【16】いつもとは異なる朝
翌日もクロス侯爵家の馬車で登城すると――ユースが、俺の肩を叩いた。
「陛下が、隊長が来たらすぐに謁見の間に来るようにと仰っていましたよ。何したんですか?」
「え? 何もしてないぞ?」
俺は狼狽えたが、ユースは腕を組んでいる。そしてまじまじと俺を見ると、溜息をついた。
「今朝、ずっと近衛騎士達もバタバタしてましたし」
「バタバタ?」
「あれはお忍びでお偉いさんが他国から来た時の空気だったなぁ」
「それでどうして俺が呼ばれるんだ?」
「――僕達に新たなる雑用が入る可能性! 隊長が何もしてないなら、それしかない!」
ユースが嫌そうに声を上げた。俺も嫌だったが、謁見の間へと重い足取りで向かう事に決める。国王陛下のお言葉は絶対だ。
王宮の回廊を歩き、大広間の前を横切って、俺は謁見の間の正面に立った。すると扉番をしている近衛騎士達が、俺を見てから顔を見合わせる。
「陛下からお呼び出しだと聞いてきたのですが」
「どうぞ、お入り下さい」
こうして重々しい扉が開いた。すると玉座に腰を下ろし、膝を組んでいる陛下がすぐに視界に入った。入場して頭を垂れようとし――俺はその直前で、玉座の傍らに立つ人物を見て、一瞬動きを止めた。が、すぐに膝をつく。
「馳せ参じました」
「面をあげよ」
本日の陛下の口調は仰々しい。それもそうだろう。横に、他国の貴族が立っているのだから……。俺はゆっくりと顔を上げてから、高速でそちらをチラリと見た。
「久しいな、リュクス」
「ご機嫌麗しいご様子」
「どこに目がついているんだ? 私は非常に機嫌が悪いぞ」
凍てつくような瞳で、口元にだけ笑みを浮かべて立っているのは――俺の従兄である、ミナリスタ王国において王位継承権を保持しているレフェルだったのである。俺の伯母が、チョコレートで有名なミナリスタに嫁ぎ、当時の第二王子殿下と婚姻し、新たに出来た公爵家の現当主である。レフェルは、今年で三十六歳くらいだったと思う。宰相閣下と同年代だ。嘗てはこの国に留学していた事もある。
「イルゼラードと婚約したというのは事実か?」
「え? ええ」
「レンドリアバーツ侯爵家の爵位を譲り渡したというのも事実か?」
「はぁ……」
「お前はそれで良いのか!?」
良いか悪いかと聞かれたならば……俺は非常に満足している。宰相閣下の事が好きになってしまった以上、現在の爵位状況に何の不満もない。寧ろ追い風だ。そう思ったら、俺の顔が緩んだ。
「良いです」
何せ宰相閣下は優しい。俺を愛してくれる。そして俺も宰相閣下が好きなのだ。相思相愛……こんなに恵まれた現実が、他に果たして存在するのだろうか。
「……」
即答した俺を、不審なものを見るかのように目を据わらせ、唖然としたように口を半分ほど開いてレフェルが見た。
「……留学時代、同窓だった者としていうが、イルゼラードのどこが良いんだ? 気は確かなのか?」
「え? 優しい所です」
「優しい!? 何か奇っ怪な魔術にでもかけられているのか!? 惚れ薬という秘薬が存在でもしたのか!?」
「優しいぞ?」
俺は思わずムッとした。確かに冷血で冷徹だと名高いが、宰相閣下は俺にはとても優しい。
「確かにやつは仕事は出来る。それは認めよう。実力はある。だが、リュクスにはもっと相応しい相手がいるのではないか?」
「いません」
「断言!?」
レフェルが目を見開いた。信じられないものを見るように、俺を眺めている。
「……少しイルゼラードにも話を聞いてみるが……断言……」
そう言うとレフェルが、走るように謁見の間から出ていった。残された俺は、陛下を見上げる。すると陛下が目を虚ろにさせていた。
「よくあのミナリスタ公爵の威圧感に耐えて、惚気けられるなぁ……従兄弟同士だからとはいえ、俺はあの気性の荒いレフェルはいるだけで嫌だぞ?」
「レフェルは、一見怖いですが、家族思いだし……」
「レフェルが家族思い……? 何か、イルゼが優しいというのもそうだけどな、俺とリュクスには世界の見え方が違うのかもしれないな……」
「所でレフェルは何をしにこの国へ?」
「――爵位をお前が継承しないのであれば、ミナリスタで引き取るから、あちらの国王陛下の側妃にどうかという趣旨だったな」
「俺が? 無理無理、絶対に嫌です」
だって今の俺には、宰相閣下しかいないのである。そう思うと、また顔がにやけてしまった。陛下はそんな俺を、胡散臭そうな顔で見ていた。
その後退出して職場へ戻ると、ユースが待ち構えていた。他の部下達も、俺をまじまじと見ている。
「お話は何だったんですか?」
「うん。いまいちよく分からないが、俺達の仕事が増える事は無さそうだったぞ。本日も、翻訳魔術の更新作業を頑張ろう」
俺の言葉に、周囲は目に見えてホッとした顔をした。
こうして仕事を始めようとしていた時、扉が勢いよく開いた。入ってきたのは、宰相閣下だった。
「突然の来訪失礼する。どうしても、リュクスに話があるから、少し借りるぞ」
「え?」
ユースに向かってそう言い放つと、宰相閣下が俺の腕を引いた。仰け反るようにしてついていくと、回廊にいた人々が俺達へチラチラと視線を送ってくる。
「レフェルが来た」
「ああ、朝呼び出されました」
「お前をミナリスタ国王陛下の側妃にと言っているらしい」
「断りました」
俺が頷きながら答えると、宰相閣下が目に見えて安心したように、肩から力を抜いた。そして俺の顔に両手を添えた。
「良いんだな? 俺よりも政略結婚相手としては格上の存在だが?」
「もう俺としては政略結婚なんて意識は微塵も無いです!」
「知ってはいた。それを聞いて安心した」
宰相閣下はそう言うと、改めて俺の耳元で囁くように言う。
「お前は俺を好きなんだな?」
「好きです」
「――閨の睦言ではなく、事実として、だな?」
「うん。宰相閣下は心配性だな」
「国内と国外では外堀の埋め方が異なってくるからな」
冗談めかしてそう言うと、宰相閣下がニヤリと笑った。
「よし、元気が出た。お前は誰にも渡さない。レフェルなんてすぐに追い返してやる」
このようにして本日は、いつもとは異なる朝が幕を開けたのだった。