予想外の未来





 大学のラウンジにて。

「ねぇ、バタフライバースって知ってる?」
「ああ、あの都市伝説ね。蝶とか蛾とかがいるんでしょう?」
「それそれ」
「蝶は蜘蛛に喰べられちゃうんでしょう? 怖っ!」
「蛾と見分けがつかないらしくて、蛾を食べたら蜘蛛は即死らしいけどね」
「笑える。あとはほら、蜂っていうのもいるんでしょ?」
「そうそう。蜘蛛のことだけ孕ませられるとかって」
「それって男同士でも?」
「さぁ? でもまぁ、結局は都市伝説だしね。いつわけないけど」
「でも蝶とか蛾ってすっごい美形だって言わない?」
「ね。もしかして、日史くんとか、そうなのかな?」
「えー? 喰べられるイメージ、全然沸かないけど」

 俺の隣の席で、白い丸テーブルに向かい合って座っている女子達が話していた。俺は大学図書館で借りたレポートの資料を読んでいたはずなのに、その会話が気になって、活字を追う視線が動かなくなってしまった。

 バタフライバース――それは、真しやかに囁かれている、性別を超えた人間の別の特性だ。今、俺の元には甘い匂いが漂ってくる。女子達とは逆側の隣の席に、蝶あるいは蛾が座っているからだ。そちらは集団で、いつも大学構内でもまとまって行動している。匂いもあるし、その一見仲良しグループだがその実、蝶あるいは蛾の防衛集団である奴らは、俺と同じ心理学科の学生達である。

 蝶あるいは蛾……俺には区別がつかないが、酷く食欲をそそる香りがして、俺は飢餓感を覚える。俺は、蜘蛛だ。己が蜘蛛だと自覚したのは、高校生の頃だった。ある日突然、甘い匂いを嗅ぎ取れることに気がついた瞬間でもある。その時、俺は絶望した。

 俺は自分が蜘蛛だと悟る以前から、バタフライバースという世界観が、ただの民間伝承でないことを知っていた。

『あ……ぁァ……』

 瞬きをすると、瞼の後ろに父の姿が映った。俺の父は、蜘蛛だった。それを知ったのは、父が蜂に犯されているのを目撃した、中学一年生の頃である。あの日、学校から帰宅したら、父は既に理性も自我も失い、蜂である壮年の男に犯され、喘ぐだけの存在、卵を産むだけの器に成り代わっていた。

 それまで父は、小学生の時に亡くなった、普通の人間であった母の分まで、俺を男で一つで育ててくれていた、優しい人だった。田舎で暮らしていたから、めったにいない蝶や蛾、蜘蛛や蜂という特性にも、父は囚われていなかった。匂いのする対象がいなかったこともあるのだろうが、父は普通の人間として生きていたし、俺も己に別の特性があるだなんて考えてもいなかった。

 だがその日帰宅したら、父は寝間着の浴衣を開けられており、深々と男に貫かれていた。赤黒い剛直が、父の後孔を出入りし、結合箇所からは、白い精液がタラタラと零れているのが見えた。布団が濡れているほどだった。父の腹部は異様に膨らみ、父の瞳の焦点はあっていなかった。ただ、何も見ず、口から唾液を零しながら、見知らぬ男に犯されていた。

 以後、父はものを言わなくなり、後に蜂だと判明した男は、定期的に父をお菓子にやってくるようになった。どんどん父の腹部は、いくつも産み付けられた卵が育つにつれて、膨らんでいく。蜂は、蜘蛛の意識を操り、理性も自我も奪い、意のままに操れる。俺はそれを、伝承の本を読んで知った。男は父を犯しに来る度に、父に肉を与えた。なんの肉かを考えるのが、恐ろしい。きっとそれは、蝶の血肉であったのだろう。その際、冷蔵庫に野菜や通常のパックの豚肉や牛肉、鶏肉なども補填していったから、俺はそれを食べて飢えを凌いだ。そして中学を卒業する頃、男に言われた。父は卵を二度産み、俺が中学三年生の秋にそのまま力尽きて亡くなった。密葬の手配をした男は、俺にパンフレットと通帳を渡した。

『今後はこれで生きていけ。俺の子達の一応は、お前は兄となるのだしな』

 こうして俺は、全寮制の高校へと放り込まれた。
 その内に、自分もまた蜘蛛だと自覚するに至った。
 ――決して、父のようにはなりたくない。
 蜂に全てを奪われ、ただ卵を産むだけの存在として、犯し殺されることを、俺は恐怖した。悍ましい。蜘蛛は、蝶や蛾さえ喰べなければ、蜘蛛だと露見することはない。だから俺は、空腹はこれまで通り、人としての食事で見たし、どんなに飢餓感を抱いても、決して蝶達には近づかずに過ごしている。その後俺は、奨学金を貰いながら大学へと進学し、現在に至る。過去、俺は蝶や蛾を一度も喰べたことはない。今後も喰べない。決していかなる蜂にも存在を気づかれないように、気配を殺して生きていくつもりだ。蜂もまた、気配を察知することはできないから、どこにいるかも分からない。だから俺は、常に気を抜けずにいる。いつも、神経を張り詰めさせている。

