【5】焦げたスコーンと親切心☆


「これ、何……?」
「紅茶のスコーン!」
俺が笑顔で差し出した新作を前に、ソファに背を預けた蓮二君がひきつった笑みを浮かべた。薄い唇には笑みが浮かんでいるし、端正な目にも明るい色が浮かんでいる。だが顔色は悪いし、冷や汗が伝っているのが分かる。
だがその理由はよく分からない。
確かに若干スコーンは焦げてしまったが、まさかそれが理由なのだろうか?
首を傾げながら俺は、紅茶を淹れた。
ルピシアの試飲会で気に入って買ってきた茶葉である。
「いつも同じ味じゃ飽きるかと思ってさ」
「う、うん……」
皿を凝視している蓮二君には構わず、俺はキッチンへと戻った。
最近ではこうして学校帰りにお菓子を試食してくれるだけではなく、大概夜は一緒に食事をするようになった。何度か、「あんまり御世話になるのは悪いから、夕食だけ作ってくれればいいから」と言われた。蓮二君は奥ゆかしい。
蓮二君は、俺の作る和食が大好きだと言ってくれる。度々、パティシエの道は止めて、普通に調理師を目指した方が良いと真顔で言われるので、ちょっと嬉しい。――というか、俺も分かっている。自慢じゃないが、どうにもこうにも、俺の作るお菓子は、美味しくないらしい。ユウトなんか、はっきりと「マズイ☆」と言ってくれる。蓮二君の言葉も要約すると、「まだ普通の料理の方が食べられるから、パティシエは諦めろ」という事なのだろう。だが、俺のスルースキルは高い。俺は、何が何でもパティシエになるのだ。
「じゃ、じゃあさ……伊織さんも一緒に食べよう」
「え? ああ」
手招きされたので、俺は蓮二君の隣へと座った。
蓮二君はいつも良い香りがする。
俺がべったべたな甘い生クリームの匂いをまとわりつかせているとすると、なんだか精悍な匂いだ。シトラスな感じ。
「はい」
蓮二君がそう言って、俺の口の真正面にスコーンを持ってきた。
見るからに焦げている。
不味そうだ。
だがコレでも俺は、一生懸命作ったのである。
「ん」
ぱくりと食べると、何とも言えない苦みが広がった。その上、生焼けと言うことはないが、サクッとしていないし、こう、もっちりとしている。
「美味しい?」
蓮二君に聞かれたので、俺は無理矢理飲み込んでから、可能な限り大きく頷くことにした。
「美味い!」
「へぇ」
「流石俺……――っ!?」
その時急に顎を捕まれ、そのまま唇を奪われた。
呆気にとられて目を見開くと、静かに伏せられた蓮二君の端正な双眸が視界に入ってくる。
「ん、あ」
深く深く口づけられて、舌を追い詰められる。
歯列をなぞられ、ゾクリと背筋におかしな感覚が這い上がってきた。
「な、な、な、な」
「うん」
「何するんだよ!」
唇が離れた瞬間、俺は叫んで、腕で唇を拭った。
体が熱い。息が上がる。
「僕は美味しいと思わなかったけど、君の口に入ると美味しくなるのかと思って。確認」
「なんだよ、それは!」
声を上げた俺の両肩に手を置き、蓮二君が軽く押した。
ソファに阻まれ、俺の体は追い詰められる。
意地の悪い端正な顔が、淡々とこちらを見おろしていた。
――俺はもう何というか、非常に情けないことに、動けない。
試食品を食べて貰ったり、たわいない話をしたり、夕食を一緒に取る内に、気がつけば、好きになっていたのだろう。元々の始まりがキスしてしまった事だというのもあるのかも知れないが、一緒にいると、胸が騒ぐのだ。
「ねぇ、伊織さん」
「は、ひゃい!」
ヤバイ俺、盛大に舌を噛んだ。
「魔力頂戴」
「あ、ああ……」
おずおずと俺が頷くと、蓮二君の手が俺の頬に触れ、再び深く口づけられた。
そうなのだ、分かっているのだ、コレでも一応。
