【6】



 こうして、武道会の日がやってきた。朝から俺は、ヴァイルが負けた時の事について、あれこれ想像していた。なるべく怪我なく負けて欲しい。――それだけ、ユーニャ様は強い、らしいのだ。大陸連盟の会員でもあるそうで、魔獣との戦闘経験も豊富だそうだし、地下迷宮に潜った事もあるらしい。

「ディアス、さすがに公衆の面前での強姦行為をしようとしたら、俺が殺してでも止めるから、心配しなくて大丈夫だよ」

 ルーク様が、俺の隣に立ち、腕を組んだ。一瞥した俺は、その瞳が完全に本気だったから、心強さよりも怯えを抱いた。ルーク様もまた大人しくしてはいるが、彼が本気を出したら……血祭りだろう……。

「よお」

 そこに、リオン様が顔を出した。

「平和なこったなぁ。ま、お前達には、魔獣討伐なんて無理だしな。地下迷宮の探索なんて無理無理。転属してきた連中に任せて、こういった行事を素直に楽しんでいろ」

 その言葉に、俺とルーク様は顔を見合わせて、無言になった。
 何かとリオン様は、「お前達には無理だ」と繰り返すのである。
 リオン様の反対のせいで、俺達はいまだに視察にも行けないでいる。

 このリオン様……本日もとても王族には見えない普段着で、ゆるっと気だるそうな顔をして、会場を眺めている。頼りになりそうで、全く頼りにならない。それが俺から見た、リオン様である。

 その後、リオン様とルーク様が別席で見るというので、俺は一番試合の場に近い席まで降りていった。真正面で、これから戦いが始まる。二塔の魔術を収めたユーニャ様が魔術を披露するという事で、みんな興味津々だ。対戦相手をユーニャ様が指名した事に、誰も異を唱えなかったし――おそらくみんな、ユーニャ様にしか興味が無い。

 見守っていると、ユーニャ様が左から、右からヴァイルが入ってきた。
 ユーニャ様は上質な騎士団の正装、一方のヴァイルはいつも通りのシワシワのシャツだ。俺にはまだ、ヴァイルが魔術師だとは信じられなかった。どこからどう見ても一般人である。審判が二人の間に立った。旗を下ろしている。これが上がった時から、試合開始だ。

 円陣の中から出た方が負けである。敗北宣言でも良い。
 俺は、ヴァイルが「負けた」と言ってくれる事を祈っていた。
 俺のために戦ってくれるのは嬉しいが、本気で怪我をして欲しく無いのだ。

「試合、開始!」

 そんな中で、試合が始まった。
 ――合図がした、直後というか、ほぼその瞬間。

 ダンと音がして、ユーニャ様が倒れた。
 激しく後頭部を打ち付けた様子で、唖然とした表情で目を見開いている。
 その上に馬乗りになっているヴァイルは、冷ややかな眼差しで、どこから出現させたのか、長剣をユーニャ様の右耳の真横に突き立てていた。

「――さすがに目に余る。約束通り、二度と近づくな」
「……」
「喉を突き刺さなかったのは、殺さないというルールがあったからだ。心臓を破裂させなかったのも、同じ理由だ」

 絶対零度としか言えない殺気のような威圧感が、会場中を包んでいた。
 それを放っているヴァイルは、瞳をすっと細め、ユーニャ様を睨めつけた。

「ここが武道会の会場で、お前は幸運だったな。これ以上、俺を怒らせるな」

 そう告げてから、ヴァイルが審判を見た。すると我に返った様子で、審判が震えながら旗を振った。

「しょ、勝者、ヴァイル氏!」

 こうして――武道会の第一戦目は終了したのである。


 呆然としていた俺は、それから観客席に戻ってきたヴァイルを見て、やっとひと心地つけて嬉しさから涙ぐんだ。ヴァイルには怪我が無い。それに、勝った……!

