会津藩の嘗て(親世代の昔)





「これより藩議を始める」

 家老である、神保霜月の声が響いた。

 藩議とは、元老院制になった後、藩主が月に一週間ほど藩へと戻った際に行われることになっている会議だ。この当時は、議会のない期間の他、月に一週間ほど藩主が帰郷するのが習わしだった。

「今回の議題は、経費削減についてである」

 霜月の言葉に皆が息を飲んだ。
 扇子を開きながら、保科成彬はそれを見守る。

 切れ長の目が、静かに瞬いた。
 薄茶色の瞳が、宝石のようだ。

「何か意見がある者はおらんか?」

 霜月の声に、皆が床を見た。斜め前の床だ。要するに視線を逸らし
 ているのである。誰も何も考えてきていない、それが現実だった。

「――ご家老」

 そこへ凛とした声が響いた。大きなアーモンド型の瞳をスッと半眼にし、鋭い空気を放つ蒼闇色の瞳。同色の髪が、白いかんばせを彩っている。怜悧な色を浮かべた瞳で、挙手をしたのは、羽染晴親だった。

 まるで周囲の空気を凍てつかせるような、闇の気配を放っている。

 普段は外交官として渡欧しているか、国内にいても、成彬の議会に付き従っている忠臣である。その静かながらも力強い声に、霜月が顔を向けた。

 成彬と、控えていた、神保神楽も視線を向ける。

「なんじゃ?」
「ハッ。宜しければ、発言を」
「構わぬ」
「あのー、この会議、無駄じゃありません?」

 続いた朗らかな声に、その場が奇妙な空気に包まれた。

 ――だよなぁ、そうだよなぁ、晴親がまともな経費削減案持ってくるわけないよなぁ。

 神楽は笑みをかみ殺すため、両手で口を覆った。
 いや、だが、まともというか、ちょっと空気が読めないにしろ、この晴親の発言にはきちんと理由があるのだろうと神楽は考えて、改めて視線を向ける。

「だって、毎月毎月、議題は一緒。経費削減ですよ? それなら、この会議を止めれば、光熱費も浮きますし、変わりにここで、『保科様と行く! 見学ツアー』でもやったら、収益になるじゃないですか」

 一理ある、一理ありすぎる、しかしよくそれを言う度胸があるなと、神保は吹き出すのを必死に堪えた。その上先ほどまでの真剣な表情から一転し、晴親は朗らかに笑う。

「と言うことで、もう帰ってもいいですか?」
「ならぬ! 馬鹿かお主は!」

 霜月がついに怒鳴った。
 このご家老、怒ると大変怖い。

「ええ? どうしてですか? 節電もクールビズも、全部やったじゃないですか。根本的に、もっと無駄を省かないと」
「成彬様にご相談させていただく貴重な機会を潰すというのか!?」
「だったら、経費削減以外を相談して下さいよ。成彬様に会いたいんなら、それこそ、一回百円貯金箱とか設けて話してもらった方が、収益に繋がります」
「藩主様になんと畏れ多い!」
「そーんなこと言って、霜月様だって、ただ本当は成彬様とお話したいだけなんでしょう?」

 にこにこと笑っている晴親に、さすがの霜月も肩を落として深々と溜息をついた。

「お主が外交官でなかったならば、とっくにここにはいられなくなっておるぞ」
「いやでも、いますし」
「羽染――!!」

 霜月の怒鳴り声と、日溜まりのような晴親の声が非常に不釣り合いに交差する鶴ヶ城である。

「静まれ」

 バチンと扇を閉じ、眼を眇めて成彬がそう声をかけた。
 白磁の頬を傾けて、嘆息している。

「ハッ、申し訳もござりません」

 頭を低く伏せた霜月が、冷や汗を流す。

「……」

 一方の晴親は、じっと成彬を見た。

「……羽染。お主はわしに、一回百円で、藩士と会話をしろというのか?」
「たとえです。だって、人が良い成彬様に、お金取るなんて出来ないでしょう?」
「……」

 表情を変えず、成彬は何度か瞬いた。
 まるで人形のようだ、そう評されることの多い風貌だ。
 成彬のことを人が良いだなんていうのは、晴親くらいのものである。

「ちなみにお主なら、一回いくら取る?」

 不意に成彬が、唇の片端を持ち上げて羽染を見た。

「――……私ですか? うーん。そうだなぁ、神楽はいくらだ?」
「俺にふるな」
「ま、お前なら10円か」
「安っ」
「だって成彬様が100円なんだぞ?」
「それ、晴親が決めただけだろ!」
「ええと。じゃ、神楽が10円で、成彬様が100円で」
「決定かよ!」
「私はそうだな、二万円くらいか」
「高っ!」

