【4】グラタンと家族のお話



 マルルが回復薬作りの為に、自宅の工房に帰るというので、俺はセリスと共に見送った。玄関で遠ざかっていく猫獣人の尻尾が動いているのを見ていたら、セリスが隣で嘆息した。

「ヴェル、掃除は出来るか?」
「うん。掃除はたまに、寝る場所を貸してくれた店とかの手伝いをしてたから出来る」
「そうか。では、モップで床を磨いてくれ」

 セリスが小さく頷いてから俺を見たので、俺も大きく頷き返した。

 俺の仕事は、料理とお掃除。それを心に刻む。俺は世界に、雑用係なんていう仕事が存在するとは思ってもいなかった。俺にも出来る仕事があったんだなぁ……。

 この日は昼食までの間、俺は隣に立ち拭く場所をセリスに指示してもらいながら、俺はモップをかけた。基本的にセリスは黙って俺のモップがけを見ていた。腕を組んで壁に背を預けながら、黒い瞳で僕を見ていた。彫りの深い顔立ちのセリスは、スっと通った鼻梁をしている。髪も夜のような黒髪だ。

 十歳違うとこんなにも大人になるんだなぁと感じてしまう。手もずっと俺より大きいし、足も長い。

「よし、終わったぞ!」
「よく頑張ったな。昼食にするか」
「うん。何を作ろう?」
「――何か食べたいものはあるか?」

 そう聞かれて、俺は悩んだ。好きなものなんて、食べられれば満足な生活を送ってきたから、あまり思いつかない。

「えっと……グラタン……」

 俺は小さい頃、お母様が作ってくれた料理を思い出した。するとセリスが頷いた。

「ミルクもあるしマカロニやチーズもある。具材は玉ねぎと鶏肉で良いか」
「俺にも作れるかな?」
「レシピもある。やってみると良い」

 こうして俺達はキッチンへと移動した。セリスがフライパンや鍋の位置を教えてくれて、竈の温め方も教えてくれた。手に気をつけながら具材を切っていき、俺はそれが成功するたびにいちいち喜んだ。だって、嬉しいのだ。

 完成したグラタンを、テーブルの上に運ぶのは、セリスがやってくれた。俺は食料庫から梨のジュースの瓶を取り出して、コップに注ぐ作業をした。グラタンは少しチーズが焦げてしまったけれど、良い匂いがする。

「美味しいかな?」
「俺には美味しそうに見える。食べてみよう」

 セリスが座ったので、俺も対面する席に座った。銀のスプーンを手に、ドキドキしながら食べてみる。あんまりにも美味しく思えて、俺は満面の笑みになった。するとセリスがそんな俺をじっと見ている事に気がついた。

「美味しくないか?」
「いいや――笑っている所を見ているのが、その……心が安らいでな」
「?」

 俺はキョトンとしてしまった。俺が笑っていると嬉しい……? そんな事は、言われた事が無い。ただ俺も、弟が笑っている姿を見ると嬉しくなるから、そういう意味なのかなと思った。つまり……。

「セリスにとって俺は、弟みたいなものって意味か?」
「――、弟、か……」

 そのままセリスは考え込むような顔をしてしまったので、どうやら違うようだと俺は判断した。まぁ確かに凄腕の冒険者のセリスの兄弟だったら、俺のようなワルにはならないだろうけどな……。

「セリスには、兄弟はいるのか?」

 何気なく俺が問うと、セリスが顔を上げた。

「いいや。俺も実は孤児だったんだ」
「え? そうなのか?」
「ああ。ある冒険者夫妻に引き取られてな。そこで幼い頃から、剣術をはじめ一通りの武術を習って――……ある日伝説の剣を引き抜いた時に旅に出て、独り立ちした」
「ふぅん。俺のお祖父様とお祖母様も冒険者だったんだ。お父様とお母様は宮廷魔術師。ただみんな、魔導戦争で亡くなったんだ。だから今は、弟だけが俺の家族なんだぞ」

 俺は述べてからグラタンを口に運んだ。セリスはゆっくりと頷いている。

「兄弟は、例え血が繋がっていなくとも、良いものだと俺は思う」
「? 俺と弟は血が繋がってると思うぞ」
「――俺の話だ。俺の養い親夫妻には、一人息子がいたんだ。俺の五つ年上で、俺の事を可愛がってくれた」
「そうなのか。今はその人達はどうしてるんだ?」
「皆、亡くなったよ」
「!」

 俺は目を丸くした。このご時世、戦争で亡くなった人は多いから、珍しい事ではないが、死臭が俺は嫌いだ。

 大陸魔導戦争というのは、ある日出現した魔王と、その魔王が率いる魔族軍と、この王国の人々みんなの戦いだった。魔王を倒したのは、目の前にいるセリスと……ちょっと信じがたいがマルル、他に数名の冒険者パーティだったというのは、俺も聞いた事がある。それもあって、セリスは、伝説の勇者と呼ばれる事もあるようだ。

「そんな顔をするな。確かに俺も帰還して皆の訃報を耳にした時は辛かったが――義理の甥っ子達がどこかで生きていると聞いた時には、必ず探し出して、俺が、俺にしてもらったように温かく迎えて、義理の家族達に恩返しをしたいと思ったんだ。それが一つの、俺の生きる希望でもある」
「見つかったのか?」
「――ああ、恐らくな。甥っ子は二人だった。俺が最後に会った時は二歳と赤子だったから、当人達は俺を覚えていないだろうし、名乗り出るかは迷っているんだが」
「血が繋がっていなくても、家族だったんなら、俺なら名乗り出られたら嬉しいけどなぁ」

 グラタンを食べ終えながら、俺が言うと、セリスが短く吹き出した。

「その内、だな」
「そっか」
「ヴェルは父親似か?」

 その時セリスが話を変えた。急に問われて、俺は首を傾げつつ頷く。

「うん。俺はお父様に似てるって言われた。焦げ茶色の髪と目が特に似てるんだって」
「――俺が引き取られたのは八歳で、その時義理の兄が十三歳だったんだ。今のヴェルと同じ年頃だった」
「もしかして昨日言ってた、似てるって、お義兄ちゃんにって意味か?」
「そうだ。俺の義兄は、十五歳で結婚して、すぐに子供が生まれた。俺が聖剣を引き抜いたのは十歳の時で、魔導戦争はそれからすぐに始まったんだ」

 それを聞いて、俺は驚いた。

「え? じゃあセリスは、十歳で冒険者になったのか?」
「ああ」
「……すごいなぁ。俺なんてもう十二歳なのに、戦ったりは、ちょっと人をカツアゲするくらいしか出来ないぞ。それもいつも、鼻で笑って逃げられる……」

 実際には、逃げる前に、俺を哀れんでその日の食費代を恵んでくれる大人は結構多かった。俺はワルだが、物乞いに近い所もあったかもしれない。

「カツアゲはもうしてはならない。これからは俺がいるからな」
「うん。雑用係を俺は頑張る! だから弟の薬代、頼んだからな!」

 俺の言葉に、穏やかな優しい眼差しをしたセリスは、ゆっくりと頷いたのだった。