【9】推薦



 そして、中学最後の部活の大会が終わった。やっと引退できる。もう二度とやらなくていい。私はそう思って泣いた。しかしみんなは、私がこのスポーツが大好きだから、引退が寂しくて泣いていると思っていたようだ。全然違う。やめられる歓喜だ! そう思っていたら、その日顧問の先生に言われた。

「雛辻、あそこの――運動部で有名な高校のスポーツ推薦受けるか?」

 私は吹きそうになった。考えたこともなく、ありえない選択肢だったからである。そこはスポーツの名門校で、プロ選手を輩出しまくっている、なんかもう運動のイメージしかない高校だったのだ。かなり遠方である。

「――だろうなぁ。ま、言ってみただけだ。お前なら将来期待できると思うんだけどな、これは本心だ。仕方ないか、雛辻先生の娘さんだし、お前の成績ならこの界隈で一番の進学校じゃなく――かなり遠方だがあちらの進学校だろ? まぁ、一応あそこにも、この部がないわけじゃないしな。続けることは可能だ」

 私は笑っておいた。高校生になって続ける気は一切ない。
 そして笑った理由はもうひとつあり、そのどちらかに行けと、親にも言われていたのだ。
 親の母校であることも影響しているのだと思う。

 というよりも、自分で決める感じが一切なくて、みんなそこに行くんだろうという風に、私に言っていたのである。他の同級生は、どこに行くか楽しそうに悩んでいるのに、私はその話題に入ることがあんまりできなかったのだ。その場にいても、とっても遠方の進学校で決まりだという感じで話されていたのだ。

 ちなみに私は勉強が大嫌いなので、どちらにも行きたくなかった。

 他の選択肢として、美術の先生が、芸術系の学科がある私立についてそれとなく提案してくれたのだが、それは全く無理だと確信していたので断った。

 これからどうすればいいんだろう?

 全部の「長」を大体引退した頃、中三の期末の三週間くらい前、私は珍しく悩んでいた。

 夏の三者面談の際に、推薦受験の話になったのである。先生と母親で、どんどん話は進んでいき、私が何か言う前に、推薦が決まったのだ。推薦とはいえ、試験と面接はもちろんある。また、落ちることがかなり多い高校なのだ。今の成績ならば大丈夫だと言われたが、かなりの確率で落ちる人がいるのを私は知っていた。

 この中学校の先輩が、何人も落ちているからだ。なので、みんなそこを受けるときは、推薦と一般の他に、滑り止めも受けることが多かった。そして二人は、滑り止めも、勉強が大変そうな所を挙げたのだ。

 そんな時、新教研だったか他の模試だったかは忘れたが、週末にテストに行った。

 そこには、真中くんもいた。真中くんは、当時は、広大くんと舞莉ちゃんと順位争いをしていた。いつも学年順位は、私の後はこの人々の順番がどうなるか、という感じだったのである。なんとなくだが、真中くんはどうやら私が大嫌いみたいだと、既に気づいていた。だから二人になるのが嫌だったのだが、この時たまたまなってしまったのである。

「勉強の実力が足りないからって推薦狙ったんだろ? 生徒会に委員会に部活になんて普通ありえないからな。軽蔑する」

 ほとんど唐突に、そんなことを言われた。
 そして私が何も答えられないでいるうちに、真中くんは会場に入っていった。

 しばらく動けなかった私だったが、舞莉ちゃんと広大くんが来たので、一緒に会場に行った。なんだか笑顔で二人と雑談していた気もするが、あんまりよく覚えていない。模試の最中も、なんにも頭に入ってこなかった。名前を書いたのは確実だが、他は覚えていない。どうやって帰宅したのかもわからないが、次の記憶は、自分の部屋だ。

 ――先生方も含めて、みんな真中くんと同じことを考えているのだろうか?

 私は、静かに考え事を開始した。むしろ先生たちは、私の頭が悪いから、色々やるように言ったのかもしれない。お母さんの娘なのに、推薦する事ができなかったら困るということだったのかもしれない。

 小学校時代とは違うが、二人きりの時などには、母を知る先生には度々「さすがは雛辻先生の娘さんだ」と言われていた。あれはお母さんを褒めていたのでも、私の頭を褒めていたのでもなく、嫌味だったのかもしれない。

 部活も同じだ。「さすがは雛辻先生の娘さんだ。親譲りの才能だ」と言われていた。けれどあれも、嫌味かも知れない。むしろ、試合の判定すら、母親のことを考慮して、私に甘くしていた可能性はないのだろうか。少なくとも、すごいのは全部、母親である。私自身ではない。

 ――きっと、中学生になってみんな大人になったから、イジメなんてしなかったんだろう。私はおそらく、本当は嫌われている。すごいと言われたりしたのは、全部嫌味だったのだ。どうして今まで気付かなかったんだろう。本当に馬鹿だ。

