【6】SIDE:ブリキの木こり★




「それで、≪靴はき猫≫の【アイス】の調査はどうなっているのですか?」
久しぶりに訪れた≪Oz≫のたまり場で、クオンに声をかけられトーヤは顔を上げた。
トーヤ――稲屋蓮二は、己が捨てられていた時につけていた名札にあった名前だと聞いている。普段は、若山家に引き取られていて、育ての親は明都、戸籍上の兄は遙斗だ。
ただ物心つくようになってからは、魔術が使えたため、本当の出自はオロボスの一族だろうと、本人も育ての親も分かっている。だがそれでも分け隔て無く育ててくれた養父には感謝してもいるし、義理の兄姉には、この力の事は明かしていないが尊敬もしている。ただ一橋財閥の関連大学に進学したときに、統一実力判定試験で、問答無用で力を明らかにされてからは、クオンの腹心の部下(?)として力を発揮している。それでも本人特定されないように、顔だけは隠しているのだが。
「順調だよ」
ポツリとそう応えてから、まずいスコーンの味を思いだし、思わずトーヤは口を手で覆った。
≪長靴を履いた猫≫であるアイスの隣に引っ越しをするまでは計画通りだった。
計画が狂った点としては、まだ報告していないが、アイスがアマイモンの魔術師だったことが一つか。
「……」
押し倒してキスをして魔力を奪ってしまったのは、言うなれば不可抗力だった。
たまたま戦闘帰りに、部屋に帰り着く前に、魔力欠乏で行き倒れてしまったのである。基本的に魔力欠乏は、寝ていれば回復するので、自室で眠ろうと考えていたのだ。
オロボスの一族は、攻撃威力が強い分、魔力の消費量も半端無いのである。
だが、普通いきなりキスされたら、口すら聞く気が起きないものじゃないのだろうか。
誤算だったのは、その後、警戒されて話す機会も減るだろうし遠くから監視するにはその方が都合が良いだろうと思っていたのに――何故なのか、懐かれたことだった。
最初は、まずいスコーンを食べさせられる度に、全てがバレていて嫌がらせをされているのかと思っていた。
嫌もうそれは本当、吐き気を催すほど、アイスが作るお菓子はまずいのだ。
まず、見た目からして食べる気が起きない。
食べたら食べたで、吐き出したくなる。
だが、キラキラした瞳で感想を待っているアイスを見ると、食べずにはいられない。
コレで普通に夕食は、ごく一般的とはいえ、まぁまぁ普通に食べられるのだから、お菓子作りの才能に関してだけ特化して欠如しているとしか考えられない。

そう、そうなのだ。

初めは親しくなる気なんて毛頭無かった。何せ相手はただの監視対象だ。
しかし、顔を合わせる度に挨拶をされ、雑談をふっかけられ、気づけば何時しかお菓子の試食を勧められ、いつの間にか夕食を振る舞われ――ああ、もうどうしてこうなった。
正義の味方の仕事で疲弊しきって帰宅した在る夜、今日は遅かったな、だなんて、あきらかに帰ってくるのを部屋の外で待っていてくれた、アイス。
その顔を見てほっとしている自分に気づいた瞬間、トーヤは苦しくなった。
きっとアイスにとってそれに他意は無かったのだろうが、招き入れられるがままに部屋にお邪魔して、まずいお菓子と夕食を振る舞われ、「蓮二君」と呼ばれた時、トーヤの中で何かが吹っ切れた。欲しい――欲しいと確かに思ったのだ。
気づけば魔力が欠乏した体を制することができず、アイスの唇を奪っていた。
彼は監視対象のアイスではなく、あくまでも隣人の伊織であるのだと、理性で何度も思おうともした。正義の味方と悪役としてではなくて、ただの隣人として割り切ってみようと考えたのだ。だが結局、心の中で切り分けることはできなかった。切り分けようとしたはずなのに、できなかったのだ。会う度に欲しくなり、欲しいのが魔力なのか、アイスなのか伊織本人なのかすら分からなくなっていく。

