花が促すプログレス






 今日も今日とて、学園祭の話し合いがある。

 この聖ダフネ学園高等部では、三年に一度、学園祭が行われる。

 その時期は、私が委員長を務める風紀委員会も、なにより生徒会も、それらが主体となって学級委員長や部長、各委員会の代表者で構成される学園祭実行委員のメンバーも、皆が多忙になる。

 なお一般生徒に限っては、学園祭よりも、同じ年に学園に咲くと言われる、想現草探しに必死になる。想現花は、俗に恋が叶う花と呼ばれていて、こちらも三年に一度だけ咲くらしい。真偽は知らないが、三年に一回は、見つけたという報告があるのは間違いないし、見た目などもかなり詳細に伝わっている。前回は、三年前に保健医の荒潟先生が見つけたという話で、教職員の言葉であるから信憑性が増したようにも思う。

 だが、私に関しては、その伝承よりも、目下に迫った学園祭と、そのための打ち合わせや会議の方に心を奪われがちだ。

「だめに決まってるでしょ、許可できない」

 私は眉間に皺を刻み、険しい表情で、きっぱりと告げた。
 睨み付けるように見ている相手は、生徒会長の高萩七彩である。高萩は、180cmを超える長身で、黒い髪とどこか紫暗にも見える瞳をしている。若干つり目だが、形が良い。通った鼻梁に薄い唇をしていて、さすがは学園一モテると評判になるだけの容姿をしている。その端正な顔に、高萩は現在、私以上に苛立つ表情を浮かべ、私を完全に睨み付けている。

「なんでお前の許可が必要なんだよ、あ? 水理、生徒会は、風紀委員会の許可を求めてるんじゃねぇ。生徒会の決定通りに、風紀が計画を練り直せと言ってるんだ」
「ふざけないで」

 水理、と、呼ばれた苗字。
 その度に、私は少しだけ胸が痛む。昔は、下の名前で、砂緒と呼ばれていた。

 まぁ、私も七彩と呼んでいたのは過去の話で、今では高萩か会長と呼んでいるけれども。
 私達は――実を言えば、幼なじみだ。学園の誰も、知らないとは思う。少なくとも私は誰にも話していないし、今では私を嫌っている様子の高萩だって、私の話なんか誰にもしないだろう。

 私は、帰国子女だ。だから、国内の企業の人間関係に囚われないだろうと考えられて、前任の委員長から指名を受けて、風紀委員長になった。良家の子息が通うこの聖ダフネ学園には、日本の企業のご子息・ご令嬢が多い。だから実際、外資の会社の代表の娘である私は、あまり日本企業には関わりが無いので、前任者の判断は適切だったとは思う。今の学園で高萩に面と向かって注意できるのは、私だけだ。

 その高萩は、この国で知らぬ者がいないほど有名な日系企業、高萩財閥の人間だ。
 高萩財閥に関わりが無い企業など、それこそ外資くらいのものである。
 生徒会長として高萩が絶大な権力を誇るのは、容姿のみではなく、そうした家柄や人脈、また優秀な成績や運動能力に裏打ちされた自信、それらからくるのだろう。

 ――私だって、そういう部分が、好きだ。



 私は高萩に幼少時、初恋をした。その恋心を引きずった後、再会した後は、今の高萩に惚れてしまった。けれど繰り返すが私しか生徒会長である高萩を諫められる者はおらず、さらに風紀委員長という元々生徒会とは不仲な委員会の長となってしまったせいで、現在では、私達は敵対しており、非常に険悪な仲になってしまった。廊下ですれ違っても、会話はおろか、目すらあわない。代わりに、会議の場では、激論を交わしている。

 現在は、生徒会が企画した学祭の中のあるイベントに対して、風紀委員会としては見回り警護の観点から、企画の一部の変更をして欲しいという話をしている。このままの状態では、企画に賛成できないという話だ。しかし高萩は、変更をしないと宣言している。

「風紀は、無能なんだな。お前らの警備計画に穴があるというだけだろ。水理、てめぇらで見直せ。生徒会はなぁ、学園の奴らも客も楽しませるために全力を尽くしてるんだよ。それをお前らの力不足で変更なんぞできない」
「学園の生徒も来て下さる人々にも、安心で安全な環境を提供する義務が風紀にはある。楽しみは、環境が保障された上でこそ味わえる。どうして理解できないの?」

