【35】選択肢
うちの大学病院は、ちょっと遠いところにあるのだ。
ちなみに最近知ったが、鏡花院先生は、そっちでもちょっと教えているんだったか診察しているんだったか、なにかしているらしかった。
車の中で、先生が泣いている私に対して口を開いた。
「煙草吸って良いよ。検査中吸えないし。あと、お茶積んであるから、それも良ければ飲みな」
「……」
絶望的な気分になっていた私は、無言で頷き煙草に火をつけた。
泣きながらお茶を飲んだ。
「気休めじゃなく言うけど、院試関係以外を解くことができたのが偶然でなければ、ストレス性の一過性健忘だと思う」
「……?」
「つまり、英語と質問紙とそれにまつわる統計をやりたくないってこと」
「え……」
「君は自覚できない自殺衝動の他に、というかそっちもそうだけど、ストレスを自覚できないから、体に症状が出る人間だ。認知症だったら、面談中に他の兆候に俺が気づいたと思う。ただ、可能性はあるから、検査は受けないとダメだ」
「……じゃあ、治るかもしれませんか?」
「一過性っていうのは、短期間という意味合いとはちょっと違うし、ストレスが継続することで、ずっと続くこともある。より悪化することだってある」
「……」
「これを苦に自殺だけはしないで。無論、突発的にやって、失敗時に理由にするのもダメだ。約束して」
「じゃあ先生も、私が突発的に死にたくなるって言わないって約束してください」
「いいよ」
こうして検査に行き、診察してもらったあと、まる二日かけて様々な検査をした。
最終的な診察結果として、全くの異常なしだった。
なお、この時も、貧血と低コレステロールはひっかかった。
それから大学へと戻り、もう一度、試してみることになった。
統計の先生や、海外の先生、ロールシャッハの先生、二年時までの仲の良かった英語の先生、あとは初めてみる数学の先生が待機していた。特にロールシャッハの先生が、結果を鏡花院先生に質問攻めにした。鏡花院先生は淡々と答えていた。それからチェックした。
結果、やっぱり心理学関係だけダメ、普通のは全部出来た。
その後、勉強具合について聞かれた。
英語は完全にやりすぎのストレスだと判断されて、しばらくやらないようにということになった。忘れないように、仲の良かった先生が、普通の英語を教えてくれるという。
泣きながら頷いた。
問題は質問紙だった。統計とその考察自体は、卒業直前までにやれば間に合う。しかし質問紙自体は、配布時期が迫っているので、すぐに症状が収まらないとまずいということになった。もちろん私だってわかっていた。
もちろん一つ目の案としては、私の状態がすぐに治るのを待つことである。
ただし、治る保証はどこにもない。
さらに、治ったとしても質問紙自体がストレスならば、再発可能性もある。
二つ目の案として、根本的にうちの大学ではやらないが、先生が質問紙の作成をかなり深く手伝い、統計自体もかなり深く手伝ってくれるという話だった。これは他大ならば、案外やっている所があるから、露見しても問題にはならないという。
こちらも症状悪化となるストレスを高める可能性はあるが、進学を考えると短期的な症状よりも将来を考えるなら、良い案だと、鏡花院先生すら頷いた。
三つ目は、質問紙の取りやめである。これは、鏡花院先生が提案してくれた。やはり、病状の改善を優先すべきだと提案してくれたのだ。他の先生方もその点には全員同意してくれた。体調は、一番の問題だ。
なので、鏡花院先生は被験者を普段は用意しないが、大学院の方で頼んでいる被験者に協力してもらい面接する形で卒論を書く案が一つでた。こちらならば、鏡花院先生以外のゼミにも入りやすい内容をかける。
四つ目は、それこそ文献研究である。確かに鏡花院先生以外のゼミで、この形態の卒論を書いて取られた例はないが、今回は病気が理由だから例外だという話になった。
内部進学は在学時の成績もかなり考慮しての判断をするから、文献研究でも認めて良いという結論が話し合われていた。日本語は読めるし、私はこれも悪くないような気がした。読書好きだし、原書も読めているわけだから、一番ストレスもかからない。
そんな話をしていたら、上村先生が現れた。眺めていると、先生方がこれまでの話し合いについて、上村先生に伝えた。体調と卒論に関してである。
「まぁ、英語は良いんじゃない」
上村先生はそう口にしたあと、私を見て笑顔を浮かべた。
「でも僕は他に三つ案があると思うんだけど、それは出てないのかな」
「なんですか?」
統計学の先生が聞いた。
「まずさ、院試が嫌で体調崩してるんだから、院試やめたらいいじゃない。雛辻さん、すごく大学院に行きたいの? 就職しちゃえば? 専門行くとかもありだし。PSWって数学も英語も無かったような気がする、国試の時」
考えたことがなかったので、あっけにとられた。
先生方も全員ポカンとしていた。
確かに、それはそうである。
「まぁこれまでそれを前提にしていたんだろうから、考えてなかったのかもしれないし、これは後で考えればいいよ。それと二つ目として、とりあえず就職して、社会人入試。あれは、英語免除制度あるし卒論内容審査は無い。ほとんど受からないけど、それを前提でやるんなら、一週間くらい働いたあと院試の勉強の方に気合を入れて、来年入れば良いと思うよ。英語と質問紙が無理なだけなら、それが不要な入試方法。結構社会人入試狙いで一回就職する人いるし」
それは全く知らなかったので、私は驚いた。
しかし先生方は、確かにそれはありだという顔をしていた。
