【55】嘘




「ちゃんと教科書にも名前載ってるよ。しかも君が買ったはずの教科書。俺の講義じゃないけど」
「う」
「読んでない。あはは」
「で、でも、もうちょっとその、改訂版あと十回くらい……」
「ははは」
「先生! 待って! 死なないで!」
「俺が死ぬ訳無いじゃん」
「え?」
「ごめん、ちょっとさぁ、言ったら怒るかもしれないけど、言っていい?」
「はぁ」
「まぁ、煙草でも吸いなよ。珈琲淹れてくるから」

 実はここまで全く吸っていなかった私は、空気が変わったので一服した。
 その後、戻ってきた先生から、珈琲を受け取った。

「絶対怒らない?」
「怒りません!」
「――さっきの話、ほとんど嘘なんだよ」
「――へ?」
「いやぁ、君に刺激を与えてみようと思ったんだ! 新たなる!」
「はぁ!?」
「奥田先生が俺に教えてくれなかった事とか、君が一年生の頃から疑ってたとか、そのへんは本当。あと、刺激を与えてみたとか、与えないでみたとかも本当。他がほぼ嘘」
「へ?」
「俺の両親は精神科医で、日系アメリカ人」
「え」
「俺は小さい頃からアメリカに住んでました。十八で日本国籍取得して、医大に入った」
「……」
「けど、あっちで飛び級して、既にお勉強してたの、医学の」
「ええええええ!」
「だから医大院直で博士まで一直線。アメリカでも取ってた。ずーっと精神医学一本。二十九歳で日本の博士過程を終了し、研修医とかやって、すぐここの先生になって教授まで来たんだよ。だから実際に、三十五よりはさすがに上だけど、君たち学科生の推測していた年齢だ」
「すっごく頭が良いってことですか!」
「そう。で、政宗くんと君と同じというのも本当。俺もIQが高い。それで、そういう結果になったの。実を言うと、アメリカは、まぁ日本で言う認定試験みたいなの十六から取れるんだけどさぁ、もっと前から別の国で専門教育受けてたんだ。なので同じ年の人とかほとんど知らず、勉強三昧で、大学渡り歩いてきた人生だよ。要するにあれだね、俺の頃流行ってた、英才教育ってやつ。中一の終わりくらいからは、もう完全に医学漬けで、十六ですぐアメリカの医学部的なところに編入した。だからねぇ、もう人生が、医学! IQっていうか、俺の才能が、お勉強だったみたいだ。特に精神科系統。ひっそりと言うと、行動のおじいちゃんよりも認知の先生よりも、認知行動療法も大得意。ロールシャッハも俺のほうがすごい自信ある。というか、俺は、日本で一番頭良い大学とか日本で一番医学優れてると評判の大学とかからさぁ、誘い絶えない! けど俺、金に汚いから、一番お給料が良いここにいるの! それで知られると面倒くさいから、小さい頃の話を人にしないし、一般的な感じの学歴風に言ってるから、知らない人の間では、若く見えるけど――五十か六十近いから不老不死説ってのまである。なんか発見したのかとかって。無ぇだろと思うよ」