「ヴァイル!」

 思わず飛びつくようにして抱きつくと、ヴァイルが俺を受け止めてくれた。

「お前を守る事が出来て良かった」
「ヴァイルに怪我が無くて良かった!」
「――まぁ、相手の力量を見極められない程度の人間に、負ける気はしない」
「……あ。え!? 二塔派のクロスの魔術師のユーニャ様に勝つって……」

 この時になって、俺はやっと気づいた。

「ヴァイルって、強いんだね! すごい!!」

 俺の言葉に、ヴァイルが苦笑するように吹き出した。そして俺をギュッと抱きしめながら、俺の頭の上に顎を乗せた。

「好きな相手を守るためなら、強くもなれるさ」

 ――革靴の音がしたのは、その時の事だった。
 俺とヴァイルは、ほぼ同時に視線を向けた。そして、俺は呆気に取られた。
 そこには……間近で見るのは初めての、王族の正装をした、リオン様が立っていたのである。え?

「我国の建国記念日とはいえ、このような場所でお会い出来るだなんて、感激です」

 更に、リオン様は、いつもの気怠げな顔とは全く違う、非常に麗しい笑みを浮かべた。へ? 俺は、ポカンとした。リオン様は、顔だけは良い。性格はあんまり良くは無いかもしれないが。そのリオン様の、ちょっと胸にグッと来る微笑。俺は、魔術ウィンドウの王族の一日という番組以外で、初めて目にした。

「専用のお席を用意させて頂きましたので、どうぞこちらへ」

 リオン様が片手で促す。するとヴァイルが少し困ったような顔をした後、俺を見た。

「悪い――少し、行ってくる。王族の誘いは断ってはならない義務があるんだ」
「あ、ああ……」

 おずおずと頷いて、俺はヴァイルを見送った。リオン様の隣を歩くヴァイル。二人の前後左右には、ズラッと王国の近衛騎士達が並んでいる。まるで、重要な外賓でも来たかのような扱いだ……。

「何だあれ……? どこに行くんだろう?」

 見守っていると、二人が、三階に備え付けられた、本来王族専用の観客席に入ったのが見えた。え? 見上げて呆然としていた俺は、首を捻るしかない。

「あれ、一体何?」

 そこへ、ルーク様が歩み寄ってきた。俺が聞きたい。

「突然リオン様が血相を変えていなくなったと思ったら、あれ」
「俺も全然分からなくて」

 二人で王族席を見上げる。リオン様は、普段とは異なりすぎる笑みを浮かべ続けているし、ヴァイルも時折微苦笑していた。微苦笑でも普段は笑わないから、珍しい。

「気になるね。何話してるのか、聞いてみる?」

 ルーク様がそう言って、結界魔術と神聖魔術を応用して、盗聴魔術を発動させた。
 本来は、王族達の話なんて聞いてはならないのだろうが……俺も興味があった。

『いやぁ、さすがにお強い』
『……別に』
『ディアスくんは、幸運でした』

 俺に、「くん」なんて付けるリオン様が、ちょっと気持ち悪い。だがそれよりも、ヴァイルがタメ語でリオン様が敬語……立場が、まるでヴァイルの方が上のようで、俺は驚いた。

『セクハラに悩んでいたディアスくんの事は、みんなが心配していて』
『……』
『実は……俺は、セクハラというか、ストーカー被害に悩んでいるんです』

 その時、リオン様の声が悲しげに変わった。
 俺とルーク様は、顔を見合わせた。
 ――リオン様に、ストーカー?
 仮に存在がいたとして、リオン様が悩むたまだろうか……?
 絶対に蹴散らすだろうに……彼は、黙って思い悩んだり、絶対しないタイプだ。

『警邏騎士や近衛騎士に通報して、守ってもらうべきだな』
『……彼らでは、心もとない相手なのです……我国のような弱小国では、歯向かう事は、とても……』

 まるで転属してきた二派の魔術師から、被害に遭っているかのように聞こえた。
 しかし、再び顔を見合わせて、俺とルーク様は首を傾げた。
 俺達が知る限り、そんな被害は無い。仮にもリオン様は、王族だ。
 いくら強い魔術師でも、この国が弱小国であっても、王族に手を出したら、極刑処分である事が多い。

