カブトムシの箱庭




 深い深い林の中で、俺は何となく木の幹に張りついていた。
 こげ茶色の凸凹とした樹皮に、俺は手を回している。
 日がな一日、ぼんやりと張りついて、のそのそと動いている事は、比較的多い。

 ――カブトムシ。

 たまに俺は、白い網を持ったニンゲンに追いかけられて、そう呼ばれる。だからきっと俺の名前は、カブトムシなのだろう。この林には、他にも俺に似た外見のものもいるから、正確には種族とでもいうのだろうか。

 多分学術的には、俺が手と思っている所は、足だ。そもそも多くのカブトムシは俺のように思考はしないのだが、俺を含めて一部のカブトムシはちょっと特別だ。

 カブトムシには、虫格が存在するのである。
 虫力の強いカブトムシ同士だと、俺のように、一部がニンゲンのように視認出来る。

 ニンゲンには通常の昆虫に見えるそうだが、カブトムシ同士だと、言葉による意思疎通が図れるし、ニンゲンによく似た頭部が存在しているように感じ取れる。

 近くにニンゲンがいない場合、虫格が高く虫力が強い同士だと、頭部の他、腹部から下は人間に似た身体が現れる。ただしニンゲンにはそれが見えないし、聞こえない。それが虫の神様の定めた虫格が高く虫力が強いカブトムシの生態らしい。神様は自分に似せてニンゲンを作ったそうで、格の高さでカブトムシもまた一部が神様に似せられているそうだ。

「ん?」

 その時、甘い匂いがした。ピクリと動きを止めた俺は、背の翅へと無意識に力をこめる。なんだろう、この良い香りは。俺は思い立ったら行動する方なので、迷わず幹から飛んだ。背中の翅に風が当たると気持ち良い。

 そうして向かった別の大樹の枝には、何やらツヤツヤとした蜜が塗られていた。黄金に輝いて見える。過去には、こんな蜜を、俺は目にした事が無い。思考が蜜の事でいっぱいになっていく。俺は引き寄せられるようにして枝にとまり、口を寄せる。うん、美味しい。なんだこの蜜は。最高じゃないか!

「捕まえた!」

 その時、ブワリと周囲の風が動いて、俺は白い網をかぶせられた。

 ビクっとしてしまったが、視線を向ければ、そこには巨大なニンゲンの子供がいたため、俺は色々と悟った。噂を聞いた事がある。ニンゲンに捕まると、俺のようなカブトムシは飼育ケースというものに入れられて、そこで暮らす事になるらしい。これはカブトムシの掟と同じくらい噂されるニンゲンについての伝説の一つだ。

 ……。

 捕まってしまえば無力なので、俺はとりあえず蜜を舐める事に注力し、現実逃避を図った。もう二度と舐められないならば、今の内に味わっておくしかない。

 その後俺は、一度ムシカゴに入れられてから、ニンゲンの子供の家へと連れていかれた。緑のムシカゴに入れられて、子供の膝の上に置かれて、車というもので移動した。そして予想通り、飼育ケースに入れられた。不安が無いわけでは無かったが、非常に良い匂いのする食べ物が見て取れたので、俺は食と住が保証されそうだと思って喜んだ。なんと林で見つけた蜜と同じ匂いがする。これからは、あの蜜をいつでも食べられるのかもしれない。

 俺を飼育ケースに入れると、子供は楽しそうな顔をしてから、部屋を出ていった。
 これが俺の、新生活の開始となった。

 飼育ケースは俺にとっては非常に広く、端が見えない。丸太みたいな木や、ゼリーのカップ、湿ったシート等があって、林とは全然違うなと考えながら、物珍しく思って俺は、まずは散策する事にした。

