2【8】お見舞い



 翌日俺は、弟のお見舞いに行く事にしていた。
 王都の街路を、カゴを持って俺は歩く。新緑の季節で、だんだん風が暖かくなってきた。今日も穏やかな天候だ。

 暫し歩いた後、街外れの医療院の前に立ち、俺は腕に抱えているお土産のカゴを見る。先日お見舞いに行くと話したら、今朝マルルが持ってきてくれたのだ。中にはマフィンが入っている。甘い香りが鼻を擽る。

 マルルは俺にとても良くしてくれる。いつも『セリスに意地悪されたら言ってね?』と笑っている。俺が嘗て捕らえた事なんて忘れてしまったかのように、マルルは度々俺の頭を撫でながら――『所であのマタタビ酒、もっと飲みたいんだけどどこに売ってるの?』と、聞いてくる。あれは闇依頼主のユークさんに渡されたものだから、俺は出処は言えないでいるのだが。最初は探りを入れられているのかと思ったのだが、どうやらマルルは本当に気に入っているらしい。

 扉を開けて医療院の中に入ると、独特の薬の匂いがした。俺は一階の奥の大部屋を目指す。そして衝立から顔を出して、中を覗いた。

「お兄ちゃん!」

 すると、弟のファルが顔を上げた。六人部屋の窓際が、ファルのベッドだ。ファルは俺と同じで、焦げ茶色の髪をしているが、瞳の色はお母様似で紫色だ。頬を持ち上げた弟の姿に、俺は嬉しくなって歩み寄った。

「ファル、体調はどうだ?」
「自分では全然平気だと思うんだけどなぁ……早く退院したいよ」

 ファルが両手を俺に見せた。魔力の病気は、手に痣が出るのだが、ファルの両掌にも魔法陣のような痣が出ている。

「回復術師様が良いというまではダメだ――あのな、今日はお土産があるんだぞ」

 俺だって早く退院して欲しいが――残念ながら退院先の家は既にない。薬代の足しに売ってしまったからだが……頼んだら、セリスが一緒に暮らす事を許してくれないだろうかと、俺は最近祈っている。

 それから俺は笑顔でカゴを差し出した。すると、ファルが目を丸くした。

「マフィンだ!」

 自慢ではないが、見舞いの品なんて買えなかったこれまでには、こうして持参した事はほとんどない。たまに林檎を持ってきただけだった。ファルが小さな手で、マフィンを一つ手に取る。俺はそばの椅子に座りながら、それを見ていた。

「美味しいよ。ヴェルも食べたら?」

 もぐもぐと口を動かしながら、ファルが満面の笑みを浮かべた。

「ファルが食べてくれ。俺はお腹がいっぱいなんだ」

 実際、朝食をセリスとマルルと一緒に食べてきた後だ。本日はマルルが朝早くに家に来ていたから、三人で食べたのである。

「……本当? きちんと食べてる?」

 ファルが俺をじっと見て、僅かに首を傾げた。心配してくれているのが分かる。

「ああ。新しい仕事が見つかって、今は料理をしてるんだ」
「料理人になるの?」
「そういうわけじゃない。その……雑用係っていうそうだ」

 これまで弟には、自分がしている仕事(悪い事)は隠し通してきた為、こうして話せるようになった事も少し嬉しい。

「雑用係?」
「冒険者のお家で、料理をしたり、お掃除をしたりしてるんだ。だからファルの薬も買える事になったし、きっと良くなる。それまで頑張るんだぞ」
「うん。有難う!」

 ファルといると癒される。俺の胸がほんのりと温かくなった。
 それからは昼下がりまで、ファルと話していて、ファルの昼食を医療院のシスターが運んできた所で、俺は帰宅する事に決めた。


 なおお見舞いを終えてからは、俺はまっすぐにセリスの家へと戻った。セリスはまだ帰っていない様子だったので、本日の分の掃除を行ってから、料理の下ごしらえをする。

 その日セリスが帰ってきたのは、夜がふけてからの事だった。

「おかえり」

 俺が出迎えると、セリスがギュッと俺を両腕で抱きしめた。俺もおずおずと腕を回してみる。セリスの体は大きくて、温かい。力強い腕の感触に、俺は浸りながら目を閉じる。

「ただいま。見舞いはどうだった?」
「マフィンを、すっごく喜んでくれたんだ。マルルに感謝しないと」
「伝えておく」

 俺から腕を離すと、セリスが優しい顔で微笑した。目を開けた俺も笑顔で頷き返す。セリスがそばにいてくれると思うと、無性に落ち着く。

 それから二人で家の中へと入り、食事をした。本日のメニューは、急いでいたからパスタを茹でただけだが、クリームチーズを使ったソースを、セリスは褒めてくれた。

 この日の夜も、俺はセリスの寝室に招かれた。ドキドキしながら部屋へと向かうと、今日は先にお風呂に入ったセリスが、寝台に座って俺を待っていた。また、昨日みたいな事をするのだろうか?

 そう考えていたら緊張してしまい、俺は体を固くした。すると寝台から立ち上がったセリスが、俺の正面に立った。そして俺の顎をそっと持ち上げると、触れるだけのキスをした。啄むようにキスをされると、次第に緊張が解けていく。

「おいで」

 セリスが俺の腰を抱き寄せて、耳元で囁いた。
 俺は真っ赤になりながら、小さく頷いた。
 こうして――夜が始まった。