條を促して、まっすぐに部屋に入った。1DKだ。
俺はローテーブルの前のラグに座り、東條を見上げる。
「座ってくれ」
「ああ」
頷いた東條が、俺の正面に腰を下ろした。俺は傍らのベッドを見る。ベッドサイドには、出しっぱなしのゴムの箱と、ローションのボトルがある。
「早速飲む? 俺の、精子」
「……いいのか?」
「うん、勿論。そのために、来たんだから」
俺はそう告げながら、ベルトをはずした。立ち上がり、ボクサーごとボトムスをおろす。そしてベッドに座って、萎えたままの自分の陰茎を見た。それを軽く持ち上げてから、俺は東條を見て、唇の両端と頬を持ち上げる。
「どうぞ」
すると立ち上がった東條が、俺の前で膝を絨毯の上についた。それから東條は、俺の太ももに触れる。俺は自分の手を離して、東條を見守る。東條は暫く俺の陰茎を眺めた後、左手を俺の側部に沿えて、端正な唇で俺の先端を咥えた。それから深く口に含み、フェラを始める。東條の舌が、俺の筋をなぞる。唇に力を込めて、俺の雁首を刺激し、その後鈴口を吸うようにした。次第に俺の陰茎には熱が集まり、硬く反りかえっていった。美味しそうに目を輝かせてうっとりした表情で、無我夢中というように、東條が俺のものを舐めている。その姿に、俺はドキリとした。
「ン」
次第に気持ちよくなってきて、俺は射精したいという欲求に飲み込まれていった。
「んっ……ァ……出る。出すから――ぁあ」
俺は呆気なく放った。すると東條の喉仏が上下し、俺のものを飲み込んだのが分かった。だが搾り取るように、俺の陰茎に吸いついてる東條は、俺が出しきっても俺の鈴口を舌で嬲る。
「ま、待って。んン」
敏感になっていた俺の体には、それが辛かった。しかし東條は聞いてはくれない。
その内に、再び俺の体は熱を持った。
「なぁ、東條。っ……俺も我慢できないよ。挿れてくれ」
「っ」
すると我に返った様子で、東條が驚いたように俺を見た。
「お前、男は無理? 俺の事、抱けない?」
「いや……男とシた事はない。でも、抱けると思う」
「じゃあ、ぁ……早く」
俺が縋るように求めると、東條が鋭い目をし、そのまま俺を押し倒した。
「そこにローション、あるから。それとも、俺、自分で解そうか?」
「――俺がする」
東條はそういうと、半透明の紫色のローションのボトルを手に取り、蓋を開けて、左手を濡らした。この時になって、俺は初めて、東條が左利きなのだと知った。それからすぐに長く骨ばった東條の中指が、俺の中へと挿いってきた。それを振動させるように動かす東條を見ながら、俺は内側からも快楽が浮かび上がってくるのを感じていた。
指が二本に増え、抜き差しが始まる。
「ああっ、ァあ!」
前立腺をグリと指先で押し上げられ、俺は声を上げた。そこを何度か刺激し、それから東條は、かき混ぜるように指を動かして、俺の中を解した。ローションが体温と同化し、ドロドロになって、水音を立てている。
「まだキツいかもしれないが、挿れてもいいか?」
「うん、あ、早くっ」
切なくなって、俺は東條に哀願した。東條は頷いてから服を脱ぎ捨てて、俺の後孔に陰茎の先端をあてがった。そのままグッと雁首まで挿入し、一度動きを止め、続いて陰茎の中ほどまでを挿入してから、俺の反応をうかがうようにし、最後に一気に貫いた。俺は無意識に腰をひきそうになったのだが、大きな東條の左手に腰を掴まれていて、それはできなかった。
「あ、ああ……あァ!」
東條が腰を揺さぶる。そうすると快楽が、全身に響いてきた。俺は東條のものを締め付けながら、喘いだ。快楽由来の涙が浮かんでくる。肉茎の脈動する感覚を、体の中で知る。
その後、東條が抽挿をはじめ、次第にその動きは激しくなり、俺は理性を飛ばした。泣きながら喘ぎ、東條の首に両腕を回してしがみつく。
そのまま、俺は内部を貫かれて、ドライで果てた。絶頂に達し、漣のように快楽が全身を襲う。足の指を丸めて、俺は必死で息をしながら、小刻みに体を震わせた。長く射精している感覚にも似ているが、ドライの波は、どちらかといえば静けさがあって、水のような、そんな雰囲気がある。
