【10】夕食



 その後は昼食に、お弁当を食べつつ、俺はAランクの依頼書を眺める事にした。Aランクからは、クエストボードに張り出されている依頼の他に、個別指定されて受諾する事もあれば、冒険者ギルドが個人用にファイルを作ってくれたり、Aランクからしか閲覧不可能の極秘依頼集が存在したりするそうだった。

 あくまで擬似精査空間で認定された俺だから、これからは上を目指すにしろ、実力を伸ばすにしろ、もっともっと依頼を引き受けなければならないだろう。

 イワンさんが作ってくれたお弁当は、これもまた美味だった。ブロッコリーを食べながら、俺は思案する。Aランクの依頼に多いのは、護衛と討伐だ。俺は剣の腕を活かしたいし、対人戦は実は経験が無いので、やはり魔獣の討伐を率先して行っていきたい。

 しかし通常、Aランクの魔獣討伐は、最低でも一日がかりだと聞く。先程の竜のようにすぐに倒せるのだろうか、現実でも……。それ次第で、いつ受諾するかが鍵になるだろう。

「夕食は一緒に食べる約束をしてるからな……」

 冒険者の活動に制限をしないとは話していたが、三日かけての討伐になど出かけて夕食をすっぽかしたら、場合によっては向こうから離婚を切り出されるかもしれない。俺は現在がとても楽しいので、打算的だが、もう少し金を貯めて自分で部屋を借りられるようになるまでは、あの家において欲しい……。

 ……。

 あちらは魔力が欲しかったのはクリアとして、子供が欲しい。
 俺は王都に来るというのはクリアとして、家が欲しい。
 お互い、愛じゃなく、欲しいものがあっての結婚だ。

 だけど、ユフェルは努力するというような事を言っていた。そこに付け入る形になっていて俺は心苦しい。伴侶紋という痣さえなければ、ユフェルだって別に俺と結婚する必要は無かったのだし。そう考えていくと、せめて、食事だけでも、と、思ってしまう。せめてもの恩返しだ。恐らく俺はユフェルの期待には応えられないが……。

「Aランクの初依頼は、明日の朝からとしよう……」

 今から行ったのでは、夕食に間に合わないかもしれないからだ。うんうんと一人頷き、俺はその後、ギルドを後にした。今日は早く帰宅しよう。

 王都の路を歩いていき、王宮の裏門を通り過ぎて、俺は家に戻った。

「おかえりなさいませ」

 するとアーティさんが俺を見て、歩みを止めて、深々と背を折った。俺も反射的に頭を下げた。

「ただ今戻りました!」
「ご無事で何よりです。ご入浴なさいますか?」
「お願いします!」
「ですから敬語は不要です――あ」
「ん?」
「昨日のお話ですが、マナーの家庭教師が必要でしたら、お申し付け下さい」
「あ! ぜひ!」
「では、入浴後に基礎的なナイフとフォークの使い方からお教え致します」

 アーティさんはそう言うと、歩き去った。俺は部屋に戻り、着替えを手にしながら、嘆息した。ユフェルは気にしないと話していたが、せめて、マナーを気にせず常に美味しく食べられる程度には、銀器の使い方を覚えたいものである。

 この日もゆっくりとお湯に浸かり、体から疲れを取り除いた。
 そして着替えて外に出ると、アーティさんが待っていた。

「こちらへ」

 俺を食堂に促したアーティさんは、最初に檸檬水をくれた。風呂上りには美味しい。それで一息ついてから、本格的に講習が始まった。アーティさんは、使う順番を一つ一つ丁寧に教えてくれる。しかし俺の頭はパンク寸前だった。メモを取りたいが、食事中にそれを見返すわけにもいかないだろう。そう思って、必死に頭に叩き込む。

「――以上となります」
「あ、有難うございま……」
「最初から繰り返してみて下さい」
「やってみます……」

 こうしてその後は、ずっと俺はナイフとフォーク、そしてスプーンの使い方を復習した。適宜アーティさんが指導をしてくれた。何とか漠然と使い方が分かって来た頃、本物の夕食の時刻が迫ってきた。

「勉強中だったのか?」

 そこへユフェルが帰ってきた。その姿を見たら、無性にホッとしてしまった。本日のユフェルは特別騎士団の騎士装束を纏っている。外套の首元を緩めているユフェルに対し、俺は大きく頷いた。

「早速食事で成果を見せてもらおうか」

 冗談っぽく笑いながらユフェルに言われて、俺は赤面しそうになった。勉強する事は恥ではないと思うのだが、何となく気恥しかったのである。

 イワンさん達が、料理を運んできた。アーティさんはワインと――ジュースを取りに向かったようである。俺は、ユフェルと対面する席に座り直しながら、本日の皿を眺めた。村にいたら一生食べる事が無かっただろう高級品ばかりなのは間違いない。

 準備が整い、食事が始まった。勉強の甲斐があって、幸い本日は使い方が分かる。

「今日のギルドはどうだった?」
「あ、聞いてくれ。Aランクになったんだ!」
「――昨日もランクが上がったと話していたが、随分と早いな。Aランク冒険者ならば、十分すぎるほどの凄腕と言えるだろう?」
「精査空間というのを使ってもらったんだ」
「なるほど。依頼消化数不足でランクが下だったという事か」

 俺の言葉を、頷きながらユフェルが聞いてくれる。

「実際に、腕が立つという事なのだろうな」
「た、多分!」
「俺はカルネが、王都に夢を見ているだけではないのかと勘違いしていた。実力があったんだな」

 微笑してユフェルが言う。嬉しくなって、俺は両頬を持ち上げた。唇にも自然と笑みが浮かぶ。本当に嬉しくて、俺ばかり話してしまう。俺は緑色の竜についてひとしきり語った。

「――って、流れだったんだ。まさか大根よりも柔らかかったとはなぁ」
「そうか」

 ユフェルも楽しそうに聞いてくれた。俺はそれが本当に嬉しかった。しかし気付いた。本当にずっと俺ばかり話していたのだ。それもマナーに気を取られる事もなく……これはアーティさんが教えてくれたおかげだが。

「え、ええと。ユフェルは、今日はどうだったんだ?」

 なんだか申し訳なく思って俺が尋ねると、ワイングラスに手を伸ばしながらユフェルが視線を下げた。そしてゆっくりと葡萄酒を飲み込んでから、改めて俺を見た。

「通常業務を行いながら、カルネについて考えていたぞ」
「え?」
「俺の新妻は、人肌にあまり慣れておらず、寝台の上では緊張するようだと昨夜学んだから、どうやって抱きしめるべきか考えていた」
「な」

 その言葉に俺は、顔から火が出そうになった。慌てて周囲を見回して首を振る。

「語弊がある! それじゃあまるで、昨日何かが起こったみたいだろうが!」
「そうか? 事実を述べたまでだが」
「抱きしめなくていいし!」
「俺も少しずつ距離を縮める為に、行動していかないとならないと考えているんだ。カルネが毎日ランクを上げるように、俺も毎日少しで良いから成果が欲しい」

 ユフェルはそう言うと小さく吹き出してから、葡萄酒を飲み込んだ。冗談で言っているのか本気なのか――どちらにしろ、俺の心臓には悪い。

 このようにして、夕食は終了した。