【4】愛が無くても文字は書ける。



「と、とりあえず! 子供はちょっと考えさせてくれ。だけどな、俺を勝手に伴侶にしたんだから、その部分だけであっても、俺を王都に連れて行くくらいしてくれても良くないか?」
「そんなに王都に来たいのか?」
「俺は、王都で冒険者として活躍したいんだ!」
「――活躍できる腕前なのか?」

 根本的な部分を問われた。俺は口ごもる。この村から出た記憶が無いといえるので、俺には断言できない。一応、名だたる冒険者の先達にあたる祖父には、『そこそこだな』という評価を受けた。だから、全く通用しないという事は無いと信じたい。

「多分」
「曖昧だな。王都には、夢を見て旅立ってきた冒険者は大勢いるが、その末路は悲惨である事が多いようだぞ?」
「う……」
「俺と結婚すれば、衣食住は保証する。身分も、冒険者ギルドの者という他に、正式なドール伯爵許可のもと、俺の配偶者として保証される。その方が、軌道に乗るまでは、活動しやすいんじゃないのか?」
「……」
「君にとって悪い条件では無いはずだが?」
「その条件っていうのが、気に入らないんだよ。俺は、結婚は愛がある結婚が良いんだって言ってるんだ」
「つまり俺に、君を愛せという話か?」

 ユフェル殿下が、不可思議そうな顔をした。俺は慌てた。

「そこまで言ってない!」
「そうか。俺もいきなり愛する用意は無かったから焦った」
「愛が無くてもヤれるっていうのが、まず俺は信じられないんだよ」
「そういうものか。では、最低限度ヤれる程度の親睦を深めれば良いという事だな?」
「……そ、そうかもな」

 俺が曖昧に頷くと、ユフェル殿下が腕を組んだ。

「しかし、愛が無くても、文字は書ける。違うか?」
「へ?」
「王都に伴うというのならば、やはり結婚の形式には拘りたい。俺には、他に提示出来る条件が無い。少しでも今後を有利に進めるためには、使える手段を俺は全て使うつもりで来ている」
「……」
「貴族の政略結婚では、結婚後に愛が芽生える事も稀ではない。寧ろ、その場合の方が多い。冒険者としての活動の邪魔は決してしないから、婚姻届にサインをしてくれ」

 ユフェル殿下、中々に強引だ……。俺は迷った。
 確かに、都会に出て冒険者として活躍するのが、俺の夢なのだ。
 そしてそれは、現状のままだと、夢のままで終わってしまう可能性が非常に高いのである。それだけは、どうしても避けたい。

「……本当に、俺は自由に冒険者をして良いんだな?」
「ああ。保証しよう」
「か、かつ! 子供については、俺は約束出来無い! それでも良いか?」
「現時点では良いとする」
「……」

 俺は小さく頷いた。そしてド緊張しながら、万年筆を手に取る。選ぶのは、俺なのだ。俺は、このまま終わるのは嫌だ。もう大根を抜き続ける生活は嫌なのだ。どうせ、後悔するのならば、踏み出してから後悔しても遅くは無いだろう……祖父には、散々『もっとよく考えてから行動するように』と言われた俺だが……。

 震える手で、俺は書類に記入した。
 書き間違えそうになったが、幸い一発で成功した。

「できたか?」

 俺が書き終わった瞬間には、ユフェル殿下がそれを取り上げた。

「よし。村長、ここで提出していく」
「喜んで!」

 ユフェル殿下が村長に、婚姻届を渡した。あっという間に、村長がそれを処理した。村長には、反対する様子は微塵も無い。

「では、今日は旅立つ準備をしてきてくれ。明日には、王都に戻る」
「……お、おう」

 俺が頷くと、満足そうにユフェル殿下が笑った。両頬を持ち上げている。
 なんだか実に呆気ない。
 結婚とは、こんなものだったのか。紙切れ一枚……伴侶紋にキスはしたが。
 魔族では無い俺には、伴侶になったと言われても、そちらからの変化は感じない。

「カルネ」
「ん?」
「俺はこの宿に今夜は泊まるが、もしも気が変わって子供を作る方向の予定になったら、いつでも訪ねてきてくれ。それは今後、大きな公務が無い場合常に同様だが」
「え」
「俺はいつでも歓迎する」

 ユフェル殿下はそう言うと、お茶を飲み干して立ち上がった。そして二階へと立ち去った。呆然と見送っていると、村長が俺に言った。

「部屋に行くのであれば、村の皆は呼ばないが、行かないのであれば、見送りの宴でも開くか?」
「行かないけど、そんな、大げさなのは良いよ」
「ふむ。しかしな、折角これまで村で育ったのじゃからなぁ」
「……お世話になりました」
「いつでも戻ってくると良い」
「有難うございます。俺、とりあえず、準備をしに、家に戻る」

 俺は笑顔を浮かべてそう告げてから、一度帰宅する事にした。
 俺の暮らしてきた祖父の家は、ガランとしている。
 ここでいつも一人で過ごしてきたので、結婚生活というものは、妄想しかした事が無い。ユフェル殿下と一緒に住むのだろうか? 衣食住は保証されるらしいが。

 これといった荷物も無いので、鞄に衣類を詰め込んでいく。
 王都までこの村からだと、山脈を超えて、その後も長旅だったように思う。

「旅、かぁ……」

 人生で初めての旅、というより、初めてこの地から出るに等しい。緊張しないわけではないが、どちらかというと、その部分にはワクワクする。

 こうしてその夜は、準備をしながら、眠れぬ夜を過ごしたのだった。


 ――翌朝。
 俺以外の六名の村人が見送りに来てくれた。村の入口で、俺はユフェル殿下の隣に立つ。殿下は、深々とローブを被っているので、顔が見えない。

「行くか」
「ああ。ええと――みんな、お世話になりました!」

 最後に俺が挨拶すると、みんな笑顔で声をかけてくれた。悪い人は誰もいない。きっとここに、もうちょっと違う冒険者としての依頼などがあったら、俺は生涯暮らしていたと思う。そのくらいには、愛着のある村だし、彼らが俺にとっての家族だ。

 その後、別れて、俺はユフェル殿下と歩き始めた。
 初めて出る村の外の路は、これまでは眺めた事があるだけのものだった。
 急な坂道だ。少し歩いてから、ユフェル殿下がフードを取った。

「この先に、簡易設置型転移魔法陣を展開しているから、王都には数分で到着する」
「え? 旅はしないのか?」
「したいか?」
「……したい」
「それは子供を作ってからとしてくれ。そうであれば止めない」
「俺の活動の邪魔はしないんじゃなかったのか?」
「王都の中での活動は、邪魔しない」
「う」
「目の届く範囲にいてもらいたいんだ。王都全域であれば、俺が直接監視魔術を展開しているし、何かあればすぐに分かる」
「監視魔術?」
「王家には敵も多くてな」

 そういうものなのかと思いながら、俺は歩いた。そしてユフェル殿下が立ち止まるまでの間、何度か村に振り返っていた。

「ここに魔法陣がある」
「俺はどうすれば良い?」
「こちらへ来て、目を閉じていてくれ」

 言われた通りにすると、すぐに周囲に眩い光が溢れた。