【5】セリスのお願い



 こうして俺の雑用の仕事が始まった。毎日新しい料理を覚え、掃除の腕も――最初よりあがったような気がする。セリスは日中はマルルと冒険に行くようになったのだが、その帰りを待つのも日課になった。セリスは帰ってくると毎日俺を褒めてくれるようになった。マルルがご飯を食べていく事もある。

「おいで」

 今日もセリスが帰ってきた。玄関で出迎えると、セリスが両腕を伸ばした。俺はその腕の中に収まる。セリスは冒険から帰ってくると、俺をギュッと抱きしめるようになった。気恥ずかしいのだが、これも雑用係の仕事なのかもしれない。

 セリスは癒しが欲しいらしくて、殺伐とした魔物討伐から戻ると、俺をギュッとするのだ。そして俺の腰を片腕で抱き寄せ、もう一方の手で俺の髪を撫でる。

 なんでも小さい頃、セリスはいつも、義理のお兄ちゃんだという人に、抱きついていたのだという。「身長差は逆になったけどな」と、前に笑っていた。俺はたまに、その人の代わりに愛でられているらしいという気分になる。

「……」

 俺はセリスの顔を見上げた。なんだか、代わりだと思うと最近、胸がたまに痛くなる。

「なぁセリス」
「どうかしたか?」
「俺はヴェルだからな?」
「なんだ急に。ヴェル以外を、俺は抱きしめたりしない」

 ……本当だろうか? 俺は小首を傾げて、まじまじとセリスを見た。

「けどセリスは、義理のお兄ちゃんにもギュッとしてたんだろう?」

 俺はこの日、ずっと気になっていた事を聞いてしまった。するとセリスが息を呑んでから、苦笑した。

「確かに――俺の初恋の相手だからな。今もずっと忘れられない。そう思っていたはずなんだけどな……その想い出が、ヴェルに最近塗り替えられていって、上書きされている気分だ」
「初恋……」

 それを聞いて、俺はピンと来なくて、目を閉じて唸った。八歳と十三歳ならば、初恋というのがあったのかもしれない。だが、十二歳の俺を、現在二十三歳のセリスは子供扱いする。でも……俺だってもう、大人だと自分では思うのだ。

 ……初恋。

 その言葉を声には出さずに反芻する。最近俺は、セリスにギュッとされると胸がトクンとするし、セリスの優しい笑顔を見ると幸せになると同時に、胸がドキドキする事がある。もしかしたら――俺も初恋をしているのかもしれない。

「俺も、恋をしてるかもしれない」

 ポツリと俺は呟いた。すると――セリスが急に眉を顰めて、目を細めた。

「誰に?」
「秘密だ」

 そんなセリスがちょっと怖かったのもあるし、本人には恥ずかしくて言えないので、俺はそう答えた。セリスはじっと俺を睨むように見ている。その時より強く腰を抱き寄せられて、片手を頬に添えられた。少し屈んで、セリスが俺を覗き込んでくる。あんまりにもその顔は真剣で、俺は身震いしそうになった。

 俺が恋をしたら悪いのだろうか。もしかしたら気づかれていて、迷惑だという事か……?

「許さない」
「……そんな事を言われても、好きになっちゃったら、仕方ないだろ……」

 悲しくなったがセリスの声が冷たく怖いので、俺は小声で答えた。
 その時――セリスが片手で今度は、俺の顎を持ち上げた。どんどんセリスの顔が近づいてくる。目を丸くした俺の唇に、直後セリスが触れるだけのキスをした。驚きすぎて俺は硬直した。

「ダメだ」
「セリス、い、今俺に、キスした……!」
「ああ、した。いいか、ヴェル。俺以外、選んだらダメだし、許さない」
「え、え?」
「日中俺が不在の間に、買い物に出て惚れたのか? それとも昔から好きなのか?」
「……い、言えない!」

 何せ俺が好きなのはセリスだ。こんなに毎日優しくされたら……好きになっても仕方ないじゃないか。

「――もう少し大人になるまで待つつもりだった。でもな、そんな事を聞いたら、許せない。俺以外をヴェルが選ぶのは許せないし……今の内に散らしたくなる。俺が一番、ヴェルを大切にする自信がある」
「セ、セリス? どういう意味だ?」

 セリスの表情が怖い。そしてその瞳が――一瞬獰猛に煌めいた気がした。
 俺は今、実際にすごく大切にされていると思う。だが、散らすって何だろう?

「大人になるまで、何をどう待つんだ? 俺は、もう、結構大人だぞ? そりゃあセリスほどじゃないかもしれないけど……」

 俺が呟くように言うと、セリスが不意に、右手の指で、俺の耳の後ろをなぞった。少しくすぐったくて、俺はビクリとしてしまう。

「ヴェル。一生大切にする。だから今夜――寝室に一緒に行こう」
「……?」
「ヴェルを俺にくれないか? 十二歳というのは……日増しに大人びてきて、背が伸びて、目に悪いな。お前を見ていると、だんだん堪えきれなくなってはきていたんだ」
「俺をあげる……? どうしたら良いんだ?」
「ヴェルは俺に身を任せてくれれば良い」

 セリスは再び右手で俺の頬を撫でた。俺には意味がさっぱり分からなかったが――セリスの事が好きだから、セリスの希望なら叶えたい。セリスに触れられていると、とっても嬉しい。

 俺は精悍な香りがするセリスの胸板に、額を押し付けた。そして目を閉じてから、小さく頷いた。

「うん、分かった。俺をセリスにあげる! セリスに任せる!」