「成瀬、レポート中?」

 その時名を呼ばれて、俺はハッとして瞼を開けた。耳触りのよい軽やかな声音。見れば、正面の椅子を、同じ心理学科の日史が引いたところだった。先ほど日史について噂話をしていた隣の女子達は、声を潜めた上で、見惚れている。

「おう」

 頷いて俺は、両頬を持ち上げた。日史は、大学に入って最初にできた、俺の親友だ。たまたまオリエンテーションで隣に座ったら、必修のクラスが同じで、それ以降、親しく話をする仲だ。そして――俺が同性ながらに、片想いしている相手でもある。

 女子が見惚れるのも分かるくらい、日史は容姿が整っている。薄茶色の髪は天然の者だそうで、目の色も同じだ。一方の俺は黒髪を染めるでもなく、特に流行に従う髪型でもない短髪で、ただ大きいと言われる目の色だけは、僅かに青味が差している。母方の祖母が独系米国人だったそうで、その隔世遺伝であるようだ。

「日史はもう終わったのか?」
「まぁね」

 余裕たっぷりに笑う日史の唇は薄く、形が良い。その端を持ち上げて笑う姿は、王子様然としている。園波日史は、誰もが知る家電製品の会社である園波カンパニーの、創業者一族の御曹司なのだという。近年では珍しい家族経営だそうで、大学生ながらに、既にいくつかの会社の取締役も務めているそうだ。俺とは本来は、住む世界が違う。それでも気さくに、親しくしてくれる。それが俺の胸の高鳴りを、さらに煽る。

 心理学科を選択した理由は、俺は大学院までの進学などを検討し、資格をいくつか取得して、安定した生活を送りながら、蜂から隠れていきたいからだった。日史は、経営をしていく中で、そちらよりも社員や顧客の心理を知りたかったからだと聞いた事がある。

 俺はレポート用紙に、参考文献を手書きで記載し、最後に名前を書いた。
 菅原成瀬、それが俺の名前だ。
 この講義は今時珍しく、手書きのみを受け付けている。ほとんどはメール提出か、印刷したものを提出するのだが、教授が手書きにこだわっている講義だ。ただ、レポートさえ出せば、出席確認などがないため、比較的人気の講義でもある。単位が取りやすい。俺と日史は、一緒に先輩に園情報を聞き、履修届を提出した。同じ講義を取るくらい、俺と日史は仲がいい。日史はいつも柔和に微笑していて、とにかく優しいから気を許せる。好きにならない方が無理だった。

 ただ、時々不思議な気持ちになる。どうして日史は、こんなにも俺によくしてくれるのか、と。待ち合わせをしていない時でも、大抵お互いが何処にいるかは分かる程度に親しいのだが、日史はいつも俺のそばに来て、俺を最優先してくれる。

 他方、俺の方は、日史以外の友人もそれなりにいる。蝶や蛾は避けているけれど、多くの人間は、仲良くなっても問題の無い普通の人間だ。それこそ四つの特性の持ち主は、都市伝説扱いされるほどに、数が少ない。特に蜂の数は、極小だ。だから本来であれば、もう少し俺は気を抜いてもいいのかもしれない。

 でも、父のことを思い出すと、身構えない方が無理で、普通の人間だと考えている友達のことも、俺は時に蜂ではないか疑うことがある。

 だから、心を許せる相手は少なくて、そういう意味では、俺もまた日史だけは特別だと思っているのかもしれない。日史には、つい気を許してしまう。

 それはやはり、日史が優しいからだろう。

「ねぇ、成瀬」
「ん?」
「今夜、俺の家に来ない? 取引先から、しゃぶしゃぶ肉が届いたんだけど、一人で食べるにはちょっと多すぎて。一緒に鍋でもしない?」
「お、いいな。行きたい」

 俺はまだ、日史の家に行ったことはない。現在大学三年生になった俺達だが、俺は普段はバイトに勤しんでいる。カフェで珈琲を淹れ、ケーキを皿に載せて、運ぶというバイトが一つ。それからもう一つは、教授に紹介してもらった、インテークのバイトだ。受診する患者から、事前に生い立ちや悩みなどを聞いてまとめるという仕事である。こちらは、将来的にも役に立つと考えている。

