【3】転校生


 このようにして小学三年生になった頃、私は一般向けの推理小説を読むようになった。当時は純情だったので、人が死ぬと怖くて怖くて、ホラー小説だと認識しながらも、読んでしまった。この時点では、別にミステリーが好きだったわけではない。特定の作家が好きだったのだ。そしてその作家の作品は父も祖父も好きで、実家の本棚に大量にあったのだ。

 私の頭は推理小説一色だったため、小三の時に転校生が来たことは、全く気にしていなかった。実は母の同僚であるその転校生の両親が、教師だったので、私は母情報で事前に転校生が来ることまで知っていた。「仲良くしてあげるんだよ」と言われたが、クラスで嫌われている私と仲良くするとは思えなかったので、「うん」と答えたものの、仲良くなる期待は微塵もしていなかった。それに推理小説でいっぱいだった。

 転校生は、すぐにクラスの人気者になった。里美ちゃんよりも運動ができるからなのかな、程度に考えつつ、特別話すでもなく過ごしていた。性格も明るくて面白くて、私と直接話すことはなかったが、たまに視界に入ると、楽しそうで良いなぁとは思った。

 彼女は、舞莉ちゃんと言う。転校初日に親の関係で話しかけられたことは覚えていたが、私は無視によりその頃、人と話すのがあまり好きじゃなかったため、適当に返事をし、以来彼女は話しかけてこなくなっていた。だから今後も一生話さないだろうと考えていた。

 それからしばらく経った頃、今度は図工で牛の絵を描く事になった。多分、牛乳のコンテストだ。当然私は、パレットを洗っていなかった。そのため、牛の肌の白い部分が、肌色と混ざって、微妙な色になってしまった。ま、まぁいいか。そう考えて提出した結果、そちらも県で表彰された。私は全校生徒の前で賞状を渡されたのだが、この県の絵を選考する人々には見る目がないのだと確信していた。だって、牛の微妙な色について、絶賛されたのだ。おかしい!

 そのようにしてクラスに戻り、一時間目が終わった休み時間のことである。
 十分しかないから、図書館にも行けない、私の大嫌いな時間である。
 私は面倒なのが嫌いなので、いちいちトイレに逃げるのも怠かった。

 なので、いつもの通り、ボケっと席に座っていた。

 休み時間に本を読むと、この頃は「また頭がいいアピール?」というようなことを言われる場合があり、面倒くさかったのである。里美ちゃんが稀に話しかけてくると、大抵そういう内容だったのだ。

 しかしこの日、私の記憶上では転校初日以来初めて、舞莉ちゃんが私の席までやってきたのである。今度は何を言われるのだろうかと、ぼんやり見上げたら、彼女は笑顔だった。

「表彰されるなんてすごいね! さっすがぁ!」

 新たなる嫌味だと私は思った。今度は彼女からも、なにか言われる日々が来るのだろうと思っていたのだ。これまでの間には、会話がないから、無視ですらなかったわけであるが、きっと牛のせいで、また何かあるのだろう。ちょっと憂鬱だった。

「描いてる時から、すごい上手かったもんね!」

 ダメだ、この人も、絵を見る目がない。 
 彼女は同級生だし、教えておいたほうがいいと私は考えた。

「違うの。パレット洗ってなかったら、色が混ざっちゃったの」
「え?」
「先生には、洗ってなかったことは言わないで」

 彼女はなぜなのか吹き出していた。私は真剣に忠告したつもりだったので、よくわからなかったが、こうして休み時間が終わった。そしてこれ以来、休み時間の度に彼女は私の席へと訪れるようになり、ずーっと一人で喋っていた。

 最初は恐れていたが、普通の内容だったので、私は次第に慣れていった。

 嫌味ではなかったのだ! 彼女は、さすがクラスの人気者に、転校してすぐになっちゃったほとの人なのだから、性格も素晴らしいのだ! 里美ちゃんも性格は良いけど! きっと、もっと良いんだ!

 そうは思ったものの、すぐにテストが再びあったので、私は憂鬱になった。
 きっとこの結果で、舞莉ちゃんも、私を無視するようになると判断したのだ。
 その時も、百点だった。

「満点とか、本当すごいね! マジ頭いいんだね!」

 この頃、「マジ」なんて言葉があったか覚えてはいないが、そういう風に言われた。

 点数を自分で知らせる必要がないのは、最初から変わらず、先生がみんなの前で言うからだ。そしてこの当時、私は、それが無視の原因の一つだと思っていた。みんな百点なのに、私だけ褒められるからだと考えていたのだ。それと、「さすが雛辻先生の娘!」と、いつも言われていたから、母親が教師だから、私だけ特別に褒められるのが悪いのだと考えていた。なにせ、テストは非常に簡単なのだ。授業を聴いていれば、誰だって百点がとれるんだと思っていたのだ。

「舞莉ちゃんだって百点でしょ?」

 だが、最後の雑談になるだろうし、普通に話そうと思い、私は言った。

「んなわけないじゃん。あんな難しいの。算数とかマジ消えるべきだよね!」
「……え?」
「へ? 何?」
「百点じゃないの?」
「はぁ!? イヤミ!? マジ!? 性格悪っ!」
「いや、そうじゃなくてさ、普通みんな、百点じゃないの?」
「はぁあああ!? 何言ってんの!?」

 私は衝撃を受けた。その後、舞莉ちゃんの82点の答案用紙を見せてもらい、やっとわかったのだ。知らなかった。それまで誰も私に答案なんて見せてくれなかったから、全く知らなかったのだ。私があんまりにも驚いているのを見て、舞莉ちゃんが遠い目をしたことは、よく覚えている。

 もしかして、私は頭が良かったのだろうか!?

