僕は多数決が嫌いだ。
僕は多数決が嫌いだ。
この二年一組には、決定権を持つ者が五人しかいない。クラスメイトは三十二人なんだけど、残る二十七人は平民の出身だから、権利を持たないのだ。決定権を持っているのは、貴族だけなのである。
これまでも、多数決は繰り返し行われてきた。だけど高二の現在まで、僕のクラスでは、特に問題は起きなかった。なぜならば、他の四人の意見が大体一致していたからだ。
少なくとも三人が同じ意見か、二人が同一意見で他二人は『どちらでも良い』という形に落ち着いていた。僕は人数が多い方に同意していたから、すんなりと何事の決定も成されてきたのだ。
一応僕も貴族なのだが、これまでの間に、僕の意見が注目を集めたことは一度もない。
そもそも僕には、自分の意見というものが、あまりないのだ。
「空野は、どう思う?」
時永くんが、僕を見た。
それまで時永くんは、怒り狂っている鏡味くんの言葉を受け止めていたのだが、彼の声が途切れた一瞬で話を変えたのだ。
唐突に声をかけられた僕は、反射的に時永くんを一瞥し、強い眼差しで射すくめられた。
彼が激昂する事はめったにない。
だけどこのように、非常に冷静に不機嫌そうな顔をする。
怖いか怖くないかで言えば、僕は彼が怖い。
「空野の意見は、俺と同じはずだ!」
今度は鏡味くんが、音を立てて机を叩いたため、僕の視線はそちらに向いた。
彼は激怒している。声がどんどん大きくなり、早口になっている。
忌々しそうに歪められた目に、僕は身動きを封じられた。
怖いか怖くないかで言うならば、鏡味くんは『すごく』怖い。
「鏡味の意見は聞いていない。俺は、空野の意見を聞いているんだ」
話を振られた僕は、双方からじっと睨むように視線を向けられ、頭痛がしてきてしまった。
どうしてこんな状況になってしまったのか。
現在、多数決メンバーだけでなく、教室にいるクラス全員の視線がこちらに向いている。
今年の春までは、基本的に時永くんと鏡味くんが物事を決めていた。
僕は、二人の意見に乗っかってきたのだ。
この二人が、何事に置いても、中核だったのだ。
「空野の意見で僕と時永の案か、鏡味と音海の案か、どちらかが決まるからね。鏡味が強制すべきじゃない」
陸瀬くんが言った。
陸瀬くんは、これまで非常に長らくの間、僕同様大勢の意見に賛成表明をするか、それ以外では『どちらでも良い』という姿勢を貫いてきた。
彼はこれまでの間、誰かの意見を率先して推した事なんて無かったのに。
しかし彼は、僕とは違い、常に自分の意見を持っていた。
だから、多数の意見と自分の意見が違った場合、それを述べた上で、多数派の意見を認めていた。
なのでこんな状況になる前は、いかにして陸瀬くんの意見を組み込むか、どのようにして陸瀬くんに説明すべきかという点が、多くの場合で重要な事柄だった。
「おいおい、そんな風に言ったら、空野だって発言しづらいだろ。なぁ?」
音海くんが少し笑いながら僕を見た。あからさまに陸瀬くんがムッとしたのが分かる。陸瀬くんは、クラスの中で特定の誰かと仲が良いわけではなかったが、しいていうならば、音海くんとは仲が悪くなかった。
一方の音海くんは、大抵の人間と仲良しだ。
音海くんは、これまでは、時と場合によって、時永くんに同意するか、陸瀬くんと共に『どちらでも良い』という立場をとるかのどちらかだった。
ただし音海くんは、鏡味くんとは、あまり親しそうではなかったんだけど、現在は違う。
今、はっきりと、『時永&陸瀬』と『鏡味&音海』の、二つの派閥ができあがっているのだ。これが少し前までは、『時永&鏡味(と、多分僕)』という組だったのだ。
いうなれば、時永くんは、リーダーだった。過去形じゃなく、今もクラスの中心的存在なのは間違いない。
一応、貴族の中にも、家格が存在する。時永くんは、最も影響力の強い侯爵家の跡取りだ。
そして彼は、非常に勉強が出来て運動もできて実技も出来て容姿端麗で性格も良い方だ。
昔から時永くんは、何かと目立っていた。
僕は幼稚舎時代から、彼を一方的に知っていた。
恐らく時永くんは、僕を中学一年生の時に、やっと認識したんじゃないかと思う。
僕らの通う『香ノ酉学院』は、中高一貫制で、中一から入寮する事が決まっている。
幼稚舎と初等部は、関東にあって、そちらは自宅通学でなければならず、通学時間に制限もある。
現在この学年で、幼稚舎と初等部を卒業して入寮を果たした生徒は、ほとんどいないのだ。
ともあれ同じ学舎に通っていたので、昔から僕は、時永くんを讃える声を沢山耳にしてきたし、運動会などの行事の時には、遠くから見たこともあった。
だから中三で同じクラスになり、仲良くなった時は、正直に言って嬉しかった。
最初は人気者と仲良しというのが、何となく新鮮だっただけだが、次第に彼がいい人だと知り、僕としては友人だと思っていた。
もしかしたら一番彼と仲が良いのは僕かなと思っていたし、これは世に言う親友という間柄かも知れないと考えたこともある。
しかし昨年一年間の生活で、時永くんには、本物の親友が出来た。
僕は別段仲が悪くなったわけじゃないので、間近で時永くんに新たな友人が出来るのを見ていた。
よって、僕自身はどうやら親友ではなかったようだと発見した。
そして考えてみると、僕はいつも時永くんに気を遣っていたし、本音で言い合うなんて無理そうなので、確かに親友とは呼びづらいのではないかと思うに至った。
時永くんと、彼の親友の間宮くんは、常に本音でぶつかり合っている。
お互いに言いたい放題だ。
何故なのか、喧嘩をしている風に見えるから羨ましくはないが、反面何でも言い合えるというのは素敵だと思う。
さて、この間宮くんは、平民だ。
しかし、実技と潜在能力測定、それと運動神経は時永くんに匹敵する。
二人は、親友であり好敵手なのだ。
実を言うと、僕と時永くんが仲良くなったのも、勉強面で成績が並んだからだったりする。
テスト時の総合成績で、時永くんが一位で、僕が二位だったのだ。
いくつかの教科では、時永くんと同点で一位だった。
だけど不動の一位の時永くんと、必死に受験勉強をして中三の二学期と三学期だけ二位だった僕では、好敵手にはならなかった。
僕は高等部に受かったその日から、もう長らく自室で勉強をしていない。
きっと次ぎに自主的に勉強をするのは、大学受験が迫ってからだろう。
そもそも貴族は、『高貴なんだから頭も良くないとならない』と考える人々と、『必死に勉強しなければならないのは平民だけだ』と唱える人々がいる。
だから学習面の成績がたまたま良かったからと言って、僕の頭が良いわけではない。
その代表例が、陸瀬くんだろう。彼は、上位十名まで記載される成績表に、ほとんど名前が載ったことがない。
この学校では、三十点以下の点数をとると再テストなのだが、彼はいつも三十五点分の問題を解くと寝てしまうのだ。
いつも全問正解である。
ある時、百点満点中百点以外は再テストという例外的試験があったのだが、その際にはきちんと百点を取っていた。
あのテストで再テストにならなかったのは、陸瀬くんと時永くんだけである。
陸瀬くんの実家も侯爵家だ。貴族の歴史の中で、もっとも古い家柄の一つだ。
歴史の長さで言うならば、時永くんの家よりも古い。
ただし陸瀬くんは、本人もご実家も、あんまり他人とつるむのが好きではないようだ。
なので、あまり発言しないという意味では、影響力が少ない。
しかしひとたび発言すれば、陸瀬侯爵家と時永侯爵家は、同じくらいの影響力を放つだろう。
仮に両家が喧嘩でもして、どちらの陣営につくか迫られたら、貴族は大混乱するだろう。だからこれまでの間、二人が喧嘩をしないように周囲は気を遣っていたと思う。
そもそも二人は、つかず離れず一定の距離を保っていた。
だが……現在、たった今、二人は同じ意見を持っている。
本来、この二人が組んだら、最強である。
だが現実的な面で、僕らの学年の貴族をとりまとめているのは、鏡味くんなのだ。
時永くんでも陸瀬くんでもない。
鏡味くんは、伯爵家の跡取りだ。
家格は劣る。
だけど、時永くんと陸瀬くんは、ちょっと手が届かない存在過ぎるので、別枠扱いなのだ。
一応これまでは、ピラミッド型のヒエラルキーの頂点に時永くんがいて、鏡味くんはその隣かちょっと下にいた。陸瀬くんは、ぽつんとスフィンクスのように独立していた。
鏡味くんは、貴族らしい貴族で、貴族のプロトタイプ的な性格だ。
貴族として歴史を重んじているし、平民と貴族はきっぱりと区別されるべきだという考えを持っている。
貴族内部であれば、爵位の高さや家格によって、きちんと対応を変えるべきだと主張しているし、実行している。
よって鏡味くんは、その持論を貫き通すとすれば、時永くんと陸瀬くんには逆らえないはずなのだが、「貴族にあるまじき愚行を犯そうとしている彼ら」をただすのが己の役目だと断言していた。
そんな鏡味くんと、今回同じ意見を主張しているのが、このクラスの貴族の最後の一人である音海くんだ。彼も伯爵家の出身だ。
音海くんは、ものすごく女の子が好きだ。