 それらが忙しかったため、これまで幾度か家に誘われたものの、俺は断ってきた。だが今日は、偶然にもそれらが休みだった。タイミングがいい。

 大学三年生になり、そろそろ四年次から始まる就職活動に備えた会社説明会などが始まりつつあるため、俺は夏の終わりから、二つのバイトのシフトを減らした。だからその内、俺もまた日史と遊びに出かけたいとは思っていたのである。

「よかった。じゃあ一緒に俺の家に行こう」
「おう」

 頷き俺は、レポート用紙や筆記用具、スマホなどを鞄にしまう。
 日史と話していると、己が蜘蛛だという嫌な事実を忘れられる気がする。



 こうして向かった日史の家は、戸建ての一軒家だった。一人暮らしをしているそうで、それにしては広いなと考える。案内されたリビングに、日史がしゃぶしゃぶ用の鍋を持ってきた。他にはカットされた野菜がある。鍋からはこれまで嗅いだことがないような芳しい香りがした。特別な出汁でも使っているのだろうか。さすが大富豪は違う。俺が惹き付けられるように鍋や菜箸やトングを見ていた時、続いて日史がグラスを二つ持って訪れた。

「このお酒、いい香りだと一部の人に大人気なんだよ。鍋の出汁も特別なんだよ」

 日史はそう言うと、俺の前にグラスを置いた。炭酸の泡と細やかな氷が入っている。そこが濃いピンクで、上に従い白くなっていくカクテルだ。ベリーが飾られている。

「甘い匂いがするな」

 俺はグラスを見た。甘美な香りに、思わず手が伸びる。口の中に唾液が広がる。早く飲みたいという不思議な欲求が浮かび上がってくる。

「乾杯しよう」
「おう。乾杯」

 声をひねり出す頃には、俺はグラスに目が釘付けだった。何故なのか衝動が止まらず、俺はグラスに口をつける。すると甘美な味が口腔に広がった。人生で飲んだ中で、最も甘く美味に感じる。思わず一気に飲み干した。氷がまだ残っているグラス。俺はそれを無意識に食べようとした。

「注ぎ足すよ」

 すると持参した瓶からピンク色の酒を俺のグラスに注ぎ、日史が炭酸水を入れた。俺は頷いて、礼を告げるのも忘れて、また飲み干した。あまりにも美味しくて、抑制が効かない。こんな衝動は、初めてだった。俺は特別、酒が好きというわけではないのに。

「ほら、肉も食べよう。こちらがメインなんだ。この出汁、特別だって言われてるし、きっと気に入ると思うよ」
「あ、ああ……」

 菜箸で俺は、薄い肉を鍋に入れる。そして色が変わってから、用意されていたごまだれやポン酢を見る。だが――不思議と肉を見た瞬間に香ってきた出汁の匂いに惹かれ、そのまま口へと運んでしまった。すると口内には、高級な豚肉の味の他に、やはり人生では味わったことのない、非常に美味な出汁の味が広がった。なんなのだろう、これは。やはり住む世界が違うと言うことなのだろうか。そう考えつつ、俺の胸は動悸に襲われた。

 もっと、食べたい。いいや、喰べたい。
 そんな衝動が止まらず、俺は次々と出汁の味が強い肉を食べ、酒を飲み干した。
 俺を見守る日史は、何故なのか食べるでもなく、眼を細めて笑いながら、俺に酒を造ってばかりいる。普段だったら、何故食べないのかと問いかけただろうに、俺は夢中になってしまって、ずっと口を動かしていた。満腹になる頃、俺はそれでも、さらに食べたいという不思議な欲求に困惑していた。お腹は満ちているのに、もっと――欲しい。既に肉も野菜も食べ尽くしているが、出汁の香りに囚われていた俺は、震えながらそれをお玉ですくって、器に入れる。そして気づくと、出汁を直接飲んでいた。肉や野菜の風味が残ってはいたが、出汁自体に惹き付けられているのだと、俺はこの時になって悟った。なにかが、おかしい。

「美味しいかい?」
「あ、ああ……これ……お前、こんな美味しいものをいつも食べてるのか? 羨ましいな」
「――俺にとっては、ただの水とお湯みたいなものだよ」
「セレブは違うな」
「甘いんでしょ? そのお酒。出汁は蕩けそう?」
「おう、まさにそんな感じだよ。こんなに美味しいのは初めてだ」
「今まで、成瀬は味わったことがなかったんだ?」
「悪いな、庶民だよ。俺は苦学生って奴だ」
「そうじゃないよ。このお酒と出汁は、一部の『蜘蛛』に大人気なんだ」
「……えっ?」
「酒にも出汁にも、『蝶』の涙が入っているんだよ」
「な」
「だから『一部の者』即ち『蜘蛛』には、たまらないんだってね。やっぱり、成瀬は蜘蛛なんだ? だろうなぁって思ってたよ。だって、見てるだけで、俺は惹き付けられるからね。隠していたみたいだけど、無駄だ。見れば分かるんだよ、自分が求めるものは。希少な俺――『蜂』の能力の一つだ。少なすぎて、みんな知らないみたいだけどね」

