【一】
――結婚に必要なものは何か?
鷹凪依織は考えていた。少なくとも、愛情ではないだろう。
いくつかのスペースコロニーが建設されて、早五百年。
人口爆発が課題となった地球から少し離れた場所に、二十一世紀から見たならば超科学と呼称される技法で、人間が住まうコロニーが建設された。
しかし徐々にコロニーの内部で、地球系人類は減少した。
その結果現在では、地球以外の惑星出自の人型知的生命体の個体数が多くなっている。
アマゾネス系人類や、水棲系人類、猿型人類、他にもいくつもの人類と地球系の人々の交流が盛んになり、今ではコロニーにも、様々な惑星出自の人型知的生命体が暮らしている。彼らは他惑星系人類と呼称されている。
ここもそんな、地球系と他惑星系の人類が共に暮らしている、スペースコロニーの一つ――『ウ』だ。
旧日本国直轄のコロニーは十二あって、それぞれに子丑寅卯……と十二支の名前が割り振られている。このコロニーの正式名称は第四号コロニーであるが、多くの皆が『ウ』と呼んでいる。
スペースコロニー『ウ』の第二区画。橙色の海が見えるそのカフェにて、依織は珈琲を飲んでいた。
旧日本国直轄居住地、『和国』……首都・東都。第五東京湾に面したこの島型居住施設の一角で、依織は光型タブレット端末を眺めている。
隣の窓ガラスには、依織の艶やかな黒い髪と、形の良いアーモンド型の目が映っていた。服装は白衣で、その下には焦げ茶色のハイネックを着ている。
超科学技術は普及しているが、日常的な生活範囲の文明水準は、二十一世紀の令和の時代とさして変化がない。白衣もコーヒーカップも昔と同じだ。それはこの『ウ』で生まれた依織が、小さい時から三十一歳になった現在まで変わらない存在である。
世界は進歩しているが、古きよきものに変化はない。
「はぁ……結婚したい……」
その時思わず依織は呟いた。
端末に表示しているのは、コロニー内の婚活用マッチングアプリの画面である。
現在では、愛があれば結婚に、性別は無関係という価値観が主流である。
そのため、個々人の性自認や性的指向は尊重されるが、婚姻はお互いの同意があれば、性別はおろか出身惑星を問わず可能だ。
一定数の人類が巨大な人工子宮装置から生み出されるため、子供の心配もあまりない。
従来通り男女間の自然妊娠も可能だが、同性同士であっても希望すればお互いの遺伝子や精子、卵子を提供する事で、二人の特性を引き継ぐ子が人工的に生まれてくる。
超科学技術は、主にそういった方面や、コロニーの維持・管理に用いられている。進歩している部分は、進歩しているといえる。
依織はそんな『ウ』において、飛来する隕石を破壊する第四号コロニー防衛軍の付属研究所で働いている。依織の主な研究・開発対象は、飛来する隕石を探知するシステムだ。その装置の改良と、実際の操作も仕事には含まれている。
依織はカップを手に取り、褐色の液体をもう一口飲みこんだ。
カフェにいる他惑星系人類は、チラチラと依織に視線を向けている。理由は簡単で、依織の容姿が目を惹くからだ。
地球系人類は、他惑星系人類から見ると、容姿が整って感じられる場合が多い。種族的な美醜概念の違いだ。仮にここが人口爆発中の地球だったのならば、平均的な容姿という評価だろう。ただし『ウ』では、地球系が減少傾向にあるので、依織は稀に見る美形と称する事も可能だ。
さて最近、依織は同じ事ばかり考えている。
(……――結婚したい)
もう家に帰って、軍から支給された冷たいレトルトのご飯を、レンジに放り込む生活は嫌だ。動きが鈍い清掃用ドローンの融通のきかない掃除により、ところどころに埃がある生活も嫌でたまらない。なにより一人寂しく眠るのが辛い。人肌が恋しいのであって、決して空調で暖まりたいわけではない。
料理をはじめとした家事をしてくれる相手、そして夜一緒に寝てくれる相手が欲しい。
最初はハウスキーパーを雇おうかと考えた。だがさすがに、夜の添い寝はサービスの範囲外らしい。かといっていちいち娼館に行くのも面倒くさい。よって専ら性処理は、多忙なここ最近は右手だった。
しかし昨日やっと、探索システムの改修という大プロジェクトを終えた。ようやく研究・開発の仕事は落ち着きをみせはじめた。つまり暇ができた。
仕事面において依織は有能であり、軍属の研究者としては高い階級の持ち主だ。若くして現在は技術大佐の地位にある。収入も多い。
他者から受ける評価として、性格は穏やかで心優しい天才科学者――それが己だと依織は思っている。先日上司にもそう評された。
だがそれは上辺であり、実際の依織は打算的な面を持ち合わせている。単純に性格が良いと装う方が、生きやすいからそうしているだけで、内心では利己的だったりもする。
依織はこのように、コロニー内においては少なくとも、顔がよく、地位もあり、しっかりした仕事の持ち主で、高収入でもあり、上辺の性格評価も高い。己の条件は結婚相手として最高ではないかと、依織は常々考えている。
(やっと暇ができたんだから、この機会を逃さずに、結婚したい!)
