鴉天狗と狐のお話


 妖駒(ようく)山の稲荷神社は、神(しん)狐(こ)となるための小さな学び舎でもある。
 大半の妖狐(ようこ)は、神になる事はなく、その遣いとして生涯を終えるのだが、この学び舎で学んだ者の内、幾人かは己自身が祀られる事となる。僕も、そんな学んでいる内の一人だ。見た目はまだ十代後半のままだし、尻尾も耳も消失させる事が出来ないのだが、もう数百年生きている――らしい。この稲荷神社では、時間の流れが人の世とは異なるから、僕は自分の正確な年齢を知らない。

「七(なな)葉(は)」

 先生に名を呼ばれたので、僕は顔を上げた。

「この神具を、鴉天狗の里に届けて下さい」
「はい」

 頷きながら、僕は小刀を受け取った。鴉天狗の里は、この妖駒山の奥にあって、数多くの妖(あやか)しが暮らす山の中でも特に規模が大きい。僕達の間には、時々交流がある。そして僕が家として任せられている小さな社は、鴉天狗の里のすぐそばにあるから、時折こうしてお使いを頼まれる事がある。頼まれごとをこなす事でも神格は上がっていくから、僕はしっかりと励むようにしている。

 僕の目標は、大きな――人間の宮司さんがいるような神社の神様になる事だ。
 今の僕の社はちっぽけで、年に一度も人間が来ない事も珍しくない。だから学び舎で力をつけて、他の場所に奉じてもらいたい。

 そう考えながら八月も終わりが近い山を、放課後になってから進んだ。
 何度か木の枝を踏んで、ポキリと音を立てておってしまった。この季節、僕の纏う狩衣は暑そうだとよく言われるけれど、そこは妖力で温度を調節している。

 里が近づいてきたので、僕は周囲の結界につけられている鐘を鳴らした。縄上のこの結界は、妖しであれば視認できる。僕が触れると、一斉に鐘が鳴り始めた。そして少しすると、一人の鴉天狗が姿を現した。

「七葉か」

 現れたのは、悠羅(ゆうら)だった。悠羅は、修験者の姿をしていて、二十代半ばくらいに見える。実年齢は知らないけれど。悠羅は長身で肩幅が広く、背には大きな黒い鴉の羽がある。

「先生から届け物だよ」

 ちょくちょくこの里に来る僕と、結界の見張り番をしているらしい悠羅は、顔馴染みだ。

「確かに受け取った。里長(さとおさ)に届けておく」
「うん」
「今日はもう帰りか?」
「うん!」
「ではすぐに里長に渡してくるから、少し歩こう」

 悠羅はそう言って笑うと、引き返していった。鐘の音は既に鳴りやんでいる。僕は木の幹に背を預けて、言われた通りに待っている事にした。すると十五分ほどして、悠羅が戻ってきた。

「行くか」
「うん!」

 僕は大きく頷き、悠羅の隣に立った。頭二つ分くらい、身長が違う。そんな僕の左手を、悠羅が握った。完全に子供扱いされていると思う。

「今日の学校はどうだった?」
「今日は……九月と十月の神事についての座学と、分担のお話をしたよ。今年こそ神狐になりたいのに、僕より後で学び舎に来た子の方が大役だったりで……世の中は世知辛いよ」
「そうか」

 僕の愚痴に対し、小さく悠羅が頷いた。
 その後も僕は学び舎の話を語り、自分の家である社まで歩いた。そして境内に腰かけて、隣に座った悠羅を見る。人の時に直したら、もう二百年以上は付合いがあると思うけれど、いつも話をするのは僕ばかりだ。考えてみると、僕は悠羅の事をあまり知らない。

「ねぇ、悠羅」
「なんだ?」
「鴉天狗の世界にも、『一番』はあるの?」
「『一番』というのは?」
「偉いとか。僕はね、ただの遣いにはなりたくないんだよ。誰かに一番に想ってもらいたいんだよ。変かなぁ」
「里長は一番人をまとめる事はするが、偉いという価値観ではないな」
「ふぅん。悠羅は里長になりたい?」
「ごめんだな。多忙な仕事はしたくはない。俺はそれよりも、こうして七葉と話している方が嬉しい」
「……でも、僕が一番になったら、僕は他の社の神様になるから、もう悠羅とは会えないよ?」
「七葉は俺と話すよりも、一番になる方が良いか?」
「うっ……」