 暫くの間、そうして歩いた時だった。

「っ」

 息を呑む気配を感じたので、俺は顔を向けた。そして俺もまた驚愕して、目を見開いた。そこには俺よりも大きな別のカブトムシがいたからだ。立派な角が見える。同性だ。

「新入りか?」

 相手は俺にそう言葉をかけてきた。少し低い声だ。

「ああ、今日ここに連れて来られた」

 事実を俺は述べた。すると相手は大きく頷いてから、睨むようにじっと俺を見た。

「名前は?」
「カブトムシだ」
「それは俺だって同じだ。ニンゲンにつけてもらわなかったのか?」
「ああ……ニンゲンの子供は、そういえば俺をしきりに、『クロ』と呼んでいたな」
「恐らくはそれが名前だろう。俺は『ヤマト』と呼ばれている」

 ヤマトと名乗った相手は、それから何度も何度も俺を睨むように見ては顔を逸らし、また睨んだ。初対面で睨むようにこちらを見てくるんだから、感じが悪い。林には、嫌な奴がいた場合、飛び去る自由があったが、このケースの中では、いくら広いとはいえ困難だ。

「そうか。じゃあな」

 俺はせめて視界からヤマトを締め出すべく、別の位置に移動しようと考えた。

「ま、待て」

 だがそうしようとしたら、呼び止められた。首だけで振り返ると、ヤマトは相も変わらず険しい顔で俺をじっと見ていた。

「なんだ?」
「クロはどこから来たんだ?」
「林だ」
「そうか」
「……」
「……」

 会話がそこで終了した。だというのに、ヤマトは今もじっと俺を見たままである。これは、俺にも何か喋れという事か?

「……ヤマトは何処から来たんだ?」
「店だ」
「店?」
「買われてきた」
「へぇ。林以外にもカブトムシが生きる場所があるのか?」

 純粋に疑問に思って尋ねれば、ヤマトは顎で頷いた。感じは悪いが、会話に飢えている様子に思えた。林と違って飼育ケースの中は刺激が無さそうであるから、暇なのかもしれない。

「この『箱庭』の中には、これまで俺一人だった。だからここの事ならば、俺は何でも知っている。ニンゲンはここを、『箱庭』と呼んでいる」

 ヤマトが言ったので、俺は小さく頷いた。林には様々な生き物がいたが、実際、飼育ケースの中には、ヤマト以外の気配がない。

「全ては、神様に等しいニンゲンが、ここへ与える」
「へぇ」
「無いものは一つきりだ」
「ふぅん」

 俺は適当に相槌を打った。まだ俺には、何が無いのかすら分からない。しかし俺が聞き返さないと、ヤマトは続ける言葉を持たない様子なので、面倒には思ったが、俺は尋ねる事に決める。

「無いものって?」
「メスだ」
「メス?」
「交尾をするメスがいない」
「……」

 俺はそこまで考えていなかったので、言葉に窮した。林には異性はそれなりにいたが、確かにこの飼育ケースの中には存在しない様子なのは分かる。

「ニンゲンは以前から、もう一匹飼うと頻繁に口にしていたから、俺は期待していた。まさか……同性が来るとは」

 溜息を零したヤマトを見て、俺は複雑な気持ちになった。俺だって好きでここに来たわけではない。だが、落胆するのも分かる。

「三匹目はメスだと良いな」
「ああ。メスが来たら、クロには渡さないからな」
「好きにしろ」

 俺が答えると、ヤマトが両眼を細くした。より睨むような目つきに変わった。

「そんな事を言っていられるのは、今の内だけだろうが」

 この時の俺は、その言葉の意味が分からなかった。
 メスなんかいなくたって困らない。寧ろ餌の取り合いが無くていいじゃないか。



 ――箱庭に来てから、早三日。

 ニンゲンとカブトムシでは時間の感覚が異なるらしいと聞いた事がある。俺にとっては、三日という時間は長い。

 なおニンゲンに換算すると、俺は二十歳を過ぎている状態であり、初日にあったヤマトは俺よりも更に少し年上に見えた。

 初日から、俺は飼育ケースの端の小さな丸太の横にいるので、逆側のゼリーのカップ付近にいるらしいヤマトとは顔を合わせていない。箱庭の中は広いため、近づかなければ姿も見えない。