「最後の案としては、留年。卒論を落とせば、留年できる。今書けないんだから、質問紙続行すれば、留年だ。いくら鏡花院先生の卒論ゼミが出席無しとは言っても、提出しないのは、学科的に留年。そして、体調もどるまで、可能期間ずっと留年してればいいじゃない。留年中は前みたいに研究室に行って検査の練習したり、あ、紙以外のやつね、後は院で遊んだり、準備室でお手伝いしたり、のんびり過ごしたらいい。ぶっちゃけ院でやる内容やっちゃってもいいんじゃない。うちの大学頭の悪い私立だから学費死ぬほど高いけど、雛辻さんのご実家なら、限界まで留年してても、全然余裕だろうから。ま、奨学金制度もあるし。留年終わってもダメなら、準備室でバイト。別に院卒じゃなくたっていいんじゃない? 院卒がやってるのは、ただの暗黙の了解だし。規則じゃない。雛辻さんは卒論出せば認定心理士は取れるんだから、バイトしたっていいんじゃない。バイトはちょっと忙しいから、というか、質問紙配布とか英語のチェックあるから厳しいかもだし、先に留年してからのほうが良いと思うけど、まぁ卒業だけしちゃってバイトしつつっていうのも、悪くないかもしれないなぁ」
我が家はお金持ちではないが、確かに学費は払えるだろう。
あとが何年か、すねをかじるということか。
ただ、留年なんて、本気で一度も考えたことがなかった。
「留年ですか、ああ、いや、ほう」
なんだか先生たちもびっくりしていた。みんなその考えはなかったみたいだ。
このようにして、選択肢が大量に生まれた。
上村先生の案も入れ、先生方がどれが良いか話し合い始めた。
私は黙っていた。わからなかった。何もわからなかったのだ。
そして、あんまりにも優しい先生方に、泣きそうになった。
思えば高校時代もそうだが、優しい人々といると辛い。
はっきりとそれに気がついた。
そんなことを考えていたら、やっとみんなが私を見た。
「どうしたい?」
上村先生に聞かれ、少しの間考えた。
「治るかどうかわからないので、とりあえず就職して様子を見て、治ったら社会人入試を受けようと思います。卒論は、日本語は読めるので、文献研究にしようと思います」
バイトもしたことが無い私ではあるが、きっと何か一つくらい雇ってくれるところがあるんじゃないかと思った。この頃には、友人達の就職はほぼ全員決まっていたので、いろいろ聞いていたのである。
既に早いところであれば、翌年の三年生向けの説明会をしているレベルの時期だった。そんな中で、SEならば、すっごいブラックだから、誰でも就職できる話と、人材企画もだいたい誰でも受かる話と、後は営業はうちの大学はかなりとってもらえるという話を聞いていたのだ。あくまでも当時の私の大学の、私の周囲の話であり、真実かは知らない。
「じゃあ準備室のバイトにするか?」
ロールシャッハの先生の提案だった。
「いや、カウンセリングルームの受付バイトの方が楽ですよ」
海外の先生の提案である。私の大学には、学生用のカウンセリングルームがあったのだ。
行ったことはないが。
「あー、クリニックのインテークも、普通院生のバイトだけど、認定心理士も一応前例結構あるね。俺のとこじゃなくて、もう一軒、探してるところ知ってます」
これは鏡花院先生の案だった。
「僕のところで秘書という名のお茶くみは? 基本、社会人入試はバイトじゃなく正社員が多いから、この大学で雇う感じにしたほうがいいと思うなぁ。雛辻さんは、イメージ的に秘書っぽいし、みんな納得すると思う」
上村先生のこの言葉に、三人とも黙った。
冗談だったのか、本気だったのかは知らない。
すると統計の先生が呟いた。
「全部この大学関連というか心理学関連っていうか……勉強がストレスなら、離れたほうがよくないですかぁ? 治癒望んでるんだし、一回、リセットっていうか」
ものすごい正論である。
それに英語の先生が頷いた。
「俺もそのほうがいいと思いますよ。英語できるし、留学経験こそないにしろ、就職先それなりにあると思います」
そこで、一切喋らず黙って見守っていた先生も口を開いた。
「俺もそう思います。文系だって聞いてたんですけど、数学だけ見るんなら、数学科とかそういうの行ったほうが良かった気がする。俺より出来たりしそうですもん。俺はまぁ教えてるだけで、数学が専門ってわけじゃないですが。もしも統計に関しても、心理に関係なければ、ソフト使えるんならさらに有利にもなるし、さっきみた感じ、ソフトの扱い自体には問題ないわけだから――しかも俺が提案した統計の数値はちゃんとソフトでも読み取れていたわけで。正直、心理系以外でも十分有能ですよ。心理の生徒だからこだわるのは分かりますけど、就職普通に応援してあげるべきじゃないですか? 彼女の体が一番だって本気でさきほど言ってらしたんなら、普通は客観的に考えて、一般企業を勧めるべきだと思うんですけどね。俺には、自分のところにこいって聞こえたなぁ。上村先生の提案は馬鹿げてるけど、まだ理解できます。だけど他の選択肢は、先生方の利益優先に思えましたね」
数学の先生が、馬鹿にするように笑った。
初めて会った先生だが、淡々と厳しい言葉を吐く先生だと知った。
感謝しつつも、この先生の講義を取らなくて良かったと思った。
「まぁ、そうだね。とりあえず、普通に就活して落ちたら、心理系でバイトか、秘書でいいね」
上村先生のその言葉で、この場は解散となった。
このようにして、私は予備校をやめ、質問紙と統計もやめ、鏡花院先生との面談と卒論ゼミのみの生活になった。面談の方は、半ば体調観察みたいなものに変わった。普通だったら、保険証を持って病院にかかってお話するような、そんな内容だった気がする。研究だとか言いつつ、鏡花院先生は、本心を言えば、ずっと私を心配してくれていたのだと思っている。だから彼は、私の恩師といって良いだろう。