蓮二君が俺のまずい菓子を食べてくれる一番の理由は、コレだ。オロバスの魔術師である蓮二君にとって、アマイモンの魔術師である俺から、魔力を得られることは大変貴重なのだろう。そして残念ながらアマイモンの魔術師は、現在ではそんじょそこらにはいないため、それを理由に優しくしてくれるのだろう。蓮二君は、よく、欠乏状態になるギリギリくらいまで魔力を消費して帰ってくる。普段何をしているのかは知らないが、蓮二君にとって恐らく俺はガソリンスタンドなのだ。
「っ、ぁ……はッ、ちょ、あんまり……取るな、ァ」
「未だ足りない」
「そんな事を言われても……っ、は」
魔力を吸われれば、どんどんこちらの力も抜けていく。
意識が朦朧としてきて、胸が苦しくなってくるのだ。
霞がかった視界で、俺は蓮二君を見る。ぼやけていたから、自然と涙が出てきたんだなと分かった。
「もっとしたい」
「駄目、駄目だ」
「もっと欲しい」
「だから駄目です!」
「お願い、伊織さん」
「う」
俺は蓮二君のお願いに弱い。耳元で、ゾクゾクするような声で囁かれ、吐息が触れた体が熱くなった。抵抗する力を失った俺の上着を、器用に蓮二君が脱がせる。空気に触れた鎖骨が擽ったい。
「ひッ」
シャツの下に入ってきた手に、それぞれの乳首をはじかれて、思わずキツく目を伏せる。
すると自然と涙がこぼれた。
――オロバスの魔術師は、アマイモンの魔術師と体液を交換する事により、魔力を補完できる。
コレは要するに、キスだけではなく、率直に言えばSEXすればその分、互いに魔力を補完しあえるという事だ。
最も俺は、悪役のバイトをしている時だって≪長靴を履いた猫≫の力を使っているから、血脈魔術を使う機会なんてほとんど無いので、魔力なんて欠乏することはない。そもそも前提からして、この≪血の因果≫は、魔力欠乏に陥りやすいオロバスの魔術師側に有利なモノであって、アマイモンにはそんなに関係がない相互規則なのだ。
「ぁ、あ、あン――」
蓮二君の端正な唇に、自身を含まれ、俺は背を撓らせた。
力を込めた唇で上下され、舌先で筋をなぞられる。
それから唇で、カリ首を何度も擦られた。
「や、あ、っ、ぅ」
ゾゾゾと快楽が這い上がってくる。
俺は分かっている。それは口でされているからと言った直接的な快楽だけが原因じゃなくて、俺にそうしているのが、蓮二君だからだという事を。俺って同性愛者だったのだろうか。それとも蓮二君が規格外にイケメンだから悪いのだろうか。
「ンぁ!!」
その時急に、根本をきつく掴まれた。
体液交換をすれば良いだけなのだから、後は俺が射精して、蓮二君がソレを口で受け止めれば終わりのはずだった。だから今までその様にされたこと何て一度もない。
「ちょ、離せ、うあ」
「伊織さん可愛い」
「は!? ちょ、や、嫌だ、早く手、離せよ。イけないだろッ!!」
「別に良いよ。今日僕そんなに魔力に困ってないし」
「いや、は!? 困ってないんなら、何でこんな――っていうか、ていうかだな、イけなかったら、此処までされた俺の体が良くないんだよ!」
思わず叫ぶと、蓮二君が思案するように瞳を揺らした後、真剣な顔で俺をのぞき込んできた。
「伊織さんが僕に体を触らせるのってさ、ただの親切心?」
「っ」
不意の言葉に俺は目を見開いた。
――本当はきっと、俺には下心がある。
何せ蓮二君のことが好きらしいと自覚しているのだから。
「夕食作ってくれたり――……お菓子の試食させてくれるのと同じ理由?」
「そ、そうだよ!」
バレたらなんだか、きっと二度と蓮二君は俺に触れてくれない気がしたので、必死でそう言い返す。