『僕も……ディアスくんのように、守ってもらえたならば……。怖くて、夜も眠れないんです……』

 リオン様の声に涙が混じった。だが、「僕」なんて言っているのを、俺は初めて聞いた。さらに、リオン様が眠れない日なんかあるのか、非常に疑問だった。

『……俺で対処出来る相手ならば、引き受けましょうか……?』

 かなり面倒そうなヴァイルの声がする。

『本当ですか!?』
『ああ』
『では、着いてきて下さい。座標は、こちらです』

 そう言うと、リオン様の気配が消えた。続けて、ヴァイルの気配も消えた。見上げている席からも、二人の姿が消えている。

「どこに行ったんですかね?」
「座標とか、意味が不明だけど……モニタリングしてみようか」

 こうして、今度は俺達は、ルーク様が展開した魔術ウィンドウで、二人の姿を見る事にした。まず――映し出された光景に、俺とルーク様は硬直した。

 な、なんと。二人は、地下迷宮にいたのである。
 真正面には――俺達が逃した、影のような巨大な魔獣がいた。

『――え?』
『僕は、コレに悩まされていて。もう、国の各地に出てくるものですから』
『こ、これ……か?』
『対処、お願いします!』

 リオン様が、当然であるというようにキラキラした瞳で、ヴァイルを見た。
 俺は、危険な魔獣の前にいるヴァイルを見て、卒倒しそうになった。
 が――、舌打ちした直後、ヴァイルがどこから出現させたのか、長い杖を握り締め、それを振った。すると――バンと破裂音がして、魔獣の体が霧散した。え……?

 魔獣は、三塔派の魔術を収めなければ、一人では討伐不可能のはずだ……。

「――まぁ、二塔派のユーニャ様を一撃であっさりだから、予測はついていたけど、大家さんって、三塔派のクロス魔術師だったんだね……大陸に、指の数ほどもいないっていう、幻の……」
「えっ!?」

 ルーク様の声で、俺は息を飲み、目を見開いた。
 魔術ウィンドウの向こうでは、相変わらずリオン様がキラキラした、初めて見る瞳をしていた。

『僕、この迷宮自体も恐ろしくて……対処、お願いします!』
『ちょっ……本気か!?』
『えっ? 僕、いつでも本気で生きていますよ……?』

 かわいこぶっているリオン様……呆気にとられているヴァイル……。
 目を細めた後、再び舌打ちしてから、ダンとヴァイルが杖を地についた。
 すると地震が発生したらしく、パラパラと二人がいる場所の天井から小石が降ってきた。

『これで内部は全て埋まった』
『有難うございます。それでは、帰りましょう』

 リオン様が歩き始めた。行く時は瞬間移動魔術を用いていたのに、リオン様はゆったりとした足取りで歩いていく。ヴァイルもそれが疑問そうだったが、素直に歩き始めた。

『――それにしても、我国に、三塔派のクロス魔術師――戦略魔術師にお越し頂けるなんて……』
『……』
『いつまでご滞在なさるんですか? 確か、地下大迷宮攻略をなさっていたのでは?』
『――それは、終了した。俺はそれに合わせて退役したんだ。今は、療養を兼ねて大陸軍の年金暮らしだ』
『お怪我をされたのですか?』
『……無傷の戦略魔術師等一人もいない。生存者は幸運だったと言える』

 リオン様はさすが王族というべきなのか、大陸新聞にも書いていない事情を知っているようだった。ヴァイルの暗い表情を見た俺は、気づけばヴァイルの事をほとんど知らないと思い知らされていた。

『他の戦略魔術師の生存していらっしゃる皆様は?』
『俺を含めて二名しかいない。皆、死んだ』
『――そうでしたか。所で、我国で暮らして頂けるのは、大変光栄なのですが、やはり戦略魔術師の方を放置する事は出来ません。そこで、いくつか約束して頂きたい事がございまして……』
『ああ。何でも言ってくれ』

 戦略魔術師も大変なんだなと思いながら、俺は嘆息した。
 普通に暮らすのも一苦労なのだろう。
 しかし、どんな約束なのだろうか? やはり、護衛を付けるとか、監視をつけるとか、なのだろうか? そんな風に俺は考えていた。が。