 そこで気付いた事実に、私はなぜなのか狼狽えた。だって、頭が良かったら、嫌われるようなことをしないと思うし、嫌われても理由に気づくはずだと思ったのだ。ならば、テストが簡単だと思っていたこれまでは、偶然であり、今後は二度と百点をとることはないのかもしれない。ならばこれは、貴重な百点なのだ!

 そう思いつつも、その日も一日、舞莉ちゃんは、いつも通り私と雑談してくれた。だが、頭の中は、自分の頭の出来についてでいっぱいだった。けれどその日の放課後、そんなことはスパーンと頭から消え去った。

 なんと、下駄箱に入っていた靴が、濡れていたのである。
 私は確信した。
 ――何らかのトリックだ!

 この頃には、ミステリー好きの兆候が現れていたのかもしれない。私は、少年探偵団の小林少年になったつもりで、じっくり考えた。だって、扉が閉まっている下駄箱の靴が、自然に濡れるはずはないのだ。習い事のせいで、早く帰る私の周囲には、人気はない。この時間に誰かが玄関に来るなど、あまりない。一体どんなトリックを使って、時間をずらし、乾かないようにしたのか!?

 それから三日間、毎日靴は濡れていた。その度に私は、ワクワクした。
 そして少年探偵団なのだから、これは人に言ってはいけないと思っていた。
 まぁ、言う相手は、舞莉ちゃんしかいないのだが。

 相変わらず里美ちゃん達や男子からの無視は続いていたし、給食時の雑談でちょっと他の人々と話すことはあるが、舞莉ちゃんが休み時間に来る以外は、特に誰とも話さない日々が続いていたのだ。なぜ舞莉ちゃんが来るのかはよくわからないが、きっと親が知り合いだからだろうと思っていた。

 つまりこの時点では、私の中で舞莉ちゃんは、親の知り合いの子供であるという認識しかなく、別段友達だとも思っていなかったのだったりする。既にほかのクラスメイトは、誰ひとり友達ではないのだと理解してもいた。

 私は、自分が悪いせいで、友達がいないとはっきりと思っていた。しかしどこが悪いかわからないのだから、今後友達が出来ることもないだろうと考えていたのだ。悪いところを直す方策がわからないからだ。


 そうして四日目。舞莉ちゃんに言われた。

「ねぇ、今日習い事休みっしょ? 遊び行かない? うち来なよ!」
「お休みだけど……え……良いの?」
「うん! 伊澄ちゃん、忙しすぎて遊べないし、基本」

 別段忙しい自覚はなかった。それよりも、誰かの家に遊びに行くなんて、保育所以来の出来事なので、非常に緊張してしまった。しかし、断るという行為を、私はその時知らなかった。なので、頷き、ものすごく積極性のある彼女と共に下駄箱へと向かった。

 勿論、この日も靴は濡れていた。
 それを見た瞬間、舞莉ちゃんが硬直した。

「……なにこれ」
「多分ね、トリックだと思うの。あ、トリックっていうのはね、乱歩の――」
「は? イジメだろうが! いつから!?」
「え」

 私は、イジメだとは、全く気づいていなかった。指摘されるまでの間、ついトリックだと漏らしてしまい、少年探偵団として失格だと頭の中で考えていたのだ。しかし、イジメと聞いて、謎が解けた。なるほど、そうだったのか! あとは犯人を推理するだけだ!

「四日前だよ。つまり、これはクラスメイトの誰かの犯行ってことだよね!?」
「里美に決まってんだろ」
「え」

 激怒している顔の舞莉ちゃんを見て、推理小説についての考えが頭からまず消えた。多分、そういうことじゃないのだろうと、やっと分かったのだ。それともう一つ、非常に衝撃的だったのが、里美ちゃんの名前が出たことである。

 この靴を濡らしたのが里美ちゃんだとすると、里美ちゃんはあんまり性格が良くないということになると思った。しかし彼女は人気者だ。だから性格が良いので、こんなことはしないはずだ。イジメなんてしないと考えたのである。

「教室もどんぞ。ほら、早く」
「あ、あの、遊びにいくんじゃ――」
「んな場合? あのね、親友として放っておけない。まだアイツらいるだろうし」

 確かに、遊びに出かけるため、私達は早めに教室を出てきたので、みんなは今もいるだろう。しかし私は、衝撃を受けていた。舞莉ちゃんは、私を親友と言った。親友とは、友達の、とっても仲がいいバージョンのことであるはずだ。つ、つまり、舞莉ちゃんは、私をとっても仲の良い友達だと思っていてくれたのだ!

 これが嬉しくて、思わず泣いてしまった。そうしたら、盛大に勘違いされた。

「私が言ってやるから、泣くな。泣かなくていいから」

 泣いていたので何も答えられなかったが、別に靴の件は特に悲しくなかった。
 私には友達がいたのだ。それも、ただの友達を通り越して、親友がいたのだ!
 嬉しくて嬉しくて、夢かと思った。

 だからその後の展開なんて、何も考えていなかった。