 この日私達の激論は平行線をたどり、会議は延長した。
 だが延長可能な予備の終了時間もあっさり訪れて、結論が出ないままで打ち合わせは終了した。

「……」

 会議終了後、立ち上がり、私は深々と溜息をついた。
 成果がなかった会議であるが、一ついいこととしては、片想いをしている相手の顔を、まじまじと見られたことだろうか。

「おい、水理」

 すると、その時高萩が声をかけてきた。反射的に視線を向けると、双眸を細くして、忌々しい者を見る目つきで、歩み寄ってきた高萩が、顎を持ち上げ、私の前に立った。背が高いからか、威圧感がある。

「毎度のことながら、この俺に反抗するとは、いい度胸だな」
「反抗? 私は論理的に批判したんだけど。第一、貴方に対して適切な言葉を投げかけることに、一体どんな度胸が必要だと言うの?」

 まぁ、実際に他の生徒であれば、家を社会的に潰される恐怖や、学園ではぶかれる恐怖、虐められる可能性など、生徒会長に目の敵にされるというのは、辛い状況だろう。だが、私に限っては、恋愛的に好きな相手に嫌われているという辛さでしかない。

「――一週間後、だ」
「なに?」
「一週間後の放課後、あけておけ」
「どうして?」
「じっくりと話がしてぇんだよ。一対一でな」

 そんなにこの企画にこだわりがあるのかと考えて、私は嘆息した。しかし風紀として、譲れないものは譲れない。話というのは、それ以外には考えられない。一週間と一日後に、次の会議があるから、それまでに打ち合わせをしたいということなのだろう。

「分かった。来週の月曜日ね?」
「おう。18時に、中庭の四阿に来い」
「いいわ。無駄話でないことを期待しておくから」

 私は仏頂面で頷いた。すると顎で頷き、高萩は踵を返して、会議室を出て行った。





 ――私と、高萩の出会いは、高萩財閥が主催した夜会でのことだった。
 一流の家柄の者だけが招待されるその夜会には、高萩財閥に匹敵する影響力のある家の『子供』は、私しかいなかった。奇遇にも同い年。私と高萩は、強制的に顔合わせをさせられた。

「お前、名前は?」

 当時から偉そうだった高萩の言葉に、私も気が強かったから、堂々と言い返した。

「砂緒。名前を名乗るときは、普通は自分から名乗るのが礼儀なのよ」
「なんだと? 俺の名前を知らないのか?」
「うん。知らない」
「それこそ失礼だ、無礼者が。仕方が無いから教えてやる、俺は七彩だ」
「七彩ね。覚えておくわ」

 不遜な高萩にそう告げて、私はにこりと笑った。すると高萩が目をまん丸にした。

「お前……なんていうんだろ……綺麗だな……」
「? なにが?」
「い、いや、なんでもない!」

 すると、ぷいっと高萩が顔を背けた。なんの話か分からず、私は首を捻っていた。
 その後は子供同士ということもあり、私達は給仕の者のそばで、セットで置かれた。
 それは初回のあとも同じだった。
 高萩財閥が主催する夜会でも、私の家が主催したパーティーでも、私達はいつも二人だけだった。四歳で出会ったのだが、高萩は幼稚園に通っていると楽しそうに語っていた。私は家で家庭教師に習ってばかりだったから、正直羨ましかった。

 私は高萩以外の同い年の子供を、他には知らなかった。
 その内に――親同士が親しいこともあり、私は高萩の家に、父親について遊びに行くようになった。二人で池で鯉を眺めたり、庭の楓の木に登って怒られたり、迷い込んできた野良猫を見つけて保護したり、次第に私達は仲良くなっていった。

 高萩はよく笑った。私は気づいた時には、その笑顔が好きになっていた。なにより、一緒にいると楽しい。ずっと一緒にいたいと思った。

「……」

 そう考えながら、庭のイチジクの横で、私は思わず高萩の笑顔に見惚れていた。
 すると――高萩もまたじっと私を見た。
 そして、一歩前へと出ると、私の頬にキスをした。驚いた私は、硬直して目を見開いた。そうしたら、高萩がニッと笑った。その頬と耳が少し朱かったのを覚えている。