事後、俺がぐったりしていると、陰茎を引き抜いた東條が、困ったように俺を見た。
「シャワー、浴びたければ勝手に浴びて」
俺が告げると、頷いて、東條が浴室へと消えた。
これが最初で、以後――俺と東條の、体の関係が始まった。
基本的には、俺のバイトがない日、メッセージアプリで連絡を取り、約束を取り付けている。その内に、俺は合鍵を渡した。東條は、必ず来る。それだけ俺が美味しいのだろう。一度、聞いてみた事がある。
「味覚障害って、料理を食べるとどんな感じ?」
「砂を噛んでるような感覚だな。砂も野菜も肉もお菓子も、全部俺にとっては同じ味だ」
「だからお前って痩せてる上に、貧血になるのか?」
「ああ。食欲は、常にない」
「ふぅん」
「でも今は、甘い味を知った」
そう言いながら、珍しく東條が口元を綻ばせた。俺はその表情に惹きつけられて、胸が疼いた。急に愛しさが膨れ上がり、胸を動悸に苛まれる。こんな感覚は、人生で初めてで、何故こんなにも胸が苦しいのか、俺は最初、分からなかった。
「最近付き合い悪ぃな」
ある日、学食で青崎(あおさき)とランチを食べていると、そう言われた。俺は正面に座る青崎を一瞥し、まじまじと見る。青崎とも、何度も寝た。
「今日、どうだ?」
率直に誘ってきた青崎に、俺は首を振る。
「今、俺には、固定のセフレがいるんだよ」
「へぇ。それ、誰の事だ?」
その時、俺の背後から声がかかった。咄嗟に振り返り、俺はそこに立っていた東條を見て、息を飲んだ。東條はいつもと変わらぬ無表情だ。昨日もSEXをしたのだから、東條の質問は、意地が悪いだけだ。
「お前だよ」
俺はそう答えつつ、照れてしまいそうになったから、顔を背けた。
「おお!」
すると青崎が、明るい声を出した。
「へぇ。お前らって、そうだったんだ。ほう。すげぇな。硬い事で有名すぎる東條と、お前が、セフレ……大ニュースだろ。ついにビッチのヤリチン、東條も堕とす、っていう」
「声が大きい」
思わず俺は、青崎を睨んだ。それから再び東條を見ると、既に注文のために歩き始めていた。その背中を見送ってから、俺はスマホを取り出す。そこには、今夜会いたいという東條からのメッセージが来ていたので、俺は即座にOKだと返信した。何気なく、ケーキのスタンプをつけて。
この頃になると、俺は自分が東條の事を意識していると、理解せざるを得なかった。いいや、意識どころではない。日増しに、東條の事が好きになっていく。東條の事を考えている時間が増え、瞬きをする度に、東條の顔が脳裏をよぎり、いつしか本物と抱き合っていると、幸福感を覚えるようになっていった。俺は、東條に惚れてしまった。いつもクールな無表情の東條が、不意打ちで見せる笑顔が悪かったのだろう。あんな顔を見たら、惚れない方が無理だ。
――東條と喧嘩をしたのは、そんなある日の事だった。
それはとても些細な理由で、俺は自分が悪くないと思っている。
東條のためにと思って、俺はその日料理を作っていた。味を感じないというが、俺の体液に限っては、東條は甘さを感じる。それを知っていたから、親指の付け根を軽く包丁で切って、俺はイチゴジャムに混ぜ、トーストの上にそれを塗った。シャワーを浴びて出てきた東條が、俺の横に立つ。
「食べてみてくれ」
俺は我ながらいい案だと思っていた。
「?」
怪訝そうな顔をしたものの、東條がパンを齧った。そして目を見開き、パンを凝視してから、息を飲んで俺を見据えた。その眼には、怒りが浮かんでいて、東條は俺の絆創膏を貼っている左手の手首を強く握り持ち上げた。そして血の滲む絆創膏を見ると、舌打ちして、俺の目を、激怒しながら見据えた。
「ふざけるな」
「え?」
俺は自分が良いことをしたと、そう思っているし、なんで東條が怒ったのか、今でも分からない。東條は、両手で俺の首元の服をねじり上げた。突然の事に俺は狼狽え、息苦しくなって、困惑しながら瞬きをした。
「二度とこんな事はするな」
