【12】高校進学
こうして、私は遠方に引っ越した。
広大くんも同じ高校に受かったので、同じ土地に引っ越した。私は、一人暮らしをすることになった。近くに、下宿屋さんもあったのだが、自立しようという話で盛り上がり、家事を覚えるためというのもあって、一人暮らしが決まったのだ。
今になって思えば、教えてくれる人がいないんだから、一人暮らしをしたって、家事を覚えるのは無理だ! 広大くんは、下宿屋さんに住むことになった。
さて、広大くんは、入学式で※答辞を読んだ。
一般受験者の中で、最優秀の成績だったのだ。推薦組は、答辞からは外される。また、入学してすぐに、入試成績を教えてもらえるのも、一般入学時のみだった。推薦の評価は、教えてもらえないのだ。
だから私は、自分の頭の出来が不安だった。広大くんは、私の推薦が終わったあとにあった、私が受けなかった模試で、私の例外時の模試成績を除く平均的な場合と比較すると、ずっと上の成績を得ていて、偏差値爆上げ状態だったからである。
この高校では、入学後すぐにテストがあった。中学復習兼宿題で出された高校予習内容の確認テストである。
私の高校には、特徴があった。一年半程度、つまり二年生序盤には、高校の全ての授業が終わり、特に三年時は、完全に受験勉強のみになる学校だったのである。
もっというと一年時で大体終わる。二年時は文理に別れて、それぞれの集中教育が始まり、それと並行しつつ一年時に終わっていない部分をやる形だったのだ。中学校でやる内容なんて、三日もあれば全部覚えられるだろう的な高校だったのだ。
そのテストで、私は楽しさと厳しさを知った。
まずテスト前から嫌な予感がしていたのは英語だ。英語の授業は、全部英語だったのだ。日本語で喋ってはならないのだ。だから文法の説明とかも全て英語でされて、意味が全くわからなかった。英語教科は二つくらいあったのだが、どちらも英語で進行していて、私は英語がさらに大嫌いになった。教科書を読むとき以外も、さされたときも、英語で返事をしなきゃならないのだ。私は、すごいそれが嫌だった。
それと数学も二つくらいあった。片方は大好きで、私は一時期、数学準備室に遊びに行って問題を解きまくった時期がある。しかしもう一つは最悪で、黒板に書いてある文字が汚すぎて読めなかったのだ! 仕方がないので、こちらの教科は、授業中に参考書を解くことにした。全員がそうしていた。授業ではなく、参考書からみんなで学んでいたのである。というか、先生もそれを黙認していた。参考書の内容は、面白かった。
古典とか歴史もあった気がするが、まぁ一夜漬けでなんとかなると思っていた。
生物に対しても、全く同じ事を思っていた。
そして、テスト前日。
生物の参考書を開いたら、あんまりにも面白すぎて、ずっと生物の勉強をしてしまった。
夜明けた時にハッとして、慌てて他の教科もやったのだが、全部は無理だった。
この高校は、成績上位者を発表する高校だった。
その前に、まず答案用紙が配られた。印象的なことを二つ書く。
一つ目は、生物だ。
夜通し楽しく読みふけったのだから当然だが、とっても成績が良かった!
そして生物の先生とその日に仲良くなった。
ほぼ万点だった。96点くらいだった気がする。
先生は優しいイケメンで、私はこの先生を見て、白衣っていいなぁと思った。
そして私は、生物部に入ろうと考えた!
二つ目は、数学の内の一つである。
人生で初めて、数学で98点以下を取ったのだ。
83点だったのである。
さすがは高校だ。難しいというか、なんか面白いなぁ、と思った。
先生が「三十点以下は補修だからな」と言っていた時は、そういう人もいるのかと思った。そうしたら、声が続いた。
「いいか、学年平均が二十五点、このクラスの平均は二十三点。雛辻以外、明日全員出席だ」
――え?
私は最初、どういうことかよく分からなかった。
入学してもう二週間くらいたっていたので、友達ができていたのだが、みんなでテスト後「難しかったね!」と話していたのは、謙遜だと思っていたのだ。だって、非常に簡単だったのだ。それに、ここは一応、この辺では名だたる進学校だ。みんな私より勉強ができると確信していたのだ。
なおこの高校は、勉強ができた場合、褒められることはあってもいじめられることはなかった! とても嬉しいことである。
――平均点が低いのは、決してみんなが馬鹿だったわけでも勉強していなかったわけでもなく、ものすっごく本当は、難しいテストだったらしいと聞いた。
その後、成績表が公開された。生物と、二つの数学は私が一位だった。他の教科を含めた総合成績は、六位。緊張して損したと思った。なんだ、高校、ちょろいじゃないか。遠方だったから分からなかっただけで、頭がいいと聞いていたのはデマに過ぎなかったのだ! 私は最初はそう考えていた。
翌日、進路希望調査があった。進学希望大学と職業を書くのだ。この高校は、専門学校に行く人は、数年に一人いる場合がある、という感じだったらしい。今は知らない。また、私は両親が大卒だったので、専門学校というものを出た人が身近に一人もいなかったので、普通は全員大学に行くのだと思っていた。
さて、どこに行こうか。まず、あんまり勉強しなくて良い所ってどこだろうか?
沢山考えてみたが、あまり大学名など知らなかったので、思いつかない!
