【26】重い荷物
それからの日々、僕は火朽くんと過ごす事が圧倒的に増えた。
もう見えなく――いなくはならないと約束してくれた火朽くんは、いつも僕の隣にいる。僕が彼の隣にいるのかもしれない。それは、どちらでも構わない。
最近の僕は、孤独感に苛まれる事もない。
僕は現在、自分がボッチだとは思わない。
そうであっても、僕は時々玲瓏院家の人間の顔をする。
この地方都市にあって、僕の家が担う役目は、なんだかんだで多いらしい。
正直それが僕には重荷だけれど、僕は家族が好きだし、この土地が好きだから、自分に出来る事があるならば、したいと感じる。
今日は、大学に行く前に、東の柳の下の祠の前で、玲瓏院に伝わる経文を唱えてくれるように言われた。それが終わってから、急いで家の車で大学に行くと、いつものベンチに火朽くんが座っていた。
柔和な微笑を浮かべている火朽くんと目が合った時、僕は、全身の緊張感がほぐれた気がした。僕はこの火朽くんという友人と共にいると、玲瓏院の人間ではなく、一人の大学生として、上手く社会に適応し、呼吸できる気がする。
――肩の重荷が下りていくような感覚だ。
そう考えるとやはり、友達のままで十分すぎると思ってしまう。僕は、これ以上を望むべきではないだろう。どんどん欲張りになりそうで、僕はたまに自分が怖くなる。
「どうかしたんですか?」
「ううん。教室に行こう」
「ええ」
立ち上がった火朽くんと、並んで歩く。相変わらず、僕達が選択する講義は、受講している学生が少ない。人気のないエレベーターホールに立ちながら、僕達は顔を見合わせた。特に意味はない。何とはなしに、お互いを見ただけだと思う。なのに目が合うと、いちいち惹きつけられる僕がいる。
「なんだか、少し疲れているように見えますが」
「急いで来たからかな?」
「まだ講義が始まるまで、二十分もありますよ」
火朽くんが冗談めかしてそう言うと、目を伏せて笑った。
そうは言うが、火朽くんはいつも早くに大学へと来ている。
「――ちょっと、お祖父ちゃんに頼まれごとをして、家の仕事をしてきたんだ。それで、遅刻したらどうしようかと思って、急いでいたんだ。バスだったら決まった時間につくけど、自分の家の車は分からない」
渋滞があるという意味ではない。玲瓏院家の人々は、ゆったりしている人間が多いのだ。だから、焦って移動するという事があまりない。遅れても、地域の人々が何も言わないからかもしれない。多くの人々が、玲瓏院の人間が相手というだけで、許してくれる。僕も時折それに甘えている。
「玲瓏院のお仕事ですか」
僕の声に、火朽くんが呟いた時、エレベーターの扉が開いた。
二人で乗り込み、扉を閉める。
僕がボタンを押すのを、最近では火朽くんは見ない。最初の頃は、僕が『開』や『閉』のボタンに触れる時、必ずまじまじと見ていた気がする。
「大変ですか?」
火朽くんに聞かれたので、階数表示を見ながら僕は答える。
「うーん、宮永が居酒屋でバイトをしているのと、そんなに変わらないんじゃないかな? みんな、バイトをしているし、それと同じように……お給料は出ないけど、やっている事はそんなに変わらないと思う。寧ろお教を唱えるだけだから、僕の方が楽かな」
すると、火朽くんが静かに僕の腕に触れた。
視線を向けると、火朽くんの焦げ茶色の瞳と目が合う。
「紬くん」
「ん?」
「推測ですが――玲瓏院の名前が重いと感じているのでは?」
見透かされるように告げられて、僕はあからさまに息を呑んでしまった。
その通りだったからだ。
だから慌てて視線を逸らし、それから俯いた。
「そうだね。そうかもしれない」
家族が僕は好きだけど、過去に何度も、玲瓏院の家にさえ生まれなければと考えた事があるのは事実だ。自分が相応しいのかという悩みもつきないが、それよりも名前が一人歩きをしている現実が僕には辛い。
「正直、僕には色々と荷が重いと感じる事があるよ」
苦笑しながら呟いた僕の声は、我ながら自嘲気味になってしまった。
すると火朽くんは、僕の腕から手を離した。
ちらりと見れば、静かに瞬きをしている。
「ならばその荷物、僕が一緒に持ちますよ」
「――え?」
僕が聞き返した時、エレベーターの扉が開いた。
答えずに、火朽くんが外へと出たから、慌てて僕は追いかける。
そして隣に並び、歩きながら火朽くんの横顔を見た。
「負担に感じるのならば、それを軽減する術を探すべきです。僕が、いくらでも手伝いますよ。紬くんを僕は、いつだって助けたいと考えています」
それを聞いて、僕は嬉しくなって頬を持ち上げた。
「もう十分すぎるよ。火朽くんには、沢山助けてもらっているから」
「――よく分かりますね。見えている様子はゼロなのに」
「え?」
「いえ、何でもありません。その……僕が助けているというのは、どういう意味ですか?」
火朽くんは、虚空で手を動かし、何かを追い払うかのような仕草をしながら、僕に言った。僕はそれを見てから、改めて正面へと顔を向ける。
「僕はこれまで、多分寂しかったんだ」
「寂しい、ですか」
「うん。だけど、それを誰かに知られるのが嫌だったんだよ。だから、その」
――いつも、一人でも平気なフリをして生きてきた。今では分かる。そうやって内側に閉じこもる事こそが、弱さだ。
「一緒にいて、こうして隣を歩いてくれる火朽くんがいると、それだけで救われる。十分、助けてもらっていると思うんだ」
僕がそう言うと、火朽くんが立ち止まった。
僕もまた歩みを止めて、視線を向ける。
少し、感傷的になって、恥ずかしい事を言ってしまったようにも思う。
笑われるだろうか?
そう考えていたら、火朽くんが微苦笑した。
「では、僕はずっと紬くんの隣にいて、もう紬くんが寂しい思いをしないように、全力を尽くします」
「火朽くん……」
僕はお礼を言おうとしたのだけれど、上手く言葉が出てこなかった。
多分それは、嬉しかったからだ。