花御堂
――四月八日は疾うに過ぎた。別段仏教徒というわけでもない。
この国では葬式仏教こそ根付いているが、根本的には神道だ。
だからどこの家にも仏壇と神棚はあるし、それどころかクリスマスも祝う。
そんなことよりも、暑い。
夏の熱気に囚われて、やる気が根こそぎ奪われていく。
エアコンをつければいいのだと言うことは分かっている。けれどリモコンを取りに行くことすら面倒だった。
怠い怠い怠い。
その内眠気に襲われて、微睡んだ。
――目を覚ましたのは、肌寒さを感じた時のことだった。
「成彬様、起きてたんですか?」
「なにをしているのじゃ晴親。熱中症になってしまう」
「やる気が起きなくて」
「お主がか? 珍しいな」
果たしてそうなのだろうか。自分ではよく分からない。
ただ時に、どうしようもなく眠い日がある。それだけは分かっていた。
「ならばもう少し寝ておったらどうじゃ?」
「眠いんだけれどね、眠れない感覚がするんです」
そんな時は、現実に裏切られた感覚に陥る。もし今ここに保科成彬がいなければ、自分は自暴自棄になっていた、そんな気がした。だけど間違いなく、己にとっての太陽はそこにいる。
「それとも一緒に眠ってくれます? 子守歌を歌いながら」
「からかうでない。これでもわしは心配して――」
「結構本気だったんだけどなぁ」
クスクスと晴親は笑う。嗚呼、今自分達は自由だ。
――本当は言われていた。
いつまで保科成彬を自宅にかくまっているのかと。しかるべき安全な場所を用意する手配は万全だと。それでも一緒にいたいというのは、ただの我が儘なのだと晴親自身よく分かっていた。共にいると覚える安堵感の正体を知りたいようでいて、その名は永久に聞くべきではないような気もする。ただいつでも隣にいてくれればそれで良いのだと思う。それだけ離れて過ごした時間は寂しかった。これは藩主に対する忠誠でも、後輩への思いでもない。じゃあ何なのかと聞かれても答えなんてそれこそ絶対的に永久に出す気はないけれど。
欠伸をしてからソファに寝そべり直す。
すると成彬が歩み寄ってきた。
「珈琲でも飲むか?」
「成彬様に淹れられるんですか?」
「……わしとて、粉をお湯で溶くぐらいは出来る」
そして、そう言うことになった。
不器用に慣れない仕草で珈琲を淹れる成彬を、晴親は眺めていた。
そんな一時は紛れもなくかけがえが無くて幸せなはずなのに。
いつか崩れそうで怖い。
それから二人で、テーブルを挟んで座り直した。
安っぽいインスタント珈琲の味に、それでも救われる。
こんな偽りの日々の甘さをいつまでも手元に置きたい己の欲望を、一時だけ忘れさせてくれる褐色の熱に、晴親は短く吐息した。
「少しは眠気が取れたか?」
「うん、良い感じに」
ただ気怠さだけは残った。そして気づく。コレは夏の暑さが原因ではないのだと。
――別れは来るのだ。
だから触れるのが怖い。成彬にも世界にも。己が戻ってきた時に、そこに太陽が無くなってしまうのが恐ろしいのだ。それ故怠惰を貪り、今を見つめる。
ただ己が月ならば、いつまでも輝き続けたかった。