【4】沈黙のお茶会U
――お茶会は、約一時間半ほど続いた。大抵が、陛下とゼルディア様の雑談で、宰相閣下と俺は適宜相槌を打つ形だった。主に竜族の姫との恋物語がネタだった。竜族の言語はさすがに俺のレンドリアバーツ侯爵家でも、壮絶に範囲外であるから無茶振りだ。
だから途中からは、話半分に、宰相閣下を時折は眺めて時間を潰す事にした。宰相閣下は、非常にご多忙だ。が、この陛下の茶会にはちょくちょく顔を出す。その為、俺は毎日のように宰相閣下の姿を見ている。
紫闇の髪と瞳をしていて、猫のように形の良い瞳をしている。鼻梁がスっと通っていて、端正な顔立ちだ。宰相閣下は、はっきり言って、非常にモテる。いつか誰かと政略結婚するんだろうなぁと漠然と考えて生きてきた俺とは異なり、日夜告白されているらしい。
十三歳年上であるからこそ思うのかもしれないが、俺から見ても大人の魅力とでも言えばいいのか、何か色気がある。
「――というわけで、姫とはキスまでは進んだんだ」
ゼルディア様の声で、俺は我に返った。俺は未だかつて、キスなんてした事はない。政略結婚の時に、根掘り葉掘り醜聞を撒き散らされる事がないようにという父の厳しい躾により、俺は過去に誰ひとりとも性的接触をもった事すらないのだ。
だが現在の境遇になってしまったわけであるから、自力で恋人も探さなければならないのかもしれない。今のままでは生涯独身コースしか思い描けない。それはそれで悪くない気もするのだが――一度くらい、俺だってキスとかしてみたいなぁ。
「どう思う?」
嬉しそうなゼルディア様の声を聞いていたら、俺は思わず本音を零してしまう。
「羨ましいです。俺も、キスをしてみたいです」
すると――ガタッと音を立てて、隣で宰相閣下が立ち上がった。
「立候補する」
「え? っ」
宰相閣下は、俺の肩にいきなり手を回し、グイと顔を近づけてきた。何事だ? どんどん端正な顔が近づいてくる。俺はポカンとしながらそれを見ていた。見ている内に、宰相閣下の唇が俺の真正面に迫り――そのまま俺は、触れるだけのキスをされた。口に、だ。は?
呆気にとられて俺は硬直した。
「……」
「……」
宰相閣下は俺にキスをすると、なんでもなかったかのように、椅子に座り直した。国王陛下達も沈黙してしまった。いや、え? 確かに俺は、キスをしたいと望んだが、こんな展開は考えてもいなかったぞ?
動揺しながら俺は視線を彷徨わせる。誰も何も言わない。
――これが、俺的には、想定外すぎる茶会の大事件だったのである。
その後の茶席は、沈黙が支配していた。
俺は、仕事に戻る頃になって、やっと事態を正確に把握出来るようになってきた。
宰相閣下にキスされたのだ。キスだ。キス! 俺のファーストキス!
そう思えば、羞恥でのたうち回りそうになったが――本日の仕事(雑用)も多忙を極めていたため、すぐにその事は忘れた。
次に思い出したのは、帰路に着く馬車の中での事である。俺は右手で唇を覆った。キス……! あれ、が、キス! そもそも立候補って何だ、と、ツッコミを入れたいが、宰相閣下と唇を重ねてしまったのだ。
「明日から、どんな顔をして会えば良いんだろうな……」
そんな事を考えながら、俺は帰宅した。そしてみんなで晩餐の席につく。やはりレノンは愛らしい。そう考えて微笑すると、叔父が俺を見た。
「何か良い事でもあったのかい?」
「え?」
「今日はいつもより明るい顔をしていると思ってね」
「ああ、い、いえ……レノンがあんまりにも可愛いから……」
そのつもりだった。だから俺は笑ったにすぎない。だというのに、叔父の言葉を聞いた瞬間、キスをしたあの場の光景が、ありありと浮かんできた。すると瞬間的に、俺の頬がボッと熱くなった。火を噴きそうだ。キスって、いいことだったのか? というよりも、俺、意識のしすぎだろう……。
そうして食べた夕食は、朝とは違った意味合いで、味がしなかった。
食後の入浴中も、俺は宰相閣下の事ばかりを考えていた。
「なんでいきなりキスなんてするかなぁ……何を考えているんだ、あの人は」
夜着を纏い、ガウンを羽織ってから、俺は書き物机の前に座った。本日は残業というよりも、竜族語の勉強をしなければならない……。幸い職場の図書館の禁書庫に、竜族語の文献があった。きちんと書籍を確保してきた俺は、我ながら偉い。
そうは思うのだが、読んでも読んでも頭に入ってこない。俺の頭はキスの事でいっぱいだった。なにせ、人生で初めてのキスだ。薄い宰相閣下の唇は、思いのほか柔らかかった。
「本当、何を考えてるんだよ……ああ、もう!」
結局この日の仕事はさっぱり捗らなかった。なので早めに眠る事にしたのだが、横になったら横になったで、脳裏をよぎるのはキスだ。キスってこんなにも偉大な行為だったのか。他の事を何も考えられなくなるって、すごいと思う。
そのまま眠れぬ夜を過ごした結果――俺は、寝過ごした。
「!」
慌てて飛び起きた頃には、陽光が窓から差し込んできていた。フェルナードが起こしてくれなかった……? 狼狽えながら、暦表を見て、俺はハッとした。今日は、休日だった。それすらも俺は失念していたらしい。
休日の朝はゆっくりと皆でとるから、まだ間があった。現在は、朝の八時だ。食事までは、まだ二時間ほどある。家族も使用人も、週に二日ある休息日に限っては、俺を起こしには来ない。気を遣ってくれているのだと思っている。
それからゆっくりと俺は着替えをし、食堂へと向かう事にした。