カレー




 保科様――秋嗣は、モテる。
 それはもう大層モテる。おモテになる。
 人望の一言では片づけられないと、僕は思う。

 羽染はそんなことを考えながら、昼食のトレーを手に席を探していた。
 と言うのも回廊に、保科の姿を見つけたからだ。
 紫陽花宮と徳川家時に挟まれている。
 そして曖昧に作り笑いを浮かべているのだ。

「羽染?」

 ――すると隣で有馬が、小さく嘆息しながら声をかけた。
 羽染を思うこと幾星霜。
 一切気づかれる様子が無く不憫な有馬は、今日も羽染の視線の先にやきもきする。

 ……羽染と保科が付き合っていることは、嫌と言うほど分かっている。

 それでも羽染のことが好きなのだから仕方がない。
 大好きだ。それはもう愛している。

「何してるんだお前ら。突っ立って」

 そこへ山縣が声をかけた。
 こちらも羽染を思うこと、とても長い。いつだって羽染を見れば、見惚れるものだ。
 羽染の声も好きだし、眼差しも好きだ。

 だからわざとらしく、保科が囲まれている所を見せるようにセッティングしてみたり、二人の中の妨害工作を試みたり(待ち合わせ時間を間違わせたり)しているのだが、効果は薄い。そして我ながら腹黒いと思っている。

 そもそも羽染は難易度が高い。

 本人は無自覚で気がつかないが、大層周囲には、羽染に恋する者が多いのだ。
 四六時中側にいる有馬がまず厄介である。

「僕の席を探していてくれたのかい?」

 朝倉が顔を出しそんなことを言う。
 そんなはずがないと知っている羽染の上官――こちらも、片思い暦数年だ。

 仕事仕事仕事で、羽染を拘束してみる者の、一緒に暮らしている保科には太刀打ちできない。彼もまた腹黒い。

 全うに羽染に直球でアプローチしているのは有馬だけだが、羽染は一切気がつかない。
 眼中には、保科しか入っていないのだ。
 武士としての忠誠心なんてとっくに超えている。

 気づけば周囲に三人がいて、羽染はきょとんとした顔をした。

 一方の保科も、そんな羽染をちらりと一瞥していた。

 ――良親さんは、本当にかっこいい。
 どうしてあんなに格好良いのだろう。

 そして美人だ。同性目に見ても美人なのだ。美人過ぎるから、周囲にもあれだけの色男が集まり恋いこがれるのも納得できてしまう。だと言うのに僕のことを好きだと言ってくれる。それだけで満足だ。

 保科はそう考えると、思わず心のそこからの喜びを滲ませて、頬を持ち上げた。

「「……」」

 たった一瞬の出来事だったが、保科の視線が向かった先に気づいた紫陽花宮と家時は険しい表情で互いを見た。こういう時は非常に気があう。

 この二人も、いつだって保科と羽染を別れさせようと画策している。
 しかしながら、上手くいかない。

 羽染が有馬と出来ていると紫陽花宮が囁けば、保科は「羽染はモテますので」と笑顔で良い、それから幸せそうな顔をする。羽染が浮気などしないと信じ切っているからではない。羽染と付き合っていると思うだけで幸せらしいのだ。

 家時はといえば、なにかと保科の時間を、仕事だといつわり東京案内などで潰して一緒にいるのだが、本当に保科は仕事だと思っている。保科は、家時の好意にも紫陽花宮の好意にも気づかない。

 会津出身の二人は大層鈍い。

 なお同じ事を、会津出身の神保も思っている。
 関東方面軍に入隊した彼は、食堂で、両者を一瞥し思わず曖昧に笑った。

 羽染と保科の付き合いを見て、羽染にあっさり失恋した神保は、静かに二人を応援することにして、仲良くなった久阪とルームシェアをしている。

 久阪はと言えば上司である山縣の私情混じりの妨害工作を、日々生温かく見守っている。

 それが彼らの日常である。

 さてその日、羽染は深夜二時まで朝倉に仕事を押しつけられてから、帰宅した。
 するとダイニングキッチンの小さく灯が灯っていて、目を擦りながら保科が起きていた。

「秋嗣……寝ていて下さいといつも……」

 二人の時は保科と呼ばないで欲しいというのは、秋嗣の唯一の頼み事だ。

「良親さんの顔がどうしても見たくて……ごめんなさい」
「謝るな……その、俺も顔を見たかったので」

 鞄を置き、コートを脱ぎながら、照れくさそうに視線を逸らして羽染が言う。
 その言葉に素直に喜んで、保科が椅子から立ち上がった。

「カレーを作っておいたんです」
「有難うございます」
「あ、明日お休みですよね?」
「ああ――映画を見る約束ですね」
「覚えていてくれたんですね」

 ぱっと保科の表情が明るくなる。付き合ってもなお敬語の二人。
 武士としての主従関係もあるが、互いに気恥ずかしいのもある。
 いつまでたっても初々しいのがこの二人だ。

 ――翌日の映画館には、山縣と朝倉と有馬と家時と紫陽花宮の姿もみえることになるだなんて二人は知らない(大抵いつものことなのだが)。

「良親さんは、僕の、その、どこが好きですか?」
「っ」

 唐突な保科の問いに、羽染は咳き込んだ。

 恥ずかしくてそんなことは言えない。口に出来ない。強いて言うなら全てだ。全てが好きと言うより、保科が己の全てだった。ネクタイを緩めながら思案する。なんて答えればいいのだろう?

「――そう言うことを聞く、可愛い所、と言っておきます」
「え」

 一方の保科は照れながら、我ながら子供っぽい質問だっただろうかと悩んだ。
 けれどいつだって、好きだと言って貰わないと心配になるのだ。
 羽染ほどのもてる人間が、自分の恋人だという事実にはなかなか実感がわかない。

 まさか主従関係を理由に、無理に付き合ってくれているとは思いたくないし、羽染がそう言うことをするとは思わないけれど。本当に無理ならばきっぱりと言ってくれる気がした。

 保科は、羽染のことを信用している。
 カレーをお皿によそいながら、保科は一人幸せを噛みしめながら赤面した。

 その様子に、今すぐ抱きしめてしまいたくなりながら、羽染は目を伏せる。
 絶対に一生守り続ける。
 そんな気分だった。

 二人の関係は強固だ。恐らく周囲の画策は失敗に終わる。

 そうした青写真――いや、現実しかない二人の関係は、その後も永劫続くこととなる。
 そう、過去も今も全て、二人は一緒だった。