【14】観察結果




「おい、桔音」

 夕食後に、ローラが火朽に声をかけた。

「なんですか?」
「――その、だな。お前、藍円寺に会わなかったか?」
「ええ、そういえば今朝、買い物へ行く途中に、それらしき人物に遭遇しましたけど」
「何をしていたんだ?」
「? ですから、買い物に」
「お前じゃない。藍円寺だ」

 ローラの声に、火朽は腕を組んだ。

「歩いていましたよ」
「……そ、そうか。いや、その、最近、重度のリピーターだったくせに、藍円寺は来なくなってな。ほんのわずかに、ちょっとだけ、微妙に、頭の片隅で気になっていて」
「へぇ」
「ほ、ほら! 働いて喰う時代だから、あいつのように俺に血を供給可能な――つまり、強い霊能力が血に宿っている人間は、貴重だろう?」

 それを聞いて、火朽は半眼になった。

「人間の用いる紙幣を受け取り、スーパーで食材を購入するというのが、『働いて食べる』の意味合いだと思いますが」
「そりゃあ、人間の場合だろう? 俺達は、違う」

 まぁ、それはそうだなと火朽は、適当に頷いた。同時に、ローラの言葉で、藍円寺という青年の横を歩いていた紬の顔を思い出した。

 顔――それこそ顔面造形だけを言うのであれば、双子の兄が、若手の中でも存在感があるイケメン俳優という(噂)だけあって、玲瓏院紬は悪くない。服装も、大学生にしては落ち着いていて、同年代の外見を象っている火朽は、趣味が合うと考える。

 しかし、決定的に性格が合わない。

 観察した限り、紬は、火朽以外に対しては、内気にさえ見える。
 ――人間に対しては。
 指導をしている夏瑪教授は別枠なのかもしれない。

「……人間ではないという理由だけで、ああもあからさまに差別をされる事は納得ができませんね」

 低い声で火朽は呟いた。

 ここまでの判断として、恐らく紬は、自分に対して『人間ではない』と認識しているのだろうと、火朽は考えていた。だか、だからといって、人間扱いされない……これは、狐火であるからではなく、人権を与えられないといった意味合いで、露骨な態度をとられると頭に来る。

「ん? どうかしたのか?」

 その時、ローラが聞いていた様子で首を傾げた。

「――ああ、いえ。ちょっと。ほら、僕達は普段、人間という非常に弱い種族に対して、絶対強者のつもりでいきているではありませんか。なので、逆対応をされると、苛立つといいますか」

 微笑を取り繕って火朽が言うと、ローラが俯いた。
 それから、彼はポツリと呟く。

「弱者、か……どうなんだろうな」
「え?」
「――寿命、体力、そういった生命力という意味合いなら、適切だろう。けどな、こんなにも他者の心を揺さぶる事が可能なのは、人間という生き物だけだ。違うか?」

 その言葉に、火朽は虚をつかれた。

「お前をそこまで怒らせることが可能なのも、人間だけだろう?」
「それは、まぁ――……人間でなければ、とっくに消滅させている自信しかないので」

 そんなやり取りをした夜だった。




 さて、翌週のゼミ――の、時間の、打ち合わせまでの間、火朽は考えていた。
 何をかといえば、『復讐方法』である。
 この頃になると、既に意識的にも、紬が許せなくなりつつあった。

「やはり、強者がどちらかはっきりさせるべきでしょうね。僕が気配を消して弱い人間のふりをしているから、侮っているのでしょうし――玲瓏院家のお手並み拝見といきますか」

 いつもの微笑とは異なる、残酷な冷笑をたたえながら、火朽は小会議室へと向かっていた。
 こうなったら、実力行使である。

 いかに自分が強い力、即ち人間にとって恐怖の対象であるかを、見せつける気でいたのである、火朽は……。

「こんにちは」

 チャイムが鳴るのとほぼ同時に扉を開けた火朽は、中にいた紬に声をかけた。
 この時は、微笑を浮かべた。
 すると驚いたように、紬が顔を上げる。


 ――ひとりでに扉が開いたように、紬には見えたからだ。



 そんな紬の内心などつゆ知らず、火朽は扉を閉めると、対面する席に腰を下ろした。

 そして普段は、人間を怖がらせないために意図的にやめている仕草をした。
 腕を組み、長い脚も組む。

 その上で、唇にだけは笑みを浮かべたまま、すっと目を細めた。

「もういいですよね? 僕が人間でないと気づいておられるようですし」
「……」

 紬は、何も言わずに、扉の方を見たままだ。
 表情は、いつもの通りの、無気力そうなイラつく顔である。
 火朽は舌打ちしそうになったが、それはこらえた。

「僕、玲瓏院くんの霊能力に興味があるので、折角ですし、実験にお付き合い頂けませんか? 霊能学の進歩にも繋がりますし」

 そう告げると、火朽は腕を組み直した。

 そうして、人間のふりをするために抑えていた力――人間で言う所の霊能力といったものを、静かに、徐々に徐々に、じわりじわりと解放し始めた。

 しかし、紬は、まだ何も言わないので、火朽は思った。

「さすがに、下の下以下は、クリアですか。では、一気に下の上に行きますね」
「……」
「なるほど。さすがですね、所謂平均的な人間の霊感とやらの持ち主なら、心停止している程度には解放していますが」
「……」
「次、中の上でいいですよね? ほら、先日の藍円寺さんよりも、ちょっと上のクラスの人間が、胃潰瘍になる程度の力を放つだけですから」
「……」

