【22】新学期



 こうして新学期が始まった。

 僕は最初、夏瑪先生に会うのが少し怖かったのだけれど、隣に火朽くんがいてくれるせいなのか、いざ講義に出てみたら、いつも通りに過ごす事が出来た。ゼミの時もそれは同じだ。

 周囲は、僕と火朽くんが仲直りをしたとして、喜んでくれた。
 喧嘩をしていたつもりは無いが、僕は笑って濁しておいた。

 秋には、新しい時間割の履修登録がある。
 僕は大学のラウンジで、火朽くんと一緒にシラバスを眺めた。
 春の講義が全て一緒だったのは、驚くべき偶然だ。

 ――が、秋もほとんど同じだった。

 しかし、別々の講義もある。ただそれは、火朽くんが編入生だから、秋からの必修のいくつかを、下級生と受けるからで、僕が既に単位を取得しているため、履修しないという必修ばかりだった。別に示し合わせたわけではないのだが、僕と火朽くんの興味の方向性は、ことごとく合う。

 無事に履修登録を終えてから、僕達はそろってバスに乗った。

「紬くん、そういえば」
「どうかしたの?」
「――市街地に、新しくテーマパークが出来たと聞いたんです」

 火朽くんの思い出したような声に、僕は頷いた。

「絶叫系とお化け屋敷がすごいみたいだね。絆がCMとポスターに出てるんだ」
「僕は常々疑問だったんですが、このように怪奇現象が浸透している土地であっても、いいえ、そうでなくとも、ホーンテッドハウスといったものを、なぜ人間は怖がるんですか?」

 もう火朽くんは、僕の前で、人間ではない事を隠すつもりはないらしい。
 普段はそれでも、人間として振舞ってはいるが、僕の手品師設定など甘かったようだ。

「安心して怖がれるからじゃないかな?」
「そういうものですか? 絶叫マシーンは理解可能なんです。速度が違いますから、肉体的に驚くと分かるんですけど……」
「行ってみる?」

 僕が何気なく聞くと、火朽くんが微笑した。

「ええ。一度、行ってみたいです。明日行きましょう。明日は履修登録の予備日でお休みですし。では、朝の五時半に駅に集合で」

 この日も、テキパキと火朽くんは日時を決めた。


 翌朝、僕達は駅から電車に乗り、市街地にあるテーマパークへと向かった。
 開園時間より早く来たのだが、既に当日券売り場には列が出来ている。

「入場券を買うのに二時間並んで、さらに絶叫マシーンに乗るためには、五時間も並ぶ必要があるんですか……お化け屋敷ですら、三時間待ち」

 中に入ると、最後尾の看板を持った従業員さんを一瞥しながら、火朽くんが辟易したような顔をした。僕は苦笑するしかない。

「まだオープンしたばかりだからかな?」

 実を言うと、僕はテーマパークに来た事が一度もない。
 だからこれが普通なのかどうかも分からない。

「人間とは限りある時の中を生きているというのに、こうして無駄な時間を浪費するという点で、本当に不思議な生き物ですね」

 スッと目を細めて火朽くんが言ったから、僕は首を傾げた。

「だけど、友達とかカノジョとかと、テーマパークに行くって人は多いよ。多分だけど、待ち時間に雑談したりするのも、楽しいんじゃないかな?」

 僕が言うと、火朽くんが目を丸くした。

「紬くんは、今こうして僕と立ち話をしているのが、楽しいですか?」
「一緒にいられるのは楽しいけど――本音を言えば、座ってダラダラしたいかな」
「同感です」
「だけど、並んでいないと、お化け屋敷には入れないよ?」
「――僕は、時間を無駄にしない主義なので、楽しむ時はそのためだけに最適な環境を用意したいと考える方です。僕の楽しさは、あのつまらなそうなお化け屋敷に入って人間の見学をする事ではないようです」
「じゃあ行かなくて良いの?」
「ええ。紬くんと、そこのテラス席でお茶を飲む方が有意義です。僕にとっては」