愛なんて無くていい。自分の条件だけ見てくれたら満足だ。
そう考えているのに、何故依織は結婚できないのか。
それは依織の理想と相手への要求が、非常に高いからである。
依織は専業主婦あるいは主夫になってくれる相手と結婚したいと願っている。
手作りの食事、行き届いた掃除、洗濯、そして夜の温もり……それらが欲しい。
だがそもそも、家事の多くをドローンが担うようになったこのご時世に、専門の職業従事者以外で、家事ができる人は少ない。生活に必要な事柄はドローンに任せる者が増加したからだ。というのも他惑星系人類は、地球系人類のように二足歩行で手があるとは限らないので、両者が共同生活を送る上では、ドローンが必須だ。そのため開発されたドローンが数多あり、贅沢を言わなければ日常生活に不便はないからだ。
さらに男女平等が叫ばれるこの時代ではあるが……ただでさえ台頭しているのは、男性が家事をしながら家を守り、女性が戦うという価値観で、それが依織の考えに合わない。
このコロニーで最多の個体数を誇るのはアマゾネス系人類であり、多くが女性だ。女性は外で働くものだという価値観は、彼女達から普及した。そんな状況下では、依織がイメージする家庭的な相手として、女性は選択肢から外れがちである。女性こそが家にいるものだという価値観は、この『ウ』の中でも、祖先を旧日本国に持つ、ごく一部の人間が崇拝する宗教のように扱われている。
(つまり相手は男がいいな)
内心で依織は考えた。依織は同性愛について思うところは何もなく、過去には男性とも交際経験がある。好きになれば性別は無関係という『ウ』の価値観に触れて育ってきた依織は、女性とも男性とも付き合った事があるし、体を重ねた事もある。男性との場合は、受け身役を務める場合が多かった。
ちなみに依織は、相手の体の相性にもこだわりがある。男性が相手の場合、巨根の絶倫に貫かれるのが望ましい。何回も果てたいし、快楽は追及していきたい。
だがこれは、確かめるのが中々困難だ。
婚活での出会いの場合、結婚まで清い交際を望む者も珍しくないと、アプリのコラムには掲載されているし、そもそも相手が童貞の可能性も高い。結婚相手を探すのなんて、モテなかった者が多そうだというイメージがある。即ち、経験が少なそうだ。依織としては経験豊富で技巧に長けた相手がいい。
そうなってくると、陰茎がある人類の中で、自分と同じような身体構造の、容姿的にモテる地球系の相手がよいと感じてしまう。また、他惑星系の者から見ると地球系は美しく見えるのだが、地球系から見ると他惑星系の人類はやはり個性的な容貌が多いので、面食いの依織としては回避したいと思っている。タイプではないという事だ。
しかし繰り返すが、地球系人類は、コロニー内では減少の一途を辿っている。依織も地球系の男性をあまり知らない。
――結婚はしたいが、誰でもいいわけではない。
これが難題であり、仕事が多忙である以外に、依織が結婚できない最大の理由でもある。
「ああ……結婚したい……」
俯いた依織は、カップを置く。そして光型タブレット端末に、『結婚』と入力した。そのまま検索すると、『お見合いパーティー』の文字が躍り、視界に入った。
「……顔面を見極めるためには、実際に会う方がいいよなぁ」
そう独り言ちて、依織は近くの会場で行われるというお見合いパーティーに、参加予約を入れた。本日の午後四時に開始らしい。時間や暦は、地球由来で昔のままだ。現在は、十一月の十日である。イベントごとも地球とそっくりそのままなので、クリスマスまであと一か月と少しだ。できれば、それまでには相手を見つけて、イベントにかこつけ、盛り上がっている雰囲気を演出し、体を重ねるという確認作業も終えたい。
そんな事を考えていると、カフェの各地に設置されているホログラムウィンドウにニュース映像が流れ始めた。
『先月、三十年ぶりに地球からの移住者を乗せた宇宙艦サトウが、この第四号コロニーに到着した件で、続報です。宇宙艦サトウは、主に司法取引した犯罪者が――』
あまり興味がないニュースだったため、依織は光型タブレット端末に視線を戻す。
時刻を見れば、現在午後三時二十二分。今から新型モノレールに乗れば、お見合いパーティーの会場に早めに入る事ができるので、より多くの相手を観察するのにいいかもしれない。
そう思案し、鞄に光型タブレット端末をしまってから、依織はカフェを出る事にした。
今回こそ、結婚相手を絶対に見つける。そのために最大限の努力をしたい。
強くそう念じながら、依織は本日の勝負に臨む事に決めた。