 つらつらと述べられた言葉。愕然とした俺は、思わず体を引く。
 ――日史が、『蜂』だって?
 確かにそう聞いた。俺の全身が総毛立ち、ここから逃げなければと、俺は恐慌状態になる。顔を強ばらせた俺は、立ち上がろうとし、そして……体に力が入らないことに要約気がついた。動揺して、俺は日史を凝視する。

「氷に、俺の毒、俺の涙を入れておいたんだ。蝶の涙と混ざって、俺の毒には気づかなかったみたいだけど。蜂の毒の効果は分かる? 蜘蛛の体の統制権を奪うんだ。まぁ、渉猟しか入れていないから、今はせいぜい、体が弛緩しているくらいだろうけどね」

 いつもと同じくにこやかな笑顔で、日史が言う。俺は、その笑顔を初めて怖いと思った。全身が小刻みに震え出す。そんな俺の前でゆっくりと立ち上がった日史は、それまで向かい合っていた俺の隣へとやってきて、静かに座す。そして動けないでいる俺の頬に右手で触れ、左手で俺の顎を持ち上げた。

 何か言おうと俺が唇を開けた瞬間、日史が俺の唇を塞いだ。舌が入り込んでくる。狼狽えて俺は舌を逃そうとしたけれど、追い詰められて、絡め取られる。そうしながら、口の中に、唾液を流し込まれた。すると……ああ、体からさらに力が抜けていく。

 背筋をゾクリとしたものが這い上がった頃、俺は思わず涙を浮かべながら、日史の胸板に倒れ込んだ。俺の呼吸は上がっている。漸く呼吸の仕方を思い出し、俺は必死に酸素を吸い込む。日史はそんな俺を片腕で抱きしめ、もう一方の手で俺の耳の後ろを静かになぞった。

「一目見た時から、ずっと成瀬が欲しかったんだよ。俺はすぐに、きみが蜘蛛だって分かった。だって成瀬は、無意識なんだろうけど、蝶や蛾を目で追いかけてばかりいたからね。都度、俺は嫉妬したよ。俺以外を見る成瀬が許せないほど、ずっと俺は成瀬を欲していたんだからね。成瀬だけだよ、俺には。ねぇ、成瀬――いっぱい、孕ませてあげるからね」

 その言葉に恐怖が最高潮に達し、俺はポロリと涙をこぼした。頬が濡れた直後、ぶわっと眼窩から大量の涙が流れ出す。

「い、いやだ。日史、俺達、友達だろ? こんな……こんなの……」
「俺は成瀬を友達だと思ったことはないよ。いつも、抱いていっぱい、卵を孕ませたいと考えていたからね。ああ、本当に成瀬は可愛いな。俺だけの蜘蛛だ。さぁ、立って。ね?」

 耳元で囁かれると、俺の意識に反して、体が動いた。俺は嫌なのに、立ち上がっていた。成瀬はそんな俺の腰に腕を回し、歩き始める。嫌なのに、蜂の毒を直接流し込まれた俺の体は、日史の声に勝手に従う。俺は泣きながら、日史に連れられて歩いた。日史はリビングを出ると、階段を上り始める。そして三階にあった大きな部屋へと俺を誘った。そこはワンルームのような作りで、巨大なベッドがあり、仕切りがあってその向こうにはバスタブと、トイレに通じる扉が見えた。扉は開け放たれていた。

「成瀬。きみはもう、俺の許可なしに、この部屋からは一歩も出てはダメだ。いいね?」
「っ、ああ。分かった」

 俺の口まで、俺の意識を裏切った。俺は泣いているのに、こくこくと同意をするように頷いてしまう。そのままベッドまで連れて行かれ、俺は押し倒された。ベッドサイドには大きなジャムの瓶と、紫色のローションのボトルがあった。俺の大きめのTシャツを日史は脱がせ、俺のベルトを引き抜き、すぐに下着とボトムスも脱がせた。一糸まとわぬ姿になって俺は、怯えながら日史を見上げる。

「や、いやだ。やめてくれ、やだ、孕みたくない。産みたくない。お願いだ、止めてくれ」

 今は言葉が自由になる。ただ、体は抵抗できない。
 ピンクと紫を混ぜ合わせたような色のジャムの瓶を手に取った日史は、金色の蓋を開けると、右手に人差し指と中指にそれを取る。

「口を開けて」
「あ、あ……」

 おれの体は言われたとおりに動く。俺の口の中へと、日史が指を入れた。そして俺の舌にジャムを塗りつける。甘い。俺の脳髄が痺れたように変わる。むせかえるようなこの甘い匂いが、蝶のものだと、俺はすぐに理解した。