吐き捨てるように、東條が言った。俺は呼吸をするのに必死になりながら、静かに頷く。そしてこの時――首が締められているような感覚がした瞬間、強く思った。東條にならば、食い殺されてもいい。いいや、単純に殺されても構わない。好きだった。どうしようもなく。だから、そんな風に好きな相手に、殺されたら幸せだろうと思った。首が締まっていると、東條に命を握られている心地になり、支配されているような感覚になり、それが俺に悦楽をもたらす。俺は、幸せだった。
この日俺は、自分の中に存在する、新しい欲望に気づいた。
東條は俺を置いて出ていった。寂しいなと思いながら、俺はパンをダストボックスに捨てた。そうしてぼんやりとしていると、扉の開閉音がし、ドラッグストアの袋を持った東條が戻ってきた。既に本日の情事は終えていたから、てっきり怒って帰ったのだと思っていた俺は、それから東條に、手の治療をされた。俺の手を消毒し、傷薬をつけ、ガーゼを張って、包帯を巻きながら、東條は呆れたように俺を見て、何度も嘆息した。
「二度と、するな」
「……分かったよ」
俺が渋々頷くと、東條が俺の頭をポンポンと叩くように撫でた。俺が目を丸くすると、東條が苦笑していた。苦笑であっても貴重な笑顔だ。
「約束だからな」
俺は頷いた。
きっと東條は、根が善良なのだろうなぁと、この時は思った。だが、どうして怒ったのかは、今でもよく分からない。客観的に考えて、心配してくれたのだろうか。そうであれば、俺は嬉しい。東條の心の中に、俺は残りたい。
それから俺は何度も考えて、ある日東條に、希望を伝える事にした。
「なぁ、東條」
「なんだ?」
「その……――あー、物足りないんだよなぁ、お前とのSEX。俺の嗜好と違うっていうか? 俺、言ってなかったけど、首絞めSEXが好きなんよ。首を締められないと、本気で気持ちよくはなれないんだよね。でもお前、俺がいないとダメだろ? 他にケーキ、いないし。これからも俺のこと、味わいたいだろ? だからさ、俺の首、締めてくれない? ヤりながら首、締めてほしいんだけど」
実際には、東條と交わると、俺は人生でそれまで知らなかった充足感と幸福感で胸を満たされている。巧みな東條の技巧で、快楽も煽られてやまない。そして確かに俺は性的に奔放ではあったが、過去に首絞めSEXなんてした経験は一度もない。でも――この前、首元の服をねじり上げられて息苦しくなった時に覚えてしまった支配される感覚が、忘れられなくて、俺はそんな嘘をついた。
「――は?」
「だーかーら! 俺は首絞めSEXが好きなんだよ!」
唖然としている東條に、俺はぐいと顔を近づけた。
「締めてくれ」
東條は、あからさまに困惑していたが――窺うように俺を見てから、頷いた。やはり貴重なケーキを逃したくないのだろう。俺がいなくなれば、次にいつ、甘い味に出会えるかもわからないだろうから、当然だろう。東條にとって、俺はケーキだ。それだけが、意味のある事実で、俺がケーキでなかったならば、東條が俺を抱く理由がない事を、俺はよく知っている。
この日からSEXをする時、必ず東條は、俺の首に触れるようになった。最初は迷うように触るだけだったが、俺がもっとと懇願すれば、次第にその手に力がこもるようになり、指が食い込んでくるようになった。すると俺は、今まで以上に満たされて、支配されている感覚にクラクラとして、必死で息苦しさに耐えつつ、涙が自然と浮かんでくる瞳を、東條に向けて、愛を勝手に感じていた。俺の一方的な愛だ。
俺はどんどん東條を好きになっていく。もう、気持ちが抑えられない。
だが――東條は、俺を好きではないのだろう。大学構内では、すれ違っても相変わらず、目が合わない。東條は、俺を見ない。それでも俺は、東條に近づいてみる。すると、東條はさらっと俺を避ける。大学では、俺と明確に距離を取っている。それが俺には苦しくて、何度か一人で、俺は泣いた。けれどアパートでは顔を合わせているし、体も重ねている。首を絞められながら貫かれる度、俺は幸せに浸っていた。
だから、食い込んできた手が、いつもより強い力であったこの日も、俺は当初は、満たされていた。だが、呼吸が出来なくなり――そうだ、俺は、気絶したのではなかったか?