『まず、我が国の次期国王である僕の甥の、ベリス殿下の後継人になって下さい。また、保証国として、既にヴァイル様が後継人をなさっている大陸一の強国、ヴァーディラル帝国の皇帝陛下にも、ベリス殿下の後継人を依頼して下さい。その上で、ベリスが十八歳になる前に、現国王陛下に不幸があった時も、ヴァイル様が後継人として、ベリスの即刻即位を保証して頂きたい。次に、現在の白塔は、宗教差別が著しく、それが大陸連盟にも広まっていて、我が国が申請している騎士の黒塔における階級が上がりません。即刻宗教差別の撤廃を宣言すると約束し、黒塔及び大陸連盟に我国現第一騎士団長のルークを承認するように通告願います。また、弱小国として、こちらが申請しているクロス試験の受験資格に関して、却下の知らせすら届きませんので、審査を明確かつ厳密に適正に行うよう伝え、受理するように申し伝えて下さい。その上で、今後こうした事がないように、この国自体の保証人にもなって頂きます』
『――へ? きょ、居住規則とかじゃ、なくて?』

 俺もそう思っていたので、サラサラっと微笑しながら口にしたリオン様に、呆気に取られた。た、確かに三塔派クロス魔術師であれば、存在がコネと言える。全て、可能だろう。さらに俺は、帝国皇帝の後継人と聞いて、ピンと来た。

 一度、大陸新聞に、三塔派クロスの戦略魔術師集団が、合同で非常に危険な――魔王と呼ばれる存在を討伐したという記事が出た事があるのだ。その際、帝国皇帝の後継人が、合同大陸軍の軍師を務めたと書いてあるのを読んだ事がある。戦略魔術師の中でも、最強とされる人物で、ある意味――この大陸最高の権力者にも等しいようだった。

『我国からの代償としては、オーフェス街三番通りエステラ荘一階105号室を、大陸軍属戦略魔術師筆頭のヴァイル=マーカス司令官に、滞在区画として提供する事となります――よって、居住規則としても良いと思います』

 リオン様は微笑したまま譲らない。だが、これは明らかに無茶振りだ。提供敷地は、現アパートのヴァイルのお部屋だしな……。しかし、ヴァイルは困惑したような顔のまま、おずおずと頷いた。

『そ、そうか……わ、分かった……手配する』
『有難うございます。調印式と会見の準備は既に整っております』
『え』

 その時二人が地下迷宮の入口から出た。
 するとフラッシュの光が辺りを包んだ。魔導具カメラを構えた人々が、二人を囲む。完全に動揺しているヴァイルの横で、リオン様は、王族にしか見えない(実際に王族だけど)すごくロイヤルな感じがする余裕ある微笑のまま、王宮の文官に手渡された羽ペンを手にして、調印を始めた。ヴァイルもペンを受け取る。

『ここに――共同宣言を』

 こうして、盗み見るまでもなく、各地の魔術ウィンドウに、リオン様とヴァイルの会見風景が流れ始めた……。

 俺とルーク様は顔を見合わせて、複雑な心境になった。
 まず、リオン様が、甥の孫殿下を保証したというのは、何となく根は良い人だから、理解できなくはない。だが……ルーク様や、俺の試験資格等まで保証を要求してくれるとは思ってもいなかった。

「――リオン様が、さ。これまで俺達に近づくなって言っていたのは、本当に危険だからだったんだよね……その危険からも、真っ先にリオン様は、遠ざけてくれた。ヴァイルが出撃したわけだから、ディアスは気が気じゃなかっただろうけど」
「うん、そうです……――けど、リオン様……俺、勘違いしてました。リオン様は、きちんとした、王族でした。第二王子殿下でした……」
「そうだね。俺も、敬う気持ちとか、正直ゼロに近かったよ。見直した」

 そんなやり取りをした俺達。
 その日の内に――ルーク様は、何とSランクまで黒塔階級が上がり、さらに実績として、白塔のレベルもBランクとなり、二塔派のクロス魔術師に認定された。大陸連盟にも所属魔術師として保証された。そして、俺の元には……クロスの試験を受けて良いという許可書が届いたのだった……。すごい!