劈く



 耳を劈く程の虚言。

 全く頭痛がしてくる。そんなことを思いながら、家時は不味い珈琲を飲む。

 淹れた保科はと言えば、いつものごとく笑いながら、あれやこれやと世辞を並べ立てている。それが本音ではないことくらいは、もう分かる。分かっていた。その事実がどうしようもなく空しくて、胸を締め付ける。

「――家時様?」

 そうした家時の内心になど全く気づいたそぶりもなく、少年藩主は押し黙った家時に向かって首を傾げた。

 ――共にいられる幸福。側にいられる僥倖。

 けれどそれだけではどんどん足りなくなり、満たされなくなると家時は感じていた。
 ただ本心が知りたかった。

「お前は……」
「なんです?」
「俺のどこが好きだ?」

 聞くのが怖いたったの一言。
 それでも聞かずにいられなかった衝動に、家時は目を細めた。
 嫌いだと、その言葉が返ってきたら、己はどうするのか。たまにはそんな風にネガティブにもなる。家時にとって、そんな経験は初めてだった。いつだって自分は頂点にいた。だから怖いモノなど何もなかったのだ。なのに、指先一つで動にでも出来るたった一人の少年の心が欲しくて仕方がない。

「一緒にいると、いつでも笑っていられるところとかです」

 しかし帰ってきた意外な言葉に、虚を突かれて目を見開いた。コレも世辞か? だとしてもだ。嬉しかった。胸の奥から何かがこみ上げてくる。すんなりと口から出てきたのだから、それはあるいは用意されていた回答なのだろうと思う。これほどまでに人を信じることが困難だと思ったことはない。けれどそれでも信じたい自分がいた。

「とか、に含まれる他の要素は?」
「キノコを買ってくれたり」
「……好きなだけ食べて良いぞ。お前は本当にキノコが好きらしいな」
「後はちょっと馬鹿なところも好きです」
「俺に向かって暴言を吐いて生きていられるのはお前くらいのものだぞ」
「だけど僕のことを許してくれる、そう言う優しいところも好きです」
「俺は優しいか?」
「どちらかと言えば俺様鬼畜ですけど。最近は一緒にいると優しいかなぁ」

 腕を組み、保科が考える様な顔をした。
 こういう少年らしい表情を見ていると、胸が温かくなってくる。ただ、これも嘘なのかと考えれば、泣きたくなってくる。けれど保科の前では泣きたくはない。胸の中でその内この涙は枯れるだろうから。

「どうして宮様ではなく俺を選んだ?」
「そんなことを言われても……好きだからかなぁ」

 何気ない一言だった。当然のことのように保科は言う。
 保科を廻る勝負に勝利した、のか。いいや、紫陽花宮はリタイアしたのだし、保科の存在は景品などではないから、勝負をしているつもりもなかった。何に変えても手に入れたかったのは本心だ。けれど、手に入れたという実感がわかない。

 ああ、きっとそれは夏のせいだ。
 気怠い暑さに保科を奪われそうで怖いのだ。世界が、自分たちの間を引き裂こうとしている感覚だ。だがそんなことは許さないし、仮にそんな残酷な世界が存在するのだとすれば、世界を変える。

「こちらへ来い」
「え、嫌です」
「……いいから来い。俺が来いと言ったら、来い」
「なんだか怖い顔してるから嫌です」

 ふるふると保科が首を振る。思わず溜息をついて、家時の方から歩み寄った。
 そしてすっぽりと腕で抱きしめる。まだまだ幼さの残る保科の華奢な体躯を抱きすくめる。保科はその腕の中で大人しくなり、額を家時の胸へと押しつけた。

「何をお考えなんですか?」
「お前のこと以外考える気にはならない。少なくとも今のこの瞬間は」
「どうしちゃったんですか、家時様」
「恋に狂ってる」

 家時の言葉に、腕の中で保科が、僅かに硬直した。
 どんな顔をしているのか気になったが、家時は強く保科の後頭部に手を回して胸に押しつける。見たいようで、見たくはなかった。

 だから知らない。保科が赤面して瞳を潤ませていたことを。
 二人の間には、少なくともその時確かに、愛があった。