 神保神楽は、己がつっこみ役である事実に疲れつつあった。

「あのなぁ神楽。希少価値の演出のために、あえて高くするって言うのも必要なんだぞ。だって独逸大使は、私だけだし」
「だからって――……独逸大使と話したい人間がどれだけいるんだよ」
「ふむ、あいわかった。では羽染のその時間、わしが買おう」

 成彬がそう言って立ち上がった。
 一同が、ポカンとしてそれを見ている。

「二万で良いのだな、晴親」
「成彬様なら、特別価格で二十万でも良いですけど」
「値上がってるからそれ!」

 どこまでもつっこまずにはいられない、神楽だった。
 このようにして会議は解散となった。

 成彬は、晴親と連れだって、一人息子の元へと向かった。

「あ、父様!」
「ならぬ! 藩主様と呼べ!」
「うっ……」

 乳母の手に逃げ戻り泣き出した秋嗣を見て、成彬は嘆息した。
 成彬とは違い、母親に似たため、秋嗣の瞳は子犬のようだ。
 髪と目の色こそ変わらないが、威圧感は100と0ほども違う。

 今年で三歳になる一人息子の姿に、成彬は腕を組んだ。
 本当は抱きしめて頬ずりしたいのだが、成彬にはそんな事をする勇気はない。

「秋嗣様、お土産ですよ」

 そう言うと何処に持っていたのか、晴親が棒付きキャンディーを差し出した。

「……っ」
「良い。受け取れ」
「はい!」

 涙をゴシゴシ拭きながら、秋嗣が走り寄ってきた。
 その柔らかな髪を撫でながら、晴親が満面の笑みを浮かべる。

「小夜と仲良くして下さってるそうですね?」
「へ、え、あ……」
「ちゃんと応えろ!」
「は、はい!」
「成彬様、怖っ」
「なっ」
「秋嗣様も怖がってるだろ。なぁ?」
「え、あ、だけど僕、父上のこと大好きです」
「ほら、怖いのは否定してないじゃん」
「……」

 成彬は、思わず片手で顔を覆った。
 時期藩主たる長男のことは、何かと厳しくしつけなければと思っているからだ。

「あ、あの、小夜ちゃんは、可愛いです」
「そっかぁ。秋嗣様は見る目があるなぁ!」
「あ、あとね、良親さんは、格好いいです!」

 その言葉に思わず成彬は咳き込みそうになった。己が、晴親を好いているのだから、息子が羽染の子供達を好いてもおかしくはない。

 ――好みが似ないとは限らないではないか。

「良親が格好いいのかぁ……小夜の方が格好良くないかな?」

 すると晴親が、首を傾げた。

「あの、小夜ちゃんはなんだか凄すぎて意味が分からなく格好いいから、あれは『可愛い』って事にしておけって、皐月さんが言ってました!」
「小夜は凄いけど、へぇ。ちなみに皐月君は、良親のことは何て?」
「俺の花札って!」
「花札?」
「ここぞと言うときに使うらしいです!」
「切り札かな……え、何で皐月君の切り札が良親なんだろう。成彬様どう思います?」
「全く分からない。さっきから会話の意味が分からない」
「やだなぁ、成彬様のお子さん――って言ったらあれだな、じき藩主様と、うちの子供達と、その友達が仲良いって話です」

