<2>雨に濡れた校舎



平べったい四角い校舎、雨の匂い。俺は、校舎をたたきつける雨の音を聞いていた。
俺と槙永がたどり着いた所で土砂降りに急もどりした雨。
校庭には誰もいなかったから、俺達は、ごくいつも通りに中へと走り込んだ。
泥で水色の玄関の床が汚れて滑ったが、気にならない。

「やっぱり避難所になってるのかな?」
「かな、って、槙永が言ったんだろう?」
「正直半信半疑だったんだ。もうとっくに街に溢れかえっているかなと思って」
「何が?」
「何って……ゾンビでしょ、アレ」
「まぁ……多分」
「ゾンビじゃないなら何なの? 僕たちは人を殺したって事?」

珍しく槙永の声が感情的に響いて聞こえた。その言葉を理解して、思わずハッとしながら息を飲む。ゾンビは非現実的だが、殺人ならば世に溢れている。
その時ふらふらと、階段から下りてくる影があった。
槙永と俺はそろって息を飲んだ。足音は、近づいてくるたびに、グチャグチャと音を立てた。そして一番下まで降りてきた時、俺と目があった。黄ばんだ眼球。目を剥いた途端、尋常ではない速度で、ソレが走り寄ってきた。反射的に俺の腰は引けて、隣では槙永が後退る。どこからどう見てもそいつは、学校の制服こそ着ていたものの、ハンズでみた”ゾンビ”に似ていた。同じモノにしか見えなかった。棒を握る手に力を込め、俺は振りかぶった。

「うわぁああああああああああああああああああああああああ!!」

迫り来たゾンビを俺はたたき殴った。
周囲に腐肉が散っていく。ぐにゃりとした感触が最初にして、次には思ったよりも固いだなんて思った。現実感が、嗚呼、喪失していく。グルグルと視界が廻った気がした。

「時島……もう」
「――え?」

槙永の声で我に返れば、もう制服を着たゾンビは動かなくなっていた。
俺は――自分がしたことが怖くなった。
一体何をしているんだろう。そもそもこれらは、本当にゾンビなのか?

「行こう、こういう時なら体育館に集まっていると思う」
「……ああ」

しかし俺の疑問はすぐに潰えることとなった。
職員室で合い鍵等々を入手し、体育館へと行くと、そこには地獄があった。学生服の生徒達がひしめき合っていた。
鍵がかかっていたので、俺が扉を開けた瞬間だった。
溢れるようにゾンビ達が出てくる所だったのだ。
慌てて扉を閉めようとした――その時だった。

「待ってくれ!!」
「っ」
「出るぞ、遥香!!」

中から飛び出してくる人影があった。俺は押し倒される形になり、後頭部を床にぶつけた。
俺を押し倒した人物は――高山先輩は、俺の顔の真横に木刀を突くと、息を飲んだ。

「……時島?」

まさか名前を覚えていて貰ったとは思わなくて、そんな場合ではないというのに、照れそうになる。そしてすぐに、左手に香堂先輩の手を握っているのを見て取り、思わず顔を背けた。

「もう良い? 閉めるよ」

槙永が、俺の手から落ちた鍵で、無理矢理扉を閉める。ゾンビの挟まった腕がねじ切れて、床へと落ちていった。
それを眺めていた俺は、高山先輩に手を差し出された。おずおずと手を取り、立ち上がる。

「中はもう駄目だ。俺と遥香以外……」
「先輩達でも無事で良かったです」

遥香というのは、香堂先輩の下の名前だ。
今も二人は手を繋いでいる。僅かな嫉妬心が顔を出す。何もかもの現実感が失せたせいなのか、よりそんなことを思った。

「第三体育館はもう駄目だ。他にいたほとんどの生徒は……鍵をかけて逃げた」

先輩が大きな溜息混じりに行った時、横にあった音楽室の扉が突き破られた。
腐った体から骨が覗くゾンビが、こちらへ出てきた所だった。

「っ」

呆気にとられて動けないでいると――先輩が木刀を振り下ろした。
俺の頬の方にまで腐った肉が飛び散ってくる。
べちゃりとしたその感触に息を飲んだ時、槙永が掃除用具入れからモップを取り出したのを見た。二匹目に現れたゾンビに、槙永はソレを振り下ろした。俺が呆然としている前で、香堂先輩はと言えば、見知らぬ瓶とライターを持っていた。
香堂先輩が瓶の液体をゾンビに浴びせ火をつけた。
燃え始めたゾンビを、高山先輩が横になぐ。

「大丈夫か、二年」

香堂先輩が、俺に向かって手を差し出した。こんな場では相応しく思えないほどに、明るい表情をしていた。

「鍵、開けてくれて有難うな!」

香堂先輩は明るい。そんな所も俺とは違いすぎる。羨ましい。
手を握りたたせて貰いながら、俺はそこに繋がった温度に柄でもなくドキリとした。

二体のゾンビを倒してから、俺達は職員室へと向かった。
職員室にはテレビがあるからだ;

「――!!」

画面の向こうでは、母親が丁度ゾンビに噛まれる姿が映っていた。
目を見開いた俺は、その場で硬直した。
俺の母親がアナウンサーだと言うことは誰にも話していない。
貪り食らわれていく母親。
だけど画面の向こうだから、現実感は相変わらず無い。

――その時、ハッと家族のことを思い出した。

白は無事なのか。高校がこれだ。中学校はどうなっているんだろう?

「俺……俺、家に帰る」

立ち上がった俺の言葉に、三人の視線が俺に向いた。
多分困惑混じりだったと思う。だけど、俺は弟のことが気になって仕方がなかった。

「……確かにどこに行けばいいか分からないしな」
「時島の家、ここから近いの?」
「時島が気になっているって言うんなら僕は良いよ」

こうして俺達は、学校を後にすることになった。