 笑っている先生の話を聞いて、私は煙草を吸いながら考えた。
 さっきの方が現実的なのに、こっちのほうが本当に聞こえる。

「テロメア? とか言っておいてるけどね」
「はぁ……そ、そうですか」
「で、俺の周り、たまには同じくらいの歳の人もいたしさぁ、まぁなんにしろ、びっちりIQ高い人そろってて、中にはこれ、つまり俺と同じとかさ、いっぱいいたんだ。そこで、ある時、態度悪い人が集められて怒られたの。そうしたらさぁ、態度悪い一人が、これじゃねって言いだして、みんなでさ、都合良いから、それってことにしたの! そうしたら先生的な人が呆然としちゃってさぁ、専門家を呼んだんだよ。今度は逆に俺たちが唖然! 本当に、俺達、支援必要な部分、かなりあったの。うわぁって思った」
「先生は、どんな支援が必要なんですか?」
「俺はねぇ睡眠管理がまずできない。不眠症ではない。病的なレベルで夜型なの。夜ってわけでもないけど。時差の問題でもない。暗さは関係あるのかもしれないけど、明らかになってない。光の実験とか光知覚系の薬も、変化がない。異常もない。だから日本の学部生から博士まで、ずーっと管理してもらってた。叩き起こしてもらって、夜は強制的にベッド連行」
「眠れるんですか?」
「部屋の照明を、真っ昼間レベルに明るくすると、夜もギリ眠れる。だけど、昼も明るいと眠くなるから、授業ほとんど寝てた。けど一番だったよ成績。大体はね」
「今もそうしてるんですか?」
「いや、一限なら、俺にとって夜ふかしって感じなのね。普通の人感覚からしたら、深夜三時くらいだろうな。眠くて怠いけど、なんとか教えられる」
「それで先生の講義って一限ばっかりなんだ!」
「そういうこと」
「だけどゼミと面談は……?」
「ゼミは五限じゃん? ものすごく早起きした感覚で臨むの。君らにとっての朝四時起きくらい! でさぁ、俺の才能、医学って言ったじゃん? 臨床系の時は、昼も夜も問わず、全く眠くならない。だから平気なの。集中力とか関係ないんだ。だから、病的に睡眠管理ができないだけで、病気ではないの。基準で言えば、ね。そうじゃなかったら、お医者さんできないの」
「な、なるほど……」
「部屋明るくしてギリ寝た感じでも、学部生時代の授業中は爆睡だけど、診察中はばっちり起きてる」
「良いなぁ! それだけですか!?」
「ううん。他にもあるよ!」
「なんですか!?」
「君と一緒で、あきっぽくて、興味失うの早くて、面倒っていうか興味ない事はやりたくない。あとこれの人は必ずIQ高いわけじゃないからそこも一緒。あとお絵描き得意なところも一緒。俺、絵と医者どっちになるかって言われて、絵は適当に描いたから止めた。そこも一緒。まぁこの辺は支援いらない部分だけど」
「けどずっと講義同じジャンルの――」
「毎回流派違うじゃん」
「それは被らないように――」
「という言い訳を使って、別のやってる。そもそも、別に精神分析系統にすごい興味あるとかじゃないし。この大学、それ以外の先生が既にいただけ!」
「えー!?」
「しかも俺、医大では全然別の教えてるし。病院でやってる療法も違う」
「そんなこと許されるんですか!?」
「ここお金もいいし、自由なんだよ」
「はぁ……」
「それもあってね、俺、この大学にいるの!」
「あれ、けど、政宗さんは、対象関係論的質問されて、留学勧められたって……」
「うん。あの頃は対象関係論にハマってたんだ!」
「え」
「だけどあの人、いいところのお子さんだからうっかり自殺でもされちゃったら俺、後が大変だと思って留学を勧めたの! そりゃあもう全力で力説! 真剣な顔を取り繕い、時に嘘泣きしながら頑張って勧めたの! お子さんの才能伸ばさなきゃって!」
「ちょ」
「帰ってきてからは、別の先生に主治医お願いした! 俺は、ちょっと前まで別!」
「えー!?」
「自殺願望おさまったけどなんで!? って聞かれて、主治医に戻った。そういう例、診たことある人俺しかいないし、もう死ぬことは無いなって思ったから!」
「……」
「できない話を続けると、暗記が無理。特に、丸暗記が無理。でも、暗記しなきゃ困ることってあんまりないし」
「え!? 診察する時の診断基準とかは!?」
「実例見ながら覚えたのもあるけど、そういうんじゃなくて、歴史の教科書に出てくる言葉を書きとって暗記みたいなのが大嫌い。暗記って意識じゃなくて読むと、一発で頭に入るんだけどね。だから日本で勉強してたら、この大学にも入れなかったと思うよ」
「……」
「後なんだろうなぁ、ああ、興味ない人の顔と名前が覚えられない。ちょっとこれも健忘症疑われるレベルだったな。テストされた事まであったよ」