もうひとつ、重大な問題は、職業だ。
職業なんて、保育所の頃に発表して以来、きちんと聞かれた記憶がない!
あの当時は、ケーキ屋さんと答えた!
しかし、私は高校生になり、あんまり甘いものが好きではないと気づいていた!
そう。好きなケーキは、誰かの誕生日とクリスマスに食べる、同じデコレーションケーキで、それ以外のケーキはあんまり好きじゃなかったのだ。
そこで、教室に三冊置いてあった大学一覧みたいな分厚い冊子を見た。
まず、英語系は除外した。大嫌いなのだ!
そして、両親と同じ職それぞれの関係も除外した。二人共忙しそうだからだ。
なるべく暇で楽な職業になれる、簡単な大学に行こう!
そう決意した私は、必死で一覧表を見た。
今振り返れば、この当時から、ダメ人間だったのである。
そこで私は、楽に入れそうで、かつとある資格を取れる地方私立大学を発見し、それを書いた。希望職業も、それを書いた。そして提出した日の放課後、担任の先生に呼び出された。何事かとドキドキしながら向かった。
「雛辻、真面目にかけと最初に話しただろう」
そうしたら、そんなことを言われた。
「えっと……何をですか?」
私は、自分は誓って真面目に、全体的に取り組んでいると思っていた。
なのでさっぱりわからなかった。
「この進路希望はなんだ?」
「え?」
「とても真面目に書いたとは思えない」
思わず動揺して、私は目を見開いた。
「そんなに難しい大学なんですか!? 私じゃ入れないですか!?」
つまり、簡単に入れると思ったのは間違いだったのだ!
私は泣きそうになった。とても簡単そうなところさえ無理ならば、私は大学生になれないのだ。大学生にならないと就職できないのだと、この頃の私は思っていた。私は無職になるのだと目の前が真っ暗になった。
当時の私の中で、無職のイメージは、ホームレスだった。ダンボールで暮らす覚悟を決めるのは難しいので、今後は勉強しなきゃならないのだと嘆いた。しかし、違った。
「……滑り止め以下だという話をしてる」
「え?」
「滑り止めにもならない。あの資格がどうしても欲しいなら、他にも大学はいくらでもある。そもそもその職にそんなになりたいのか?」
「い、いえ、別に特に、あんまり職業がまだわからなくて……」
「良いか、よく聞け」
そこから先生の説明が始まった。
まず、私の希望大学などに進学して、この高校の評判を落とすことなど絶対に許さないという説教からだった。
続いて、基本的に上位三十位までは東大、五十位までと上の一部が他の医大(これは色々候補があった)、百五十位程度までが難関で有名な大学、二百位までは浪人して上のいずれかに入り、二百位以下には人権がないそうだった。人権がない人々というのは、滑り止めに入学する生徒のことであるようだった。
さすがの私も、東大と医大は知っていた。
東大は、日本で一番頭がいいのだ。
医大は、お医者さんになるのだ。
「お前は雛辻晶の親戚なんだろう?」
「は、はい」
先生は、従兄が在学していた頃から、ここに勤めていたようだ。
「どうして医大を書かなかった?」
ここからまた説教が始まった。そんなことを言われても困るのに。
お医者さんは、頭がいい人がなるのだ。
根本的に私は、馬鹿なのに!
しかし反論する間もなくひたすら怒られた。
従兄は単純に、病院の子供だから医大に行ったと思う。
私は無関係だ。そうも言いたかったが、言う間が無かった。
そのようにして、私は聞いたことのない名前の医大を第一希望、聞いたことがあるけどよく知らなかった医大を第二希望、第三希望として従兄が通っているところを、新しい紙に書かせられた。そして希望の職業は、医師と書かされた。無茶振りである。
半泣きで帰り、私はパソコンをつけた。一人暮らしになったから、好き放題出来たのだ。インターネットも、あんまり長時間でなければ繋ぐことができた。だから中学時代に作った個人サイトを復活させていて、小説も時々書いていた。が、その日は、大学名を検索した。
そして悩んだ。なんだか、第一希望に書かされた医大が、私には東大より難しい所に思えたのだ。何回か読んでみても、とっても難しそうな大学なのだ。つまり……第一希望とは、絶対無理だけど希望するところを書くという意味だったのだろうか。おそらくそうだろう。だって東大とか無理な私が、さらに無理そうなこんな所に受かるわけがない。
第二希望の医大は、名前を聞いたことがあるだけだったが――こちらもとっても偏差値が高かった。第三希望は、従兄が入れたから、もしかしたら私も入ることが出来るかも知しれない。そこで改めて気がついた。私、別に、お医者さんになりたくない! なれるなれない以前に、興味ない!
次の調査までに、何かなりたい職業か、行きたい大学で怒られない所を探そうと決意した。そんな中、部活に入る日がやってきた。私は生物部に入る気満々で廊下を歩いていたのだが、声をかけられた。
「いやぁ、何度も優勝経験してくれるお前が入ってくれるなんて、期待だ!」
ポカンとしすぎて言葉が出なかった。なんと、私は二度とやらない予定だった、運動部に勧誘されたというか、入ることになっていたのである。泣くかと思った。断るとかそういう状況ですらなく、当然のように部室に連れて行かれた。
この附近から、地獄が始まった。