 そんなやり取りをしてから、僕らはサンドイッチが売っているお店の前の、テラス席に座った。それぞれ飲み物を頼みに行き、飲みながら一息つく。

「お化け屋敷といえば、『呪鏡屋敷』というのを、紬くんはご存知ですか?」

 火朽くんの言葉に、僕はストローを口から離して頷いた。

「うん。あそこは、ただの民家だよ」
「民家、ですか」
「そうなんだよね。だけど、みんな怖がっててさ。もうすぐ、享夜さんとか――あ、僕の親戚なんだけどね、藍円寺の住職さんとか、御遼神社の神主さんとか、みんなで結界を張って、封印するんだって」

 僕が家族などから聞いた話を説明すると、何度か火朽くんが頷いた。
 それから、改めて僕を見た。

「そういえば、この土地には、玲瓏院結界というものがあるそうですね」
「うん。それももうすぐ、張り直すみたいだよ」
「定期的に張り直しているんですね」
「みたい。四十九年に一度で、今回は僕の父親とかが担当で、僕はお手伝い程度だし、仮に僕が跡を継いでも、その頃にはもう、僕にも後継者がいると思うから、僕が本格的にやる事は無いと思う」

 そう口にしながら――僕は果たして、それまでにカノジョができて、結婚して、子供や孫ができているのだろうかと、少し不安になった。しかも……最近の僕は、火朽くんのことが気になってばかりいる。たまに、これは、恋なんじゃないかと思うほどだ……。

 その後も雑談に興じ、結局僕らは何一つアトラクションに乗らないまま、お昼ご飯を食べて街中へと帰った。



 享夜さん達がお祓いに行ったのは、その数日後の事である。
 僕は、祖父にお礼の品を届けるようにと言われたので、久方ぶりに藍円寺へと向かった。
 すると、享夜さんが笑顔で出迎えてくれた。

「これ、お祖父ちゃんと、あと、絆から。お礼です。ありがとうございました」

 僕が、祖父に渡された茶まんじゅうと、絆に渡されたクッキーの詰め合わせを渡すと、享夜さんは笑顔になった。僕は知っている。どこからどう見ても、甘いものが苦手そうな、なんというか、スイーツなんてものを嫌悪していそうな彼の好物は、甘いものだ。なお、苦いものは苦手らしい。そう考えて、珈琲しかメニューに無かったcafe絢樫&マッサージの事を思い出した。

「享夜さんは、最近もマッサージ店めぐりをしてるの?」
「いいや。俺はな、天使を見つけたんだ」
「天使?」
「死ぬほど上手いマッサージ師がいるんだ」

 僕は驚きつつ、肩こりが改善されたなら良かったなと考える。
 あの、ど下手くそな、絢樫cafeのマッサージではないだろうなぁと考える。
 あそこは、僕から見ると、cafeもマッサージも最悪だ。なのに混んでいたからすごい。

 その後、藍円寺からの帰り道、僕はcafe絢樫&マッサージの看板を見た。
 実はこのお店は、案外知られているらしい。
 みんな、『絢樫cafe』と呼んでいるそうだ。

 カフェと言いつつ、誰もお茶は飲まないと聞いている。
 誰から聞いたかというと、祖父だ。なんでも将棋仲間の間で評判らしい。
 ご老人は、マッサージに敏感なのだろう。

 扉の窓から、火朽くんがいないかなと思って覗いてみたが、姿が見えなかったので、僕はそのまま帰宅した。

 すると、絆がアタッシュケースに、荷物を詰めていた。
 正確にはリビングに服を広げて、どれを持って行くか悩んでいるようだった。

「あれ? どこか行くの?」
「ああ。急なロケが入ってな」
「良かったじゃん」
「……夏の特番の評判が、思ったより良かったらしくてな……また、心霊番組のロケだ。放送は深夜枠及び動画、Web放送」

 絆は、あんまり嬉しくなさそうというか――それに関してはどうでも良さそうだった。
 それよりも服に悩んでいるらしい。

「服は用意してもらえないの?」
「――いいや。滞在中の私服を検討しているんだ」
「適当じゃダメなの?」
「ダメなんだ。今回だけは絶対にダメだ」

 険しい声で断言すると、絆が顔を上げた。

「兼貞と一緒のロケなんだ。負けるわけにはいかない。全てにおいて、俺は勝つ!」
「あれ? 共演は基本的に無いんじゃなかったの?」

 僕が首を傾げると、絆が深々と溜息をついた。

「――呪鏡屋敷よりはマシで俺にも対処可能な……とはいえ、兼貞にはどう考えても荷が重い場所にロケへと行くらしいんだ。呪鏡屋敷の件を聞いたプロデューサーが、俺の事務所とあちらの事務所に話を通した……」