 だがたったの三日で、既に暇だという感想を抱いている現在――俺は、少しだけヤマトの言葉を理解しつつもあった。俺達カブトムシは、ニンゲンが知っているかはともかく、性欲が強いものが多い。

 その点、林にいた頃は良かった。ヤりたい放題だった。
 無くなって気づくとは、この事か。
 ムラムラと性欲が溜まっていく。

 はぁ、と、溜息を零してから、俺はのそのそと身体を動かした。飼育ケースの中では、どうやって性欲を解消するのか。俺はそれを知らない。そして知っていそうなのは、ヤマトであるし、仮に知らなくても話をしたら暇は潰せるだろう。

 箱庭の中を歩いていくと、水場があった。俺はその前を通り過ぎ、ヤマトの気配を探して端まで進む。

「……!」

 そして遠くからヤマトの姿を確認して、思わず硬直した。

 そこには空になったゼリーのカップがあったのだが……激しく腰を打ち付けているヤマトが見えた。え? な、何事だ? と、内心で焦りながら、俺は二度見した。

 明らかにヤマトは、ゼリーのカップに陰茎を突き立てている。そして抽挿している。
 目を見開いた俺は、ポカンと口を開けた。

 そのままヤマトがフィニッシュを迎えるまでの間、俺は呆然としていた。ヤマトの精悍な顔には黒い髪が張りついていて、ゼリーのカップの中には、ニンゲンには見えないだろうが精液が飛び散っている。その場には、荒々しい吐息が谺していた。

 陰茎を引き抜いた後、ヤマトが何気ない様子で振り返った。

 その結果、ばっちりと俺たちの視線がかち合った。思わず俺は、カァッと真っ赤にほほを染めた自信がある。

「……クロ」
「お、お、おま、お前、何して……」
「箱庭で暮らすというのは、こういう事だ」

 ヤマトには羞恥を覚えた様子も何も無い。ゴクリと俺は唾液を嚥下した。ここ数日で溜まっていたムラムラが、俺の下半身に直結したのはその時だった。俺も、ヤりたい。だが、俺には羞恥心がきちんとある。いくら性行為が自然の営みといえど、林ではこんな事は無かった。だが、好奇心も抑えられない。

「そ、その……ゼリーのカップは気持ちが良いのか?」
「生身の方が良いに決まっているだろう」
「そ、そっか」
「――勃ってるぞ」
「!」

 指摘されて、俺は思わずギュッと目を閉じた。頬が熱い。

「クロもそういう可愛い表情もするんだな」
「っ」
「どちらかというと、俺のライバルになる奴だと初日は思ったが、今のお前ならヤれそうだ」
「は? な、何を言ってるんだ。俺はオスだぞ」

 思わず俺は一歩後退った。

「店にいた頃から、箱庭内部では、男同士は決して珍しくなかった」
「そ、そうなのか?」
「ああ。下手な奴なら傷つけてしまうが、虫格が高ければ交尾も易い。何より俺は丁寧にする。優しいと評判だった」
「へ、へぇ……」
「ゼリーのカップよりは、俺とヤる方が、クロも良いと思うぞ」

 自信たっぷりといった様子で断言したヤマトは、それから流し目で俺を見た。
 ……。
 その姿が艶っぽく見えて、俺は己の欲求不満さを、より強く自覚した。

「本当に? 本気か?」
「物は試しだ。こっちへ来い」

 ニヤっとヤマトが笑ったのを見た瞬間、俺は真っ赤な顔のままで、ぎこちなく体を動かしてしまった。好奇心と性欲には勝てない。ゆっくりとヤマトに近づいた頃には、俺の陰茎もガチガチだった。