 ぶわっと、その場に青い炎が溢れた。視覚的にはそう見えるはずなのだが、紬には反応がない。紬は、何度も何度も扉を見ている。出ていきたいのだろうか? いいや、そういう空気にも思えないと、火朽は片目を細めた。

「……上の下、行きますね」
「……」
「……上の中」

 無反応の紬を見て、火朽は嫌な予感がしてきた。





 火朽の想定では、玲瓏院紬の力量は、上の中程度だったのだ。
 どう頑張っても、上の上に片足を入れているかなぁ、程度である。

 ――仮に、上の上のど真ん中に位置する能力者であれば、火朽の方が、人間の姿でいる限り弱い。狐火という現象に戻れば、まだこのように測定可能な能力であれば、最低限逃げる事は可能だ。

 既に室内には、常人であれば、あの世逝きの、禍々しい妖気が溢れかえっている。
 しかし、紬は扉を見たままだ。
 ちょっと霊感がある人々など、他の部屋にいても、既に異変に気づいている気配がする。

 だが、火朽が内側から妖力で完全封鎖しているため、この大学の教職員達は、扉の前にすら近寄ることができないでいるようだ。夏瑪教授が適当になだめているのを、遠隔から火朽は察知した。本来は、スマホなど使わずとも、人ならざる者同士であれば、やりとりは可能なのだ。

「上の上……の、力を解放すれば、悪くすれば、玲瓏院くんは即死ですが、構いませんか?」

 念のため、火朽は尋ねた。すると、紬が視線を向けた。


「え!?」


「――やはり、死ぬのは怖いですか?」
「へ!? いつからそこに!? っていうのかな、あ、あの、どちらさまですか……?」

 突然叫んだ紬は、それから立ち上がり、テーブルの上に身を乗り出すようにして、火朽を見た。

「どういう意味でしょうか?」
「だ、だって、さっきまでそこには、誰も座っていませんでした」
「はい?」
「今度は手品の実験ですか!?」
「今度は? いいえ。貴方の能力に関する実験以外は、特に何も」

 やはり人間という生き物は死にたくないのだろうなと、火朽は考える。

 最初からこうすれば良かったのだと、人間の振りなどして、自分を偽って生きるべきではなかったのだと、半ば確信していた。

「僕の能力……? ええと、貴方は?」
「狐火です」
「え」
「念のため付け加えますが、発火現象として観測されている怪異です」
「は? いや、そういうオカルトじゃなくて、あの……お名前は?」

 困惑したような紬の声に、火朽は目を見開いた。



「――僕は、火朽桔音と申します」
「え!? 手品師だったって事ですか!? つ、つまり、僕にだけは見えない手品!? 僕に見破ることが可能か実験していたって意味ですか!? 何それ、ひどい」

 紬が、目を丸くして、わなわなと震え始めた。
 どこか泣きそうに見える。
 火朽は、反応に困った。

「つかぬことを伺いますが、玲瓏院くんは、もしかして、その……」
「はい……今まで、見破る事はできず、今、初めて見ました。初めまして、玲瓏院紬と申します……」
「僕が、今の今まで、見えなかったと?」
「はい……」

 項垂れた紬を見て、嘘をついている気配がどこにもない事に、火朽は気づいた。

 そして、改めて考える。膝を組み直す。

 ――人間の持つ、霊能力を分類した”存在”に、ブラックベリー博士という者がいる。
 その著書である、『霊能学』の記述を思い出した。

 ブラックベリー博士によると、俗に上の中から上の上と呼ばれるような、非常に強力な霊能力を持つ人間は、歩くだけで、その人間の霊圧に微弱な妖魔は耐えられず、消滅して消えていくという。これは、妖魔が人間にまとわりついて、頭痛や肩こりといった不快感を喚起させるのと、同じ現象だという。

 中でも、上の上クラスの霊能力者の場合、歩くとほぼ全ての妖魔が消滅していく上、消滅しないような、より強い存在は、事前に逃げるか、用心深く人外である事を隠しているため、一生涯、幽霊等の存在に気がつかない事があるらしい。

 その場合、特に人間の姿を模倣し、己の強い力の気配を隠している妖怪などは、目視されない事があるという。

 つまり、目に見えないらしい。

 ――見えない。
 ――見えていなかった……!?