 僕は言葉に窮した。何故なら、僕はもう長い間、悠羅の事が気になっているからだ。
 正直、悠羅と毎日お話しできるなら、それがいい。
 でも、現実は非常だから、届け物でもなければ会えないし、それ以外の膨大な時間を小さなこの社と学び舎の往復で過ごすのは寂しい。

「俺は離れたくないが」

 そう言うと悠羅が、僕の狐耳の間の髪を撫でた。髪を、骨ばった長い指で撫でられていると、トクンと胸が疼く。

「僕、悠羅が好きだよ」
「俺も七葉が好きだ」
「でも悠羅の好きと僕の好きは違うと思うんだ」
「何故?」
「だって悠羅は、僕の事子供扱いしてるもん」

 思わず僕は唇を尖らせた。すると悠羅が喉で笑った。

「俺は子供にはこういうことはしないが」

 そう言って不意に悠羅が僕の唇を、掠め取るように奪った。触れるだけのキスをされて、僕は瞬時に赤面した。真っ赤なままで膝の上に手を置き、僕は目を見開く。すると隣でニッと笑った悠羅が、今度は深く僕の唇を貪った。そして気づくと、ストンと肩を押されて、押し倒されていた。

「んン」

 首筋に吸い付かれて、僕は肩をピクンと揺らす。
 実を言えば、悠羅に押し倒される事はそこまで珍しい事ではない。
 大抵の場合、『一緒に歩くか?』と言われると、こういう事になる。

「ぁ」

 僕の胸の突起を、悠羅が唇で挟み、チロチロと舌先を動かし始めた。それから軽く吸われると、ジンと僕の体が熱を帯びた。

「七葉は可愛いな」
「本当?」
「ああ。いつまでも愛でていたくなるぞ。なぁ、七葉。何も狐の一番になる事はないのではないか?」
「んァ……え? どういう事?」
「俺の一番でいればいいだろう」

 その言葉に、僕はより一層赤面した。思わず両手で顔を覆う。

「ぁっ」

 そんな僕の肌を左手で撫でてから、悠羅が僕の陰茎を握りこんだ。そして緩く扱きながら、右手の指を口に含む。

「んっ、ぁァ」

 そして僕の後孔へと挿入した。押し広げられる感覚がして、僕は息を詰める。それから少しすると、かき混ぜるように手を動かされた。

「ね、ねぇ……ぁァ」
「ん?」
「本当に悠羅の一番にしてくれるの……?」
「勿論だ」
「ぁ、ぁぁ」

 その時指先で感じる箇所を刺激され、僕の背が撓った。悠羅は僕の気持ちの良い場所を、いっぱい知っている。いつから僕達の関係がこんな風になったのか、僕はなぜなのか思い出せないんだけれど、決して嫌ではない。

「挿れるぞ」
「あああああ!」

 指が引き抜かれ、悠羅の長く巨大な陰茎が、僕の中へと挿入された。
 全然違う熱い質量に、僕は思わず手を伸ばして、悠羅にしがみつく。

「あ、ああっ」
「しめるな」
「無理、ぁァ……んぅッ」
「随分と、俺の形になじんだな」
「あ、あ」

 僕は悠羅の事しか知らないから、当然だと思う。ギュッと目を閉じて、僕は喘いだ。繋がっている個所から、全身が蕩けてしまいそうになる。本当に、気持ち良い。

「あ、ハ」

 じっとりと肌が汗ばみ、髪が体に張りついてくる。
 その後グッと深く最奥を貫かれて、僕は放った。ほぼ同時に、中に飛び散る悠羅の白液を感じたのだった。

 ――事後。
 僕は悠羅に抱きおこされて、その腕の中に収まっていた。

「本当に可愛いな、七葉は」
「……僕、悠羅の一番になる」
「そうしてくれ」

 こうして僕の計画とは違う事になったけれど、僕は一応一番になった。毎日が幸せだから、よしとしておく。