音海くんは、貴族であるか平民であるかよりも、男性であるか女性であるかの方が重要だと、いつも言っている。
だから元々は、鏡味くんとは仲があんまり良くなかった。
誰とでも仲の良い音海くんは、どことなく鏡味くんに対してだけ面倒くさそうな顔をしていた。
しかし二人は今、非常に息がぴったりだ。
ちなみに音海くんは、時永くんと同じくらい、女の子にモテる。
だけど度々フラれてもいるからなのか、どことなく憎めない。
彼は人気者だ。
僕は溜息を押し殺した。
今後のことを考えると、非常に憂鬱だ。
既に、まだ二年生になって二ヶ月しか経っていないのに、この両派の影響は、クラスだけじゃなく学校中に広がっている。貴族も平民も二分化されている。
貴族の場合、歴史と格式を重んじる者は、二人の侯爵家側だ。
学校内での影響力を考えている者は、鏡味くん側だ。
そして、貴族の三分の二は、鏡味くん側だ。
残る三分の一の人々には、鏡味くん側ではないが、音海くんと親しい人々もいる。
総合的な数で言えば、貴族の票は、鏡味くんがほとんど掌握している。
だが、貴族は、全校生徒三百二十人中、五十人程度だ。
十クラスあって、貴族は各クラスに五人くらいいる。
平民の場合は、時永くんの親友である間宮くんを支持する人々と、平民にも大人気の音海くんを支持する人々で割れている。
時永くんも、平民に人気があるが、今回に限っては、時永くん人気は間宮くん人気に合算されている。
学校の至る所で、この二派閥ができあがっている。
その直接対決が行われるのがまさにこのクラスの会議の場である。どっちが勝つかに、皆注目しているのだ。
すごく胃が痛い。
まったく、どうしてこんな拷問のような目に、僕はあわなければならないのだ。
だって、僕の一票で、どちらか一方が勝利し、もう片方は負けるのだ。
僕には重責過ぎる。
早くチャイム、鳴らないかな……。
こんな事になるんなら、さっさとどちらかに賛成しておけば良かった。
だけど過去を振り返ってみても、僕が賛成する機会は一度もなかったなぁ……。
最初にそれとなく切り出したのは時永くんで、鼻で笑って冗談だと流そうとしたのが鏡味くんだ。しかし時永くんが真顔で再度繰り返すと、鏡味くんが不機嫌そうな顔になって反対した。
この二人のこういうやりとりは、四月から日に日に増えていったから、僕はその段階では、そこまで心配していなかった。
この段階であれば、音海くんが支持した方の案が通っていたのだ。陸瀬くんは何も言わないからだ。というよりは、多くの場合は音海くんと同じ意見だった。そして音海くんも、大体は鏡味くんを支持していたのだ。
音海くんと鏡味くんは、何度も言うが、基本的にはあんまり仲が良かったわけではない。ただ何というか、「貴族の常識に照らし合わせた正論」に関して、二人とも同じ考えの持ち主なのだろう。
だから音海くんは、適度に鏡味くんを支持してきた。
おそらく時永くんも、自分の意見が通らないことを知っていたと思う。
少なくとも、初めは折れていた。
だけどある日、「僕は時永に賛成するよ」と陸瀬くんが口にした瞬間、大転換が訪れたのだ。
あの日は、時永くんの発言の後、鏡味くんが反対するという流れになり、そこで音海くんが「まぁまぁ時永の意見も分かるけど、俺は鏡味に賛成だな」と苦笑しながら言って、何か理由を述べたのだ。
すると陸瀬くんが「音海、君の言ってることには納得が出来ない」と、反論したのだ。
今まで、この展開は一度もなかった。
勿論、陸瀬くんが音海くんの発言に異を唱えたことは何度もあった。
だけど、それは時永くんの意見を擁護するものではなかったのだ。でもこの日は、蕩々と音海くんに反論した後、陸瀬くんは時永くんの意見を持論で補強した。
僕は事態に唖然としていたため、その内容は忘れてしまった。
それに、すぐに再び驚くことになったのだ。
音海くんは、稀に陸瀬くんに却下されると、すぐに陸瀬くんに対して謝っていた。
陸瀬くんの方が正しかったからだ。
しかしこの日に限っては、なんと音海くんも譲らなかったのだ。
最初音海くんはいつもの通りへらへら笑っていたが、最終的に怖い笑顔で反論した。
僕は音海くんと陸瀬くんが口論しているところを初めて見た。
この二人の口論及び、時永くんと陸瀬くんが手を組んだという衝撃は、結構すさまじかったんじゃないかと思う。一瞬、鏡味くんまで硬直していたからだ。
少なくとも去年の途中までは、こんな展開は予測も出来なかった。
その頃までの僕は、時永くんの「腰巾着」みたいに呼ばれていた。
貴族代表が時永くんであり、鏡味くんと僕が、その手下という印象だったのだと思う。
孤高の人が陸瀬くんで、垣根のない人が音海くんだ。
鎖国している陸瀬くんに、音海くんだけは貿易も可能だった。
だから今回の件は、黒船逆来航とでもいうような、コペルニクス的転換であるというか……兎に角衝撃だったのだ。
ちなみに時永くんが、貴族らしくなくなったわけじゃない。
時永くんは、前も今も、変わらず良い人だ。
ただ、間宮くんという親友が出来てから、鏡味くんと共通しない友人が増えたんだろう。
去年の後半には、完全に時永くんと間宮くんは、相変わらず喧嘩もしていたが親友になっていたような気がする。
昼食の時に、入学当初は、僕と鏡味くんと一緒に、時永くんもお弁当を広げていた。しかし後半は、間宮くん達と一緒に食べていた。
なお陸瀬くんは基本的には一人で食べていて、三日に一度くらい音海くんが一緒に食べていた。
鏡味くんは基本的に、学年の貴族に囲まれて食べている。
僕の場合は、鏡味くんと一緒に食べるか、一人で食べている。
基本的にあまり移動するのが好きじゃないので、近隣の席の人と一緒に食べることが多い。だから陸瀬くんの隣の席だった時は、僕は彼とご飯を食べていた。
ちなみに音海くんは、泳ぐように昼食の席を移動するので、三ヶ月に一回くらいは、僕と一緒に食べる。
現在の昼食事情は、時永くんと間宮くんと陸瀬くんは大体同じあたりで食べている。
そして鏡味くんと音海くんが一緒に食べている。
双方、他のクラスメイトが何人か参加している。
僕は自分の席で食べている。
どちらか片方と食べると、翌日はもう片方と食べなければならないと発見したからだ……。だから僕は、今月になってからずっと、近隣の席の人々と雑談しながら、自分の席で食べている……。
この現状をもたらした、キーパーソンといえるのは、まず間違いなく、間宮くんだ。
高等部から外部入学してきた彼に対して、最初の頃、鏡味くんはいつも時永くんに注意していた。平民とあんまり仲良くなりすぎるなというような注意だ。そして間宮くんと時永くんは、口喧嘩を頻繁にしていたんだけど……気心が知れたようだ。
お互いに認め合っていて、腹を割って話せるらしい。
鏡味くんは、「裏切り者!」として、時永くんを時に罵る。
また、僕に対しては、「間宮に時永を盗られた!」と言う。「悔しくないのか! 親友だっただろ!」とも言っていた。傍目にも、僕と時永くんは親友だと映っていたようだ。
しかし鏡味くんから見た場合であっても「だった」と言うのだから、過去の話になっているわけで、現在僕と時永くんは親友ではないようだと彼も認識しているのだろう。
ちなみにこの件では、他に三点、頭が痛い事がある。
一点目、時永くんの反応だ。前に、「俺は間宮を親友だと思ってるけど、俺が間宮と親しくすることで、空野は嫌な思いをしたりするか?」と、直接的に聞かれた。勿論、親友とは素晴らしいし、僕は二人が親しくすることに対して特に負の感情はないと伝えた。
この際、「悪いが空野の事は、親友とは思えない」とまで言われたんだけどね……。
ちなみにこれ以前には、「好きだ」「一番大切な存在だ」「何でも話して欲しい」とか言われたことがあるんだけど、取り消しになったのかも知れない。
二点目、間宮くんの反応だ。「最近時永と一緒にいないけど、俺がいるからか?」と、不安そうに言われたのが最初だ。
以降、「なんで時永と昼飯食べなくなったの? 俺がいるから……?」と、すごく悲しそうに言われた。
僕は違うことを証明するために、その日は、間宮くんと時永くんと三人でご飯を食べた。
ここのところは、「俺、時永と距離を置くか?」なんてまで言われる。
どうやら僕が時永くん派に賛同しない理由の一つが、間宮くんだと考えられているようだ。「俺、お前とも仲良くなりたいんだけど……」というように度々言われるが、度々言われると言うことは、まだ仲良くないと言うことだ。
しかし僕自身は、他のクラスメイトと間宮くんに区別はない。
そこそこ仲が良い方だと思ってさえいる……。
三点目、これは致命的なのだが、全校生徒の多くが、「空野ツヅキは、親友だった時永タマキを盗られたから、間宮タカヒロが嫌い」だと認識しているらしいことだ。
この噂には、他にも色々と付属している。「時永と空野は、幼稚舎時代からの幼なじみで非常に親しかった」という、大嘘から始まる。初めてのきちんとした会話をしたのなんて、中三だというのに。