「俺のファーストキスを捧げてやったんだ、ありがたく思え!」
「なっ、な、な……そ、そういうのは、恋人同士じゃないと、不純なのよ!」

 私の方は、顔全てが、真っ赤だった自信がある。

「砂緒を俺の恋人にしてやる!」
「っ……」

 おろおろして、私が黙っていると、高萩が不機嫌そうな顔をした。

「嫌なのか?」
「嫌じゃ……ない……けど……でも……」
「でも? なんだ?」
「キスは、大人にならないとしちゃダメだって、お父様が言ってた。つまり、大人になるまでは、誰かと恋人になっちゃダメなのよ」
「――ふぅん。じゃあ、予約してやる。俺以外と恋人になっちゃダメだからな! 俺はファーストキスとこの約束のことを、きちんと日記に書いておく!」
「日記?」
「うん。幼稚園で、毎日つけるようにって言われてるんだ。安心しろ、提出したりはない。俺達と日記帳だけの秘密だ!」
「そ、そう……わ、わかった」

 今になって思えば、私にとっては淡い初恋だった。きっと当時は、高萩だって少しくらいは、本当に私を好きだったと思う。そう信じたい。子供のお遊びだとしても、私達は、こんな約束事をするくらい、親しかったのである。




 そんな私達に別れが訪れたのは、私の父親が、海外の本社の取締役になることに決定し、私も連れて、海外で暮らすことになった時だった。急なことだったから、私は高萩に連絡できないことに、最後に顔を合わせられないことに、目を潤ませていた。

 半分程度泣きながら、空港のロビーに座っていた時である。

「砂緒!」

 私の聞きたい声がした。涙でにじむ瞳を向けると、そこには高萩が立っていた。

「な、んで……」
「黙っていくな、バカ!」

 高萩は、私に抱きついてきた。もう私の涙腺は限界だった。私は高萩の背に腕を回し返して、号泣した。すると高萩もボロボロと泣きながら、なのにあやすように私の背をポンポンと叩いた。

「行きたくない。七彩と一緒にもっと遊びたい。もう会えなくなるなんて、嫌だ」
「――俺だって嫌だ、でもな、同じ地球にいるんだ。また会える!」
「地球って……」
「空も繋がってる!」
「天候も気候も違う気がするけど……そ、そうだね……」

 私はスケールの大きい高萩の声を聞く内に、少し落ち着いて涙が止まってきた。私達は二人で抱き合ったままで、視線を合わせる。

「大人になったら、約束守ってくれるんだろうな?」
「……そうね。私は、七彩に絶対会いに行く」
「待ってるからな、帰ってくるの。それも、約束だぞ」
「うん。約束……約束だ……」
「好きだ、砂緒」
「……私も、七彩が好きだよ」

 こうして私達は二個目の約束をした。フライトの時間が迫っていたので、そこで別れることとなった。あとで聞いたのだが、私が海外移住すると当日知った七彩が無理を言って見送りに来てくれたらしい。別れが寂しくて、私は飛行機の中でもずっと泣いていた。けれど――私の中には、約束の存在感が確かにあって、それが私に希望を与えてくれた。

 海外生活では、辛いことも多かった。
 けれど、私は約束に縋っていたし、高萩のことを忘れたことは一度も無かった。
 そして約束通り、日本の戻ってからは、高等部から編入という形で、高萩と同じ学園に通うことにした。高萩は、幼稚園からずっとこの学園に通っていたらしい。

 私は、再会した当初、高萩に声をかけようとした。だが、既に生徒会長だった高萩の人気は絶大で、近づくことすらできなかった。私が編入したことにすら、高萩は気づいていないのではないかとすら思っていた。もう二次性徴も終え、私は大人だと自負していた。けれど――高萩にとっては、約束なんて思い出の彼方で、記憶にないのだと確信した。それは、実は覚悟していたことだった。私だけが覚えている可能性は、ずっと想定していた。だがショックでないと言えば嘘だ。




 私は落ち込みながら、その日ふらふらと廊下を歩いていた。すると、殴られそうになっている生徒を発見した。私にとってそれは犯罪行為であったから、誘拐防止のために教育を受けた護身術を駆使して、私は被害者を助け、加害者をのした。結果……かけつけてきた当時の風紀委員長に勧誘されて、風紀委員会に入ることになった。

