雪洞
生まれ育った地の、白いあの雪を、有馬にも見せたい。
いつか二人で、雪が積もる頃に故郷へと出かけて。
有馬に会いたかった。無性に会いたい。この恋しさを受け止めてくれる有馬の存在が何よりも大切だった。雪原に二人で、これまでの軌跡のように足跡を残したい。
――だなんて馬鹿げたことを考えるほど、最近有馬に参っていると思う。
そんな自覚に羽染は苦笑した。
ただ相手が有馬ならば、それでもいい気がした。
「絶対俺の方がお前のこと好きだよな」
「……なんだって?」
朝。
有馬は夜勤明けで、朝になって帰宅した。
二人でサラダを食べていると、ポツリと有馬が言ったから、羽染は聞き返した。
そうだろうか。
そんなことはないと思うのだ。
窓の向こうを流れていく白い雲を眺めながら、視線は合わせずに己の中に渦巻く感情をもてあましながら、羽染は考える。恐らく今では、愛という感情に絆されてしまっているのは、自分の方だ。激情によく身を絡め取られそうになる。それを吐露したいとは思わない――ただ。
「俺は有馬のことを好きじゃないように見えるか?」
「見えないし、それは許さない。ただ愛の量の問題って言うかさ、俺から出てる矢印の方が沢山ある気がする」
「どういう意味だ?」
矢印? それは、羽染にはよく分からなかった。
ただ己が狂おしいほど有馬のことを思っているのは分かっていた。
もしも不安を抱かせているのであるとすれば、その事実によほど不安になる。
「俺は、きちんと有馬のことが、好きだぞ」
「知ってる。ただ、それをもっと目に見える形で見たい」
「……そうか」
目に見る形。
それは難しいなと羽染は思った。何せ、有馬がいない日に強く、有馬への思いを実感するからだ。その時その気持ちを伝えることが出来たら、どんなに良いのだろう。
寒さには強いはずなのに、寒い夜であるほど、有馬の温かさを思う。会いたいのに会えない日にばかりいっそう感じる想いなのだ。あるいはそれは寂しさという名前をしているのだろう。だがそれは、有馬でなくてはならない、もう有馬の不在など考えられない、己を自信を自覚させられる。
それから二人で、寝室へと向かった。そこには洋室には不似合いな雪洞がある。
小夜の土産の品だった。
昨夜は一人、この灯りの中、羽染は眠れず過ごしたから、ベッドの端に横たわれば眠気が溢れてきた。
「羽染」
「なんだ?」
「なんかお前、顔色が悪いな。青い」
「そうか……?」
まさか眠れぬ夜を過ごしたからだなどと言うことはないだろうと思いながら、羽染は苦笑した。すると有馬が羽染の方へと手を伸ばす。今ではすんなりと腕枕をされることに羽染離れきっていた。この温もりがなければ、眠れないのだろうか、だなんて考えた瞬間に、睡魔に飲まれた。
目を覚ますと、ベッドサイドの四角い雪洞だけが暗い部屋に灯りをもたらしていた。
視線を向けると、有馬が苦笑した。
「――悪い、寝て……」
体を重ねるはずだったのだと考えて羽染が言うと、自分よりもよほど疲れているだろうに有馬が首を振った。
「俺も寝たし、寝る前も起きる前もお前の寝顔が見られて、何だからほっとした」
「ほっと?」
「お前が側にいるのを見ていると、胸が騒ぐんだけど、妙に落ちつくんだ」
腕に力を込めた有馬は、羽染のことを思いながら目を伏せる。
二人の影を雪洞が壁へと長く映し出していた。
「羽染がいてくれるから、今の俺は頑張れるんだと思う。ただ離れていると、無性に会いたくなって寂しくなるんだ。だからお前が側にいるとほっとする」
「それは、」
有馬も自分と同じ気持ちなのかと理解して、羽染は目を瞠った。
だからそれから微笑んだ。
有馬は羽染のその表情に見惚れた。
「俺も一緒だ。なぁ有馬、今度」
「ん?」
「一緒に会津に行かないか? そうだな、冬に」
「いいぞ。だけどどうして?」
「有馬と一緒に白い雪を見たいんだ」
そう言って羽染は、有馬の手に、手を重ねた。
有馬は珍しいなと思ってギュッと握りながら、頷いた。
「絶対に行こうな」
その約束は、近いうちに果たされた。
儚い雪、冷たい風、そんな中、二人で雪景色を見た。
雪原には、二人の足跡が残った。