「ヤマト……男同士ってどうヤるんだ?」
「後ろの孔を使う」
「ほう」
「解してやるから安心しろ」

 果たして本当に安心して良いのかは不明だったが、俺はコクリと頷き、ヤマトに身を任せる事にした。俺はその場で地面に身体を預ける。すると俺の菊門をじっとヤマトが見ている気配がした。そしてその後、ゆっくりと舌を差し込まれた。

「ンぅ……」

 ビクリとした俺は、思わず体を硬くする。周囲の襞を解すように舐めては、中央の窄まりにヤマトが舌を入れる。それを繰り返される内、俺の体はフワフワし始めた。じっくりとじっくりと、丹念にヤマトが俺の後孔を解していく。

「そろそろ良いか」
「んン……」

 ヤマトの少し掠れた声を耳にした頃には、俺の体も汗ばんでいて、髪の毛が肌に張り付いてきていた。

「あ、ア!」

 その時ヤマトが猛る陰茎を、俺の後孔から挿入してきた。痛みは無かったが、未知の衝撃に思わず声をあげてしまう。生まれてからずっと俺は、挿入する側として過ごしてきたわけであり、こんな、メスみたいに誰かに挿入されるなんて過去には考えた事も無かった。

「あ、あ、あ」

 解されてはいたが、まだギュウギュウだったキツい俺の中は、ヤマトの陰茎が進んでくる度に押し広げられていく。思わず窄まりに力をこめると、思いっきりヤマトの陰茎を締め付ける形になってしまった。

「ん――!」

 声が堪えられない。ヤマトの陰茎は硬く、長くて太い。それが、俺を貫いている。

「ほら……全部挿いったぞ」
「ぁ……は、っ……」

 ヤマトはバックから俺に覆いかぶさるようにして、根元まで挿入すると一度動きを止めた。繋がっている個所が本当に熱い。これまで意識する事の無かった孔が、今は非常に存在感を持っている。

「やぁ……っんン」

 無意識に体を引いて逃れようとしたが、ヤマトの重みでそれも出来ない。カブトムシの手が、俺の体をギュッと捕らえている。

「やはり生身は良いな」
「んぁ、ァ……」
「ゼリーのカップじゃ虚しさが募るだけだ」
「あ、あ……」
「クロがメスでなくて残念だと一瞬思ったが、ひと目見た時から顔は好みだったし、さっきの表情は本当に良かった。そして――中も最高だ」

 掠れた声で、囁くようにヤマトが言う。それからゆっくりと、ヤマトが動き始めた。

 最初は体を揺さぶるように動かし、その後ギリギリまで引き抜いてはより奥深くにまで陰茎を進める。その動きに合わせて、俺は嬌声を上げた。

「ん、ァ! ああ! あ――!」

 内部がヤマトの陰茎の形を覚え込ませられていく。快楽由来の涙をポロポロと零しながら、俺は喘いだ。

「どうだ? クロ」
「き、気持ち良、っ……」
「素直だな」
「は、っッ……あ、ア! も、もう――うああ!」

 一際大きくヤマトが動いた時、巨大な陰茎の先端が、俺の内部の感じる場所を強く突き上げた。すると俺の陰茎から白濁とした液が飛び散った。ほぼ同時に、内部にも飛び散るヤマトの精液の感覚を覚えた。

