【15】両親との夕食会
王宮で過ごしていると、あっという間に夜が来た。一度家に帰宅した俺達は、応接間で雑談をしながら時間を潰していたのだが――馬車が来たという知らせに、俺は一気に緊張した。
二人で馬車に乗り込んだ時、俺は思わず両手で顔を覆った。一体、どんな顔をして会えば良いのだろう。隣に座ったユフェルは、そんな俺を一瞥した。
「そんなに緊張するのか?」
「……」
「俺が隣にいる」
そう言われると少しだけ緊張がほぐれた気がした。俺一人よりは、全然頼りになる気がする。走り出した馬車の中で、俺はユフェルを見た。
「俺の両親と弟って、どんな人達なんだ?」
「人当たりは良いな。俺に対しても」
「そっか……」
では、ユフェルの配偶者となったのだし、俺に対しても当たり障りの無い対応をしてくれるだろうか? それを期待するしかない。少しだけ雪が舞い落ち始めた道を馬車は進んでいく。
そうして、ドール伯爵家へと到着した。ユフェルが先に降りて、俺に手を差し出した。
「一人で降りられるぞ?」
「俺がエスコートしたいだけだ。素直に手を取ってくれ」
「……」
気恥しかったが手を載せてみる。するとユフェルが微笑した。
「ようこそおいでくださいました、ユフェル殿下」
そこに――邸宅の中から、俺と同じくらいの背丈の貴族が一人、姿を現した。顎鬚を蓄えていて、肩幅が広い。
「それに、カルネ、か。よく帰ってきたな」
「……」
帰ってきたという言葉が、俺の胸を抉った。帰る事を許さなかったのは、この眼前にいる俺の父であるドール伯爵その人であると思ったが、言葉には出さない。
「エリーゼ――君の母と、君の弟であるネリスは中にいる。すぐに夕食にしよう」
「お招き頂き、有難うございます、ドール伯爵」
ユフェルはそう言うと、俺の背中に手で触れた。歩くようにと促されて、俺は小さく頷いてから前に進む。
体感的に初めて足を踏み入れた生家は、多数の絵画や彫刻で溢れていた。どこか薄暗い廊下を進んでいき、食堂へと案内される。その間、ずっと俺は沈黙していた。何を話していいのか分からないからだ。ユフェルとドール伯爵が、雪について話していた。
食堂の中へと入ると、一気に明るくなった。燭台の他にシャンデリアの灯りもある。俺が室内を見渡すと、俺の母――祖父によく似た顔立ちの女性が一人と、その隣に二十歳になるかならないかといった容姿の青年が一人座っていた。二人共、目が合うと立ち上がった。
「エリーゼとネリスです」
ドール伯爵が紹介すると、ユフェル殿下は頷いた。
「久しいな、ネリス。それに、ドール伯爵夫人」
「ご機嫌麗しいご様子、何よりですわ、ユフェル殿下」
母が言葉を返す隣で、ネリスはじっと俺の方を見た。
「カルネ兄上か?」
「っ、カルネです」
慌てて俺が名乗ると、ネリスは小さく何度か頷いてから、両頬を持ち上げた。
「ネリスと申します。兄上がいるという話だけは聞いていたんだ。実際に会う事が叶って、俺としては嬉しいです」
俺の弟は、優しげである。その事実に、俺は肩から力が抜けそうになった。
「おかけください、殿下。それにカルネも」
ドール伯爵に促されて、俺とユフェルは空いている席に座った。すぐに執事らしき人物が、飲み物を運んできた。葡萄酒である。普段は酒を飲まない俺であるが、例え実家といえど見知らぬ場所で、飲み物のチェンジを要求する度胸は無い。
こうして夕食会が始まった。
俺は俯き、時折話しかけられると、一言二言答えていた。主に、最初は、王都の冬の天候についての話題だった。雪が例年は積もらないらしいが、今年は気象魔術師の予測だと、荒れる可能性があるらしい。話しているのは主にドール伯爵とユフェル、そしてネリスだった。時折母も相槌を打っている。明らかに、俺だけ場違いに思えた。貴族の食卓に放り込まれた平民――それが俺を表現するには最適な言葉だろう。
「兄上は、寡黙なんだな」
その時、不意にネリスに言われた。ハッとして、俺は顔を上げる。すると視線が俺に集中した。
「き、緊張していて……その……」