正直、高等部から同級生になった間宮くんと、昔から一緒だったとはいえ時永くんと、それぞれとの会話数を計測しても、あんまり変わらないと僕は思う。
そして僕は、事実無根のため特に何の行動も起こしていないが、その結果「間宮にも分け隔て無く接する空野は、心が広い」と噂されている。「優しくするから間宮がつけあがるんだ!」というように鏡味くんに怒られたことまである。誓って僕は、害そうとは思わないが、優しくしていない。
確かに僕は、時永くんはすごい人だと思うし、親友だと思っていた。だけど彼が、僕よりも間宮くんと親しくなったからといって、「親友ではなかった」と確認しただけで、他には何とも思っていないのに……。
この結果、僕は「間宮に嫉妬してる!」とか「時永くんと間宮くんを認めてあげなよ!」とか「時永くんと仲直りしなよ!」と言われる。
嫉妬というか、自分がちょっと惨めではある。僕では、間宮くんのように時永くんの口から「親友」という言葉は引き出せないからだ。
そうした友好度もあるし、実技の結果を考えても、勿論僕は、二人は力が拮抗し合った大親友だと認めている。
そもそも時永くんとは、喧嘩していない。
仲も悪くなってない。
元々、僕から時永くんのそばに出向くことはあんまり無かった。
いつも時永くんが僕の所に来たのだ。
その行き先が変わっただけなので、僕の方には変化なんか無い。
誤解を解くために僕に出来ることがあるとすれば、多分、時永&陸瀬派に賛成票を投じることだ。しかもこの誤解は鏡味&音海派の人達もしている。
だって僕に「間宮を許してはならない」「決して認めるな!」「仲直りなんてするなよ!」と、鏡味&音海派の人が言う時がある。勿論、鏡味くんも誤解しているが、少なくとも彼は「喧嘩したという事実がない」事は知っているので、直接本人がそこまで口にすることはないんだけど。
ただ鏡味くんは、「お前惨めじゃないのか? それとも、そんなに時永が好きなのか?」と言ってくる。鏡味くんは、僕が時永くんを今でも親友だと思っていると確信しているようで、それが理由で中立を維持していると誤解しているのだ。
それさえなければ僕は、間違いなく鏡味&音海派であると彼は確信しているらしい。でも、そういう事じゃないのだ。
正直に言って、貴族人脈と学園人気で考えるに、鏡味くん達に否を唱える事は、残りの高校生活を考えると鬱になる。それが一番だ。「あの時お前がこっちに賛成していれば」と責められ続けて過ごす日々を考えると怖いのだ。
それに、時永くん達に賛成して、その後ずっと彼らと共に過ごすことも、ちょっとためらわれるのだ。きっと僕を彼らは仲間はずれにしないと思うけど、僕が間宮くんを嫌っているという噂は根強いから、あんまりいい顔もされないだろうし……。
こう考えると、鏡味くん達に賛成したら、丸く収まるような気もする。寧ろ周囲は、僕がそうしないからこそ、おかしな噂を日に日に大きくしているのかもしれない。この戦況が訪れたのは、高二になって二週目の会議からだった。
毎週金曜日に、クラスごとに貴族会議があるのだ。あの日に陸瀬くんが時永くんを支持してから、ずっとこの状況は続いている。
毎週いくつか新案件があるのだが、現在それらは開始早々他の四人の一致で片づけられる(勿論僕も賛成票を投じている)ので、以降ずっと同じ議題に関しての激論が二派閥で繰り広げられることになるのだ。
その同じ議題のせいで、こういう状況になっているのだ。
きっぱりと断言するが、僕はその議題に対する双方の案、どちらを推すべきか判断がつかないために、中立といえば聞こえは良いが、基本的に無言を貫いているのだ。顔は笑っていようが泣きそうであろうが引きつっている事だけは間違いない。
さて、長々と前書きしたが、問題の「議題」の内容である。
根本にあるのは「学内における貴族と平民の格差是正・平等化」と「男女を平等として同権とする事」なのである。この件について、非常に細分化するならば、時永くんと陸瀬くんだって意見が違うし、鏡味くんと音海くんだって意見が違う。
大別すると二派閥になるだけだ。
まず貴族の特権や現状を先に記す。
この会議が代表例だが、学内には、貴族にしか決定権が存在しない。なのでクラスの生徒の総意ではなく、そのクラスの貴族の総意で物事は決定される。各クラス五人程度いるが、仮に一人しかクラスにいなかったとしたら、その一人の意見が通ることになる。
一応これには理由がある。この学園は、貴族が学費・運営費諸々を支払っているのだ。そもそもが貴族のための学園なのだ。平民の在校生は、全て無料で入学している。返済不要の奨学金で学費と生活費が保証されている。かわりに将来、貴族の下で働くことになるのだ。どういう事かというと、国の中枢で働く要人は基本的に貴族なのだ。
世襲制ではないが、貴族でないと出世は出来ない。貴族とは何かというと、「血筋的に遺伝的魔力を持つ者」である。魔力を用いた魔術によって世界は動いている。貴族とは、生まれながらに魔力を持って生を受けることが約束された人々だ。そして基本的に平民は魔力を持たない。だが、時に例外的に魔力を持って生まれてくることがある。
しかし平民に生まれた場合、どんなに力が強くても、次世代に遺伝しない確率が85%を越えているのだ。魔力持ちの平民と貴族が仮に子供を成した場合は、遺伝する例がある。それでも貴族同士に比べるとかなり低い確率になる。その為実質的には100%に近い数値で、平民出身者の魔力は遺伝しないと考えられている。
そうした一代限りの魔力の持ち主を受け入れているのが、この学園である。毎年貴族以外の魔力の持ち主は一定以上の数は生まれるし、貴族の子供よりその数は多い。だけど「確実に魔力を持っている人」を確保するために、貴族制度がある。
なので、「基本的に貴族は貴族としか結婚してはならない」と決まっているのだ。さらには、「結婚できるのは男性と女性である」と決まっている。魔力を持つ人間の存続が貴族制度の根拠だから、当然と言えば当然だ。
よって学園内でも、「恋愛をする場合、貴族は貴族同士、かつ男女でなければならない」と決められている。
まぁ決まっているからと言って、破っている人は案外いる。貴族と平民の恋は、そんなに珍しいものではない。しかし平民に対しては、次のように推奨されている。「平民が恋愛をする場合、相手は同じ平民かつ『同性』が望ましい。男女の恋愛は、卒業まですべきではない」というのだ。平民同士という部分は、貴族だって貴族同士と決まっているから、まぁ同じようなものだろう。でも、恋愛対象の性別が、貴族とは違うのだ。
貴族同士の男女であれば、仮に子供が出来た場合、未婚でも産む事が望まれるし、復学も出来る。しかし平民の男女であれば、出産するか否かは別として、退学となる。貴族と平民の場合は、平民のみ退学となる。その回避措置として、同性愛が推奨されているのだろうけど、ちょっと僕にはよく分からない。
僕は貴族だから、あんまり男同士とか女同士という恋愛関係には詳しくないのだ。それに平民同士の異性カップルも多い。そもそも避妊具が、各寮の自販機で売っているし。僕は使ったことがないけど……。
他には、貴族は全てのレベルの魔術を使用して良いが、平民は許可が必須で、許可を得た場合でもAランクまでしか使用してはいけないと定められている。後は、「科学文明時代の文献の閲覧制限」が代表的だ。科学技術についての知識は、貴族でなければ見ちゃ駄目なのである。
現在でも至る所で、天井の電灯とか科学技術は目にするが、ある一定のライン以上の科学については、平民の人々は学んでは行けない決まりなのだ。貴族であれば、希望者は、科学者になることが出来る。これはその昔、魔力を持つ人と持たない人で戦争が起きた時、持たない人々が科学を用いた兵器を使用したからだと言われている。その当時と比較すると、現在は大分科学が退行しているらしい。
ただし代わりに、魔術で補っている。代表例は、エネルギーだ。今は、魔力発電所が主流だ。ちなみにこの発電所を動かすためにも魔力を持つ魔術師が必要なので、貴族制度により魔術師の数が著しく減少することを防いでいるとされている。そう言う意味では、必ず魔力を持った人が生まれてくる血筋というのは重要らしい。
話を戻すが、まず、時永くんはあの日、こう言った。
「貴族と平民の恋愛を認めても良いんじゃないか?」
先にも述べたが、鏡味くんは否定した。
「馬鹿な冗談を言うな。駄目に決まっているだろ」
そしてひとしきり冗談として片づけるべく馬鹿にするように笑いながら持論を展開した。それが一区切りついたところで、音海くんが言った。
「いやぁ俺も時永の気持ちは分かるよ? 女の子はさぁ、貴族だろうが平民だろうが、みんな可愛いからな。でもさ、やっぱルールが違うからな。平民の女の子は、平民の女の子と愛し合ってる。女の子同士の恋愛っていうのは、神秘的で清純な感じがして、俺は好きだね。邪魔しちゃ駄目だわ」
すると陸瀬くんが反論したのだ。一言一句は覚えていないがこんな感じだった。