 それから、三日後のことだった。

「おい、水理」
「っ」

 高萩の方から、声をかけてきたのである。

「風紀に入るってことは、生徒会と敵対するってことだぞ。つまり俺を敵に回すってことだ。即刻抜けろ」
「――何故? 私は、風紀委員の一人として、防止できる被害は防止したいと思ってる。そこに七……高萩に敵対する意思は含まれないけれど」
「お前は帰国して編入したばかりで、まだこの学園の制度が分かってないんだ。とにかく、抜けろ」
「貴方に指図される覚えはない」

 そんなやりとりをしている内に、驚いたように周囲に人が集まってきた。
 すると高萩が舌打ちした。

「とにかく、忠告はした」

 そう言って、高萩は立ち去った。残された私が立っていると、当時の風紀委員長がやってきて、私の肩を叩いた。

「あの高萩会長に、一歩も引かずに言い返せる人間を、俺は初めて見た。次の委員長は決まりだな。水理に任せる」

 こうしてその年の秋、私は一年ながらに風紀委員長に指名された。前任の三年生だった委員長は、三月に卒業し、現在私は高等部の二年生になった。

 ――風紀委員会と生徒会は歴史的に険悪である。
 これは事実で、私も企画者と警備側の確執に、ぶつかるようになった。
 そして主に、高萩と私が口論する形であり――確かに敵対してしまった。ただ、高萩はどうやら私の事自体は覚えていたらしい。私は、それだけでも嬉しかった。

「……」

 会議室で長々と思い出を回想していた結果、既にその場には、私一人になっていた。
 そろそろ寮へ帰らなければ。
 そう考えて、椅子から立ち上がる。

 もう、大人になったけれど、約束が果たされることはないのだろう。私の方は、会いに戻るという約束をきちんと守ったが、高萩は私を恋人にする気は無さそうだ。

 それでも。
 私は、再会してからも高萩を気づけば目で追ってしまい、気づいたら、今の高萩のことも好きになっていた。険悪な仲だというのに馬鹿げているが、高萩はかっこういい。外見も、中身も。自信たっぷりの様子、若干俺様だと言われるが、リーダーシップがある部分も、全て。私は高萩に改めて恋をした。叶わないと分かっている恋は辛いが、想いを胸に秘めている分には、好きになるのは自由だろうと自分に言い聞かせている。

 その後私は、風紀委員会室に鞄を取りに行ってから、寮へと戻った。





 しかし――学園祭の準備よりも、一般生徒は、三年に一度だけ咲くという幻の花を探すのに必死である。そのため、見回り箇所が増え、特に帰寮を促すために、夜遅くまで見回りをすることになり、風紀は大変多忙だ。メンバー総出で、見回りをしている。それでも校則を破って遅くまで残る者や、朝早すぎる登校をする者、危険であるから立ち入り禁止の旧校舎に足を踏み入れる者などが後を絶たない。どころか、花壇の花を片っ端から引っこ抜くような生徒もいる。

 全く、頭痛がしてくる。

 なんでも花の特徴は、金色の花びらに、薔薇のような茎とトゲ、緑の葉なのだという。
 皆、それを探している。

 だから私は、今日も今日とて見回りに必死だ。委員長になると、委員会室で書類仕事や、調書の作成、聞き取りなどをする方が多いのだが、今回ばかりは人手が足りなくて、私も見回りをしている。私には武力があるので、本来は二人一組だが、私は単独で回っている。

 今は旧校舎の裏庭にいる。
 そちらもチェックしようと考えながら進んでいくと、朽ち果てた小屋が見えた。物置だ。その内部も念のため確認するべく、私は扉を開けることにした。

 ギギギと立て付けが悪いせいで、軋んだ音がした。今にも潰れそうな小屋の中は、天窓から日の光が入る以外は薄暗く、ホコリがキラキラと舞っている。それを見てから、私は視線を下げて、首を大きく傾げた。床の上から、一本花が咲いていたのである。