「蝶の涙が入っているんだ、このジャムにも。一部の人間――蜂に大人気の商品だ」
「う、ぁ、ああ、もっと、もっと」

 気づくと俺は無我夢中で日史の指を舐めていた。すぐに日史の指は綺麗になり、俺が舐め尽くしたその指には、俺の唾液がついている。日史はそれを今度は自分の口へと入れてから、自分の唾液で指を濡らし、再び俺の舌を二本の指で蹂躙した。すると今度は、俺の意識が曖昧に変わった。ゾクゾクと、俺の全身に快楽が走る。

「蜂の体液はね、蜘蛛にとっては媚薬にもなるんだよ。知ってた?」
「あ……ァ……ああっ、ッ、体、熱い……ああ……っ」
「もう逃がさない。いい? 日史は、もう俺の許可なしには、前で放ってはダメだ。きちんと俺が管理してあげる。卵が育つまで、何度も卵を育てるために、中にいっぱい出してあげるから、これからはそちらでだけ、果てていい」

 その命令を耳にした瞬間、俺の体が作りかわったような、そんな感覚がした。
 意識が捕食され、浸食されていく。

「んぅ……ァ……」

 日史が俺の陰茎を右手で握り込みながら、口では俺の右胸の突起に吸い付いた。そして甘く噛まれた瞬間、ビリビリと稲妻のように快楽が、俺の体に染みこんだ。

「俺に触られるだけで、俺の唾液に触れるだけで、気が狂いそうなくらい、成瀬は気持ちよくなる体なんだよ。それが、蜂と蜘蛛の関係性だ。たっぷりと、これから教えてあげるからね」

 俺の陰茎を、日史が扱き始める。既に反応していた俺の陰茎は、すぐにガチガチになり、先走りの液を零す。その鈴口を、ぐちゅぐちゅと音がするように、日史が親指で強めに嬲った。

「も、もうイく、イく」
「できないよ。もう、成瀬はできない体になったんだからね」
「うぁああ、ン――っ、あ、あ、辛い、辛い……やぁ……っ」

 俺は果てられないままで、涙をボロボロと零す。すると日史が胸を嬲るのを止め、俺の陰茎を口に含んだ。そして舌先で鈴口を舐められた瞬間、そこから唾液が入り込むようになり、日史の『毒』が、俺の尿道を侵していった。結果、俺は前から前立腺を暴かれているような快楽に、絶叫した。

「いやぁぁああああ、あ、あ、あああ、ダメだ、おかしくなる、うああああ。助けて、助けて、嫌だ、ああああ!」

 暫く口淫され、俺は髪を振り乱して頭を振り、泣き叫んだ。そんな俺を愉悦たっぷりの表情でチラチラと観察するように眺めて楽しむような顔をしていた日史は、それからローションのボトルをたぐり寄せた。

「これにはね、俺の毒から抽出した、媚薬成分が入っているんだ。このローションで、じっくりと解してあげる。気持ちが良すぎて、本当におかしくなっちゃうかもね」

 残酷な声音。手にローションを取った日史を、俺は涙がにじむ眼で、震えながら見上げる。

「んン――!」

 ぬるりと冷たいローションをまとった指が、俺の後孔へと挿いってきた。温度はすぐに、俺の中と同化し、それどころか、灼熱に感じるほど、ローションが触れた内側の全てが熱く変わった。

「いやぁあああああ、あ、あ、あああああ」

 ぐちゅぐちゅと、水音が響く。俺の中を最初はゆっくりと、その後は激しく、日史が指でかき混ぜる。内壁にローションを塗り込めるようにされると、俺の手足の指先までを、快楽が絡め取っていく。俺の意識は、最早快楽しか拾わない。鳴らされている間、果てることもできない地獄が俺を苛んだ。びっしりと全身に汗をかいた俺は、髪の毛が自分の肌に張り付いているのを自覚する。左手では、日史が俺の乳首を摘まんだり弾いたりしている。俺の両胸の突起は、朱く尖り、存在をいつもとは違い主張している。触られている全ての部分から、快楽が染みこんでくる。

「挿れるよ」

 指を引き抜いた時、ニッと日史が右の口角を持ち上げた。俺は恐怖で泣き叫ぶ。
 脳裏には父の姿が浮かぶ。卵を産み付けられ、石を奪われ、最後には衰弱死する未来。
 俺はそんなのは嫌だった。何故、日史が? 俺は、今になって思えば、それこそ日史が好きで、それは恋心に等しかった。俺は日史に恋をしていたと思う。その相手に俺は、ただ卵を産むだけの存在だと認識されていると確信し、絶望色の涙を零す。