「平民同士の異性間交友の例も多いから、音海の認識は間違ってると思うよ。逆に言えば、貴族であっても同性愛者は少なくない。僕は時永の意見に賛成だ。はっきり言って魔力文明社会維持のために一定数の魔力の持ち主の確保の必要性は認める。だけどそうした労働力維持の手法として、特権の代わりに子供を産んで従事させようとする点がまず疑問だ。そこに結婚、さらには恋愛を結びつけて制度化するなんてナンセンス過ぎる。他の解決法を模索するべきだ。少なくとも百人に一人は魔力を持つ人間が生まれてくるんだ、貴族以外にも。貴族が存在しなくても、これまでの出生率から考えれば、魔力を持つ者は絶滅しない。貴族の血族を残すとしても、人工授精という手だてもある。代理母が魔力を持たなくとも、受精卵の父母が魔力を持っていれば、魔術師として生まれることは既に解明されているし。貴族制度を否定する気はないけど、それを理由に平民との恋愛を厳禁とすべきではないと思う。第一、恋愛とは労働力を増強するために行うものじゃないと僕は考えるよ。だから貴族と平民であっても、男女、同性同士、いずれの場合でも、双方の同意があってそこに恋愛感情があるならば、二人を恋人として認めるべきだ」
この後、音海くんが首を振ったのである。
「おいおい本気で言ってんのか? じゃあ何か? 貴族と平民の男同士も認めるって言うのか? さらには、貴族の男同士も? あり得ないだろ?」
「あり得るよ。現在の教育上、魔術師は貴族よりも魔力を持つ平民が圧倒的多数で、かつ平民を受け入れている学校では全て同性愛を推奨している。それも影響しているだろうけど、平民の性愛傾向としては異性愛者と同性愛者の比率では、同性愛者の方が多い。結果的にそれは、相手が貴族である場合も同様だ。社会に出た後も、平民の同性と内縁関係になっている貴族は多数いる。それが現実だよ。平民の同性との交際をする貴族が、貴族間に限ってのみ異性しか恋愛対象にしないというのは、変だ。貴族同士の同性愛だって存分にあり得る」
「待て。いいか? そもそも同性愛は、平民の文化だ。それに貴族が触れることがあっても、貴族同士でそれを行うことはあり得ないんだよ。いいか? 貴族の同性同士っていうのは、それぞれが別の異性と結婚して子供をなす事が義務だ。一方たりともその義務は放棄しちゃならない。かろうじて貴族と平民の同性愛であれば、平民を内縁関係とすることは出来る。でもな、貴族が貴族を内縁の配偶者とすることは、例え高位貴族が下位の貴族に対してだとしても許されないことだ
「だからそもそもその義務が間違ってるって言ってるんだ。大体、内縁とすること自体が間違いだ。相手が貴族同士であろうが平民であろうが同性であろうが、愛し合っているのならば、公的に認めさせて何が悪いの? 結婚だけが愛の形だとは思わないけど、僕は、浮気は反対だ。内縁の多くは、未婚ではなくて、配偶者がいるにもかかわらず別の恋人を作った際の関係を指してる」
まぁ、陸瀬くんと音海くんのやりとりは、こんな感じだった。
その後色々と、僕以外の四人は意見を述べた。その結果、二つの派閥が出来たのである。
まず時永くん。彼は、「貴族と平民の恋愛を許可するべき」である。そして陸瀬くんが、「貴族と平民、さらには同性同士であっても、全ての恋愛を許可するべき」である。
対抗馬、鏡味くん。彼は、「貴族と平民の恋愛は許可するべきではない」である。さらに音海くんが、「貴族と平民は勿論駄目、それと平民同士は良いが、貴族同士の同性愛は駄目だ」と述べたのだ。
この事から、僕は困っているのだ。
仮に時永くん達に賛同すれば、僕は間宮くんを認めたと言われたり、誤解が解けるかも知れないが、同時に「平民と貴族の恋愛及び、貴族同士の同性愛を認める」という事になる。
これは……僕の考え過ぎかも知れないが、『時永くん(貴族男性)と間宮くん(平民男性)の恋愛を認める』という意味と『時永くん(貴族男性)に、僕(貴族男性)が恋をしていた――なおいえば、可能ならば付き合いたい』と勘違いさせる事になるような気がするのだ。
前者だけなら良いが、後者は駄目だ。僕は時永くんを恋人だと思ったことはない。
そんな誤解をされたくない。
では、もしも鏡味くん達に賛同すれば、それは「平民と貴族の恋愛、貴族同士の同性愛を認めない」という事になる。これは……『時永くん(貴族男性)と間宮くん(平民男性)の恋愛は認められない』という風に思われるだろう。
一見、問題がなさそうなのだが、実はそうではないのだ。「僕(貴族男性)は、時永くんと付き合えない(貴族同士だからと言うよりは『ふられたから』)から、絶対に認めない」と捉えられているのだ。
つまり、どちらを選んでも、僕は『時永くんの事が好きだ』と言われそうなのだ。そう……僕はどちらかの派閥に賛同した時点で、『時永くんの元親友』よりもさらに最悪な『時永くんに失恋した人』になるのだ。
どころか既に一部では、『時永は空野をふって、間宮とつきあい始めた』とさえ言われているのだ。冗談ではない。告白していないのにふられた人の気持ちが分かる。さらには、告白する予定すらなかった相手に振られた形だ。
確かに僕はさ、カノジョがいない。恋人がいない。好きな女の子もいない。だけど、多分異性愛者だと思う。将来的には可愛いお嫁さんが欲しいと考えている。なのに、こんな噂を立てられて迷惑だ。
もしも「貴族と平民の恋愛を認める、ただし男女間に限る」という選択肢があるならば、僕はそれを推す。これならば、音海くんの主張とも食い違わないから、音海くんに話してみたことがある。だって音海くんは、女の子が好きだから良いと思ったのだ。
そうしたら……まさかの答えが返ってきたのだ……。
「それも駄目」
「どうして?」
「俺の好きな相手――あ、貴族だ。そいつがさ、平民の異性を好きなんだよ」
「な、なるほど」
「空野だって、時永が貴族だから告白しなかったんだろ?」
「え?」
「分かるよ。やっぱさ、相手のこと考えたら、出来ないよな、普通」
僕は目の前が真っ暗になった。音海くんは、僕と時永くんが付き合っていたことがないと知っているが、その理由を勘違いしていた。
「利己的ではあるけど、自分が相手を慮って我慢してるのに、覆されたらたまんねぇよなぁ。絶対許さない」
音海くんはそう言っていた。貴族同士なんだから付き合ってしまえばいいじゃないかと僕は思ったけど、言わないでおいた。言わなくて良かったと今は理解している。
何せ僕は、音海くんは女の子が大好きだから、当然好きな貴族とは異性だと思っていたし、好きな女の子に別の好きな男の子がいるから反対していると考えていたのだ。しかし違ったのだ。
僕が音海くんから暴露されたのは、先週のことである。
先週僕は、図書委員会の仕事として、放課後に第二図書館に向かった。第二図書館は、貴族しか入れないから、担当委員も貴族だけだ。
そして貴族の大半は、「貴族には勉強など必要ない」と考えているし、勉強関係でない書籍は第一図書館の蔵書なので、第二図書館には、めったに生徒がいない。だから第二図書館には司書さんもいない。担当委員もさぼり放題だ。正直なところ、僕もさぼりまくっている。
ただ最近、学校中の視線が痛いので、先週は逃亡先に選んだのだ。
そうしたら……そこに音海くん達がいたのだ。
図書館内は広いので、扉の開閉音も聞こえなかったのだと思う。ぶらぶらと歩いていた僕は、奥まった場所で、深々とキスしている二人を見つけた。
音海くんは、片腕で陸瀬くんの腰を抱き寄せ、もう一方の手で顎を掴み、ディープキスしていたのだ。目を見開き、僕は硬直した。
勿論……二人は男同士である。貴族でもある。
陸瀬くんは砂色の髪と瞳をしていて、色素が薄く、色白だ。小柄ではないが、華奢だ。
一方の音海くんは、赤を混ぜ込んだ黒に染めていて、猫のような目をしている。そこそこ背が高い。彼は思いっきり陸瀬くんを抱き込んでいた。
「――陸瀬、それで告白は上手くいったのか?」
「……」
「どっちにしろ、『男』は俺だけなんだろうな?」
「……」
「俺は、お前だけなんだけど?」
「……」
「それとも、やっぱお前……男と浮気してんの? それとも俺が浮気相手? どぉなの?」
肩で息をしている陸瀬くんは、苦しそうで何も言えないようだった。唇が離れるとすぐに、ぐったりと音海くんの腕の中に倒れ込み、額を彼の胸にくっつけていた。潤んだ瞳の陸瀬くんの横顔と、赤くなった頬を見て、僕の頭は高速で回転した。一刻も早く気づかれないようにこの場から立ち去るべきだ。
しかし……後退った瞬間、音海くんが僕を見たのだ。目が合ってしまったのだ……。反射的に僕は作り笑いを浮かべ、人差し指を顔の前に立てた。静かにしましょうポーズを取った後、意味深に大きく頷き、それとなく踵を返してしばし歩いた。その後、遠ざかってから全力疾走して逃げたのである。
その翌日、音海くんが僕を呼び止めて、事情を話したのだ。
「俺さ……ずっと陸瀬の事好きだったんだよ。でも、男同士で貴族同士だから、結婚はおろか、そもそも恋人になれないだろ? だから耐えまくってるわけ。なのにあいつ俺の気も知らないで……」
キスをする関係なのに、耐えているのだろうか……?