「えっ……?」

 まさにそれは、金色の花弁を持っていて、薔薇のような茎とトゲがあり、緑の葉をした花だった。床から、それだけがぽつんと一本生えている。

「まさか……想現草……? 本当に、存在していたの……?」

 三年に一度咲く、恋を叶える花。 
 ちなみに一本しか咲かないと言われていて、最初に見つけた者のものになるのだという。私は惹き付けられたように視線が離せなくなり、おずおずと歩み寄った。そして手を伸ばしてみると、バチンと指先に電流のような衝撃が走り、花から光の粒子が放たれた。鱗粉にも似ていたが、宙にのぼり溶けていく光は、もっと幻想的だった。

「確か花を見つけたら……茎から手折るんだったなよね」

 私は再び手を伸ばす。するとまだビリビリと指先が痛くなったが――半信半疑ではあったものの、私の頭の中には高萩の顔がよぎっていて……もう一度、せめて会話を普通にできるようになれたらと言う想いが溢れてきて、花を自分のものにしたいという決意が固まっていた。同時に、理性は、私が手に入れたと宣言すれば、学園の混乱も静まるはずだという言い訳を唱えていた。

 私は手が痺れるのを我慢して、想現草を手折った。
 すると私の手の中の花に光が収束し、電流のような刺激もすぐに無くなった。

「これで……恋が叶うのかな?」

 だとすれば、私は……高萩に告白し、もう一つの約束を思い出してもらうべきだろうか?
 成功は、花が保証してくれるらしいのだから。

「……」

 しかし、脳裏にいくら高萩の顔がよぎっても、今の険悪な状態で、高萩が私を受け入れるとは到底思えないし、悪くすれば、私が告白して会長が振ったという話が学中に出回って、風紀委員会の権威の失墜を招くかもしれない。風紀が生徒会に屈したともとられかねない。いいや、これらもまた言い訳だ。本当は、単純に純粋に、私の勇気が出ないだけ。いくら花が私の手にあるとしても、恋が叶うとは思えない。

「……確か、枯れるまでに告白しないと成功しないんだったよね。いつ枯れるんだろう? とりあえず花瓶にさしてみようかな」

 私は見回り途中であったが、緊急事態であるため、寮に戻った。同時に、花を手に入れたことを、風紀委員会のメンバーで作ったアプリのグループに写真付きで投稿し、学園中の馬鹿騒ぎを、これをもって終わりにするよう副委員長達に宣言を頼んだ。

 部屋にあった花瓶に、その花をさす。私は、しばしの間、花をぼんやりと眺めていた。




 ――それから数日間。
 まだ、花は枯れない。私は、朝起きる度にそれを確認して安堵しながら、出ない勇気に思い悩んでいた。廊下で偶発的にすれ違う度に、私の視線は高萩を追いかける。追いかけてしまう。しかし視線が合うことはない。高萩は、基本的に私を無視している。視界に入れないようにしているのが分かる。私が編入してから、ずっとそうだ。例外は一度だけ、あちらから声をかけてきた際の口論時のみだ。

「……」

 嫌われている相手に恋い焦がれることほど、辛いことはないと私は思う。
 いくら花が保証してくれているとしても、結果は見えている。
 絶対に、断られる。花の効果より、高萩の意思と決意の方が、きっと効力があるだろう。高萩は、どこまでも信念にまっすぐであり、伝承になんて囚われないはずだ。

 私はここ数日、思い悩みすぎて眠れない。それに何度も溜息を零している。
 誰かに恋してるんですか? なんて、聞かれることもあるが、私は苦笑して濁してばかりだ。

 そうこうしていたら、学園祭の打ち合わせから丁度一週間が経過し、高萩に呼び出された日になった。ああ……今日も口論するのか、と、私は改めて生徒会の企画書に目を通してから、風紀委員会の資料を手に、約束の18時に四阿へと向かった。

 すると既に高萩が来ていた。

「待たせた?」
「――いいや、時間通りだ。まぁ、座れ」
「ええ」

 この四阿には、対面する席にベンチが一つずつあるのだが、片側に学園祭に使う荷物が置いてあったので、私は高萩の隣に並んで座った。そうして顔を向ける。

「風紀委員会としては、何度検討しても結論は変わらないわよ」
「? おい、砂緒。なんの話をしてんだよ」
「っ、今、名前……」
「ん? 二人なんだから、そう呼んだっていいだろ。人目がある場では、迂闊に呼べば、お前がイジメを受けると思って苗字で呼ぶようにしてたんだ、が、今必要ない。違うか?」
「……」
「俺の事も、昔みたいに七彩でいい」

