【11】キスか否か



 食後、俺とユフェルは寝室へと向かった。一緒に眠る、二日目の夜だ。
 俺は本日も壁側を向いて、隅っこに寄った。

「ん?」

 すると近距離に体温を感じた。驚いて振り返ると、背中のすぐそばにユフェルの体があった。壁とユフェルに挟まれているせいで、俺は身動きがあまり出来無い。

「近い。こんなにベッドは広いんだから、もっと向こうに行ってくれ!」
「広いからといって、全てを使わなければならないというわけではない」
「……」
「それと、俺の方を向いて欲しいと昨日も頼んだと思うが?」

 その言葉に俺は逡巡してから、向きだけは変えた。するとユフェルと真っ直ぐに目が合った。形の良い緑色の瞳が、俺を見ている。

「唇を押し付けるだけならば、平気なんだな?」
「へ?」
「左手首、平気だっただろう?」
「そ、それは……」
「ならば他の場所も平気かも知れない」
「平気じゃない!」
「試さなければ分からないだろう?」
「えっ」

 ユフェルはそう言うと、俺の頬に指先で触れた。ビクリとした俺が目を見開いていると、ユフェルの顔が迫ってきた。動揺するあまり逆に俺は動けない。そうしていたら、ユフェルが目を伏せて、俺の額にキスをした。一瞬の出来事だった。

「! な、何するんだよ!」
「唇を皮膚に押し付けただけだ」
「それはキスだろ!?」

 俺が抗議すると、ユフェルが目を開けて、微笑したまま視線を逸らした。その様子が余裕たっぷりに見えて、俺は思わず悔しくなる。

「俺の中でキスはもっと別のものだ。教えてやろうか?」
「へ?」

 ユフェルはそう言うと、改めて俺に視線を合わせた。そして顔を近づけると、唇が触れ合うスレスレの所で動きを止めた。目を丸くした俺が硬直していると、ユフェルが軽く俺の顎の下を手で持ち上げた。

「キスが何か分かっていないのでは、キスと、唇を押し付けただけの違いが分からないだろう?」
「な……」
「物は試しだ。一度、俺とキスをしてみないか?」
「え……ン!」

 その時、ユフェルが俺の唇を塞いだ。僅かに開いていた俺の口の中に、ユフェルが舌を差し込んできた。突然の事に、俺はギュッと目を閉じる。するとより深く舌が入り込んできて、俺の歯列をなぞった。そうされると――ゾクリとした。ユフェルは指先で俺の右耳の後ろを撫でながら、続いて舌を絡めとる。

「っ、ん」

 息苦しくなり、俺は必死で呼吸を試みる。しかし息継ぎの仕方が分からない。こんなの、不意打ちすぎるではないか! ねっとりと口腔を嬲られる内、俺の体は熱くなってきた。緊張と動揺と混乱と――不思議な心地良さが、一気に押し寄せてきた。

「……ッ」

 漸く舌が離れた時、俺は肩で息をしていた。思わずまじまじとユフェルを見てしまう。ユフェルは顔を離すと、相変わらず余裕たっぷりの顔で笑った。

「これがキスだ。俺の中では」
「……」
「だからこれは、額に唇を押し付けているだけとなる」

 ユフェルはそう言うと、再び俺の額にキスをした。俺からすれば、やはりこちらもキスだ。

「俺はキスして良いって言ってないぞ!?」
「嫌だったか?」
「……そ、その」

 そう言われて俺は困った。正直、別に嫌ではなかったからだ。俺のファーストキスだったわけだが……どちらかといえば、未知の感覚で、キスは心地良かった。

「嫌じゃなかったのなら、もう一度しても構わないな?」
「え――ン!!」

 俺が返答に詰まっていると、ユフェルが俺の顎を再び持ち上げた。そして先程よりも深く、唇を貪ってきた。実際、嫌ではないのが困る。舌を吸われ、俺は背筋がゾクゾクしてきた。巧みな口づけに、気が付くと俺は目を閉じて浸っていた。ユフェルは玄人過ぎると思う。さすがは、閨の講義を受けたというだけはある!(の、だろう)

「っ、は」

 唇が離れたので肩で息をしていると、俺の首筋にユフェルが唇を落とした。

「!」

 ビクリとした俺は、慌ててユフェルを押し返そうとする。するとユフェルが目をスッと細めて首を傾げた。

「今度はまた、唇を肌に押し付けただけだぞ?」
「け、けど――」
「けど?」
「……だって」
「だって?」
「……」
「――感じたか?」
「ッ」

 ユフェルの声に、俺は赤面した。確かに、首筋がツキンとした気がしたからだ。そこから全身に熱が響いたようになったのだ。

「カルネは可愛いな」
「な」

 大の男を捕まえて何ていう事を言うのだろうか。俺が真っ赤のままでユフェルを睨むと、喉で笑われた。

「反応が初々しい」
「……」
「来い」

 ユフェルはそう言うと、俺を両腕で抱き寄せた。呆然としていたので、俺はされるがままになる。ユフェルの胸板は、剣士である俺よりも厚い。ユフェルは魔術師のようであるが、魔族の血を引いている分、体格が良いのかもしれない。ローブを着込んでいるとそうは見えないのだが、夜着で密着したら、そう感じた。

 俺を抱きしめたユフェルは、俺の額・頬・首筋へと何度も唇を押し付けてくる。そうしながら、指先で俺の耳の後ろをなぞる。やはりこれはキスだと思うし、俺はいちいちピクンとしてしまうのだから感じているのかもしれなかったが、何を言えば良いのか分からない。

「離してくれ……」
「断る」
「離せ!」
「嫌か?」
「……それは、その」
「嫌じゃないのならば、良いだろう?」

 果たしてそう言う問題なのだろうか?
 そもそも――出会って三日目のユフェルに抱きしめられていて、何故俺は嫌じゃないのだろうか……。第一、ユフェルの側だってこれで良いと思っているのだろうか?

「だ、だから……こういうのは、愛が無いと……」
「――カルネは、俺を愛せそうにはないか?」
「え?」

 これまで自発的に愛するという事については考えた事が無かったので、俺は息を呑んだ。すると俺の頬を撫でながら、ユフェルが微苦笑した。

「愛が無くても、キスは感じるらしいが」
「……っ」
「それとも少しは俺を愛するようになったから、感じたのか?」
「!」

 それは考えた事が無かった。俺が目を丸くしてると、ユフェルが口角を持ち上げる。

「もっと感じてみたいとは思わないか?」
「何言って……」
「いくらでも、全身にキスをする用意があるぞ?」
「やっぱりキスなんじゃないか! ダメだからな! 俺は明日から初のAランクの依頼を受けるし、今日はもう寝る! おやすみ!」
「依頼が無ければ良いんだな?」
「そうじゃない!」

 俺はユフェルを押し返した。するとあっさりとユフェルの腕が離れた。真っ赤になったままで俺は目を閉じて、そのまま眠る事にした。