僕には、何を耐えているのか分からなかったが、とりあえず頷いておいた。
音海くんは、「とにかく陸瀬は、平民の女子に恋をしているらしいから、成就は阻止する。貴族の女子なら勝ち目無いけど、平民女子と貴族男子は、どっちも条件的には恋愛不可だからな」と語っていた。
「平民女子って誰なの?」
「教えてくれ無いの。逆に、聞いてくれない?」
そんなやりとりをして音海くんと僕は別れた。
そして僕は、陸瀬くんに聞いてみることにした。実は、陸瀬くんも、図書委員会なのだ。だから定例会議の帰り道で一緒になった三日後に、それとなく尋ねたのだ。
「陸瀬くんってさ……好きな人いる?」
「どうして?」
「えっと……」
思えば、全くそれとなくじゃなかった。僕は、直球で聞いていた……。
「そ、そろそろ僕も、議題に関して意見を、そ、その……表明するべきかなと思って……ほ、ほら? 陸瀬くんの主張的に、『貴族と平民の恋愛や同性同士も認めるべき』だから、もしかして、そ、そうなのかなぁ、って?」
「僕は私情を意見に挟んだわけじゃないよ」
「だ、だよね。ご、ごめん……」
「――空野、本当は君、『貴族同士の同性愛』について聞きたいんじゃないの?」
「ち、違うよ! 僕は、誓って時永くんとはそういう関係じゃないし――」
「分かってるよ。第二図書館で、僕と音海の事、見たんでしょ?」
「っ、あ」
「僕と音海は、付き合ってないよ。恋人じゃない」
「そ、そっか……」
普段と全く同じ無表情で、陸瀬くんは告げた。だから僕は曖昧に頷きながらも、どこかで納得していた。
「でも肉体関係を持ってるし、僕は音海を愛してる」
だから続いた言葉に、思いっきり咽せてしまった。そもそも僕は、音海の叶わぬ片思いだと思っていたし、二人が肉体関係にあるだなんて、考えたことはなかったからだ。
「音海は、お互いに他の貴族女性と結婚しなければならないから、つきあえないし恋人にはなれないって言うんだ」
「そ、そう……」
「僕は一言もそんなことを尋ねていないのに、いつもそう言うんだ」
「へ、へぇ……」
「だから、このまえ平民の女の子に告白された時に、音海に言ったんだ。『法律で結婚できないことになっているけど、それでも僕を好きだと言ってくれる人がいて、付き合いたいし恋人になりたいと言ってくれてる』って。他にも、その子を褒め称えてみた。以来音海は、僕が平民の女の子に恋をしたと勘違いしてるんだ」
「なるほど……」
「自分は、いつもいつもいっつもいっつもいっつも、僕に、他の女の子とデートしてきたとか話していたくせに、逆のことをされた途端、激怒してる。僕の気持ちが、少しくらいは分かったかな。思い知ればいいのに。貴族同士の同性愛を隠すためだとか色々口実にしてたけど、僕からすれば、これまでに音海が、僕を抱きながら他の女性と付き合ったのは、全部浮気だ」
「……」
「僕は今回の件で、音海がきちんと僕との関係を認めて公言しない限り、許さないつもりだよ。音海は、僕のためだって言ってるけど、僕はそうは思えない。だから空野は別にどちらかに同意しなくても良いよ。音海が、僕側に下れば解決する問題だからね」
とりあえずその日は、笑顔で別かれておいた。二人の仲も応援しておいた。
……そ、そうなのだ、音海くんと陸瀬くんは、両思いの貴族同性カップルといって差し支えのない仲だったのだ……。女好きの音海くんとストイックな陸瀬くんが……。なんというか、信じられないがキス現場を目撃したので、信じるしかない。
つまり、この二人の場合で言うと。
好きな相手の今後を考えて身をひいた音海くん。
好きな相手との関係を公表するために動いている陸瀬くん。
多少すれ違ってはいるが、こういう事なのだ。
相思相愛だと再確認し合えば、恐らく音海くんは、もうちょっとは軟化するだろう。
時永くんと間宮くんに関して、二人が恋人関係だという確固たる情報はないが、もしそちらも事実であれば、クラスに五人の貴族中すでに三人が同性との恋愛関係という事になる。
こうなってくると、気になるのは、鏡味の動向だ。
僕は同性とも異性とも恋人関係にはない。
しかし彼はどうなのだろうか?
鏡味くんは、金色の髪に緑色の瞳をしている。外見は異国情緒に溢れているが、大変小柄だ。そして、そこら辺にいる女の子よりも、可愛い。同性愛にはピンと来ない僕であるが、それでも中等部時代に何度か、鏡味に恋をしているという男子の話を耳にしたことがある。
恐らくだが、鏡味くんの本音は『貴族も平民も同性愛禁止、特に男同士!』じゃないんだろうか……。
怒ると非常に怖いし、顔も怖いけど、鏡味くんは男の子にモテるのだ……。まぁ僕だって、もし絶対に男と付き合わなきゃならないとしたら、鏡味くんみたいに可愛い人が良い。ただ……最近、そうも言いきれないような気もするのだ……。
実は、ひっそりと、本当にひっそりとなんだけど……鏡味くんと……間宮くんが抱き合っているところを見てしまったのだ……。
清掃の時間に、ゴミを出しに行ったら……二人が抱き合っていて、離れるところだったのだ。正確に言うなら、間宮くんが鏡味くんを抱きしめて、ちょっとしてから鏡味くんが抵抗して離れたのだ……。
間宮くんは非常に長身で体格が良く、男らしい。その力強い腕で、細すぎる鏡味くんを抱きしめていたのである。その時聞こえてきたのはこんな会話だ。
「鏡味、俺、お前のことが好きだ。愛してる」
「……馬鹿野郎。俺は、貴族だぞ……それに俺は、お前の事なんて……」
「だよな……分かってる、お前は俺のことが嫌いだって知ってる」
「……違う馬鹿。これだから馬鹿は嫌いなんだ」
「?」
「俺だってお前のこと……でも、現実的に無理だろ……」
「鏡味……!」
「好きすぎて辛いんだよ、だからもう、止めてくれ」
「けど」
「駄目だって決まってるんだ」
僕はその場を気づかれないように後にした。だけどこれって、あれである、その、ようするに、僕の認識に間違いがなければ、二人は両思いであると言うことだ。彼らこそが、貴族と平民の同性愛カップルだったのだ。まだ付き合っていないかも知れないけど。
即ち、この事実が指し示すのは、間宮くんと時永くんが本当に何でもないと仮定したとしてだが、間宮くんと鏡味くんが相思相愛だと言うことである。鏡味くんは、誰よりも貴族らしい貴族だから、自分の恋心を押し殺していると言うことだ……。少なくとも、間宮くんは、鏡味くんの事が好きらしいのだ……。
ここで、問題となるのは、時永くんの気持ちである。
時永くんが間宮くんを好きだというのは濃厚な説だ。
だとすれば、時永くんは、失恋してしまうのだ……。
だから、僕が時永くん派に属したら、まわりまわって考えれば、時永くんは切ない事態となってしまう。ならば、陸瀬くんの言うとおり、音海くんが折れるのを待って、その結果として陸瀬&音海と間宮&鏡味の二組が出来るのを待つ方が、良いような気がするのだ。それならば、僕は時永くんを邪魔することにはならない。
確かに僕は、時永くんとは親友ではなかったようだけど、それでも友達じゃないわけではないし、僕は時永くんを大切な友人だと思っていることに変わりはない。僕は、彼が失恋するところを見たくない。
ということで、僕は本日も、どっちつかずの姿勢を取ることになる。だから早くチャイムが鳴ることを祈るのだ。終われ……終われ……時間よ、早く過ぎ去れ!
「よし、一つ一つ話そう。空野、お前は同性愛は反対か?」
その時、時永くんに言われた。僕をご指名だ。我ながら頬が引きつっていくのが分かる。反対か否かといわれて……この問いに関しては、僕以外の全員が、賛成だと知っているのに、反対する勇気なんか、僕にはない……。そして僕自身には反対するほどの理由もない。
「個人の自由じゃないかな」
震えそうになる声を必死で諫めながら答えると、時永くんが目を細めた。
「お前個人としては?」
「……ど、どうだろ……特に偏見はないよ……」
「これまでに同性を好きになった経験は?」
「無いけど……」
「だろうな。お前には、俺の気持ちは分からないだろうな」
呟くように時永くんが言った。確かに僕は、彼の気持ちが分からない。時永くんの瞳が冷ややかになった気がした。さらには、教室の温度が下がったように思えた。何故なのか、みんな、哀れむように僕達を見ている気がする……。
もしかしたら、僕の言葉には信憑性がないのかも知れない。
偏見があるように聞こえるのだろうか。
必死に考えた末に、僕は思い当たって続けた。
「僕自身は好きになった事はないけど、同性に告白されたことはあるよ!」
精一杯僕は言った。すると時永くんが目を見開いた。虚をつかれたように息を飲んでいる。大きな黒い瞳が、呆気にとられたように僕を見据えている。
ま、まぁ確かに、僕はモテないので、告白されたなんて言っても嘘くさいのかも知れないけど、これは真実だ。
高一の終わり、この前の三月の話だ。「時永と別れたの?」と聞かれて「付き合ってないけど」と答えたら「俺と付き合って」と言われたのだ。本当だ。それも、数人、似たようなことを言って似たような告白をしてきたのだ。
「どこの誰にいつなんて言われたんだ?」
その時、ゾッとするような声がした。瞬間的に、教室の気温が下がった気がした。
見れば、非常に冷ややかな怖い顔で、時永くんが僕をじっと見ていた。
――疑っているのだろうか?
僕は狼狽えてしまった。時永くんは、それから小さく唇の両端を持ち上げた。笑っているのだろうけど、僕は知ってる。これは、彼が激怒した時の表情だ……。
あれだろうか、自分の恋が上手くいっていないから、こういう話は聞きたくないと言うことだろうか……?
時永くんも、間宮くんには他に想い人がいると知っているのかな……?
話を変えた方が良いかも知れない……。
時永くんの逆鱗に触れるべきではない……。
「それは兎も角、同性愛は反対じゃないよ……! 個人の自由だよ! げ、現時点では僕には気持ちが分からないけど、長い一生の内いつか分かるかも知れないし……! 一つ一つって、他は?」
「――同性に告白されたが気持ちは分からないと言うことは、少なくとも恋愛関係になっていないと言うことで良いんだな?」
「勿論!」
「……もう一つは、貴族と平民の恋だ」
「それも個人の自由で良いんじゃないかな?」
「お前に告白してきた男は、平民か?」
「六人が平民で、貴族が三人で、どっちかわからない人が二人だけど」
「十一人?」
「うん、まぁ」
「ふざけるな!」
バンっと音がした。驚愕して、僕は両腕で体を抱いた。激昂しないことに定評がある時永くんが、両手で机を叩いたのだ。え。何事だ……?
