【20】めでたし、めでたし



 こうして――次の休息日が訪れた。本日は、俺がクロス侯爵家へと引越しをする日である。何も持ってこなくても良いと言われたのもあるが、そもそも俺は私物がそれほど無かった。蔵書と服くらいのもので、大半の馬車は、クロス侯爵家へと送り返す竜族語の本となった。



 叔父や母達、そして使用人のフェルナードも珍しく表情を変え、寂しいと言ってくれた。なんだかとても心が温かくなった。しかし俺は宰相閣下のそばにいたい。だから――決意をして、別れを告げた。



 そうして馬車に揺られて、クロス侯爵家へと到着すると、宰相閣下が出迎えてくれた。



「これからお前と暮らせると思うと、喜びもひとしおだ」



 俺のほうこそ、嬉しくてならない。

 俺にあてがわれた部屋は、宰相閣下の部屋と、先日紹介された寝室をはさんで隣だった。今後は毎晩ここで一緒に眠る事になるのかと思うと、それだけで嬉しさがこみ上げてくる。



 宰相閣下は部屋を見ていた俺を、後ろから優しく抱きしめ、そうして耳元で言った。



「お前を手に入れられて、俺は幸せ者だ」

「俺こそ、宰相閣下を手に入れられて、幸せです」



 そんなやりとりをしながら、俺は引越しを終えた。

 その日は体を重ねたわけでは無かったが、二人で巨大な寝台に横たわり、遅くまで雑談をしながら過ごした。そうしたひと時が、無性に幸せだった。



 その後は、仕事の忙しさに、俺は意識を取られがちだった。

 だから帰宅して、宰相閣下と毎日顔を合わせられるという状況だけで、いかに幸せかを思い知りながら、日々を励んだ。



 こうして、大陸会議の日が訪れた。それまでの間、翻訳魔術の更新作業に追われていた俺だが、緊張しながら、宰相閣下や国王陛下、ユースと共に旅路についた。



 会議が行われるエドワーゼ帝国までは、馬車で二日かかった。俺と宰相閣下が同じ馬車で、俺達はその間は、ずっと翻訳魔術について話をしていた。仕事をする時の宰相閣下の眼差しは怜悧で、俺はその表情も好きだなと改めて感じた。



 このようにして始まった会議には、ゼルディア様やレフェルの姿もあった。だが、俺は当日は魔術の発動にばかり意識を取られていて、挨拶をする余裕さえ無かった。漸くそれが落ち着いたのは、それこそ、迎賓館の一室で、宰相閣下と顔を合わせた時である。



「ご苦労だったな、リュクス。完璧だった」

「有難うございます……竜族語も間に合えば良かったんだけどな……」

「ゼルディア様の無理なご要望は、後回しで良い。本気で実現できそうなリュクスの実力に、俺は感動しているほどだ」



 宰相閣下はそう言うと、そっと俺の腕を引き、そうして抱きしめた。



「これからも、ずっとそばにいてくれ」

「俺で良ければ」

「お前が良いんだ」





 ――その後。

 俺達の関係は穏やかに続いていき……一年後には、結婚式をする事になった。初めは俺の事を信じられないと口にしていた人々も、俺が宰相閣下への愛を語る度に静かになっていったものである。一体どういう事だ。俺は本心しか告げていないというのに。



 最初は、俺は自分がちょっと不幸なんじゃないかなと感じる事もあった。

 だけど今は、俺ほど幸せな人間はいないんじゃないかと考えている。

 それほどまでに、宰相閣下は俺を愛してくれるからだ。



 当初は、冗談だとばかり思って、俺は宰相閣下に冷たい対応をしていた気もするが、それでもめげずに俺を愛し続けてくれた宰相閣下が、今では愛おしくてならない。



 こうして俺は、リュクス=レンドリアバーツから、リュクス=クロスと名前が変わった。書類の変更等は、宰相閣下が完璧にやってくれたのである。



 人は俺に言う。外堀を埋められて、絆されてしまったのだろう、と。

 しかし――違う自信がある。俺は、宰相閣下の愛に、心を打たれたのだし、俺自身もまた好意を抱いてしまったのだ。



「リュクス」



 結婚式が終り、その後の二次会等も済んだ朝方。

 二人きりの部屋で、宰相閣下が俺を抱きすくめた。



「やはり、思いは叶えるものだな。俺は今が幸せだ」

「俺も、すごく幸せだ」



 こうして――俺の受難だと思っていた日々は幕を閉じた。思えば、あの沈黙のお茶会の日、キスをされて意識してしまったのが、この関係の契機であるが、今はそれさえも愛おしい。



 俺達はその後、触れるだけのキスをした。そしてお互いをまじまじと見る。宰相閣下の紫闇の瞳に、吸い込まれそうな心地になった。



「俺は一生お前を愛するが、お前も一生俺を愛してくれるか?」

「うん」

「俺はその言葉を信じる」



 俺達はそれから再びキスをした。今度は、深い口付けだった。

 このようにして、俺達の新しい生活は始まった。

 その後の俺達はオシドリ夫婦の象徴と呼ばれるのだが、この時はまだそれを知らない。



 ただただ、幸せだった。



 そんな俺達の顛末は、後に吟遊詩人も詠う所となるのだが、そのタイトルは、冷血宰相と不憫な元侯爵継承者だったりして、本当に失礼だと思う。俺は、決して不憫ではない。何せ、宰相閣下の愛が溢れているのだから。そうして俺もまた、宰相閣下を愛している。









【完】