「あ、ああっ――いや、いや、いやだ、いやだぁ、ああ……ぁ……」

 日史のそそり立った巨大な陰茎が、俺を貫いた。存分に慣らされた俺の中は既にトロトロで、日史を受け入れた瞬間、意思に反して俺の全身は歓喜し、蕩けるように変わる。気持ちが良すぎて、俺は背を撓らせる。ぐぐっと進んできた陰茎が根元まで挿いった時、おれの体に日史の体が触れた。俺の右の太ももを持ち上げ、日史は斜めに奥深くまで穿っている。ギュウギュウと俺の中は、日史を締め付けている。まるで、俺の体は、早く産み付けられるのを待っているようで、日史の白液で埋め尽くされるのを求めるように、搾り取ろうとするかのように蠢いている。もう、ダメだと。硬い楔が、俺を逃がさないというように、俺の中で動きを止めた。俺の体は、この時完全に、日史に捕らえらた。捕食された。

「動くぞ」
「あ、あっ……ああ……ぁ……怖っ、ぁ……怖い、あ、嫌だ、卵、嫌だ。ああ、孕みたくない。頼むから、止めてくれ、止めて……日史、怖いんだ。お願い……あ」
「そのお願いは聞けないな。いっぱい優しく甘やかしてあげるし、可能な限り成瀬の願いは叶えてあげるけど、それはダメだ。きみは、俺の蜘蛛なんだから」

 日史がゆっくりと抽挿を始める。その度にぐちゅりと音がし、日史の肉茎が触れている箇所の全てが熱く変わる。俺の理性はすぐに飛び、俺は震えながら、荒い呼吸を漏らすとともに喘ぐしかできなくなる。

「あ、あ、っ、あ……あア……ああ!」

 次第に日史の動きは速く変わり、肌と肌がぶつかる音が、水音と協和音を奏で始める。何度も打ち付けられ、俺は快楽に飲まれる。

「さて、産み付けようか」
「う、うぁあああ」

 俺の中に、日史が放った。すると俺の全身が、再び作り変わった気がした。

「イっていいよ。イけるよね?」
「ンあ――!」

 その言葉と共に俺は中だけで絶頂に達した。ぐったりと寝台に俺が沈み、涙が乾かない頬をシーツに預けると、喉でくっと笑った日史が、俺の中で硬度を取り戻す。

「まずは一つ目。さて、二つ目を産み付けようか。可愛いね、成瀬は」
「う、嘘だ、待って、まだ動かないでくれ、いやあああああ」

 絶頂の余韻に浸っていた俺を追い詰めるように、最奥の結腸を、容赦なく日史が貫く。激しく打ち付けられ、俺はまた果てた。だが日史の動きは止まらず、俺はずっとイきっぱなしの状態に変えられる。

「さて、二つ目だ」
「あああああああああああああああああ!」

 俺の中に、また日史が放った。結合箇所から、白液がたらりと溢れる。膨大な量の日史の精液を、俺の内側は全ては受け止めきれない。だというのに、また日史は俺の内側で陰茎を硬くする。そして嗤った。

「三つ目」
「んぅ――! ひ、ひあ、あ、気持ちいい、気持ちいいよぉ! ああああ」
「素直になってきたな」
「イく、また、またイっちゃう、ああああ」

 また熱いものを大量に注がれる。俺の下腹部に、日史の陰茎があるのが分かる。
 俺は焦点が合わなくなってしまい、喘ぎながら唾液を零す。

「四つ目だ」
「もう、もうああああああ……――、――」

 俺は声にならない悲鳴を上げ、意識を失った。貫かれながら、乳首を甘く噛まれた時だった。



 目を覚ますと、体が清められていた。俺はバスタブに運ばれていて、日史に体を洗われていた。ぼんやりとしていた意識が、次第に清明になっていく。

「気がついた?」
「……」

 俺は絶望しながら、首だけで日史に振り返る。蜂に囚われたというのに、何故なのか、俺には自我が残っている。そうか、日史が俺の意識を残しているのだろう。それでも、体はもう、日史の言う通りにしか動かないらしい。

 その後シャワーで泡を流され、バスタブから出された俺は、バスタオルで全身を拭かれてから、日史に抱きしめられた。日史が、俺の耳元で囁く。

「ここからは、決して出てはダメだよ。何不自由ないように、全てを揃えるからね。さて、卵を育てないとね。いっぱい今日も、俺の精子、注いであげるよ」

 この日から、俺は毎日、日史に抱き潰されることになった。
 恋していた相手に、このようにいきなり暴かれ、ただの苗床に見られるようになるなんて、世界とは、なんて残酷なのだろう。一層のこと、俺の自我を奪ってくれればいいのに、日史はそれはしない。日中は、日史は大学や仕事へ行く。俺はベッドの上で、体育座りで膝を抱えて、ぼんやりしていることが増えた。部屋から出られないから、勿論大学にも行けない。何度も実験の講義を休んでしまっているはずだから、留年は確定だ。そうなれば、奨学金は打ち切りだ。次第に日付の感覚が曖昧になっていく。そして、俺の腹部は、少しずつ膨らんでいく。夜毎、日史に精を放たれる度に、四つの卵は育っていく。その内に、卵は時折振動するように変わり、俺は日史がいなくても、体が熱くなって、まるでローターのような振動をする卵に、体を焦がされるようになった。