「北潟! おい、北潟。目を開けろ。目を開けてくれ。北潟!」
焦るように俺の名前を呼ぶ、東條の声が聞こえた。俺は震えながら、瞼を開ける。すると東條が俺を抱きしめて、焦るように俺を見ていた。目が合う。
「意識が戻ったのか!?」
「ン……」
「すぐに病院に――」
「俺……ああ、落ちてたのか、意識が。平気だよ」
焦燥感に駆られているような目を、東條が俺に向けている。何度も瞬きをしながら、東條はじっと俺を覗き込んでいる。
「なに、そんなに焦ってんだよ」
俺は小さく笑った。明らかに心配してくれている東條。正直、その姿は、俺に喜びを与えた。東條が心配してくれたのが嬉しい。俺を絞め殺して犯罪者になってしまう恐怖から焦っていたのだとしても、それでもいい。東條の心に残ることができるのなら、俺は嬉しい。
「北潟。俺は、お前がいないとダメなんだ。もう二度と、首を締めたりできない。お前がいなくなってしまうのかと思ったら、俺は……」
「まぁ、俺のほかには、ケーキは近くにいないしな」
「……そういう事じゃない」
「え?」
東條の腕に力がこもった。ギュッと優しく、東條が俺のことを抱きしめなおした。
「俺は、お前のことが、好きなんだ」
「っ」
俺はその言葉に驚いて、目を見開き息を飲んだ。突然の告白の言葉を、理解するのに、時間を要した。これが現実であるのか、俺はしばしの間疑わずにはいられなかったけれど、東條の腕の温もりは本物であるし、その腕はどんどん強く俺を抱きしめていく。
「……いつから?」
「最初からだ。出会った日から」
「え? それって……?」
「俺が貧血で座り込んでいた日だ。俺は、お前が声をかけてくれた時、お前に惹かれた。ケーキだというのも、その時点で気づいた。甘い香りがしていたからな。だからそれからずっとお前の事を見ていた。でもお前は明るくて、みんなにいつも囲まれていたから、話しかけるタイミングが全然見つからないまま、三年生になったんだ」
「……」
驚きすぎて、俺は言葉が見つからない。
「あの日だって、俺はかなり勇気を出して、ケーキかと声をかけたんだ」
「全然そんな風には見えなかった。え? でも、大学じゃ、東條は俺を見ないし、避けるだろ?」
「お前を見ると抱きしめたくなるから、見ないようにしている。お前が近づいてくると、意識をしすぎて挙動不審になりそうになるから、避けているのは間違いない。こういうのを、好き避けというんだったか」
「!」
東條の言葉を聞いて理解した瞬間、俺は一気に赤面してしまった。
頬が熱い。目が潤んでくる。唇に力を込めて、俺は言葉を探しながら、東條をおろおろと見た。すると目が合った瞬間、東條が驚いた顔になった。
「真っ赤だ」
「い、言わないでくれ」
「その反応――もしかして、北潟も、俺の事が好きなのか?」
まっすぐに見つめられて問いかけられ、俺はコクコクと頷いてしまった。
東條は俺の反応に、一度瞬きをしてから、顔を近づけてきた。
そして俺の唇を、掠め取るように奪う。触れるだけのキスだったが、俺の胸が高鳴った。
「好きだ、北潟」
「お、俺も、東條の事が好きだよ」
溢れてくる気持ちを、そのまま俺は言葉にした。
東條は、俺の言葉を聞くと、綺麗に笑った。俺も嬉しくなって、思わず両頬を持ち上げる。俺達は、笑顔で見つめあい、それから、より深いキスをした。
こうして、俺と東條は、相思相愛になった。
元々、俺は恋人はいらないと思っていたのだが、東條は恋人にならないと嫌だという。だから俺は、同意した。東條は、今、俺の恋人だ。俺はいつか東條がいなくなってしまったらと思うと、とても怖い。だが俺を抱きしめ、東條は、いつも俺を安心させるように囁く。
「俺はずっとそばにいる。ケーキを逃すフォークなんているわけがないだろう? ただな、俺はお前がケーキじゃなくとも、きっと惚れていた、俺はお前の優しさが好きなんだ。でもな、自分を傷つけるような優しさはいらない。二度と俺の前で血を流すな」
そう言って、俺を抱きしめ、俺の額に東條がキスをした。
俺はやっと、いつか東條が激怒していた理由を理解し、東條こそ優しいなと考えて、嬉しく笑ってしまった。
そうして俺達は、幸せに、関係を続けていった。
―― 了 ――