きっと藍洲伊織が自分に食物を振る舞ってくれるのも、魔力を供給してくれるのも、ただの善意だ。

だがソレが無性に――許せない。
僕だけにしてくれればいいのに、と言うか他の誰かに同じ事をする場面など想像しただけで、殺意が沸いてくる。稲屋蓮二は、そんな己の感情をもてあましていた。
ただ、きっとコレが、恋という感情なのだろうとどこかで気がついてもいた。

「まぁ、≪靴はき猫≫は邪魔ですが、急ぐ案件ではありません。それよりも≪30A≫が気になります。貴方も気を抜かないで下さい」

クオンの声で我に返り、トーヤは静かに頷いた。

それから帰宅すると、丁度階段前で、アイス――藍洲伊織と遭遇した。
ココア色の髪の毛が揺れている。
焦げ茶色の瞳が、驚きに見開かれていた。
首に巻いたストールのようなモノが風で揺れている。夏だというのに、逆にソレが涼しそうに見えた。白い綿のVネックに、黒い細身のボトムス。じゃらじゃらと銀色のアクセサリーがボトムスについているのが、はっきり言ってダサイ。手首に揺れる白いプラスティックの無数の腕輪もダサイ。はっきりいって、服装的に好みの箇所なんか無い。0だ0。
子供っぽい。
なんていうか子供っぽい。
これで年上だというのだから何ともなと、トーヤは思った。
「う、あ、蓮二君。今日は早いんだな」
「……」
元々無口なトーヤは、頷いて返すにとどめた。
元来孤児だったことも手伝い、余計なことを言わないようにしようと努めて生きてきたのだ。口は災いの元だ。
「大学って時間割自由で良いよな」
ははは、と藍洲伊織が空笑いをする。
笑顔が引きつっている。恐らくは昨日のことを気にしているのだろう。
それが手に取るように分かったトーヤは、気づかれぬように溜息をついた。
「……今日は無いの?」
「え?」
「試食品」
「っ」
「お腹減って死にそうなんだけど」
それだけ告げて、トーヤは階段を上がった。すると、一拍間をおいてから、慌てたように、伊織が追いついてくる。全く、騒がしい。
「あ、あのな、マフィンがあるんだ」
「へぇ」
「よ、良かったら食べるか?」
「うん」
頷いたトーヤの隣で、ガチャガチャとあわただしく伊織が部屋の扉を開ける。
頭一つ分背が低い。
何でこんなに無防備なんだろう、だなんてそんな事を考えた。
昨日の今日だ、部屋に引き入れるなんて、襲われても文句を言えないだろうと思う。
トーヤは自分の部屋に帰るでもなく、そのまま伊織の部屋にお邪魔した。
「すぐにお茶を淹れるから」
お菓子作りは下手くそなくせに、伊織の淹れる紅茶は美味しい。ちゃんと時間を計ったり、熱湯を使ったりしているからなのだろうか。通されたソファで、ぼんやりとトーヤはそんな事を考えていた。
「な、なぁ、蓮二君」
「なに?」
「蓮二君てさ、その、カ、カノ……――名字なんて読むんだ、アレ。いねやさん?」
「は?」
何か別のことを聞きたそうだったが、盛大に話を変えられた。
別にソレは良かった。
だが今更名前の読み方が分からないって、それどうなんだろう……。
「トウヤだよ。稲屋」
静かに応えると、目の前にカップが置かれた。良い香りがする。
「トウヤか」
頷いた伊織を見て、≪Oz≫のメンバーだとバレただろうかと考える。
もっとも、伊織など、藍洲――アイスなんていう、本名そのままで悪役をしているのだから何とも言えないが。
「もしかして今まで、読めなくて、僕のことレンジって呼んでたの?」
「ご、ごめん」
謝るなよ図星かよ、と思いつつ、カップを手にとる。
表情筋は動かない。無表情がトーヤのデフォルトだ。
「別に名字で呼んでくれても良いけど、僕、伊織さんて呼ぶよ」
「え、ああ、うん」
「アイスの方が良い?」
「いや、あの、いや、いや、うん。伊織で良いです」
「ちなみに僕カノジョはいないけど、伊織さんは?」
「俺もいないけど――……って、え、あ、え、なんで!?」
世の中にはこんなに分かりやすい人も居るんだなぁとトーヤは思った。
ただ問題は……勘違いしそうになることだ。
――藍洲伊織も、僕のことが好きなんじゃないのかと。
「ねぇ、伊織さん」
「え、あ、え?」
「僕にカノジョが――恋人がいないか気になったの?」
「っ」
「いたら嫌?」
「それは……その……」
「嫌なら――伊織さんが俺の恋人になってよ」
ぐいっと伊織に詰め寄り、口元だけでトーヤは笑った。


