【5】『奥手で恋愛経験がない俺でも、これらは童貞扱いで良いと思うんだが』



 俺が連れて行かれたのは、ルカス陛下がいつか正妃様を迎えられた場合に使用される事になっていたという、後宮の三番目の塔だった。現在、二番目の塔には、前国王陛下の正妃様、一番目の塔には王弟殿下のお母上である先々代の正妃様が暮らしているとの事だった――が。

「表向きだ。新聞の記事用には、そうなっているが、実際には、配偶者死亡時は、妃は比較的自由になる事が多い。その時々の国王の采配にもよるが、俺は義母様も義姉様も、特に後宮に留まるようにとは伝えないし、あの二人はお忍びで旅行に出かけるのが趣味で、近衛を連れて出かけてばかりだ」

 ルカス陛下はそう言うと、豪奢なソファに座り、膝を組んだ。俺は扉の所に立ったまま、ポカンとしながらその話を聞いていた。

「しかし、オルガ。お前には自由は無い」
「……」
「俺が死ぬまでとは言わない。だが、俺が退位するまでの間は、最低限の正妃の務めとして、ここで暮らしてもらう」

 その時、俺の背後の扉が乱暴に開いた。

「陛下! 一体どういう事ですか!?」

 入ってきたのは、宰相閣下だった。俺の今朝までの階級表だと、文のTOPだった人物である。宰相にしては歳が若い。三十代後半だ。

「オルガと結婚!?」

 響いた宰相閣下の声で、俺は我に帰った。

「そうなんです、宰相閣下! もっと言ってやって下さい! 俺には無理です!」
「ああ! まずは、妃候補とし、妃教育予算という形で、今朝泡沫に消えた間諜部隊の費用を捻出するべきだ!」
「――え?」
「そうと決まれば、早急に予算を組み直さなければならない。陛下、改めていうが、よくやりました!」

 宰相閣下はそう言うと、一度だけ満面の笑みを浮かべてから、部屋を出ていった。唖然としたまま、俺は遠い目をするしかない。口元が引きつったまま、俺は呆然と立っていた。

「座って良いぞ、妃になったのだから」
「……」
「ああ、候補という形から始めるのだったな。しかし、やる事は同じだ」

 手で座るようにと促されたので、俺はテーブルを挟んで正面の席に腰を下ろした。それから小さく首を捻りながら、おずおずと尋ねた。

「あ、あの? 妃ですよ? お妃様ですよ? もっと素性の調査とか、色々、そ、その……した方が……」
「この王宮に勤めている人間で、諜報部の騎士が一度も調査をした事がない者は、一人もいない。不審な点があった時点で、理由をつけて排除している」
「えっ」
「よって、非常に有能なお前の休暇中の言動も全て把握しており、記録もある」

 それを聞いて俺は、目を見開いた。

「じゃ、あ……俺の趣味、知っていて……?」
「ああ。先程会いにいく前に全てのプロフィールを閲覧してから向かった」

 何という事だ。俺が、打つ・飲む・買うが好きだとバレていたらしい。しかし、調査されたことがあるなんて、全く知らなかった。

「まず、毎週土曜日。お前は必ずポーカーをやりに行き、必ず負けているな」
「っ、た、たまに、い、いやきっと、いつかは勝ちます!」

 痛い所を突かれた。俺は、現実を見ないようにして生きてきたのに。

「その後、やけ酒のような真似をするな」
「ち、違います! 単純に酒が好きなんです!」
「アルコール度数が、子供も飲食可能なチョコレートに入っているのと同程度のジュース――俗称、ノンアルコールカクテルを二杯飲んで、お財布の中身をチラっと見ると記載されていた。給料日後の時だけ、希に三杯目を頼むそうだな」
「あれは立派なお酒です!」

 ……俺は、酒が好きだ。大好きだ。ただ、非常に弱いのだ……。

「――その後、お前はすっからかんの財布を片手に、東の花街へ行き、一番安い娼館へと足を運ぶが、全く手が届かず、客引きと雑談をして、仕事終わりの娼婦や男娼との『添い寝コース』を格安で頼み込み、購入して、必死に行為を頼み込むも、追加料金を求められて、払うことができず、追い出されてばかりいるな」

 まさかそんな所まで調べられているとは思わず、俺は震えた。

「けど俺、童貞じゃない! 後ろもやった事がある!」

 これは男の沽券に関わる。

「そうなのか? 玄人の娼婦が、あんまりにも可哀想すぎて、一回だけ舐めてあげたと証言しているようだが。その際、隣の部屋の娼婦も驚くような声を上げたそうだな」
「っ」
「男娼も、物は試しだと思って、サービス期間中に指を一本挿れてみたら、煩いほどに怖がって号泣するものだから、萎えてやめたと話していたようだが」

 ルカス陛下は、俺を馬鹿にするように見ていた。わなわなと震えるしかできない自分が悔しい。

「俺の黒歴史を、奴らは喋ったのか!?」
「それで? 奥手で恋愛経験がない俺でも、これらは童貞扱いで良いと思うんだが、お前の見解は違うらしい。詳しく聞かせてもらおうか」

 余裕たっぷりな表情で、陛下が腕を組んだ。俺は涙ぐみながら俯いた。クスクスと笑いながら、そこに侍従が紅茶を二つ持ってきた。穴があったら入りたい……。

「それに、職場でのお前の評価は、童顔だが、眼鏡と髪型のおかげで、若干デキる風を意識している様子だとの事だったが――プライベートでは、童顔をさらに子供っぽく見せる茶髪で、眼鏡もかけていないらしいな」
「……童顔? 誰がそんなこと言ったんですか? 絶対許さない」
「つまりオルガ。お前は、書類に対する姿勢以外は、俺から見ると、とても幼い」
「……そんな俺を迎えるってことは、ショタコンさんですか?」

 俺が目を据わらせてボソッというと、ルカス陛下が咽せた。綺麗な金髪が揺れている。

「違う。俺は、別に、お前に閨の要求はしていない。俺が要求している事柄は、基本的には一つだ」
「なんですか?」
「妃業務だ」
「具体的には?」
「書類仕事だ」

 それを聞いて、俺は目を丸くした。
 ――ん?

「正妃が担当する分の仕事をする人間が存在しないため、現在は後宮専属の、妃補佐官が分担して仕事に励んでいたんだ。明日からは、この部屋から、妃補佐室がある第四塔へと向かい、書類をこなして、ここへ戻り寝てくれ。きちんとトイレに鍵はある」

 ルカス陛下が、笑顔を浮かべた。俺はまだ上手く現状が理解出来なかったので、とりあえず曖昧に頷いておいた。