「そう。じゃあ、僕じゃなくても、こうやって触らせるんだ?」
「あ、あっ、ああっ、ひ、あ――……ッ!」
声が震えるのが止められなかった。
そそりたった俺のソレを、ゆるゆると片手で蓮二君が撫で上げる。
太股が震え、片手で根本を拘束されたまま、もう一方の手で刺激されるのに堪えるしかできなかった。
「うあ、あ、あ」
「出したい?」
淡々と蓮二君が言う。俺はコクコクと何度も頷いた。
「じゃあ――約束してよ。僕以外の他の誰にも、こういう事させないって」
「え、あ」
いきなり何の話しだろうと思い、俺は顔を上げた。
涙で霞んで、よく蓮二君の顔が見えない。
それは、あれだろうか。
オロバスの一族というのは、最近新宿区でよく見かけるから、恐らく蓮二君同様、魔力の供給元を探している魔術師は多いはずだ。例えば、≪Oz≫のトーヤだって、オロバスの魔術師だ。だが、同じ一族とはいえ、属する正義の味方組織が異なれば、敵対していることも存分にありえる。要するに、もしかしたら蓮二君の敵かも知れない誰かに、魔力を供給するなと言う話なのだろうか。
「う、っ、ン、あ、う、うん」
必死で俺は頷いた。
と言うか、正直蓮二君以外に、本音を言えば、キスをされるのだって嫌だ。
「わ、分かったからッ」
「本当?」
「ん、ぁ、あ、はぁ……っ、あ、キツ……や、やだぁッ」
達してしまいたくて、俺は腰をゆすった。
「約束だよ?」
「うん、ぁ、あっっっ、ううッ」
「出して良いよ」
「ンあ――!!」
そのまま俺は果てた。
ぼんやりとする俺の前で、ティッシュで手を拭き、蓮二君は帰っていったのだった。


翌日学校で。
「はぁ……」
気づくと俺は、盛大に溜息を漏らしていた。
自制しようにも、ふとした瞬間には、こぼれてしまっている。
「どうしたんだよ?」
すると、ポンと頭を叩かれ、八廣に声をかけられた。
隣席の椅子を引き、鞄を下ろしながら、こちらを見て笑っている。
「別に。それより昨日の、”ヒーロー速報”みたか?」
俺はあからさまに笑顔を取り繕って話を振った。
ヒーロー速報とは、実況・報道系正義の味方≪ラグナロク≫がオンラインで放送している、ヒーローに関する番組だ。俺は、蓮二君が帰って一人になった室内で、ぼんやりとテレビをつけたら流れていたそれを、ぼけっと見ていたのである。普段だったら、画面の前で待機して見ていたりするのだが、昨夜はそんな気分ではなかった。
「ああ。≪Oz≫に≪30Aサンジュウアンペア≫が喧嘩うったんだよな」
八廣の声が少し強ばったものへと変わった。
≪30A≫は、ガチガチのPSY集団で、魔術師排斥主義者集団だ。特にオロボスの魔術師一族を目の仇にしているから、多分≪Oz≫というか、”オロボスの一粒種”なんて呼ばれるトーヤが気にくわないのだろうし、それに加勢するほか二人のことも気に入らないのだろう。
「ま、俺達――じゃなくて≪Oz≫は、あんな奴らに負けたりしない」
八廣、言動から色々と周囲にバレてそうだけど大丈夫か?
俺が≪Oz≫をバイトではなく、本気で狙って殲滅しようと思ったら、確実にヤヒロからどうにかする気がする。
俺はそんな言葉を飲み込み、曖昧に頷いた。
「それより伊織、本当に大丈夫か? 何か今日、凄い色っぽいぞ」
「へ?」
「なんだよ、恋煩いか? 相談に乗らないこともないぞ」
「結構です」
恋煩い、恋煩い――そんな単語が、グルグルと俺の脳裏を回った。
当然浮かんでくるのは、蓮二君の顔だった。
慌てて打ち消し、俺は教科書の用意をする。
その時、スマホにメールが来ているのに気がついた。

『明日の学校終わり、高田馬場の早稲田口脇喫煙所に集合by総帥』

面倒くさいなぁと俺は思った。