【Cafeサイド】絢樫Cafeにて






 ――玲瓏院結界騒動から、一年が経過した。
 僕達は、相変わらずこの新南津市で暮らしている。僕達というのは……。

 僕こと――絢樫砂鳥(アヤカシサトリ)。
 ローラこと――絢樫露嬉(アヤカシロウラ)。
 そして、火朽桔音(カクチキツネ)さんである。

 時は、一年と、さらに少し前に遡る。昨年の春が契機だった。それまで都心で暮らしていた僕達は、妖(あやか)しである。僕は、覚(サトリ)という妖怪なのだが、それを指摘したローラが、僕に安易な名前を与えたのはもう数百年前――ではあるが、僕は現在、高校生くらいの外見を象っている。僕達は、人間ではないというわけだ。

 覚という妖怪は、鳥山石燕という偉い人が描いた今昔画図続百鬼にも出てくる妖怪であり、僕には人の心が読める。それは、人間には限らない。ただそんな僕が、唯一心を読めない相手が、ローラである。

 全てが読めてしまったら、退屈だから。
 僕にとって、唯一理解不能なローラは、僕の中で主人公である。端正な顔をした、猫のような眼の吸血鬼である。

 同様に、僕はそんなローラや世界の語り部でもある。僕は自分を最適な脇役であると認識しているんだったりする。ただ昨年、兼貞北斗(カネサダホクト)さんという人物に言われた。

『覚というのは、妖怪の中のサイコメトリストの事だ』

 北斗さんは、人間である。内閣情報調査室庶務零課という怪しげな部署で働く公務員なのだと話していて――彼は、人間のサイコメトリストである。北斗さんは、人間なのだが、人間の心も妖しの心も読み取る事が出来るそうだった。

「食事が出来ましたよ」

 居住スペースのリビングにいた僕のもとに、火朽さんがひょいと顔を出した。非常に柔和な微笑をしている。それが火朽さんの常だ。

 火朽さんは、狐火である(実は、狐火を象っている更に別の存在らしいのだが)。
 狐火ことFOX FIRE …… は、朽ち果てる事だそうで、華麗にローラが命名をした結果、火朽さんの名前もキラキラしているという結果である。

 ローラ当人は、気分でコロコロと名前を変え、現在は、吸血鬼ものの小説に出てくる少女の名前を適当に名乗っているという次第である。ローラの他の名前としては、例えば霊能学研究をする際の筆名、ブラックベリーなどがある。

 だが、ローラの一番の研究対象は、『人間』なのだという。

『――俺は、人間を研究してるんだよ』

 そう言ってやまないローラの研究室には、人間研究の一環だとして、ダーツやビリヤードが置いてある。僕には、よく分からない。それに最近のローラは、藍円寺さん――……藍円寺享夜(アイエンジキョウヤ)さんの事以外、何も見ていない気がするしね。

「今行きます」

 答えて僕は、ソファから立ち上がった。
 なお、『玲瓏院(レイロウイン)結界』というのは、時折貼り直されるのだという、この新南津市という盆地全体を覆っている結界の事である。これのおかげで、微弱な妖魔は消滅し、ある程度力がある妖しも、その力を奪われる事になったらしいのだが――正直僕達三人に害は無かった。

 僕は昨年の事が懐かしい気持ちになりながら、ダイニングへと向かった。既にそこにはローラの姿があって、ローラは片手で新聞を眺めていた。どこの国の言葉かはちょっと分からないが、日付を見たら、かなり古いものだと分かった。僕達妖しにとっては、少し前だけど、人間の歴史という意味では、少なくとも本日の朝刊などからはかけ離れている。

「今日は中華です」

 本日――十二月三十日。明日は年越し蕎麦を食べると思うし、明後日はお餅やおせちを食べると思うので、丁度良い配分だと思った。並んでいるエビチリや麻婆豆腐を見ながら、僕は笑顔を向けた。最近では僕もまた料理をするようになったが、専ら家事の担当は火朽さんである。

 ただどうせ、と、思う。
 明日から新年にかけては、この二人は、それぞれ恋人と過ごすと思うのだ。二年前までは三人で新年を迎えていたが、少なくとも今年もそうはならないと僕は確信している。

「いただきます」

 かくいう僕も――……ちょっとした約束があるので、一緒に過ごす事は無理なんだけどね。考えてみると、大晦日から新年になった直後に結ばれ、一日から明確に恋人同士となった僕にとって、明日と明後日は、ある種の記念日だ。

 僕は、水咲(ミサキ)と出会った頃は、まさか恋人同士になるなんて考えてもいなかった。僕の恋人の水咲は、妖狐である。御遼(ゴリョウ)神社のアメ様という神様に仕えているそうだ。

「いただきます」

 ローラが新聞を傍らのテーブルに置き、手を合わせた。すると火朽さんもまた椅子に座りながら、視線を向けた。

「何を見ていたんですか?」
「んー。ちょっと前の、『深緋』の国際手配書に、知り合いの名前を見つけてな」
「確か、夏瑪先生の手配書も拡散されていたのですよね?」
「おう。夏瑪は喰い殺しながら進んできたタイプだからな。今、落ち着いてるのが俺には意外だ」

 夏瑪夜明(ナツメヨアケ)先生というのは、ローラの友達(?)の吸血鬼である。日本屈指の心霊大学として有名な、霊泉(レイセン)学園大学で教授をしていて、そこのゼミに、火朽さんとその恋人の、玲瓏院紬(レイロウインツムギ)君は所属しているそうだ。

 なお、夏瑪先生は、玲瓏院結界が貼り直された結果、新南津市から出られなくなってしまったらしく、紬君のお父さんの、縲(ルイ)さんという人に――刻印をしたらしい。刻印とは、死ぬほど簡単に述べるのならば、吸血鬼が『自分の餌』だと知らしめる為にする行為だ。ちなみにこれは、ローラも藍円寺さんにやっている。昨年のローラは闇落ちしかかって、一瞬、藍円寺さんを監禁したりしたんだったなぁ。今となっては懐かしい。その後無事に、ローラと藍円寺さんは恋人同士になったので、僕は何も言うまい。

 頷いた火朽さんが、何気なくテレビを付けた。すると去年から流行っている若手俳優の、兼貞遥斗(カネサダハルト)とKIZUNAという俳優のW主演映画が、地上波に初登場していた。兼貞遥斗の方は北斗さんの親戚らしく、何よりKIZUNAの方は、紬君の双子のお兄さんの、玲瓏院絆(レイロウインキズナ)君というらしいし、なんだか勝手に親近感を抱いてしまう。昨年は、様々な人と出会った年でもあった。今年も何かと濃かった。

 ――来年は、どんな風になるんだろう?
 そんな事を考えながら、僕はフカヒレのスープを食べたのだった。