 朗らかに笑う晴親を見て、成彬は溜息をついた。

「あー、父様!」

 その時そこに声がかかって、小夜が走ってきた。

「小夜、危な――」

 兄の良親が、正面の池を見て声をかけるも、華麗に池を飛び越え小夜は着地した。
 複雑そうな表情で、良親は、池の周囲を回って歩いてくる。

「小夜。元気にしていたかな?」
「はい! いつも、秋ちゃん『で』遊んでます!」
「ご無沙汰いたしております、父上」

 歩み寄ってきた良親は、晴親によく似た顔で、ただ少しだけ目が鋭かった。
 眼が細いとか小さいとかそう言うわけではなく、どことなく切れ長で怜悧なのだ。

「良親は真面目だな。私そっくりだ!」
「どこがだ?」

 つっこみ役の神楽がいないため、思わず成彬が双眸を細くした。

「な、成彬様。羽染が長男、良親にございます」

 慌てたように、良親が草むらに膝を突く。

「気にしなくていいよ良親。何せ成彬様は、俺のことを今二万円で買ってるところだからさ」
「……?」

 その言葉に顔を上げ、良親が首を傾げた。

「二万円で父上の時間が買えるのですか?」
「うん」
「明日、先約はありますか?」
「無いけど?」
「では明日二十四時間、僕が買います」
「ええ?」
「48万円ですよね? その位なら貯金があります」
「ちょ……どうやって貯めたんだよ。あのね、良親……そんなお金無くても、良親のためなら無償で何時だって時間を作るからね」
「――……本当に?」
「ああ、本当だ。父さんが嘘をついたことがあったかな?」
「……大抵嘘じゃないですか」
「えええっ」
「でも、信じます。今夜はちゃんと帰ってきて下さいね」

 そんな羽染親子のやりとりを見ながら、成彬は静かに秋嗣の手を握った。

「!」

 驚いたように、秋嗣が目を見開く。

「……鮎でも、その、釣りに行くか?」
「は、はい!」

 このようにして、二組の親子の時間は流れていった。




「だけど、子供の成長って怖いよな」

 居酒屋ジュゲムで、徳利を置きながら晴親が言った。

「怖いって、何が怖いって、お前の息子が約五十万貯めてたのが一番怖いわ」

 神楽が言うと、唇をとがらせて、晴親が神楽を見る。

「な。私なんて、宵越しの金は持たないタイプなのにな。誰に似た

 んだろう。顔面的に俺だけどさ。目は、静だけどな」

「反面教師って奴だろ」
「確かに成彬がツンデレだとすると、秋嗣君はデレツンだもんな」
「だからお前さ、藩主と、じき藩主をフランクに呼ぶなって」

 ぐいぐいと熱燗を飲みながら、神楽が言った。

「良いよなぁ、お前の所は。私と成彬と違って、奥さん生きてるし」
「何でいきなりそう言う暗い話題持ってくるんだよ」
「ん。真面目な話し。私が死んだらさ、良親と小夜のこと頼むわ」
「は? なんだよ急に」
「――今回帰郷したの実はな、小夜の検査結果が出たからなんだよ」
「え?」
「静子と同じ病気だ。長くない」

 静子は、羽染の妻の名前だった。

「っ」
「これでもし俺に何かあれば、良親は一人になる。成彬がいれば、成彬様を支えろって言えるけどな――誰が何時死ぬか何て、もう分からないだろ。だから会津にずっといる確率が一番高くて、大戦にも関わらなそうな、生存率が客観的に見て高いお前に言っとく。もしも小夜も俺も成彬も死んだら、良親には、会津を出て好きに生きろと言ってくれ」
「な――」
「もしあいつが、成彬の所の、秋嗣を主だって定めてるようだったら別だけどな。俺は根本的に、藩政というか元老院制にも反対だ。成彬が藩主じゃなかったら、とっくに亡命してる」
「晴親、お前――……」
「良親には未来がある。自分で選んで欲しいんだよ、好きな世界を」
「……分かった。ま、基本俺に出来るのは見守ることだけで、お前の息子を信じるけどな。何せ、お前の息子だぜ?」
「へ?」
「晴親の息子が、俺ごときにどうにかなるとは思えない」
「……そうか」
「しかもお前より理知的で、お金貯めるセンスあるし」
「うるせぇな。おごらないぞ、今日」
「さーせんした」

 そんなやりとりを二人がしたのは、夏のある日だった。