アメリカ医学部時代
――この従弟はおそらく天才だ。
鏡花院相馬は確信していた。
っていうか、俺の家族は少なくともみんなそう思ってるし、あの普段は飄々としている父の優馬でさえ、絶賛する心臓外科医なのは間違いない。
祖父が教鞭をとるアメリカの医大の、医学部二年に編入し、既にお互い心臓外科と脳外科の専門医資格をドイツで取得済みなので、合間に臨床することになっている。卒業後は、院で祖父に習いつつ完全に臨床だ。学部は飛び級も可能らしいが、臨床に精を出すと留年する学生が多いらしい。
アメリカの空港で出迎えてくれた祖父は、まず優しい顔をした。
そして労ってくれたあと、紺を見た。
「本当に、脳外科をやるのかい? 心臓じゃなくて?」
「うん」
「そ、そう。き、来てくれて、嬉しいけどね」
俺もそこが不思議でならない。
あの都馬でさえ、対等だと認めた腕前の紺が、脳外科……?
こうして、俺達の新生活は始まった。
結果、紺は、一年で飛び級して学部を終えた。
俺は普通に二年生になった。俺の中では比較的真面目にやって、留年しなかっただけですごいと思う。これが天才なんだなと深く理解した。俺の学部時二年間の臨床では、それほど一緒にやる機会はなかったが、先に院に入った紺は、その頃から臨床三昧で祖父と脳外科の最先端をやり尽くしていたらしい。無事に俺が院に入った時、紺は二年生。一学年上だ。ここの院は三年で専門医の資格をくれる。そんな中、俺と紺と祖父で、臨床三昧の日々が始まった。そして俺は、紺のすごさを実感した。
――少なくとも、俺と同じくらいできる。
経験年数は、圧倒的に俺が上だ。だけど、確実に俺と同じくらいできる。結果、二年間程、毎日議論を続けっぱなしの日々を送り、祖父と三人で脳外科漬けになった。俺は、嬉しくて仕方が無かった。対等に脳外科について話せる相手なんて、あんまりいないのだ。都馬も、心臓外科について対等に話せる相手が、紺しかいないと嘆いていたから初めてその気持ちがわかった。父の優馬は、もっとぶっ飛んだ天才すぎるので、俺と都馬ではついていけない日もあるのだ。だが、紺は父と違って、きちんと話が通じる天才だ。脳外科に来てくれて本当に良かった。嬉しくて仕方がない。俺も祖父も、このまま紺は、脳外科医として、さらに専門の課程に進むと思っていた。だが、専門医になれることが確定した日に、言われた。
「よし、俺はスイスに行く」
「「は?」」
「お世話になりました」
冗談だろうと思っていた俺の隣で、祖父が曖昧な顔で笑った。
「――スイスに何をしに行くんだい?」
「総合教育機関だから、一年目の履修後に、専攻を決めていいんだ。父さんも祖父さんもアレの研究をしていたんだろう? 俺もそれが気になるから、行っておいたほうが良いと思うんだよ。鏡花院的にも雛辻的にも。雛辻側の叔父さんも乗り気で、俺が行くなら礼純を留学させると言ってる」
「伊澄さんと違って現実的な性格みたいだからね、彼は。けど、唯純お祖父様は反対じゃないのかい?」
「雛辻の叔父さんが説き伏せておくそうだ」
「アレのことはいつから知ってたの?」
「二歳の検査時に耳に入ったのを、三歳で研究室に入ってすぐに図書館で調べた。俺は例外的に違うみたいだな。緑も。ほかの弟妹は知らないけど、個人的に青と白とその下二人は怪しいと思ってる。だから言わなかった。言わないほうがいいだろう? 緑にも言っていないし、今日初めて話した」
「優秀だね。そういうことなら応援しよう。君もコメディを楽しめそうだからね。ただ、心臓外科と同じように脳外科も年に何度か、臨床を欠かかさず、常に最新研究に目を通す約束をしてくれるならばだけど」
「もちろんだ。ありがとう」
俺には何の話かわからなかった。アレってなんだ?
ただ、アメリカ留学の際に、心臓外科を忘れないように、絶対定期的にそちらの手術にも臨むように念押しされていたのは知っているし、実際こちらでもやっていたのはわかる。だがどちらも最先端がすぐ変わるのに、大丈夫なのだろうか。そうは思うが、心臓でやっていけてるというのもあるし、大丈夫な気しかしなかった。
こうして俺の唯一対等な従弟はあっさり脳外科医の資格だけとり、この世界から、いなくなったようなものである。俺は、とりあえず、スイス土産を頼んでおいたが、しばらくは帰ってこない予感がひしひしとした。