 必死で呼吸し息を落ちつけながら、俺はぐったりとして地面に体重を預ける。
 そんな俺から陰茎を引き抜いたヤマトが、静かに笑う気配がした。

「俺達は仲良くやれそうだな」

 ヤマトの声に、俺はぐったりとしたままで、小さく頷くのがやっとだった。
 初めてのオス同士の性行為は、俺にとっては非常に衝撃的なものだった。



 以来――暇さえあれば、俺はヤマトと体を重ねている。
 俺の後孔は、すっかりヤマトの陰茎の形を覚えた。

「あっ、ッ……く、ぁァ……はン」

 快楽に喘ぐ俺に覆いかぶさりながら、ヤマトが荒く吐息している。ヤマトの息が、俺の体に触れている。俺はその気配と荒々しさに、全身を囚われている気分だ。

「俺専用の孔みたいだな」
「う……ぁ、ア!」

 実際その通りだと思う。俺の中は、ヤマトの陰茎の形に広がり、菊門の形も縦割れに変わってしまった。

「あ、ああ、ァ……!」

 今では挿入されるだけで、俺の体は熱を孕むし、激しく動かれれば何も考えられなくなる。思考が真っ白に染まってしまう。

 二人きりの箱庭において、日がな一日繋がっていると、ここが天国なのかなと考えずにはいられない。餌や水は自動的に出てくるし、何よりヤマトが快楽を与えてくれる。

 林での生活とは違い刺激は少ないが、危険も少ない。
 ただ……最近、僅かに寂しさを抱く事もある。

 現在はたまたまメスが不在で、俺とヤマトしかここにはいない状況である。そして俺達だって、別段望んで二人になったわけではない。

 ――もし、メスが来たら?
 ――いいや、オスだとしても、別のカブトムシが来たら?

 果たしてそういう状況になっても、ヤマトは俺を抱くのだろうか? ここ最近、俺はそればかりを考えている。ヤマトはもうゼリーのカップを貫く事は無いが、それは生身が良いからに違いない。

 こんな事を思ってしまうのは、俺がどんどんヤマトを好きになっていくからだ。
 ヤマトは、優しい。

「あああ!」

 射精しながら、俺はギュッと目を閉じた。

「俺はまだだ」
「あ、あ、動くな、ァ!」

 性行為は若干激しいが、そうであっても必ず俺の体を丁寧に扱ってくれるのは変わらない。いつも念入りに解してくれる。優しいのは、特に事後で、ぐったりしている俺を気遣ってくれる点などだ。それ以外にも、行為をしていない時も、最近は雑談をする頻度が増えたが、ニンゲンの生態や、水や餌が新しくなる時間帯を教えてくれたりする。

「あ、あ、あ――動かないでって言ってるのに、ァあ!」
「全然足りない」
「やぁァ!」
「嫌か?」
「気持ち良すぎておかしくなる、う、うあああ!」

 そのまま連続で昂められて、俺は理性を飛ばした。
 何度も何度も果てた俺は、最後には意識を失うように眠り込んでしまったようだった。

「……ん」

 次に目を覚ますと、真正面にヤマトの顔があった。

 ヤマトは整った顔立ちで、じっと俺を見ていた。ぼんやりとしていた俺は、目が合うと、そのままじっと見つめ返してしまった。

「おはよう、クロ」
「おう……おはよう」
「さっき、飼育ケースの蓋が開いた」

 そう言うと、ヤマトが天を見上げた。つられて頭上を見てから、俺は漸く覚醒した。

「どうやら新しいカブトムシが来たらしい」

 ヤマトが続けたので、俺は息を呑む。

「メ、メスか?」
「かもな」
「そ、そうか」

 抱いていた不安が現実のものとなった気がした。きっと俺よりもさらに性欲旺盛なヤマトは、メスを選ぶだろう。そう考えたら、胸がギュッと痛んだ。どうやら俺は、ヤマトにいつの間にか惚れてしまっていたらしい。

「クロは、メスの方が良いか? 俺よりも」
「っ……それは、ヤマトだろ?」
「いいや。俺はクロが良い」
「え?」
「俺はクロだけで良い」

 いつもと変わらない調子で、ヤマトがするりと述べた。その言葉を理解した瞬間、俺はボッと顔から火が出そうになった。ドクンドクンと胸の動悸が激しくなっていき、嬉しさで息が出来なくなりそうになる。

「そ、それって……」
「俺はクロが好きだ。だから、クロがメスを望んでも、俺は手放すつもりはない」
「お、俺だってヤマトが好きだ!」

 反射的に俺もまた気持ちを吐露した。するとヤマトがいつになく優しい眼をして唇の両端を持ち上げた。

「そうか。では、俺達は相思相愛――両想いだな」
「あ、ああ! そうだな!」

 俺が勢い良く頷くと、ヤマトが不意に唇を俺に近づけてきた。目を丸くしてそれを見ていると、触れるだけのキスを唇にされた。これまで、何度も体は重ねたが、唇が触れ合ったのは初めてだ。嬉しくて震えそうになる。