反射的に俺が声を捻り出すと、ネリスが小さく吹き出した。
「家族なのだから、緊張なんて不要なのに」
「……」
「家族といえば、少し親子水入らずで話がしたいものだなぁ。ネリス、ユフェル殿下を応接間にご案内するように」
丁度食事が終わった所だった為か、ドール伯爵がそう言った。驚いて俺が目を見開くと、ネリスが苦笑しながら立ち上がる。
「そうですか。俺も、義兄上となられたユフェル殿下と少しお話をしてみたいから構わないけど……俺だってもっとカルネ兄上とも話がしたいんだけどな」
その言葉に、ユフェルが俺をチラリと見た。
「俺はカルネを残して行きたいとは思わない。カルネが良いというのなら、応接間で待つ事とするが……」
正直、一人残されるのは嫌だった。だが――今の所、平和な家族風景が構築されているし、俺が断ったら水を差すと思う。だから俺は、無理矢理笑顔を浮かべた。
「お、俺も、父上と母上と少し話をしてみたいから、ユフェル……殿下は、ネリスと応接間へ」
俺が答えると、ユフェル殿下が腕を組んだ。スっと双眸を細めている。だが、その後嘆息し、頷いた。
「分かった。待っているから、早く来るようにな」
こうして立ち上がり、ユフェルはネリスに先導されて、食堂を出て行った。
父、母、俺、使用人達がその場に残った時、ドール伯爵が執事に人払いを命じた。
結果、両親と俺だけがその場に残された。
「まさか第二王子殿下の伴侶となるとはな」
するとドール伯爵が、これまでとは質が異なる冷たい声を放った。あんまりにも違った為、俺の背筋が冷え切った。
「ただでさえ魔族の親族となる事など汚らわしい事ではあるが、仮にも王族というのが不幸中の幸いだ。早急に子供をなせ」
「……」
「王家との繋がりを強固にする事だけが、カルネ、お前の使命だ」
そう言うと、ドール伯爵が新しい葡萄酒の瓶を手に取った。それまで口をつけていなかった品で、コルクの部分が僅かに緩んでいるから、過去には飲んだ事があるのかもしれない。漠然とそう考えていると、新しいワイングラスに、ドール伯爵がそれを注いだ。薄い黄緑色をしている、俺が初めて見る色彩の葡萄酒だった。
「飲め」
「……」
「父の勧める酒が飲めないというのか?」
「……頂きます」
テーブルの上に置かれたワイングラスに、俺は手を伸ばした。するとこれまでの普通の葡萄酒とは異なり、妙に甘ったるい香りがした。しかし渋かったり苦い酒は苦手なので、飲みやすい方が有難い。
「初孫が魔族になると思うと、ゾッとしますが、貴方は貴方のお役目を果たしなさい」
その時、これまで黙っていた母が言った。こちらの声音も冷たい。この場所に、俺の味方は誰もいない。
「痣のある貴方を身篭ったせいで、私がどれほど陰惨な目に遭ったか」
「……」
「今その命がある事だけでも、旦那様に感謝するのですよ?」
「エリーゼ、そう言うな。カルネだってこうして、使い道がきちんと生まれたのだから」
二人の言葉に、やはり俺は捨てられたのだなと、はっきりと再認識した。ネリスの事はまだ分からないが、両親にとって俺が目障りらしいというのは、よく分かる。
「ッ」
全身が、カッと熱くなったのは、その時の事だった。俺はワイングラスを取り落とした。
「っ、は」
呼吸が苦しい。吐息するだけで、全身を襲う灼熱がより酷くなっていく。
「これは――っ、く」
「父からのせめてもの贈り物として、魔族すら魅了するという媚薬のワインを振舞っただけだが?」
「な」
「旦那様の優しい心遣いですわね。それを用いれば、きっとすぐにでも子が出来るでしょう」
「尤も、出来るまでは熱から解放されないというがな。夜毎体が熱くなるらしい」
俺は三半規管が麻痺したようになってしまい、両親が何を言っているのか、上手く理解できなかった。ドール伯爵がその時、執事を呼んだ。
「客間に放り込んでおけ。応接間からは、ユフェル殿下をすぐに向かわせる」
そのままグラグラする俺の体を、執事が立たせた所までは、俺も理解出来ていた。
だがそれからすぐに、意識が曖昧に変わった。