【1】俺が次期侯爵のはずじゃ無かったのか?


 俺は、レンドリアバーツ侯爵家の長子として生を受けた。

 以来、今年、二十三歳になるまでの間、当主教育をされて生きてきた。

――完。



 話が終わってしまう。というよりも、俺の人生が終わりかけているのだったりする。正確には『完』というよりも、俺の現状は『詰んでいる』に等しい。



 一昨年、前代当主である俺の父が、没した。流行病だった。母と二人、俺は互いに顔を見合わせて、ポカンとしていたものである。その母を、叔父が慰めた。叔父は、ずっと――俺の母の事が好きだったらしい。そして、『この状況で言うべきでないのは分かっているが』とした上で、母に想いを告げた。母、見事に叔父にすっ転んだ。ベタ惚れだ。



 そして先月、母は、叔父との間に、俺の異父弟にあたるレノンを出産した。

 この国では、爵位保持者急死時は、配偶者が代理となる。そして、次に爵位を得る予定者が正式に認められるまでの間は、その家を取り仕切る。我が家の場合、母が代理侯爵となった。そうして……俺が襲名する前に、叔父と再婚し、結果的に現在では、レンドリアバーツ侯爵位は叔父のものとなった。レンドリアバーツ侯爵といえば、叔父なのだ。既に亡き父でも、幸せそうに育児に励んでいる母でも無い。



 俺は、叔父も母も異父弟(兼従弟)も嫌いではない。だが、叔父が王国に提出した後継者の名前欄に、はっきりと弟の名前が記載されているのを見て、同時に『私に何かあったら、後継人を頼んだぞ』と言われた時、正直、投げやりな気分になった。



 あ、はい……と、いうのであろうか。

 とりあえず頷くしか無かった。



 俺はこれまで――どこかで思ってきた。生まれながらに勝ち組なんじゃないかなぁと。だって、なにせ、侯爵家の跡取りに生まれたのだ。そりゃあ厳しく育てられはしたが、堪えられないほどでは無かった。



 いつか年老いた父が引退して悠々自適に暮らす頃に、俺は孫の顔でも見せてやりながら、まったりと侯爵位を襲名して、社交界に顔を適度に出しつつ暮らすんだろうなぁと盲信していたのである。



 それが――現当主の甥兼次期当主の後見人(仮)という、非常に微妙な立場になってしまった。俺が失ったのは、偉大だった父という存在と、この『立ち位置』だ。



 別段、死ぬほど当主になって領地を守りたいだとか、どうしても侯爵になって国に仕えたいと、願って生きてきたわけではない。俺には夢が無かった。だから、漠然としていた俺の世界の外郭にぶち当たって、今は、何をしたら良いのかさっぱり不明だ。



「……」



 やる気が起きない。いかにこれまでの間、自分が甘えて過ごしてきたのかを痛感してもいる。自室で一人、飴色の書き物机に向かいながら、俺は俯いた。腕を組み、燭台を見る。蝋燭が短くなっている。



 これは、普段の仕事の残業を家に、最近持ち帰っている影響だ。

 普段の俺は、宮廷で働いている。

 本来、侯爵家ほどの高位貴族はあまり働かないのだが、厳しかった父は、『社会勉強をするように』と口にして、俺を王宮に放り込んだ。コネ採用であるが……十八歳の頃からもう五年間、一応俺は、国王陛下直属の独自部隊の人間として働いている。簡単に言えば、国王陛下の雑用係だ。父本人も、長らく王国第一騎士団の団長を務めていたものである。



 現在の俺の仕事(雑用)は、翻訳魔術の更新作業だ。もうすぐ、大陸会議があるのだが、参加各国の全ての言語の習得を各々の者がするのは面倒だという理由で、『全部同じに聞こえる魔術、作れね?』という陛下の一声で、古の翻訳魔術を、現代語版かつ高精度広範囲に広げた最先端魔術を開発更新する羽目になって、今に至る。



 そもそも会議なんてなければ、外国になんて、大金持ちか商人しか行けない。そして大金持ちというのは、大体が、伯爵位以上の貴族であり、つまり俺の出自――レンドリアバーツ侯爵家というのは該当する。我が家、金だけは腐るほどある。なお、全て父の遺産となり――母が全額相続した。この国では、次の爵位保持者が全額相続と決まっている。相続税などは、導入を検討されているそうだが、現在までには存在しない。……つまり、俺には、相続したものは何もない。ただ結婚時点で半分が配偶者の財産ともなるので、叔父は半分継承したとも言えなくはない。母と叔父は仲睦まじいおしどり夫婦である。



 繰り返すが、俺は母と叔父が嫌いなわけではないし、レノンも嫌いではないのだ。

 だが、俺はこれまで呼吸するように父に買ってもらいながら生きてきたから、それがなくなり――自分の収入だけで過ごす現在が不安でならない。例えば、食費だ。今、俺はこの家の中で、家族であって家族ではない。だから、給料の三分の二を家に入れている。昔は、そんな事を考えてもみなかった。これも甘えだろう。そして三分の一は、仕事用に身に付ける物を買ったりすれば消えていく。



 ほぼ俺――レンドリアバーツ侯爵家(出身の雑用係)に任せられた翻訳魔術の仕事で朝から晩まで働きながら、俺は金の心配と、今後の身の振り方の心配をしている毎日だ。もう疲れてきた。貧民街の人々から見たら、きっと贅沢な悩みだと怒られるのだろう。食べる事は叶っているのだから。だが、悩みの重さなんて個々人によって異なるはずだ。



 俺は、胃が痛い。少なくとも、毎日涙が出そうになる。

 ……果たして、この日々は、いつまで続くのであろうか。

 もういっそ、ここで、『完』で良いのかもしれない……。