【21】ブラックベリーと鸞




「だけど、驚いた」

 次に僕が火朽くんと顔を合わせたのは、翌々日の事だった。
 存在しないと表示されていたトークアプリが復活し、火朽くんから連絡が来たのだ。
 それだけで嬉しくて、僕は呼び出されるがままに、すぐに出かけた。

「何がです?」

 待ち合わせをしていたのは、cafe絢樫&マッサージというお店で、過去に一度だけ僕も入店した事がある場所だった。あの日は気分転換だったが、ローラというマッサージ師が死ぬほど下手だけれど、何故か終わった後は体が爽快になった事を思い出す。

「なんていうか……」

 以前火朽くんが話していた、バイトをしているらしき、知っているcafeとはこのお店らしい。確かにショウケースの中身は空で、メニューには飲み物が、珈琲しか存在しない上……僕達がいるcafeスペースには、他の客の姿も無い。これは、他のお店と比較するべきだろう。

 しかし、驚いたのは、その部分ではない。

「僕、狐火という現象が――つまり、火朽くんが、吸血鬼より強いっていうのに驚いたんだ。吸血鬼って、玲瓏院では鬼の一種とされていて、すごく強いと聞いているから」

 僕の言葉に、何故なのかマッサージ側を一瞥してから、火朽くんが向き直った。
 そして微笑した。なんだか、前よりも優しく見える。

「狐火、鬼火――他にも様々な名称があって、それぞれが違うという説もあれば、同一だという説もありますが……僕に限って言うならば、僕は、”狐火という現象を象っている”というのが正確です」

 意味が上手く把握できず、僕は小首を傾げた。

「その上で、さらに人間の形になっているんです」
「じゃあ、元々は、何なの?」

 率直に尋ねると、火朽くんが喉で笑った。

「死と再生と火を司る青い鳥――それが僕です。記憶している名前の中で、そうですね、よく通っているものとしては、鸞でしょうか」

 本当に通っているのか、問い返したかったが、自分の無知を曝け出すようで恥ずかしい。
 そんな僕を見ると、クスクスと笑いながら、火朽くんが続けた。

「『三才図会』でもご覧になって下さい。だいぶ近い記述があります」
「和漢三才図会の元ネタの方?」
「ええ」

 曖昧に僕は頷いた。名前しか知らない……。



「僕自身、僕が正確にどのような存在であるかは分かりません。ただ――だからこそ、知りたいと思い、思った時に僕は生じ、今は師を見つけて、人の世界で暮らしています」

 その言葉に、僕は首を傾げた。

「先生がいるの?」
「ええ。ブラックベリーを名乗っている、人間研究の第一人者が僕の師であり、人間ではない友人の一人です。彼は人間を対象にする前は、神霊を対象にしていた事があります。僕が出会ったのは、それがきっかけでした」

 火朽くんはそう言うと、静かに笑った。

「特に、人間の霊能力を観察研究していて、ブラックベリーの霊能学という論文は、僕達のような人ならざるものの中では有名です。一部の人間も、手に入れた場合は参考にしているようですね。相応に尊敬を集めているのですが……まぁ、本人はいたって残念な、夏瑪先生と同類の吸血鬼です。まぁ、見境なく人を襲うわけではなくて、特定の人間を餌にしている分、いくらかはマシでしょうね。餌というのか、何というのか……今は、そこでマッサージ師をしていますが」

 その言葉に、僕は驚いた。ローラという名前の青年の姿を漠然と思い出した。

 僕が頷いていると、珈琲が二つ運ばれてきた。
 運んできたのは、高校生くらいの少年だ。

「ありがとうございます、砂鳥くん」
「いえ」

 火朽くんの声に微笑すると、砂鳥くんという少年は下がっていった。
 バイト仲間なのだろうか?
 何とはなしにそう考えながら、僕は珈琲を頂く事にする。

「――まぁ、話を戻しますと、僕はまぁ、夏瑪先生には勝てると思いますよ」
「そうなんだ。今度、調べてみるね」
「いくらでも直接聞いて下さい。時間は沢山ありますから」

 それを聞いて、僕は嬉しくなった。火朽くんが、きちんと目に見える状態で、正面にいるだけで嬉しい。

「そういえば、僕に関する伝承の一つに――僕が人のそばに姿を現す時、その人間は優れた君主になるというものがあります」

 火朽くんはそう続けると、カップを静かに傾けた。


「あるいは、この僕達の出会いは、紬くんが次の玲瓏院家の当主として、非常にふさわしいゆえの――天の采配だったのかもしれませんね」

 それを聞いて、僕は苦笑した。

「今回の件もあるし……僕だって、怪奇現象を信じないと……とは思うけど、僕は何も見えないし、何も感じないから……向いてないと思うんだよね」

 すると火朽くんが優しい瞳をして、僕を見た。それから小さく吹き出した。

「僕という友人がいるんですから、心配は不要です」
「え?」
「必要な時は、いつでも頼って下さいね。それが、『友達』なんでしょう?」

 僕はその言葉に嬉しくなった。
 だから小さく頷いた。

「火朽くんが困った時も、その時に、僕に出来る事があるなら、なんでもする」
「ありがとうございます。ただ、紬くん」
「何?」

 首を傾げた僕を見て、楽しそうに火朽くんが続ける。

「なんでも、といった言葉は、妖の前では、極力使わないべきです。僕と違って意地悪な、言質を盾に無理強いを迫る悪魔のような性格の持ち主も世の中には多いですから」

 その時、砂鳥くんが、再び顔を出した。
 銀色のトレーを持っていて、その上には、ブラックベリーのタルトが二つ載っていた。

「火朽さん、ローラから」
「――たまには気が利くんですね」

 それから僕も礼を告げ、二人で甘いタルトを食べた。
 とても美味しくて、それにこの空間が楽しくて、頬がほころぶ。

「毎日これが出てくれば良いのですが」
「ショウケースに入っていたら、cafeも賑わいそうだよね……あ、ごめん」
「いえ。誰がどう見ても、僕達以外の客がいないのは事実です」

 僕らはそんなやりとりをして、笑いあった。

 ――こうして僕に、幸せな日常が戻ってきた。それは、同時に夏の終わりでもあった。