「何で俺に言わなかった?」
「えっ、聞かれなかったし……」
「空野、言うべきだとは微塵も考えなかったのか?」
「うん」
「どうして?」
「どうしてって……だって、時永くんは忙しそうだし……」
「俺は、お前に好きだと言ったよな?」
「え? う、うん」
言われたことは何度もある。
特に中三の頃は、毎日のように言われていた。
だから僕は、うっかり大親友になったのだと勘違いしてしまったのだ。
「お前のことが一番大切だと、しっかりと伝えたよな?」
「それは……」
「それは、なんだ?」
「……だから、その……」
間宮くんの入学前のことだと、僕は主張したい。今は違うじゃないか! だけどそんな事を言ったら、またおかしな噂が盛り上がってしまうので、言わない方が良いだろう。僕は俯いて、時永くんの視線から逃れた。
「まさか俺が、間宮と自分を比較してる訳じゃないだろうな?」
「……」
「間宮は俺の親友だ。以前にもそう伝えただろう? 空野を親友だと思えないとも言っただろう?」
「うん……分かってるよ……比較してないし、間宮くんと時永くんは良い親友だと思うし、僕自身、時永くんと親友だとは考えてないよ……言われなくても、僕にだって分別はあるよ……」
一応、僕にだってプライドはあるのだ。
僕は、僕自身を、ある程度客観視できると自負している。
正直に言えば、僕は、僕と間宮くんを比較したことがある。
まず第一に、容姿。
長身で肩幅が広く筋肉質で男前の間宮くん。
身長は平均中の平均で、なで肩で、筋肉がつかない体質の僕。貧弱の代表例だ。特に腰回りが、いくら頑張っても細すぎる。女性のSサイズですらゆるい。顔面に関しては、僕は非常に、中性的だと言われる。女の子っぽいわけではないが、男っぽさもないらしい。
第二に性格。間宮くんは、思ったことを言動に出す方だ。だけど根本的に人に優しいし、気遣いの出来る人だ。だから時永くんと喧嘩も出来るし、僕に対して申し訳なさそうな顔をしたりするのだ。僕に対しては、彼の思いこみだけど。
一方の僕は、動揺すると挙動不審になるが、極力言動には出さないように気をつけている。作り笑い立八割程度だ。貴族って言うのは、そう言うものである。そして僕は、他人に厳しく自分に優しいタイプだ。気遣いをする場合、九割近く自分のためである。気を遣っている自分を演出しているだけだし、自分の立場が悪くならないように他者に対する配慮をしているだけだ。もうこの時点で、間宮くんに対して、完敗である。
第三に勉強面。これは、僕は暗記が得意なので、何とか学年上位である。本気で勉強した中三の時は、時永くんに続く成績だった。そして勉強していない現在でも、一応張り出される噛みに、僕の名前は載っていることが多い。貴族の大半の名前は載らないので、貴族で名前が掲載されているのは時永くんと僕だけといっても過言ではない。なお間宮くんは、あんまり勉強が出来ない。この点だけは、僕の圧勝だ。
第四に運動神経だが、こちらは僕の完敗である。間宮くんは細マッチョだ。僕は細いだけで筋肉がない。骨ばかりでもないが、陸上部女子の方が僕より上腕二頭筋が発達している……。僕が間宮くんより上手に出来る運動は、マット運動のみだ。僕は柔軟が得意だ。前方倒立回転飛びとかバク転とかなら、なんとか対抗できる。あと、僕は案外瞬発力があるようで、短距離走がそこそこ得意だ。
だから、50mくらいであれば、クラス内でも良い成績を出せる。特に走り幅跳びであれば、学年でも上位だ。ちなみに球技は一切駄目である。水泳もかなり駄目。ウィンタースポーツは、ちょこっとだけできる程度だ。なお、間宮くんは、全てのスポーツが得意である様子だ。
最後の第五番目として、なんといっても魔力を用いた魔術の実技がある。
貴族の貴族たる所以として、貴族は魔力を生まれながらに持っている。そして受け継ぐ鬱良さの平均値で、貴族の家格は定められた歴史がある。侯爵家と伯爵家の間の超えられない差は、魔力量だ。技量は何とかなっても、潜在魔力量はどうにもならない。貴族と平民の間もそうだ。
しかし間宮くんは、平民ながらに、侯爵家の時永くんに匹敵する力を持つのだ。僕よりもずっとすごいのだ。僕は伯爵家としてはまぁまぁで、それを子供に遺伝させられる。彼は、子供に遺伝させられない。この違いしか、僕に有利な点はない。僕達の二者間だけで見るならば、間宮くんは僕よりずっと優れているのだ。
というように、こうして考えてみた時、僕は間宮くんよりも劣っている点の方が多く、勝っているのは勉強面だけなのだ。そして勉強は、平民には許されない科目の方が多いし、小さい頃から叩き込まれてきた僕の方が、テストの点が良いというのは、客観的に考えて当然である……。この点ですら、小さい頃から全く同じ境遇で同じ教育を受けてきたとしたら、僕が勝てるか不明なのだ……。何の自慢にもならない……。
そういった分別をきちんと僕は出来る。そして才能ある間宮くんが、優れた時永くんの親友のポジションにある事は、当然だと考えられる。僕が選ばれなくても仕方ない。
「空野」
時永くんが怖い顔で声を出した。我に返って、僕は顔を上げた。
「お前は俺の親友じゃない。間宮は俺の親友だ。でも、俺が一番大切なのは、お前だ。これがどういう意味か、分かってるんだよな?」
「え……ええと……」
僕は言葉に詰まった。実は、はっきりいって、さっぱり意味が分からないのだ。この言葉を言われたのは、三回目である。
「お前は貴族同士の恋愛も同性愛も個人の自由だと言ったな?」
「う、うん」
「つまりお前は、お前自身の意志として、貴族の同性と恋愛する気は起きないと宣言しているって事で良いのか? ようするに、俺はお前の恋人には相応しくないって事か?」
「……時永くん?」
「俺が最初に好きだと言った時、お前は、『僕も好きだよ』と言ってくれたな?」
「うん」
「間宮と親友になっても不快だとは思わないと言ったな?」
「うん」
「この二つの言葉は、同じ心境から発した言葉か?」
「そうだけど……?」
「つまり、俺のことを『友達として好きだ』という意味だろう?」
「……」
「俺は、恋愛的な意味合いで、両思いの『好き』だと思ったし、間宮に関しては、『間宮はただの友達であり、自分は恋人だと理解している』から良いと言ったんだと考えていた」
「……」
「お前に、何でも話して欲しいと言ったよな? 勿論、『俺は空野の恋人だから』という意味だ。恋人として、他の人間に告白されたら報告を受けて当然だと俺は考える。でも、お前は俺を恋人だとは思っていないわけだろう? お前には俺の恋人だという自覚はないし、俺を恋人だと全く思っていなかったって事だ。だから報告する必要性を感じなかったんだろう。違うか?」
「……」
違わない。僕は、時永くんが僕の恋人だと思ったことは無い……。だけど時永くんは今、見るからに激怒しているので、そんな本音は言わないべきだ……。
いや、待て、そもそも、そもそもである。時永くんは、僕のことを、恋人だと思っていたのだろうか? え?
「俺は恋愛対象であるお前を親友とは見ることが出来ないと言ったんだ。でもお前は、そうは取らなかったんじゃないのか?」
「……まさかとは思うんだけど、時永くんは、もしかして僕のことが好きなの?」
意を決して僕は聞いた。
すると時永くんが瞼を閉じた。
眉間に皺を刻んでいる。
そして――教室には、奇妙な空気が流れた。
少し間をおいてから、周囲がざわついた。
おろおろした僕の腕を、その時、鏡味くんが引いた。
「お、おい?」
「何?」
「空野、お前まさか……誤解からきた間宮に対する当てつけでも何でもなくて、本気で……本気で、その……本気で、言ってるのか?」
「何を?」
「何って……何って、だ、だから……」
「ええええええええええええええええええ! 時永の事、真面目に何とも思ってなかった? はあああああああああ?」
逆の腕を、音海くんに引っ張られた。そのまま僕は、二人に両腕をそれぞれ引っ張られた。クラスにはざわざわがどんどん広がっていく。みんな口々に「信じられない」と言っている。何がだろうか……。僕こそ信じられないよ……!
