【2】国王陛下の雑用係




「おはようございます、リュクス様」



 ――朝。

 声をかけられたのが先だったのか、毛布を剥ぎ取られたのが先だったのか、俺には分からなかった。見れば、執事のフェルナードが、片眼鏡を身につけた顔を俺に向けていた。



 リュクス=レンドリアバーツ伯爵。それが現在の俺である。一応、伯爵位は貰っている。そして恐らく、今後一生これで終わる。成り上がりたいと願うわけではない。生まれた時から伯爵だったので、『伯爵』部分までが、名前のような気さえしている。



「お食事の準備が整っております」



 フェルナードは淡々とした声でそう言うと、部屋から出ていった。フェルナードは昔から無表情で冷静沈着――何を考えているのかさっぱり分からないが、父存命時に前任者から執事の地位を譲り受けてからは、いつもこんな感じだ。父の後は、叔父の片腕となったが、俺の事を毎朝起こしてくれる存在でもある。言うなれば、我が家の酸素的存在で、どこにでもいる。



 ――いつ落ちぶれても良いように、という父の厳命で、幼い頃より自分で服の着脱をするようにと叩き込まれてきた俺は、貴族ながらに一人で服を着る事が可能だ。これは比較的珍しい。現にレノンは、専属の美容師が既についていて、毎日幼児服のコーディネートとやらを行っているし、乳母が着せている。母はそばにたって……「これこそ『普通』!」と言っている。やはり、亡き父がちょっと変人だったと、母も思っているようだ。



 亡き父は、いつ没落しようとも、政敵に叩き落とされようとも、敵国の捕虜になろうとも、このレンドリアバーツ侯爵家に生まれた事を恥じないように生きろと、俺に教育していた。しかし大陸全土において、もう百年近く戦争なんてどこでも起きていないし、俺的には宮廷もそこまで魔窟だとは思えない。



 着替えてから、最後に国王陛下直属部隊エンブリオの、特徴的な種の紋章入りの片マントを羽織る。灰青色に銀糸で丸い魔法円が縫い込まれている。最後に星型のボタンカフスを三つ止めた。一応俺は隊長職をしているので、その印だ。



 こうして食堂へと向かうと、叔父・母・レノンが揃っていた。レノンは乳母の腕の中だ。シェフや使用人達は壁際にいる。朝食は、このエステリーゼ王国では、全てが先に食卓に並んでいるのが常だ。



「遅くなりました。おはようございます、義父上、母上――レノンは今日も愛らしいな」



 俺は儀礼的な挨拶をしたが、弟相手には本当に頬を緩ませてしまった。もうすぐ一歳……可愛い。ふくよかな母は、糸のように細い目をさらに細くして、大きく頷いた。金髪で若々しい叔父は、俺を見ると穏やかに口角を持ち上げる。



「いいや。時間通りだ。いつも通り立派だな、リュクス」

「勿体無いお言葉です」

「食事にしよう」



 こうして叔父の合図で、俺が席に着くと同時に食事が始まった。彼らはいつも、俺が来るのを待っていてくれる。というより、彼らだけならばもっと朝食開始時刻が遅くても構わないというのに、俺の登城に合わせて時間まで変えてくれている。彼らは非常に善人だ。ただ……俺が勝手に、無くなってしまった未来展望にモヤモヤしているだけで、そして家族じゃないという疎外感を覚えているだけで、本当に悪い人達ではないのだ。嫌いになれたら楽だっただろうなと思いながら、俺はパンを一つ手にとった。



 ……美味しい、それは分かる。なのに、味がしない。



「――ごちそうさまでした」



 俺はそれでも、三十分ほど食事に付き合った。そして付き合わせた。終始笑顔で乗り切り、己の性格の悪さを再認識しながら、席を立つ。



 その後は馬車に揺られて、俺は王宮へと向かった。

 そしてまずは自分の執務室へと立ち寄った。

 扉を開けてすぐ――溢れてきたのは、羊皮紙の山である。雪崩を起こしている書類に、俺の瞳は虚ろになった。



「リュクス隊長! 遅いです、早く翻訳して下さい!」

「……出勤時刻は、一時間後だが?」

「それが? だから? じゃあ、僕は何?」



 室内にいた、俺の部隊の副隊長であるユースが笑顔でキレている。俺の二つ年上だが、ユースは子供っぽい。十八歳と言われても、普段着ならば皆、信じるだろう。実際は二十五歳だが。ユース=マギノアは、元々は宮廷魔術師だった。宮廷魔術師を排出する名門のマギノア侯爵家の次男である。次男だからという理由で、爵位には興味がないらしい(とはいえ伯爵位は持っている)。俺から見れば、今の己の境遇は彼に近いはずなのだが――よく分からない。ユースの場合は、引き抜きで直属部隊に来るほどの腕前であり、俺のような単純な雑用とは異なるそうで、次男ながらに当主になって欲しいと兄から請われているとかなんだとか……つまり、あっさりと後継者が出来て『やっぱりやめた』された俺とは違うのだ。



「ええと……マキツ語とエルノ語とハルダ語か」

「どれがどれだかさっぱり僕には分からないので、お早くお願いします」

「う、うん……」



 俺は嘆息しながら、マントの内ポケットから、白く細長い杖を取り出した。大理石から削り出した杖だ。目を伏せ、脳内の言語を魔法陣変換していく。俺が宙に刻んだ魔法陣を、今度はユースが魔導書化していく。こうして流れで、本日の仕事も始まった。



 きっと、こんな日が、毎日続いていくんだろうな。嫌だけど、仕方ないよなぁ。

 漠然とそう考えながら、昼食時まで、出勤してくる部下を加えながら、俺達は仕事をこなした。出勤してこない部下は、現地直通で、魔物退治をしている場合が大半だ。



 一段落したのは、昼過ぎの事だった。この王国では、十二が二個で二十四の時を使用している。二回目の二時――十四時に、朝の雪崩を一応俺は片付けた。



「リュクス隊長、国王陛下がお茶会にお呼びです」



 そこに顔なじみの近衛騎士が訪れた。お茶会とはいえ、仕事の連絡通達がある仕事に変わりはないので、俺は頷いた。



 ――この時の俺は、その後のお茶会で、とんでもない事が起きるなどとは知る由も無かった。