【3】守銭奴となった現在





 俺は内閣情報調査室庶務零課を辞め、双子を連れて、玲瓏院本家がある、この新南津市へと訪れた。二十代半ばの俺が、小学生男児二名を伴っている。その上、正式に紗衣と籍を入れたのは、俺が十八歳になってからだ。周囲は、絆と紬は紗衣の産んだ父親の分からぬ子とし、俺が父親ではないと判断しているようだった。

 それでも、二人は俺の実子であるし、例えそうでなかったとしても、俺を闇から救ってくれた紗衣の、大切な残り香だ。二人を連れて玲瓏院本家の応接間に行くと、使用人に統真氏が、絆と紬の面倒を見るように申し付けて、人払いをした。

「して、縲、か」
「葬儀以来ですね」
「新顔にしては、喪主として適任じゃった。してな、玲瓏院本家の正式な後継者――当主として、縲をこちらに迎える準備がある。外から見れば入婿となるのであろうが、縲は正当に、玲瓏院の血も受け継いでいるゆえにな」

 統真氏はそう言うと、庭に見える池を見た。赤い鯉と錦鯉が泳いでいる。

「それが一つ目の、借金を肩代わりする条件だ。後継者は、絆か紬とする。二人が成人するまでの間の繋ぎとなるように」
「はい……」
「それとは別に――きちんと働いて、返済してもらおうかのう」
「……」
「残り約十億ほどじゃ。無論、縲が返済不可能となれば、絆と紬にその責が行く」
「……」
「玲瓏院にあって、玲瓏院にあらず。己が部外者であること、ゆめゆめ忘れぬようにな」

 老獪な目をした統真氏の言葉に、俺は何も言えなかった。


 ――この日から、俺の貧乏&節約生活は幕を開けた。双子の息子は、玲瓏院家で使用人達が面倒を見てくれる。将棋が趣味の統真氏も、孫は可愛がっている。それを確認する傍ら、俺はもう、怪異から離れて子供達に寄り添いたいと思っていたはずなのだが、内密に運び込まれる玲瓏院本家宛の仕事の処理に追われた。内密の仕事であるから、周囲は俺が働いている事は知らない。俺は、入婿であり、力の無い、一般人だと捉えられているようだった。

 別に、誰かに仕事ぶりを認められたいわけでもない。
 こうして、俺の新たなる日々は幕を開けた。


 あれから――十数年以上が経過し、絆と紬は二十一歳となった。俺は三十四歳となった。玄関で下駄を履いていると、そこへ紬が帰宅した。

 紬に笑顔を返しながら、俺は考える。
 子供達自身も、俺が実父で無いと考えているらしいのが分かる。
 昔から、『縲』と呼び捨てられてきた。兄のように扱われているようにも思う。

 同時に、返済のために、一円単位まで気にして過ごす俺の事を、少なくとも紬は『守銭奴』だと思っているようだ。別にかまわないが。

 これから俺は、新南津市心霊協会の、役員会議に出席する事になっている。役員となるのは、玲瓏院家当主の務めの一つだ。ただその実態は、多くの場合は接待をされ、夜の蝶が舞う店へと足を運んでばかりである。紬は、俺がキャバクラ好きだという事も疑っていない。

 無論、エクソシストである俺が、女性に手を出す事など皆無なのだが。
 紬も、そして絆も、俺の過去や、現在の仕事を知らない。
 そもそも俺がエクソシストである事を知らず、周囲同様、彼らは俺には”力”が無いと信じている。だが、それで良い。俺の仕事は危険がつきまとう。俺は子供達には平和に暮らして欲しいのだ。だから今日も笑顔を浮かべ、借金の返済について考えていた。

「おかえり、紬」
「どこに行くの? また、キャバクラ?」
「俺は、接待される時を除いて、自発的に行った事は無いけど、どうしてそういう発想が?」
「なんとなく」
「お金がもったいない。絶対に、おごりじゃなきゃ行かないね」

 本心を述べた俺を、胡散臭そうに紬は眺めていた。まさか俺に、十億円もの借金があるとは――返済して九億五千万円まで減ったが……考えてもいないのだろう。

「心霊協会の役員の集まりだよ」
「今日は一日だよ? 毎月、十日じゃなかったっけ?」
「臨時集会なんだって。面倒な話だよ」

 事実を述べてから、俺は外に出た。そこには玲瓏院家の黒光りする車がある。後部座席に乗り込んで、俺は緑色の紋付の袖を正した。

 実際、今日の集まりは、いつものものとは異なる。
 ――玲瓏院結界に関する話し合いを、上層部で行うのだ。

 走り出した車内で、縲は夏の気配を感じ取っていた。季節は初夏であり、玲瓏院結界の再構築は、例年通りならば、来年である。しかし前回の会議で、とある案が浮上したのだ。

 ――逃げ出そうとしている妖しも、一網打尽にするために、時期を少しはやめてはどうかという案である。俺はこの案に乗り気だった。理由は複数あるが――間接的にと言えど、紗衣を死に追いやった――そもそも己がこの国に来る契機となった、オロール卿の『本物』が、この都市にいると知っていたからだ。俺の中で、憎悪の象徴は、変わらず吸血鬼であり、そしてそれは、オロール卿なのである。

 夏瑪夜明を名乗っている者の中で、本物に遭遇できる確率は非常に低い。
 そして決して単身で相手にしてはならない怪異だ。
 まさか偶発的にこの都市で顔を合わせる事になるとは思わず、俺は存在に気づかれないようにしているが――妻を失った悲愴と恨みを、晴らさないではいられない。

 オロール卿が、戸籍提供の他に、直接的な何かをした事は無い。
 だが、吸血鬼は存在が罪なのだ。
 よって、オロール卿も、存在が罪であると言える。

 そんな事を考えながら、俺は心霊協会の役員室へと入った。すぐに会議が始まるとのことで、各役員室からのみ通じる極秘の会談場所の扉を開ける事となった。

 主要なメンバーは、俺、前瀧澤教会主席牧師の遊佐氏、御陵神社の前跡取り候補の由貴氏の三名である。そこに御陵神社からは、水咲という妖狐も来ていた。

「神社仏閣も教会も、クリスマスシーズンから年始にかけては多忙ですから、その時期に再構築が行われるとは、妖しも考えませんでしょう」

 座ると、開口一番、遊佐氏が述べた。由貴氏と俺が大きく頷く。
 基督教、神道、そして仏教。
 この市の序列においてもNo.3である者達の会談だ。

 この日は、その方向で進めるとして、会談は進んでいった。