「二人とも、止めなよ。空野が困ってるよ」
そこへ陸瀬くんが声をかけてくれた。僕を救出してくれた彼は、真正面からじっと僕を見る。僕と彼は同じくらいの身長だ。
「ねぇ、空野」
「ん?」
「空野は、時永の事、嫌い?」
「嫌いじゃないよ」
「それは、嫌いですらなくて興味がないって事? それとも、好き?」
「好きだよ!」
「じゃあ、両思いだね」
「えっ……で、でも……好きだけど、その――」
「空野は、恋愛をしたこと、ある?」
「ないけど……」
「じゃあ時永に教えてもらわないとならないよ」
「え?」
「教えてもらうために、貴族同士の同性愛を許可する方に賛成すべきだ。だから、僕と時永の案に賛成してくれるよね? 知らないのに拒否するべきじゃないし、知るためには賛成しないと機会が得られない。合理的に考えて、賛成して、経験するべきだ」
「そ、そうかな……?」
果たして合理的なのだろうか? 僕は混乱してしまった。
「音海、僕と君のことを取り置くとして、さらに間宮と鏡味のことも取り置いて、客観的に考えて、あんまりにも時永が不憫すぎるから、一時休戦しない? そもそも、恋愛経験がない人に、恋愛に関する審議をさせるのは可哀想だよ」
「ちょっと待て陸瀬。別に俺と間宮は取り置くような間柄じゃない! 都合の良い方に持っていくな! 良いんだよ、どうせ見合い結婚するんだから、学生時代に恋愛なんてしなくたって、俺達貴族は、どうとでもなるんだ! 同性愛の経験は不要だ!」
「じゃあ鏡味は、時永と空野の関係に反対なの? 中等部時代も、去年だって、二人を応援してるから、間宮を近づけないべきだってスタンスじゃなかったの? 二人の共通の友人代表は君じゃないの?」
「それは、そ、そうだけど……勿論……両思いだったら反対しない……いつか別れるとしても。でも違うなら話は別だ。違うなら、そもそも恋をしない方が良い。辛いだろ。止めるのも友情だ」
「音海も同じ意見?」
「……か、片思いとはなぁ……あー……」
音海くんは、引きつった顔で笑っていた。鏡味くんはきつく目を閉じて顔を背けている。
それから暫くして、ふと音海くんが手を叩いた。
「あれ? でも、時永さぁ、空野とヤった事あるんじゃねぇの?」
「そ、そうだ! 言ってただろうがお前!」
鏡味くんもまた声を上げた。陸瀬くんが二人の声に唇を撫でる。そして三人の視線が、時永くんへと向かった。するとやっと時永くんが目を開けた。それから僕を一瞥した。
「俺と空野の認識には、多大なる相異とズレがあるようだから、一致させるまでは答えられないな」
時永くんがそう言った直後、やっとチャイムが鳴った。
「帰るぞ、空野」
「あ、うん。バイバイ、また!」
「お前も一緒に帰るんだ!」
立ち上がった時永くんが、僕に歩み寄ってきて、強引に手首を掴んだ。こんなことはめったにないので狼狽える。
「何せ認識を一致させないとならないからな! 告白の件も詳しく聞かせてもらう」
慌てて僕は、鞄を手に取った。そして、引っ張られるがままに、教室の外へと出た。
寮に帰るまでの間、時永くんは無言だった。無表情でもあった。僕も何も言葉が見つからなかったので、会話はない。僕達は、高等部に入ってから、寮で同じ部屋だ。だから一緒に玄関をくぐった。
靴を脱ぎ、共通のリビングへと出て、すぐに僕はソファに鞄を置いた。そんな僕の前で、時永くんはネクタイを緩めながら、目を細めてチラチラ僕を見ていた。不機嫌なのがよく分かる。
――こういう時は、『口で』するべきだ。僕はこの一年と少しの間に学んだ。
「と、時永くん……! さ、触らせて!」
「……」
僕は彼のベルトに手をかけた。時永くんは無言のまま、冷たい目で僕を見下ろしている。僕は目を合わせないようにしながら、彼の下衣を脱がせた。それから時永くんの陰茎を両手で掴み、舌で先端を舐める。カリ周辺もペロペロなめてから、口に陰茎を含んだ。
男子二人きりの寮部屋だから、自慰に困るので、抜き合いをするのだ。中等部時代の僕は、運良く一人部屋だったのでやった事は無かったが、高等部に入り昨年時永くんと同じ部屋になってからは、このようにしてお互いに手伝っている。
一番最初に二人で抜き合いをしたのは、中等部時代だけど。中三の秋に、時永くんが一緒に勉強するために僕の部屋に来た時だ。あの日、「一人部屋は羨ましいが、二人部屋で過ごしている他の生徒は互いにイかせあっている」と時永くんが言った。場合によっては、部屋替えをして行っているとも付け足していた。
そして「一番仲の良い相手同士はイかせあうものだ」「俺達はお互いに一番親しい」「俺達はイかせあうべきだ」という論法で、僕を納得させながら、彼は押し倒してきたのである。僕は、『一番親しい』という言葉に浮かれていた。
時永くんに嫌われたくなかったし、男同士の親友ならば抜き合いは普通なのだろうと理解したため、積極的な行動に出ることにした。僕も、男同士で抜き合いをするという話を聞いたことがあったからだ。
僕が一人部屋だったから知らないだけで、それが普通なのだと思った。だから僕も、時永くんの陰茎を触り返したのだ。以後、時永くんはかなり頻繁に僕の部屋に来るようになって、ほぼ100%二人で抜き合いをした。最初はお互いに手淫をしていたが、いつしか口でするようになった。麗しい端正な顔の時永くんにお願いされたら、僕は口淫するのを断れなかった。
優しく柔和な顔で僕に、どこをどうすれば良いか時永くんは言うのだが、案外、思い返せばスパルタ教育だった。最初は「空野の手に握られてるだけで出る」だとか「舐められてるだけでヤバイ」とか「口に入った瞬間イった」とかそういう感じだったのに、徐々に徐々に僕は、時永くんの好みに合うように教えられていった気がする。そして最初の頃は、時永くんも僕の陰茎を舐めるのが好きだった。
好きというか、それに熱心だった。だけど数回目からは、彼は僕の後ろの穴の中に指を突っ込むことに熱心になった。当初、僕は尋常ではなく狼狽えて抵抗したが、「みんなやってることだから」と説得され、「聞いたこと無い!」「それは秘密でやってるからだ」というやりとりのすえ、彼に同意することになった。
手順としては、まず魔法薬のお茶を飲む。これには体内を浄化する佐用がある。そして平民間で推奨されている魔法薬ローションを穴の中に塗って、解すと同時に内部を清浄化するのだ。お茶で汚物類は消える。
ローションで有害なばい菌なども消えるし、痛みも消えて、適度に弛緩するのだ。行為後には括約筋を元に戻す、体を治癒させる塗り薬も存在する。それは兎も角、はじめは時永くんの小指一本から始まり、人差し指、人差し指と中指、と、どんどん本数が増えていった。第一関節まで、第二関節まで、指全部が入ると、次の指に移る。
受験当日までの間に、僕の体は、時永くんの指三本をバラバラに動かせるくらいまで慣らされた。そして受験の日、自己採点のために学校へ出かけた後、復習をすると言って二人で僕の部屋へ行った。実際には復習よりも、採点の結果的に二人とも高等部へ無事進学できるという事実を、僕何よりも喜んでいた。
そうしたら「お祝いをしよう」という事になって、その……時永くんは、僕を押し倒したのである。いつもなら僕が口でして、時永くんは指で弄るのだ。しかしこの日、時永くんは、僕に突っ込んだのである。
いくら慣らされていたからとはいえ、ローションなどがあったからとはいえ、痛みも少しはあった。だけど僕も、高等部入学決定と言うことで盛り上がっていたし、お祝いだからこういう事もあると思ったのだ。
ちなみに貴族特権で、高等部入寮時には、希望があれば相手を指名できる。貴族は基本的に二人部屋だ。貴族同士のことが多いが、平民を指名しても良い。一応毎年、部屋変えの希望も出せる。そして高一の年、時永くんの誘いで、僕は一人部屋から時永くんとの二人部屋へと移ることにした。
二人部屋といっても、共通スペースがある以外は、それぞれに単独の部屋がある。平民の場合は、基本的には四人一部屋で、二段ベッドらしいが、貴族用の部屋は違うのだ。これも格差だと良く問題になる。
そして親友でないことが発覚したとはいえ、別段二年になる際も、部屋の変更を僕も時永くんも希望しなかったので、今も同じ部屋で過ごしている。つまり時永くんと間宮くんが親友になって以後も、僕と時永くんは同じ部屋なのだ。だから当然、抜き合いもしているのだ。
実を言うと、最近僕は、あんまりやりたくない。昔は、熱心すぎるほど時永くんは僕の陰茎をフェラしたり、後ろの穴を指で念入りに解した。それから挿入するようになった。
だけど最近は、僕がまずローションをつけたローターを、自分で後ろの穴にいれるのだ。そして解れた頃を見計らい、時永くんの陰茎を手や口で大きくして、ゴムをかぶせてそちらにもローションをつけて、僕から内部にいれているのだ。
これは、鏡味くんの助言による。「時永くんと一番仲の良いポジションをキープするためには、積極的に行かなければ駄目だ。自分で押し倒して乗っかるくらいじゃないと駄目だ。押し倒されるのを待ってばかりいては何も始まらない」というように、まだ僕が親友だと認識されていた頃に言われたのだ。
その当時は、考えてみれば、いつも時永くんの好きにさせていた。そして僕は、時永くんと一番仲が良い親友は自分だと信じていたから、鏡味くんの助言に従ったのだ。いつでも時永くんが挿れられるように体を解して起きつつ、彼の体を勃起させるという行動に出たのだ。
彼が勃起し、僕がその上に乗った後は、日による。僕が動いてみることもあるが、大体はそこまで準備して根本まで入れば、ガンガン腰を振って時永くんは果てるのだ。ちなみに頻度は、中三後半から高一前半までは毎日だったが、高一前半から高一の後半にかけては三日に一回程度に減った。
その減少は、僕側から仕掛けるようになってから、顕著だ。そして高二になってからは週一程度になり、現状では二週間ぶりというかかなり不定期かつめったになくなってしまったのだ。僕としては、無くなりつつあることに賛成だ。本来一番親しい友人とすべき事だから、時永くんは僕よりも間宮くんとやりたいはずだからだ。
もう一点であるが、他に親しい相手がいるならば、寮の同室者だからと言って必ず相手にしなきゃならないという規則はないのだ。僕は時永くんに無理矢理抜き合いを強制したり出来ない。それに時永くんに拒否の言葉をわざわざ言ってもらうのも申し訳ない。だからそれとなくそれとなく、寮内での接触場面を減らしたのだ。