 顎を持ち上げて、偉そうに高萩が言った。私は戸惑いつつ、高萩の放った言葉を咀嚼するのに必死になった。今の言葉が本当ならば――私のために、距離を取っていたと言うことなのだろうか? 思わず私は、俯いて考えた。

「私は風紀委員長だから、誰かに虐められたりしない」
「今でこそだろ」
「それ、は……」
「風紀に入って、唯一良かった点だろうな、風紀委員長様」
「……」
「それよりも、話があるんだ。砂緒」
「なに?」

 私はおずおずと顔を上げて高萩を見る。どうやら学園祭の話ではないようだから、私には話の内容は見当もつかない。

「好きだ」
「ん?」
「砂緒のことが、好きだ。俺は、お前が好きだ。お前と付き合いたい」
「!」
「はっきりいう。これは告白だ。この俺に惚れられるなんて光栄に思え」

 いつも通りの自信に満ちあふれた表情で、高萩が宣言した。
 呆気にとられた私は、目を見開く。

「砂緒、返事は?」

 そこで私は気づいた。
 これは――これが、きっと、恋が叶う花の力なのだろうと。
 私が告白するまでもなく、相手の気持ちを変えるものだったに違いない。
 だとすれば、今の高萩の言葉は、本来は高萩が抱いていた感情ではなく、花が歪めた結果だと言うことだ。私は、そんな偽りの恋心が欲しかったわけじゃない。

「断るわ」
「っ、なんで?」

 私の返答に、高萩が眉間に皺を刻んだ。

「……私は、想現草を見つけたの」
「ああ、らしいな。学園中で噂になっていたな。勿論、恋を叶える相手は俺だろうな?」
「……ええ、そうね。今、叶った。でもそれは、花の力だもの。だから、私は七彩とは付き合えない。七彩は、花の力で……私を好きだと思っただけだろうから。だから、だから……そんなのは……」

 私の声は、どんどん消え入りそうなほどに小さくなっていった。
 すると高萩は、怪訝そうな顔をした。

「砂緒、お前はなにを言ってんだよ?」
「なにって、真実を――」
「巫山戯るな。花の力だと? ちょっと来い、行くぞ」
「どこへ?」
「俺の気持ちを証明してやる。きちんと砂緒に信じさせる用意がある。俺の部屋へ来い」

 そう言って高萩は立ち上がると、強引に私の手を取った。
 私は驚きながらも、それに従うことにした。



 こうして私は、初めて高萩の部屋に入った。一人部屋だ。巨大な私室に通される。書架と学習机、それから大きめのセミダブルのベッドがある。

 道中では、私達が並んでいる姿、それも会長に私が引っ張られている姿に、皆が目を丸くしていた。だけど私は、ついていくのに必死だったから、気にしないことにした。

「これを見ろ」

 高萩は書架の前に立つと、ごっそりとノートを抜き取った。それぞれに年月日と、『日記』という文字が見える。

「今も日記をつけていたの?」
「おう。一日も欠かさずな」
「そ、そう」
「読めよ。人に見せるのは、お前が初めてだ」
「? ええ」

 私は、手渡された最初の一冊を見た。日付を見れば、私は編入した日のものだった。

『ようやく再会できた。砂緒は約束を守ってくれた。覚えてくれていたのが嬉しい。俺は二つの約束を忘れたことは一度も無かった』

 私はその言葉に、震えながら、別のページをめくる。

『まずい、惚れ直した。見てばっかりいるのがバレないように気をつけないとな』
『なんで風紀になんて入るんだよ、あいつは俺の事を嫌いになったのか? 俺は好きなのに』
『今日も砂緒と口論になった。俺の愛が伝わらない。初恋からバージョンアップしてる俺の思いが伝わっている気配が微塵もない』
『愛しすぎて苦しい、砂緒のことが好きだ』

 そんな、そんな私に対する好意が綴られていた。

「こっちも見ろ」

 そして続いて渡されたのは――初めての約束をした、キスをした頃の日付の日記だった。確かにあの日、日記に書いておくと高萩は言っていた。私は、恐る恐る日記を開く。

『今日、大人になったら砂緒が恋人になってくれると約束した。そうしたら、いっぱいキスする』

 その一文を見たら、思わず私の涙腺が緩んだ。

「……きちんと約束を覚えていてくれたのね」
「おう。俺の初恋はお前だし、再会して惚れ直した。ずっと俺はお前が好きだった。いいや、過去形じゃない。今、俺はお前が好きなんだよ。お前が花を見つけるずっと前からな」