 何度か頷きながら、僕は絆がチョイスした服をたたむのを手伝った。

「大変そうだけど、兼貞さんが出るなら、視聴率が高いだろうし、絆が今より売れるチャンスが来るかも知れないよ。応援してる」

 本心からそう思う。だが、絆は悔しそうな顔をしている。

「……別に兼貞の力なんか借りなくても、俺は自力で……む、むしろ俺が手伝ってやるんだ。いい迷惑だ!」

 僕は苦笑しながら、それからふと思った。

「あれ? でも、もう心霊番組の季節は終わったんじゃないの? もう冬の準備?」
「いいや。夏の特番の評判が良かったから、試しに深夜とWebその他で少し展開して、軌道に乗ったら、心霊バラエティとして続けるそうだ。ゴールデンタイムに」

 その言葉に、僕は目を見開いたい。

「すごい! 絆の時代が来るかも知れない!」
「だから、おい! 俺は、俳優志望で、演技がしたくて、オカルト路線で行きたいわけじゃないんだ!」

 すると叫んだ絆が、僕に、そばにあったタオルを投げた。キャッチして、僕はそれもたたむ。
 こうして夜は更けていき、翌日には絆がロケのために旅立った。


***


 さて……紬の予想に反し、美味しい血液の持ち主である藍円寺享夜のマッサージ通いが再開したため、本日もローラの機嫌が最高に良い。

 機嫌が良いのは火朽も同じだ。

 毎日が、楽しくて仕方がない――というのは、こういう感覚かと、やっと理解した気持ちだった。珈琲を飲みながらキッチンの椅子に座っていると、砂鳥がそこから見えるダイニングのテーブルに、上半身を投げ出した。そして、火朽を見る。

「大学、順調そうですね」
「ええ。非常に充実していますよ」
「良いなぁ。僕は、毎日店番だし……」
「――砂鳥くんも、お友達を作ってみてはどうですか?」

 そう言って火朽が微笑すると、少年の姿をした妖怪は、少しだけ考え込むような瞳をした。

「僕、あんまり人間って好きじゃないから、それはちょっと……」

 火朽は、嘗て砂鳥が、迫害された事のある妖怪だったと思い出した。
 中には――人間よりもある側面や、全体的に弱い妖魔も存在する。 

「かと言って、ローラや火朽さんは別として、妖が好きっていうわけでもないんですけど……それに、僕は、人の心が視えるし、一緒にいても退屈になりそうだと思って」

 覚という妖怪である彼を見て、火朽は静かにカップを傾ける。

「では、何か趣味を作ってはいかがですか? 砂鳥くんは、特に何かに熱中したりといった様子が見受けられませんが」
「趣味、ですか? 火朽さんの趣味は?」
「今は、人間の観察です。見ていて実に面白いですよ」

 火朽の声に、砂鳥は、紬の姿を思い出しながら、何度か瞬きをする。

「それは分かります。僕も、心を読んでるのは、楽しいから」
「難しいですね、もっと何か具体的な……料理でもしてみますか?」
「ううん。僕は、火朽さんのお料理が好きです」

 砂鳥の声に、火朽が喉で笑う。

「では、何かやってみたい事は? 僕であれば、人間の学問を学びたいという動機から――現在のように、人間という生き物、特に人間と築く友情に関心をもちました。世の中、何がきっかけになるか、分かりませんよ?」

 そう言って珈琲を飲む火朽を眺めながら、砂鳥が瞳を揺らす。

「――まずは、やりたい事を探す事、見つける事から始めたいと思います」

 答えた砂鳥を優しい瞳で一瞥し、火朽は頷いた。こうして、彼らには新しい秋が到来したのである。幸いなことに、お化け屋敷(民家)については解消していて、お化け屋敷(テーマパーク)にはのちに行く機会があるのだが……それはまた別のお話だ。彼らは自分たちがすごす、お化け屋敷(本物)にて、各々の生を楽しんでいる。