 火朽はハッとして、硬直した。



 見えていなかったのだとすれば、納得できる事がいくつもあった。
 声も聞こえていなかったのだろう。
 視線が合わないのも当然で、返事がないのも当然だ。

 無視――そこに存在しないように扱っていたのではなく、紬が心から存在しないと確信していたらしい事実に、ようやく火朽はたどり着いた。

「あの、何点か伺わせて下さい」
「はい……僕は、手品に興味がないので、被験者が上手く出来ず、すみません……」
「……手品、は、ちょっと取り置いて下さい」
「はぁ……」

 完全にどんよりしてしまった紬を見ながら、火朽が尋ねる。

「――まず、ブラックベリーの霊能学に沿って、根本的な点を伺いますが、玲瓏院くんは、この世界……いいえ、具体的に、か……ここ、新南津市に、吸血鬼や妖怪、怪異、アヤカシ、幽霊、そういった名称で括られる存在が、いると思いますか?」

 すると紬が顔を上げた。

「え? いるわけないと思いますけど……?」

「では、僕は、何だと思いますか?」
「手品師さんですよね?」
「……手品師は忘れて下さい。今ここに、玲瓏院くんは何のために訪れたんでしたっけ?」
「それは火朽くんという目に見えない編入生との打ち合わ――……今は見えています。僕の力がいたらないばかりに……」

 再び悲しそうな顔をした紬の前で、遠い目をしながらも必死に笑顔を浮かべて火朽は首を振る。

「いいえ。貴方には十分すぎる力があります。存在するだけで全てを吹き飛ばしていくかのような。足りないのは、頭の中身ですね」
「え?」
「失言でした。忘れて下さい。編入生というと……僕を、人間の大学生だと思っているという事で良いのですか?」

 重要なことなので、じっと火朽は紬を見る。

「は、はい? 人間以外が大学に入学するというのは、ちょっと上手く想像ができないんですが……特に、警察犬の訓練学科? みたいなのは、無いですね。あれって大学の学科にもあるんですか?」

 しかし、紬は首を捻っているだけだった。


 その後、エレベーター前での反応や、以前腕を振り払われた件など、心に突き刺さってモヤモヤをもたらしていたトゲを、一本ずつ抜くように、火朽は事実確認をしていった。

 そうしてよくよく話を聞いてみて、出した結論は――やはり、紬が己を見えていなかったというものである。

 話しながら、火朽はそれとなく人型を形作るために用いている”力”の量を調節し、今度こそどこからどう見ても完璧に紬の視界に入る『人間の姿』を形成した。本来であれば、一般人の中に紛れ込むには強すぎる状態ではあるが――この姿でいようと、火朽は決めた。

 理由は二つある。

 一つは、この土地の人間は、大学生に限らず耐性があるので、この程度では誰も失神したりはしない事だ。

 二つ目は、隣に玲瓏院紬がいれば、どんなに強い力を放っていても、拮抗状態――になる前に、消される。今の強度であれば、紬が隣にさえいれば、今まで通りだと周囲は感じるだろうと、火朽は判断した。

 それに、本日までの観察において、大学構内においての講義は全て同じであるのは確認済だったし、図書館で選ぶ本や服装に関しても、ことごとく泣きたいほどに、趣味が合う。性格は合わないとこれまで感じていただけなのだ。しかしそれは、勘違いだった。

「玲瓏院くん」
「は、はい!」

 声をかけられた紬が、勢いよく顔を上げる。

 火朽は、一度ゆっくりと瞬きをしてから――普段周囲に見せるものと同じ、穏やかな笑みを浮かべた。

「改めまして――僕は、火朽桔音といいます。四月から編入していたのですが、手品じみた諸事情により、ご挨拶が遅れました。ずっと玲瓏院くんとお話がしたいと思っていたんです。これから、どうぞよろしくお願いいたします」

 それを聞くと、紬は一瞬きょとんとした後、その後はこれまでは火朽以外の周囲に見せていたような、小さくはにかむような笑顔を浮かべた。

「こちらこそよろしくお願いします。玲瓏院紬と言います」

 こうしてこの日から――二人の間には、会話が成立するようになったのである。


 ――その日の夜。

 人の暦に合わせていたからなのか、時が経つのが早いと感じながら、火朽は食卓に料理を並べていた。非常に上機嫌である。

 一方のローラは、何かあったのか、非常に不機嫌そうだったが、自分が良ければ基本的に全て良いので、火朽は柔和な微笑のまま、気合いを入れて作った、ナポリタン・ミートソース・カルボナーラ・ペペロンチーノ・たらこパスタ・イカ墨パスタ・きのこの和風ソースパスタを並べていく。全て大皿だ。軽く二十人前はあるだろうが、彼らに量は無関係だ。

 鼻歌交じりに席に着き、これからがより楽しみになったなと火朽は考える。
 砂鳥に声をかけられたのは、その時だった。

「何かあったんですか?」
「ええ。例の無視の件ですが、解決しまして――呆気ないものでした」

 火朽が浮かべた満面の笑みを見て、砂鳥の顔が引きつった。
 青褪めた砂鳥に気づき、火朽はくすりと笑ってから首を振る。

「何もしていませんよ。無視されていた理由が分かったんです。そもそも無視というのが正確だったのかも分かりませんが。今では、円滑にコミュニケーションが取れていて、僕は満足しています」

 それを聞くと、安心したように、砂鳥が頷いた。

「良かったですね」

 このようにして、長かった、ある怪奇現象と有能な霊能力者の出会いは、幕を下ろしたのである。