 そう理解したら、なんだか笑ってしまった。なのに、涙も出てきた。
 面白いことに気がついたのに、どうして泣いているのだろうか。
 自分で自分がよくわからなかった。

 その数日後、模試の結果が届いた時、先生に呼ばれた。
 百点以上点数が落ちていて(250点だったと思う)、驚かれたのだ。

「具合が悪かったのか?」
「あ、はい」
「そういう時は、休め。無理して受験に響いたらどうするんだ?」

 私は笑っておいた。というか、ずっとこの頃、笑っていた。

 多くの人が私を嫌いなのだから、あまり刺激すべきではないと考えたのだ。これ以上、人に嫌われたくなかったし、嫌われるだけならまだしも、実害が出たら嫌だと思ったのだ。ただなんとなく、嫌われて当然だと思っていた。

 その理由は覚えていないが、私は嫌われる人間だと考えていたのである。多分、自分では何が悪いかわからないけど、人にとっては嫌なことをしてしまうのだろうと判断していたような気がする。

 今思えば、厨二病である。

 そのまま少し経った。授業には身が入らなかったが、その時期の授業内容は既に模試に出る範囲だったので覚えていたから、運悪くさされても回答できた。それでもあきらかにぼんやりしていたらしく、たまに注意された。入学して初めてである。

 休み時間にはいつも通り雑談していた。少なくとも、誰も不信には思っていなかったみたいだ。私の方は、笑っているのに必死すぎて、何を話したか一切覚えていない。

 こうして期末テストが訪れた。順位は、二十五位だった。初めての一位以外だ。

 周囲に驚かれたことを覚えている。私は模試のことを思い出して、体調不良だと言い張るつもりだった。しかしどこかで、このまま成績が落ち続けて、どこの高校にも入れなければ良いと考えてもいた。そうすれば、人に嫌われずに生活できる。

 しかし授業態度もあったせいなのか、翌日には母親も呼ばれて、再び三者面談になった。私だけであるが。そこで、「なにか悩みがあるのか」だとか、「恋でもしているのか」だとか、さんざん聞かれたが、私は笑うしかなかった。

 とりあえず全部「違います」と否定していたのだが、じゃあどうして成績が落ちたのかと聞かれた時に、言葉に詰まった。まさか高校に行きたくないとは言えない。どうしていいか分からなかった時――私は気絶した。

 気絶したとわかったのは、次に目を覚ましたのが、病院だったからだ。
 そこで説明を受けた。
 ストレス性の胃炎だとのことだった。

 なんで胃炎で気絶するのかは不明だが、きっと頭が考えることを拒否して気絶したんだろうなと私は思ったし、先生と母は病気で――胃の痛みで気絶したと考えたようだ。成績の不振も、それが理由だということになったようだ。その後、三日ほど入院し、無事に退院した。

 なお、その後の人生で胃潰瘍疑惑を常に地元で立てられるようになったのは、これが理由だ。

 最初、私は風邪で学校をお休みした設定になっていた。

 救急車が来た理由は、生徒には伝えられなかったし、そこに乗ったのが私だと知っている人は、一人しかいなかった。それは、大ちゃんである。近所に住んでいた彼は、私が入院中に、私の両親に質問されたらしいのだ。学校での様子だとか、体調はどうだったのかだとか。舞莉ちゃんの方が無論私と仲が良いし、彼女の両親は私の母親と顔なじみであるが、大ちゃんの家が、とても近所なので、彼に尋ねたようである。

 私が登校をし、風邪だ風邪だもう大丈夫だと言って笑っていたら、珍しく大ちゃんが真顔になった。ちょっと不愉快そうな顔だった。

「意識失って救急車で搬送されて入院してきた胃炎が、大丈夫なわけねぇだろ」

 彼は、平坦な声で、あっさりと暴露したのである。

 教室が騒然となった。そしてあの日きた救急車についてだとか、そういえばあの日から休みだったとか騒めかれつつ、舞莉ちゃんを始め、当時特に仲の良かった女の子達や、広大くんらに質問攻めにされた。

 だが私はもう、笑っている以外できなくなっていて、何も言えないでいた。すると代わりに、非常に非常に非常に丁寧に、大ちゃんが私の病状を説明した。なんと、模試の日から体調が悪かったらしいということまで口にし、最終的に胃炎の原因はストレスだとまで暴露った。なんということだ! 私は狼狽えた。

 その日の放課後、舞莉ちゃんと、聞きつけた秋葉ちゃんに呼ばれた。

 なにか悩みがあるのかと聞かれたので、既に親に対しても使っていた「受験のストレスでさ」設定を持ち出した。そうしたら、二人共、親友にくらい相談しろと言って私を怒った。それを聞いて、私は衝撃を受けた。

 まだ舞莉ちゃんは私を親友だと思っていたのだ。最近言われていなかったから、もう違うのかと思っていたのだ。

 その上、秋葉ちゃんも、私を親友だと思っていたのだ。初めて知った。

 親友ということは、少なくともこの二人は、私を嫌いではないのだ。そう考えたら、嬉しくて泣いてしまった。二人は勘違いして、「絶対高校に受かるよ!」と励ましてくれた。

 二名も私を好きな人がいるんだから、いいじゃないか。そう考えたら、私は気分が明るくなり、すぐに復活した。