 硬直していると、啄むように何度も何度も口づけをされた。
 そのキスは次第に深くなり、気づくと俺は舌を舌で絡めとられていた。
 即物的な肉欲とはまた異なる、心と心が繋がったような感覚に、俺の胸が満ち溢れていく。

「好きだ、クロ」
「俺も。俺もヤマトが好きだ」

 この日俺達は、何でも何度も互いの気持ちを確認しあいながら、深く深くキスを重ねた。



 さて、新しく来たカブトムシは、二匹いたらしい。

 そちらは、セットで購入された、オスとメスだったようだ。彼らが飼育ケースの右端でいつも二人でいるようになったので、俺とヤマトは左端で共にいる。既にあちらは恋仲だったらしく、何度か四匹で顔を合わせたのだが、俺とヤマトが二人の幸せを祈ると、特にオスがホッとした様子だった。現在の所、俺達は上手くやれている。

「ん、ぁ……アあ」

 そして本日も、俺とヤマトは体を重ねている。

「本当に綺麗だ、クロ。愛してる」
「っぁ……あ、あ」

 挿入してから、ヤマトは本日はあまり動いてくれない。スローなセックスをしながら、ヤマトは俺に愛の言葉をずっと囁いている。照れくさいし、恥ずかしい。だが、俺も同じ気持ちだから、嬉しさも勿論ある。

「ヤマト、俺もだ。愛してる」
「知ってる」
「ん、ン――っ、ぅ……あ、あ、動いてくれ!」
「いくらでも」

 激しい抽挿が始まり、俺は必死で息をする。ヤマトは俺の感じる場所を既に熟知しているようで、惜しみなく快楽を与えてくれる。

「ぅ、ンっ……ああ、ン!」

 交わっている場所から、水音がする。本日は、ヤマトが蜜を使って俺の中を解したせいで、甘ったるい香りもする。林では最高の蜜だと思ったが、今では与えられる事になれてしまった蜜だ。だが、こんな使い方は想像もしていなかった。

 いつもとは違う、ヌルヌルでドロドロの行為は新鮮だ。
 普段より俺の体も敏感になってしまっている。

「あ、あぁァ……気持ち良い!」
「俺もだ」

 最初は荒々しく交わるだけだった俺達だが、最近は様々なプレイが増えた。いいや、プレイだけではなく、愛の言葉も増えていく。緩急をつけて貫かれながら、俺はむせび泣いた。快楽と、幸せから、涙が止まらなかった。

 俺達二人の世界は、幸せで満ち溢れている。それは同じ飼育ケースの中に他の誰かが来ても変わらない。その事実も俺の胸を満たしている。

 何度も何度も射精してから、行為を終えて、俺達は少し休んだ。

 二人で水を飲んでから、本日はニンゲンが置いたキュウリへと向かった。二人で食べながら、何度も俺達は顔を見合わせ、見つめ合う。

 第一印象こそ最悪だったが、今では、ヤマトが隣にいないなんて考えられないし、ヤマトの隣から飛び去りたいなんて思う事は無い。行為中じゃなくても、最近のヤマトは俺を抱きしめるようにする。カブトムシの手が、俺の体に回っている事は多い。そしてそんな時、俺も静かに最近では、手をまわし返す。

「ヤマトは、一体俺の何処を好きになってくれたんだ?」
「最初は野性味が溢れていて気の強そうな奴が来たと思ったんだけどな、照れた顔を見たらギャップに惹きつけられた。ただ今では、中身だな。クロの性格が何より好きだ。お前は可愛い」
「俺、可愛いか?」
「ああ。俺にとってクロは、最高に可愛い」

