【7】ある秋雨の日。





 暫く顔を見せなかった藍円寺さんがやって来たのは、ある秋雨の日の事だった。
 これまで同様、夜である。閉店作業を中断し、僕とローラは彼を出迎えた。
 彼が外のドアノブに手をかけた段階から、ローラは嬉しそうに瞳を輝かせていた。

 ああ……なんていうか、本当に好きなんだろうなぁ。

 見ていれば分かる。微笑ましい気分になりながら、僕は傘を畳んでカゴに立てた藍円寺さんに声をかけた。

「いらっしゃいませ。本日は、Cafeですか? マッサージですか?」

 マッサージだと分かりきっているが、聞くのは決まりだ。
 ――が、今日に限っては、僕は別の理由で聞いた。
 店に近づいて来る時からずっと、強く藍円寺さんの思考が僕に流れ込んできたからだ。

『絶対に、ローラをお化け屋敷に誘う!』

 その思考が強すぎて、他の感情が読み取れない程だ。入店した現在も、それしか視えない。何だろう、お化け屋敷って。そう言えば、夏瑪先生もお化け屋敷と話していた気もするが……客観的に考えて、仕事にローラを誘うとは思えない。何せ、藍円寺さんは僕らの正体に気づいていないし、仮に気づいていたら、逆に除霊に行くのに妖怪を伴わないだろう。僕達もお祓いされてしまう側という扱いのはずだ。

 だとすれば、考えられるのは、ひとつきりだ。
 ――テーマパークのお化け屋敷。
 即ち、デートに誘おうとしているのだろう。僕は、思わずにやけそうになった。藍円寺さんは、外見からは見えにくいが、内心では、ローラを『天使』だとか『癒し』だとか『惚れそう』だとか考えていると、僕には読み取れるから分かる。ただ、同性同士という社会通念や社会的性別が理由で、それが恋心に近いとは認識できていない様子ではあるが。

 僕は、この前来ていった他のお客様が考えていた話題を思い出していた。
 何でも新南津市の一角に、新テーマパークがOPNEしたらしいのだ。
 メインは、絶叫系とホラーハウスだと聞いた。つまりは、お化け屋敷だ。
 現在大人気のデートスポットらしい。意外と、藍円寺さんは、積極的なのかもしれない。これを知ったら、ローラ、きっと喜ぶんだろうなぁと、僕は彼を一瞥した。

 ローラは、客前だけ――いいや、藍円寺さんが来た時にしか発揮しない外面の良さを惜しみなく披露し、非常に優しげに微笑んでいる。しかし内心のウキウキが僕には伝わってくる。今回は、見せようとしているのではなく、嬉しすぎて漏れてしまっているようだ。

「その……実は、頼みがあってきた」

 藍円寺さんが切り出した。ローラがきょとんとした。わざとらしいなと僕は吹き出しかけたが堪える。

「――明後日、一緒について来てくれ。夕方の三時に、南通りの地蔵前に来い」

 僕は、地理を頭の中に描いた。南通りというのは、ここから左に曲がった角にある、山側に続く道だ。テーマパークには、全く通じていないし、遊園地に行くには、時間も遅い。

 しかし……誘い方もぶっきらぼうで、俺様風だ。藍円寺さんは、めったにないが、ごくたまに世間話をする時も、こういう口調である。心の中が読める僕としては、中身の藍円寺さんは決して俺様じゃない事を知っているから、何とも言えない。誤解されやすそうで、生きにくそうだなと、他人事ながらに感じるだけだ。どこか威圧感があるというか、人を寄せ付けないようなオーラが出ているのである。

「ええと……それは、俺と砂鳥で行けば良いんですか?」

 一方、こちらは普段が嘘のように丁寧な口調で、ローラが聞いた。
 すると、藍円寺さんが、じろりと僕を見た。そして黙った。
 ……いやいやいや、デートに僕がついて行ったら、そりゃあ邪魔だろう……。

「ああ。そうだな。二人で来てくれ」
「え」

 思わず僕は声を上げた。すると、藍円寺さんが目を細めて、僕を見た。睨まれた気分だが、内心を読むと決してそういうつもりでは無さそうだと分かる。というか……徐々に視え始めた藍円寺さんの心――僕は、それを読み取り絶句した。

 お化け屋敷――と、して、彼が思い描いているのは、完全に民家だったからだ。
 笑った。リアルお化け屋敷らしい。夏瑪先生が言っていた、霊障を広げている原因の家に、明後日彼は、他集団と除霊に行き、一夜を過ごすはめになったようだった。

 強気に見える藍円寺さんだが、内心では、ガクブルなのが分かる。
 怖くて怖くて仕方が無いらしく、縋る思いで本日は、ここへやって来たらしい。
 ローラの服をちょっと掴むだけでも、恐怖が和らぐ気がすると、彼は思考している。

「折角の常連さんのお誘いですしね……店の時間ではありますが……行こうか、砂鳥?」
「へ? あ、うん。そ、そうだね、ローラ。藍円寺さんは、よく来て下さるし!」

 僕が同意すると、ローラが笑顔で大きく頷いた。
 藍円寺さんは胸中で――店の時間なのに、本当に申し訳ない――と、考えているようだった。それにしてもデートじゃないのかぁ。そう思えば、なんだかローラがちょっと哀れだ。彼だって、期待していなかったわけじゃないと感じるのだから。

 こうして――僕達は、それから三日後、南通りの地蔵前へと向かう事になった。

 当日は、二人組〜十人組までの、班で来ている人々が――班で数えると七班、個人で……つまり一人で来ている人々が、十数名いた。僕は彼らを眺めて、藍円寺さんよりも強い霊能力者を探してみた。うーん。お祓いに集まっているのだろうが、藍円寺さんよりもローラの食欲をそそりそうな人間はゼロである。まぁ、手続きを踏み、正しく行えば、正直力が無くても、一定の結界程度ならば、人間は構築可能だ。ただ単純に、そのクオリティだと、僕やローラ、火朽さんなんかにとっては、無いに等しいというだけである。

 それよりも僕は――紺色の僧侶服に、錦の袈裟をつけている藍円寺さんを見る方が楽しかった。ローラもそちらに舌なめずりをしている。何とも本日の藍円寺さんは、艶っぽい。和服って良いなぁ……と、僕はフェチズムに目覚めかけた。漆黒の切れ長の瞳が、白い肌の中で、ある種の畏怖をもたらすように煌めいている。見る者に、その存在だけで、霊が消えていくような錯覚を呼び起こし、霊に対する恐怖など微塵もないような顔をしている藍円寺さん――だが、内心の恐怖心を読み取って、僕は哀れになり、不憫だなぁと思った。

 待ち合わせの三時から三十分ほど過ぎた所で、移動開始となり、僕達は四時手前に、お化け屋敷の前へと到着した。既に周囲は薄闇に包まれている。昼間に来なかったわけではなくて、昼間から彼らは何やら作業をしていたようなのだが、泊まり込み組が、徹夜時間を考慮して、遅い時刻に集合だったらしい。僕とローラは、泊まりだとも徹夜だとも聞いていなかったが……まぁ、良いか。僕達妖怪は、睡眠をとれるが、それも娯楽だ。

 こんな風に、僕達のお化け屋敷での一幕が開始されたのである。