まず高一秋から、時永くんは間宮くんと朝練を開始した。最初の頃は、起床時間は同じにして、ご飯を一緒に食べた後、僕は見送っていた。時には間宮くんが朝食に来ることもあった。寮室ごとに自炊可能だから、朝練組は自炊なのだ。
貴族は本来自炊などしない。だけど僕は、初等部時代にずっと料理の塾に通わされていたので、一通り基礎は出来る。だから僕が作って、時永くんと間宮くんに振る舞っていた。
しかしこれを、二人分だけ用意して、僕は同席しない形にしたのだ。二人には悪いので、「僕もクラブ活動で朝練することになったんだけど、二人より早いからお弁当にする!」と伝えた。そして早々に家を出ることにしたのである。結果として、朝、間宮は勿論、時永と過ごす時間は激減した。
昼食に関しては、食べる位置が皆、バラバラになっていったことは伝えたと思う。
なおこちらは、自炊によるお弁当、購買部、学食から選べる。一応、学内には、コンビニやスーパーがあるのだが、教室からは遠い。その為、購買部に購入物を依頼し、昼に届けてもらう形になる。学食は、食堂で食べることだし、自炊はそのままだ。ちなみに僕は、お弁当を作っている。
そして時永くんは、僕の作ったお弁当を持っていきたいと希望する。朝食を最初三人で食べていた流れから、間宮くんにも僕はお弁当を望まれた。よって僕は、毎朝、お弁当を三つ作っている。だから離れた席で食べているが、僕のお弁当の内容と、あちら二人の内容は同一だ。
しかし周囲は、いつも同じ内容のお弁当を並んで食べている時永くんと間宮くんは、「愛妻弁当を作り合っているカップル」と捉えることが出来ると考えているらしい。僕はその噂を知ってから、二人のお弁当の中身は変えなかったが、自分のお弁当だけちょっと変えた。
二人のお弁当に、サッカーボールのおにぎりを作る時、僕は自分用にはさんかくおむすびとしたのである。まぁ学内では他にも、二人は一緒にいるし、僕はそれとは一緒にいなかったしでバラバラだ。
問題は放課後である。誓って言うが僕達は喧嘩も何もしていないので、これまで通り理由がないなら一緒に食事をするのが普通なのだ。だから夕食だけは、毎晩一緒で、僕が作った。寝室はそれぞれにあるが、バストイレは共同だから、食後それぞれが入浴などをすませる。基本的には、僕が料理をしている間に時永くんがお風呂に入る。僕がお風呂に入っている間に、時永くんが食事の後かたづけや皿洗いをしているという分担だ。
この後、時永くんの部屋で行為が行われる場合は、長丁場だった。全て時永くんにまかせて寝っ転がっていた僕は、朝まで寝かせてもらえない日々が続いていた。
しかし、現在は違う。僕の部屋で行うから、僕が事前に仕込んでいたローションとゴムしかないので、それを使ったら終わりだ。時永くんの部屋と違って、僕の部屋は有限である。
なおかつ、『今日は絶対ヤりたい』という合図として、時永くんは、そう言う日は夕食の時に『今夜、一緒に寝たい』と言う。彼がそう言った日だけ、僕は現在対応している。「僕の部屋で待ってる」と返しておくのだ。以前は意味に気づかず彼の部屋に行って、朝まで眠らせてもらえなかったものである。
このようにして、僕達の抜き合いは激減したわけだ。学期途中の部屋替えは出来ないから、来年までは我慢してもらわないとならない。その間は、精一杯、僕に出来ることはするつもりだ。
必死で両手で彼の陰茎を支えながら、僕は唇を動かした。
きちんと反応して固くなっているし、先走りの液も出ている。唇だけじゃなくて、膝だち状態で、僕は手も動かしている。なのに時折見上げてみるが、時永くんは相変わらず不機嫌そうなままだ。いつもは大体、口ですれば機嫌が直るのに……。
「っ、は」
息継ぎで口を離した。大きいし長いし、正直あごが痛くなってしまうのだ。
するとその時、握っていた指先に、時永くんが僕の手首を掴んだ感覚が伝わった。
「もういい」
「あっ……でも、今日、後ろ慣らしてないから……口でイってもらえないかな?」
「別に構わない。ずっと聞こうと思っていたんだけどな、後ろを慣らしていたのは、さっさと終わらすためか?」
「え? 違うよ、時永くんに手間をかけさせずに気持ち良くなってもらうためだよ!」
「なんで?」
「なんでって……親しいからこういう事をするわけで、本当は他の相手としたいのに出来ないんだから、その点に配慮すると、僕が努力するべきだ」
「他の相手? それは俺の相手という意味だよな? 誰だ?」
「間宮くん」
「間宮は親友だ。俺はそう言ったし、お前も理解してるんだろ?」
「うん。だから本当は、間宮くんと抜き合いをすべきだ」
「……抜き合い。ようするに俺とお前の行為は、親友同士の抜き合いと言うことか」
「違うの?」
「……」
「時永くん?」
「俺は恋人同士のSEXだと認識してる」
そう言うと、時永くんはソファの上に、僕を突き飛ばした。そして強引に僕のベルトを外して下衣をおろす。膝の間に割ってはいるように体をすすめ、もう一方の手では、僕隊の首元をゆるめた。
「……ぁ……っ」
そして久方ぶりに、僕は時永くんに、陰茎を口に含まれた。丹念に舐められる内に、すぐに熱を孕み、固く膨張してしまった。数度の刺激で呆気なく果てようとした直前、するするとネクタイを根本に巻き付けられた。
「え……ま、待って、これ……」
イけなくなってしまった。抗議しようとしたその時、中へと指が忍び込んできた。すでにローションをまとっていた二本の指は、すんなりと侵入してきて、迷うことなく前立腺を突き上げた。
「! っっっ、ァ」
内部から、強制的な射精感を煽られる。僕の弱いところは、既にもう全部、時永くんに知られている。まずい。これは、まずい。出せないのに前立腺をそんな風に刺激されたら、中だけで空イキしてしまう。
ぐちゃぐちゃぬちゅぬちゅと暫くの間、ローションが水音を立てた。僕は呼吸を詰め、何とか声を押し殺していたのだけど、ついに耐えられなくなった。腰の感覚が無くなっていく。体が熱い。
ここのところは、時永くんがいかに楽に早く果てるかばっかり考えていたから、自分がこんな風に気持ちよさを味わった覚えがない。だけど過去に味わった経験を思い出す限り、こういう事をされると僕は駄目になってしまうのだ。気持ち良すぎて訳が分からなくなってしまうのだ。
「ま、待って……時永くん……っ……ね、ねぇ、あ、い、一回イかせて」
「どうやって?」
「ま、前……ね、ねぇ、時永くんっ……あ、ああっ……あああああ、あ、ああああ、や、やぁ、や、や……ま、待って、あ、うあ……ああああああ、ア!」
「なんて言うのか忘れたのか?」
「うあぁあ……い、っ、イれて……お願っ、ぁぁ、時永くんの、挿れて、早くっ……!」
僕は必死に思い出した。すると呆れたように嘆息してから、時永くんが指を引き抜いた。
代わりに入ってきた圧倒的な熱に、僕は背を撓らせる。両手を目の上に当てて、ボロボロと泣いてしまった。奥深くまで一気に突き立てられ、体が震える。必死で息をしていると、無理矢理抱き起こされて、体を反転させられた。――そこからが、地獄だった。
「もうやだぁああ、ぁあア――――! あ――! いっ、ン、あ――!」
ゆるゆるゆるゆると、ずっと時永くんは、後ろから抱きかかえるようにして、僕の両方の乳首をさすっている。緩急をつけながら撫で、時に摘むのだ。
気が狂いそうな快楽が胸から広がっていく。
もどかしすぎる。
だけど僕の内部に深々と穿った陰茎は、全く動かさない。
胸を弄りつつ腕で僕の身動きを封じている彼は、僕が自分で腰を動かすことも許してくれないのだ。舌先で僕の左耳の奥を嬲りながら、笑み混じりに吐息するだけだ。
「やだ、やだぁっ……動いてっ……」
「ここか?」
「ああああああああ!」
前立腺を唐突に突き上げられて、僕の頭は真っ白になった。イったと思った。だけど拘束された前からは何も出ない。ずっと果てている感覚がして、気が狂いそうになって、涙が止めどなく零れた。体が震える。熱い。もう、僕は駄目そうだ。
「やぁああああああ!」
びくびく震えながら、絶頂感に耐える。
なんとか波が退いた時、耳元で囁かれた。
「俺以外とするなっていったよな?」
「してないよっ!」
「何でするなっていったと思う?」
「潔癖症なんでしょ?」
「……へぇ」
「ああああああああああああああああああああああああああああ!」
直後再び前立腺をグリグリと強く刺激され、僕は強制的に空イキさせられた。絶叫しながら、泣き叫んだ。両足の指が丸くなり、背に力がこもる。こんな風にされてしまったら、僕はもう駄目だ。時永くんのせいで、体が変になってしまった。
力が抜けた体を時永くんに預けると、ようやく陰茎の根本を縛っていたネクタイをはずしてもらえた。同時にとろとろと白液が漏れる。ぼんやりとしていた僕を、今度はうつぶせに勢いよく彼は押し倒した。そして猫のような姿勢になった僕を、覆い被さって時永くんが突き上げる。
「あ、はぁっ、うあああああ」
彼に体重をかけられて動けない上、そもそも動く力など抜けきっていた僕は、ただ声を上げて泣くしかできない。
「お前は俺以外ともこういう事をするつもりか?」
「しなっ……するわけないっ……やぁあああ」
「俺とするのは嫌なのか?」
「やだよっ、気持ち良すぎておかしくなる」
「ふぅん」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
そのまま激しく抽送されて、僕は理性を失った。朧気に、何度も何度も体位を変えて行為を重ねたような気もするが、少なくとも気づいた時には、シーツの水面に沈んでいた。
「っ……」
うっすらと目を開けると、僕は疲れきっていた。喉が痛い。吐息が掠れていた。
「空野」
「……」
「きちんと言わなかった俺が悪いのかもしれない。念のため、改めていう。俺はお前が好きだ。愛している。制度さえ変われば正式に婚姻したい。お前を恋人だと思っている」
「……」
「お前は……その……俺のことを恋人としては見てくれないのか?」
「……あの、さ」
「……ああ」
「さ、さっき、恋がなにか教わらないといけないって聞いて……だから、多分、その、僕よくわかってないんだと思って」
「ああ。お前は全くわかっていない。俺が教えていいんだろうな?」
「え、あ、お願いします!」
こうして――僕は、少し大人になり、恋人とは何かを教えてもらった。
それは、長時間抱き合って、触れるだけのキスをすることだった。
多分!