 先生は、すっごく楽しそうに笑っている。
 頷きながら、煙草を吸いつつ、こっちがやっぱり真実だろうと判断した。

「だから実は、雑談相手の顔も信者の顔も覚えてないから、気づかれると気まづい――それもあってお部屋に呼ばないし、告白されても知らないに等しいから断るんだよねぇ。いやぁ。毎年名簿に信者は誰か聞いて、丸つけたりしてる。告白してきたのがどの子とか。全く覚えられないんだよねぇ。やっばいよねぇ。それもあって出欠とらないんだよね。見ても分かんないし。俺全く学生に興味ないんだわ」
「うわー!」
「でも、雛辻さんはすぐ覚えたよ。メモ癖のくだりから全部本当。ただ、もう一つ別の病気疑ってた。小説書いてるって聞いた時と、量と、集中力と、時間聞いたとき、そっちかもしれないとも思った」
「なんですか?」
「ずーっと書いてないとダメな病気があるんだよ。もうずっと書いてるの。他の病気の症状として出てくる感じが多いんだけど、少数ながら、単独例もある。で、本人以外読めないの。ただパソコン普及したから、読めるようになってきて、だんだん判明したんだけど、すげぇどうでも良いこと書いてるの」
「……」
「雛辻さんは、どうでも良いことまでメモするし、そのメモの取り方が、他の人にはよくわからない図とかっぽくなっちゃって矢印とか入ってるから、真面目に疑った。で、レポート読んで判断したんだよね。こっちと同じくらい、そっちも面白いから俺は好きなんだ。で、そっちの場合の特徴とレポート内容外れてて、ちゃんとしてたからがっかりしたのもあったりする。あっちだったらすげぇ面白かったのにとか思いつつ、こっちも面白いからいいかなぁみたいな! それで疑い一回消えたんだけど、小説書いてるって言ってて、その内容がすげぇくだらねぇからさぁ、やっぱそっちなのかなぁって。だって高校生でも分析できちゃうレベルの主人公に感情移入して泣きながら書くって、あっちっぽいんだもん!」
「ひどい!」
「だけどゾンビコメディ読んで確信した。たぶん、面白いよ、君の小説!」
「あれコメディじゃないのに! しかも真面目な卒論なのに!」
「たぶんねぇ、君の小説が評価されないのは、君が考えてる内容と世間の取り方が違うんだよ。あれ、笑うなって方が無理!」
「失礼です! 一体どこがコメディだって言うんですか!?」
「恋人がゾンビになっちゃうあたり!」
「泣けるところじゃないですか!」
「笑いすぎて涙出そうだったけど、真面目に書いてるんだろうから悪いと思って、必死に真顔を俺は頑張ったよ。褒めて!」
「確信しました。先生がおかしいんだ!」
「上村先生と二人で爆笑して、二人で、うちの先生方の教科書出してる出版社に連絡して出してもらおうかとか言ってたレベルで吹いた!」
「えー! 嘘だー!」
「出版社連絡的な意味で会議してみるか盛り上がったよ。試しに文学部の覆面で小説出してる先生に見せたら、その先生も爆笑」
「……」
「俺も普通は恋人がゾンビになったら泣けると思うのに、不思議だよねぇ。あれは、ある種の才能だ」
「……」
「だけどまぁ、狙うとダメだそうだから、二度とあのレベルのコメディはないかもしれないし、小説家って大変そうだから止めとこうってことで落ち着き、他の論文の話になったの。上村先生とお酒飲みながらさぁ、あ、俺に合わせて時間帯は真夜中でね、この部屋に持ち込んで煙草吸いながらさ。言わないでよ、怒られるから」
「……それで?」

 場合によっては、教務課に報告してやるつもりだった。
 人のゾンビになんてことを言いやがるんだと、私はムッとしていた。