「ただいま」

 戻ってくる度、日史はお土産だとして、その日の俺の食事を持ってくる。それらは全て、蝶の涙入りの品だそうで、富裕層の蜘蛛が好む、特別な調理品だと聞いた。ある蜘蛛が、蝶を何人も飼育して、涙を集めて、作り出しているのだという。

 それを俺に食べさせてから、今日も日史は俺の服を脱がせた。
 そして抱きしめるようにしながら、本日は俺を下から貫く。いつもより深々と穿たれた状態で、媚薬じみたローションを指につけた日史に、両胸の突起を嬲られる。俺はポロポロと泣いた。ツキンと胸から快楽が入り込んでくる度、自然と俺の腰は蠢く。今日は日史が動いてくれない。

「自分で動いてごらん?」
「あ、あ、あ」

 俺の体は、既に日史がないとダメらしい。こんな状況になり、友達としての関係は、裏切りにより終焉したと思うのだが、それでも俺は――日史を嫌いにはなれない。まだ俺は、日史に恋心を抱いたままだ。前後に体を揺らして、教え込まれた通りに腰を動かしながら、俺は快楽に浸りつつ、今となっては相手が日史で良かったとさえ感じるようになっていた。

 卵が大きくなるのを実感する度に、好きな相手に孕まされるのは、見知らぬ男に急に喰われるよりかは幸せな結果だったのではないかと思うように変わった。どうせ俺は、長くない。卵を産むのは蜘蛛にとっては命がけであるから、衰弱死する可能性が高いと聞いている。父も二度産んで、すぐに亡くなったのだから。あの時男は、『二度も産めるなんて優秀だな』と嗤っていた記憶がある。

「あン――っ、う、うあ!」

 下から日史が突き上げ始めた。この夜も俺は中にたくさん注がれ、卵に栄養を与えるように、幾度も放たれ、溢れ出す白濁とした液が零れ落ちていく感覚を覚え込まされた。



 そんなある日のことだった。
 俺の腹部がかなり膨らみ、もう一ヶ月もすれば、卵が産まれるという頃合い。
 その日も俺はベッドの上で体育座りをしていた。すると、右手の窓と壁から、煙が入り込んできた。驚いて立ち上がり、窓辺へ行くと、すぐ隣の隣家から火の手が上がっていた。火事だ。呆然としていると、それが俺と日史の暮らす家へと燃え移ってきているのが分かった。唖然としながら、俺は後ずさる。すると窓枠が一気に燃え始め、壁も崩れた。

「っ」

 炎が迫ってきて、暗い色の煙がどんどん部屋に充満していく。俺は片腕で口と鼻を覆いながら、その場で膝をついた。今、日史は大学だ。そして俺は、この部屋からは出られない。そう、体が統制されている。

 ああ――俺は、死ぬことになるだろう。
 卵を産んでの衰弱死と、どちらがマシなのかと考えたら、自嘲気味な笑みが自然と浮かんできた。お腹に触れ、俺は目を伏せる。すると涙が滲み始めた。

「日史、あんなに楽しみにしてたからな。俺も、産んでやりたかったよ」

 自然と呟いた結果、俺はやっぱり日史のことが好きなままだから、どうやら今となっては、恐怖よりも卵から孵るはずの子に、愛情を持ってさえいるようだと思い知った。

 だが、逃げることはできない。定冠詞ながら迫り来る炎を見ていた時だった。

「成瀬!」

 勢いよく扉が開き、血相を変えた日史が駆け込んできた。そして強引に俺の手首を掴むと、叫ぶように言った。

「出るぞ。出て構わない。これは命令だ」

 それを聞いた瞬間、そして険しい日史の顔を見た瞬間、俺の体がふっと楽になり、僅かに自由を取り戻したのが理解できた。そんな俺を一度抱きしめてから、早足で日史が外へと俺を連れ出した。煙と炎が迫り来る中、家の外まで出ると、消防車が漸く到着したところだった。

「日史、大学じゃ……?」
「――卵が、危機を察知すると、蜂は嫌な予感に襲われるんだ。だから、成瀬になにかあったんじゃないかと思って、急いで戻ってきたんだ。戻って良かった。ごめんな、俺のせいで、死ぬところだった。ごめん。よかった、本当に無事で良かった」

