ドイツ医学部時代



 私達は、ドイツにおいて、従兄弟姉妹達と同じ家に住むことになった。
 大人数がドイツにいるので、一軒建てておくことにしたらしい。

 パパの双子の妹である叔母さんがミナさん。精神科医だ。
 義理の叔父さんは、優馬さん。日系ドイツ人で、ここが母国だ。心臓外科医だ。
 ただ、優馬さんのご両親は、現在アフリカにいるそうだ。
 だから実家に住んでいたらしいが、そちらを残しつつ、こちらにしばらく住むことにしたらしい。

 一番上の七つ年上の従兄が現在十三歳で、アメリカ留学中だという。肺疾患専門らしい。
 五つ年上の二番目の従姉が、現在十一歳で、この大学の院にいるそうだ。循環器。
 二つ年上の双子の男の子二人も、この医大にいる。専門は心臓外科と脳外科。
 そして、青と白と同じ歳の男女の双子が、天才研究室にいるそうだ。

 学部は六年制だが、自由に履修できるので、テストに合格すれば、いくらでも飛び級可能だという。実技実習があるので、最低二年はいなければならないらしいが。ただし、大半は留年するようだった。卒業後は、医師免許試験を受け、合格したら、臨床経験を積みながら大学院に行く制度だという。専門は、主に院で決めるらしい。そのため、院には飛び級制度は無い。

 パパとママが赤ちゃんを育てる傍ら、家にいることになった。
 知らなかったが、パパはどうやら、パソコンで社長業をしていたようだ。

 私達は、毎朝双子の従兄である都馬くんと相馬くんと通うことになった。
 二人は八歳だ。飛び級しているので、あと二年で卒業だという。
 ただ、授業中に寝てしまったり、テストをサボってしまったり、課題をやらなかったりしたため、あと二年かかるだけで、既に院に通っていい状態らしく、それぞれが心臓外科と脳外科について、空き時間に教えられているらしかった。

 二人共白をちょっと馬鹿にしたような感じだった。明るくてノリが非常にいい。
 しかし勉強が大嫌いであるようだった。一卵性双生児だそうで、顔がそっくりであり、口調もそっくりだ。性格も似ていて、大体話す内容まで同じ。少しは緊張していた私は、歩きながら、大学への不安など消え去っていた。ただ、後々発見したのだが、実習で一緒になって見た限り、実践時は、いつもが嘘のように、二人共真剣すぎる顔になり、違う人間のように鋭く的確になるのだ。腕も、一流だ。

 こうして大学生活が始まった。周囲はみんな年上だ。一番近いのが双子だ。
 講義は非常に簡単だった。子供向けではない。周囲は皆、大人だ。
 私は真面目にノートを取った。紺は、取らずに聞いていた。
 講義がかぶっている場合、双子は大体、寝ていた。
 そして初のテスト前、私は双子にノートを見せてあげることになった。
 双子は感謝しながらそれを読んだあと、紺を見た。

「「これさ、どういう意味?」」

 私は少し息を飲んだ。実は、自分でも曖昧な部分だったからだ。ほとんどないが、一部そういう箇所があったのだ。しかし、何故ノートも取っていない紺に聞くのだろう。

「――という意味だ」
「「なるほど!」」

 双子が理解して喜んでいた。私もやっと理解し感動した。紺、すごい!
 こうしてテストにのぞみ、私たち四人は満点だった。
 なお、双子が満点だったのは、初めてらしい……。
 こんな日々の繰り返しの結果、私達は双子と共に、二年で医学部を卒業が決まった。
 私達が八歳、双子が十歳だ。
 双子は、都馬くんが心臓外科の院、相馬くんが脳外科の院と決まっていた。
 そんな時、私達はパパに聞かれた。

「二人はどうするんだい?」
「私は精神医学よ!」
「そう。緑ならきっとできるよ。紺は?」

 すると珍しく紺が黙った。

「――院の主催は、優馬なんだろ?」
「優馬さん、って呼んだらどうかな?」
「優馬が優馬で良いっていいっていたんだよ」
「……そう。まぁ、そうだね。心臓外科の臨床担当と院教授は優馬くんだな」
「優馬は、心臓外科医としては、どのレベルなんだ?」
「そういうことを……俺個人の見解としては、辞書が必要な人間である点を抜いて、理解できるんなら、世界有数、五本指に入ると思ってる」
「ここの脳外科医はどうなんだ?」
「まぁ君の祖父さんの方がすごいね。だから相馬くんもここで二年やって専門資格取り次第、アメリカの祖父さんの所に行くみたいだよ」
「なるほど。じゃあ俺は、都馬と一緒に心臓外科に行って、優馬に習う」
「わかった。頑張ってね」

 こうして、私達の院は決まった。
 私は、叔母様のミナ先生にじっくり教わった。家でも教わっている。
 優馬さんと都馬くんと紺は、不定期な時間に帰宅し、いつもディスカッションしていた。都馬くんと紺は、並び立つほど優秀らしい。ただ、紺に言わせると、都馬くんの方がすごいそうだ。紺がそんな事を言うのは珍しいと思った。また相馬くんは帰宅時間が別なので、どの輪にも特に加わらない。こうしてすぐに二年たった。都馬くんと紺は、議論しまくっている。そしてみんなで無事に卒業が決まり、相馬くんがアメリカの大学に編入することになった。そこで事件が起こった。

「俺も行く」

 紺も一緒に行くというのだ。幸いアメリカのその大学も、入っていいという許可が特別に降りる制度になっていた。しかし、なぜ心臓外科の腕前を認められているのに行くのか、さっぱり私には理解できなかった。都馬くんも唖然としていた。議論じゃないのに真剣に、引き止め始めた。だが紺は、行くの一点張りだ。心臓外科はお前が担えと説き伏せていた。パパもそれとなく、心臓外科は専門にしないのかなと聞いていた。すると大きく頷き紺は言う。

「俺は脳外科をやる」
「なるほど。そう。俺も二つは専門の科があるしね」

 パパが頷いてから、聞いていた優馬さんを見た。

「頑張ってね」

 引き止めるでもなく勧めるでもなく、普通に応援してくれた。
 ミナさんは、何とも言えない顔をしていた。

 現在、私達が十歳、青と白が八歳、下の双子が六歳だ。
 全員、ここの医大にいる。

 こうして、紺と相馬さんの二人は、祖父母の家に行くことになった。