 キュウリの前で抱き合いながら、俺達は再び視線を合わせる。思わず俺は両頬を持ち上げてから、額をクロの体に押し付けた。二人で地面に転がっている形だ。

「クロは俺の何処を好きになってくれたんだ?」
「気づいたらヤマトの事しか考えられなくなってた」
「体が良かったって事か?」
「違う。優しい所だよ」

 そんなやりとりをしてから、俺達は唇を重ねた。何度も何度もキスをする。
 ヤマトの立派なツノを見ながら、俺は幸せな気持ちに浸る。

 これからもヤマトがそばにいてくれるならば、それで良い。それが良い。それこそが、俺にとっての幸せだと思う。

 今では体を重ねていない時分も常に一緒で、様々なお互いの話もした。

 俺は林での事を語り、ヤマトは店で売られていた時の事や、その前に養殖されて育てられていた頃の思い出を教えてくれた。一口にカブトムシと言っても、本当にいろいろな境遇がある事も知った。カブトムシにも、虫格や虫力によらず、様々な運命があるらしい。

 俺としては、ヤマトと出会えた事こそが、最高の幸せだと思っているから、現状に満足している。毎日が幸せで、このまま生涯、ヤマトと二人で寄り添えたら良いなと考えている。

 最近、ニンゲンの子供が、そんな俺達を見ながら、しきりにノートを手に持ち、絵日記を記している。ニンゲンには、俺達の姿は虫にしか見えないはずだが、交尾をうっかり見られそうになって焦る事がある。当初ヤマトは気にしていない様子だったが、最近では言う。

「可愛いクロの姿は他の奴には見せたくない。たとえそれが、神に等しいニンゲンに、であってもな」

 そう囁かれる度、いちいち真っ赤になる俺がいる。
 結果として俺とヤマトは、日中は雑談する機会がより増えた。

 そんなこんなで、肉欲だけではなく、本当に今では心が通じているのだと、言葉で確認する時間も増加傾向だ。

 俺は、カブトムシに生まれてきて良かったなと、最近頻繁に思う。
 だってそうじゃなかったのならば、ヤマトに出会えなかったのだから。

 そしてニンゲンにも感謝している。生まれが違う俺達が、この箱庭で出会えたのは、紛れもなくニンゲンの子供のおかげだからだ。

「クロ。ニンゲンが戻っていったぞ」

 ヤマトが俺の頬に触れるだけのキスをした。我に返った俺は、思わず吹き出す。

「これで思う存分抱き合えるな」
「ああ。クロ、大好きだ」

 こうして、本日も俺達の行為が始まる。俺達は抱き合い、睦みあい、お互いを求めあう。ヤマトに開発された俺の体は、いつも硬い熱を求めている。俺にのしかかってきたヤマトをじっと見上げながら、俺は幸せを噛みしめる。

 なおその後、ニンゲンの子供は、夏休みというものが終わったそうで、飼育ケースを見ながら満面の笑みを浮かべていた。なんでも、自由研究で表彰されたらしい。俺を林で捕まえてから観察しつつ綴っていた絵日記が、受賞したようだった。記念だとして、俺は沢山の写真を撮られた。その時も、隣にはヤマトがいた。

 その後もニンゲンの子供は、俺達に餌や水を与えてくれたし、俺とヤマト――そして、飼育ケースの中の恋仲の二匹も、ずっと幸せに過ごした。まさに飼育ケースは、神様が作ってくれた安全で平和で優しい箱庭であると言える。

 俺のヤマトに対する気持ちは、きっとずっと変わらない。俺はヤマトを愛している。それにヤマトも惜しみない愛を、俺に注いでくれる。こんな幸せな時間が、長く続きますようにと、俺はいつも願いながら、ヤマトのそばにいる。本日も寄り添いながら、俺達は顔を見合わせた。ヤマトの唇が、俺の口へと近づいてくる。俺は嬉しい気持ちになりながら、キスを待つため、静かに目を伏せる。ただただ幸せである。




(終)