 力強い声でそう言うと、高萩が渡すを抱きしめた。
 私は腕の中で、思わず額を高萩の胸板に押しつける。泣き顔なんて、見られたくない。たとえそれが嬉し泣きだからであっても、今、私の情緒はごちゃごちゃだ。

「約束、覚えてたんだろうな?」
「……ええ」
「もう一度、告白の返事をくれ」
「……っ、そんなものは決まっているじゃない。私だってずっと七彩のことが好きだったんだから。ううん、今、私も進行形で好き。愛してる。私だって、片時も貴方のことを忘れた事なんて無い」

 私がそう言うと、強引に高萩が私の顎を持ち上げた。
 そして、深いキスが降ってきた。濃厚な口づけをした後、俺達は見つめ合った。

「俺達は、もう子供じゃない。そうだろ? 砂緒」
「ええ、そうね」
「約束、守れよ」
「――ええ。ええ、そうね。七彩、私の恋人になって?」
「当然だ。お前の横に、俺以外が立つのは許さない」

 高萩の腕に力がこもる。抱き寄せられた私は、涙が乾いてきた顔で、思わず笑みを浮かべた。心から、嬉しくてたまらなかった。






 こうして、俺と高萩は、無事に約束を果たし、恋人同士となった。
 その日、私が自室へと戻ると、なんと想現草が枯れていた。花が咲いている内しか効果が無いという話だったが、一体、いつ枯れたのだろうか?

「前に見つけたという、荒潟先生なら、何か知っているか?」

 少なくとも、手に入れた花の状態は知っていると考えられる。
 そこで俺は、翌日保健室へと向かった。

「やぁ、風紀委員長。珍しいね、どうかしたのかい?」
「じ、実は――想現草についてお聞きしたくて」
「ああ、今回は君が手に入れたという噂は聞いたけど、そうなのかい?」
「はい。ただ、枯れてしまったんです」
「ふぅん。ということは、恋人ができたんだね」
「え?」

 にこやかな先生の声に、私は驚いた。

「想現草はね、たくさんの伝承があるんだけど、前回見つけて僕が調べた結果、『学園内で、最も強くお互いを思い合っている、両片想いをしている者のどちらかの前に出現する』そうでね、それから、『恋が叶うと』即ち『両思いになると』枯れるんだそうだよ。アレを見た場合、相思相愛だから頑張れという合図、背中を押してくれる花なんだって。恋を叶える花というのは、キューピッドということなんだ。無論、告白と言った行動に移すのは、本人の意思だから、花の力じゃない。委員長は、確かに花を見つけたんだろうけど、きちんと相手に気持ちを伝えることができたんだね。さすがだよ。三年前の僕なんて、半年もかかったよ、告白するのに。その間、ずっと花は咲きっぱなしでねぇ」

 私はつらつらと語る先生の言葉に、瞠目した。
 それから微笑した。

「背中を押してくれる、か。私は勇気が出なかったんです、残念ながら。相手が、その……でも、恋を叶える花……キューピッドか。そう考えると、納得します」
「学園一の両片想いをしていたほどの相手なんだから、大切にするんだよ」
「言われなくとも。お話、伺わせていただき、ありがとうございました」

 こうして、私は保健室を出た。
 そして――本日も、帰寮したら、高萩の部屋に行く約束をしていることが嬉しくて、思わず笑顔で廊下を歩く。早く会いたくて、たまらない。

 私はもう、そこでは高萩と呼ぶ必要も無ければ、水理と呼ばれる必要も無い。
 存分に私は、七彩の名前を呼んでいる。

 このように、私は今幸せだが、だからといって学園祭の生徒会の企画を認めるわけには行かない。結局公の場では、私達の激論は続く。けれど二人きりの瞬間は、いつだって甘い。それが幸せで、私の顔は緩みっぱなしだ。

 さぁ、今日も七彩に会いに行こう。
 今日も私は、愛しい人の顔を見る。


 ―― 終 ――