 成瀬が俺を抱きしめる。俺はおずおずとその腕に触れながら、苦笑した。

「俺が死んだら、卵も死んじゃうもんな」
「何を言ってるんだ。俺が大切なのは、成瀬だ。成瀬と家族になりたいから、俺は孕ませたんだ。愛してるのは、成瀬だよ。成瀬だけだって、言ったよね?」
「っ」

 その言葉に、驚いて俺は目を見開いた。

「あ、愛って……本当に?」
「? 何を今さら。だから、成瀬の、そのまんまの成瀬が好きだから、自我だって奪ってないよね? 俺は、成瀬が大好きだよ。最初から、ずっと恋してる」

 唖然とした俺は、成瀬の胸板に額を押しつける。歓喜が、俺の胸の中に広がっていく。純粋に、嬉しい。それから顔を上げると、成瀬に顎へと触れられた。そしてかすめ取るようにキスをされる。周囲には人がいたが、皆火事に気を取られている様子で、俺達を注視している者はいないようだった。
 ――その後俺達は、日史の家の車で、別宅へと移動した。日史の実家は、巨大な洋館だった。そこへ、富裕層の間でのみひっそりと存在を認知されている、バタフライバースの専門医が呼ばれ、俺と日史は火事による怪我がないか診察を受け、問題が無いと判明した。同時に出産が間近に迫っていると言うことで、俺はこの日から診察を受けることとなった。以後は、この邸宅で暮らすらしい。

 日史の両親は、蝶と蜂なのだという。美しい母親と、会社全体の会長をしている存在感のある父親は、俺が孕んでいるのを知っていたそうで、生まれるのを楽しみだと言って微笑していた。しかし俺は、その蜂である日史の父親を見て、青褪めた。俺の父を犯し殺した男だったからである。日史の下の兄弟姉妹達は、皆、俺とも血が繋がっている。

「父親によく似ているが、私は日史のものを奪うことはしない。ただ、顔の好みは似て育ったようだな。安心していい、日史は妻の子だ」

 そういって日史の父親は哄笑した。聞いていた日史は、眉を顰めつつ、俺の肩を抱く。

「成瀬。心配はいらないよ。僕が必ず守るからね」

 俺はその腕を縋るように抱きしめてから、小さく頷いた。
 なお、人間と特性保持者の間に生まれた俺のような者は、思春期まで特性を持っていても自覚することはないが、蜂が蜘蛛に産ませた卵に関しては、出生時にどの特性を持っているか判別可能なのだという。人間が生まれることは稀で、ほとんどが、特性を持っているそうだ。また、孕んでいる最中に摂取した蝶の姿に似た子が生まれる場合が多いようで、例のジャムには、それぞれ生まれやすい色彩の種類があったらしい。

「俺はね、成瀬に似た青い女の子がいいと思って、青い目の子が生まれるジャムを、青い目の子が産まれやすい蝶の涙入りのジャムを食べさせていたんだよ」

 朗らかに笑った日史を見ていたら、俺は肩から力が抜けた。
 そうして、出産の日が訪れた。幸い、俺が産んだ四つの卵は、全て命が宿った状態で生まれてきた。これは珍しいことらしい。卵は中々孵らないため、複数種付けされることが多いらしいと言うのを、俺はこの時初めて知った。

「一人でも生まれたら嬉しいと思っていたんだけど、四人か。俺達の愛の結晶だ、多い方がいいね」

 にこやかに日史はそう述べた。幸い、俺は産後の状態もよく、専門医の診察を受けているのもあって、己の父のように衰弱死するような気配はなかった。

 その後卵から産まれてきた俺と日史の子は、それぞれ蝶・蛾・蜘蛛・蜂の四人の男の子だった。俺は子供達を一人ずつ抱いては、ベビーベッドに下ろしていく。日史との子だと思うと、愛おしさが溢れてくる。何せ今、俺の恋は実り、相思相愛だと分かったのだから。

「幸せに暮らそう。愛してるよ、成瀬」
「……俺も、日史が好きだ」

 ぽつりと俺が述べると、日史が驚いた顔をしてから破顔した。

「成瀬が俺を好きだと言ってくれたのは初めてだね。嬉しい」

 日史が俺の唇に、触れるだけのキスをする。俺は両腕を日史の体に回して、その愛情に浸る。このようにして、俺が怯えていた未来とは少し違う形で、俺は子を孕んで産み落とし、そして幸せを手に入れた。初めて、蜘蛛に産まれて良かったと感じた。だって、日史と出会えたのだから。俺は瞼を伏せて、そうして今度は自分から日史にキスを仕掛ける。

 その後も俺達は、子供達と共に、幸せに暮らした。


 ―― 了 ――