「ぁ……フ……うっ、んァ」
後孔を指で抜き差しされる度、伊織が声を漏らす。
眦から伝う涙を見据え、トーヤがその動きを早めた。
――オロボスの一族は、いうなれば、魔力を捕食する側だ。そして、アマイモンの一族は提供する側である。しかしながら両者共に血脈魔術師の一族だ。圧倒的に男性が多い。それは一般に、ヤらせて欲しいといくらオロボスの人間が頼もうとも、男同士なのだから無理だと断られる場面が無数にあった歴史をも象徴している。そんな中、オロボスの一族は、そうした機会を得たら、決してアマイモンの魔術師を逃さないようにする工夫をしてきた。
「うあ、やだ、いやだぁッ、な、なにこれ……ひッ」
今、ドロドロとした液体を指に取り、トーヤは伊織の後孔をかき混ぜている。
アマイモンの魔力に感応し、強制的に苦痛を和らげ、快楽を高める香油だった。
元来無理がある男同士の性交を可能にするように、相手の体を弛緩させる効果を持っている。そうでなくとも、接触する度に、魔力ごと体力も抵抗力も奪われていくというのに、その香油で解されたら、最早全身の力などなくなるに等しい。
「まだきつい?」
「いいから、っ、もういいから、やだ、やめろ、どうにかしてくれ……っ」
嫌々とするように、伊織が泣きじゃくりながら首を振る。
のけぞった白い喉が、ピクピクと震えていた。
「まだちょっと触っただけだし……この辺?」
「!」
トーヤの指先で、前立腺をそうとは知らずに刺激され、伊織は目を見開いた。
電流のように覚え知らぬ快感が、全身を走る。
「あ、うあ」
「ここなんだ」
「ンあ――っ、や、やだって、そこを触るな!」
「別に僕はレイプしたいわけでも、単純に魔力だけ欲しいわけでもないから」
「ふ、ぁ……あ、ああっ」
指の腹で嬲るように、トーヤが刺激する。
そのたびに腰が震え、伊織の意識が遠のきそうになる。
「やばいかも僕。すごい、いれたい」
「っ、あ、早く……っ!!」
「いいの?」
「ンあ」
「ねぇ伊織さん。伊織さんてさ、僕のこと好きなの?」
「な……っ、ひゃ」
「それとも、困ってる人を見たら、誰とでもこうするの?」
「し、しない、あ、ああっン、や、やだッ……蓮二君、は、早く……っ」
「僕だから?」
「う、ん」
「本当に?」
「ンあ――!!」
無我夢中で応えていた伊織の中を、激しくトーヤが指でついた。
理性が飛び、涙をボロボロこぼして、訳が分からなくなった伊織は叫ぶ。
「もうやだ、嫌だ、うあ、あ、あ、ア――っ!!」
「嫌なんだ?」
「え、あ……蓮二君なら嫌じゃない……っ」
「ねぇ、伊織さん。答え。聞いてない」
「ひゃ」
「僕のこと好きなの?」
「っ、あ……好きだ、好きだからッ、……――ンあ――!!」
その言葉が終わる前に、トーヤが腰を進めた。
熱と圧迫感に、伊織は無意識に腰を退く。
しかしそれを許さず、華奢な伊織の腰を掴み、トーヤが激しく打ち付けた。
「あ――――!」
それからガクリと精を放ち、伊織は意識を手放した。


「って、僕何やってるんだろう」

眠り込んでしまった伊織にシーツを掛けてやりながら、ポツリとトーヤが呟いた。
相手は一応敵だ。
悪役だ。
それでも間違いなく確実に、彼を他の誰にも渡したくないと思う独占欲。
色々と諦めて生きてきたトーヤにとって、それはあるいは初めての執着心だったのかも知れない。
「恋人になってくれるって、そう思って良いのかな」
一人呟いた≪ブリキの木こり≫の声は、暗い室内で宙に溶けていった。