【24】神隠れの宴







 獅子舞は、夜の十時から行われるという。
 これもまた珍しいなと、火朽は考えていた。多くは、日中に行われるからだ。
 そうでないものは、夜通し神社などで催される事が多いという知識がある。

 ――しかしこちらも、夜通しである点は同様らしい。
 既に帰りのバスは無い。二人が乗ってきたのは、最終のバスのひとつ前のものだ。

 獅子舞が朝方の四時まで行われるというのが、主要な理由だし、もし帰宅する場合は、玲瓏院家の車が迎えに来てくれると、火朽は紬から聞いていた。

 こうして十時の十分前頃、二人は開けた場所に出た。
 既に開始の間際であり、獅子舞の準備は整っているらしい。

 点々と並ぶ松明を見回してから、火朽はスッと目を細めた。
 その場にいる人間は、古くからこの地域に暮らす者が多い。

 かなり古くから、である。それこそ、昭和に入ってから越してきた人間などは、まだこの獅子舞では、部外者として扱われるようで、本来立ち入る事が許されない家のようだった。特例は、霊泉学園大学の学生らしい。火朽がここへと足を運ぶ事が許されたのも、それが理由だ。

 理由は、怪異への耐性の有無だろうなと、火朽は判断していた。

 それが、『人間側』の状況であり、獅子舞を演ずる人々を除けば、その場には約四十名程度の人間がいた。火朽が目を細めたのは、『人間以外』の姿を確認しての事である。


 四百はいるだろう。人ならざる存在は、人間の数より、ゼロが多く、その場に存在している。それも、低級な弱い妖魔ではない。そうであるならば、紬が歩けば自然と消し飛ぶだろうが、ここにいる妖自体が、紬には見えていない様子だった。

 多くが、禍々しい力の気配を押し殺している。

 魔を祓うはずのその場に、溢れているのは、魔に属する存在ばかりだ。
 夏祭りの夜の林に多くいた妖狐達よりも、おどろおどろしい。

「獅子舞が終わったら、全ての松明を消すんだ。それで、神隠れの面を元の社に安置し直したら、朝まで暗闇の中で過ごすだよ」
「獅子舞は、何時まで行われるのですか?」
「二時だったと思う」

 丑三つ時かと、漠然と火朽は考えた。此処に集う、人ではないものの側の、力が最も強まる時間帯だ。

「実は僕も、二回しか来た事が無いから、あんまり詳しくは知らないんだよね」
「その時は、誰と一緒に来たんですか?」
「一回は、お祖父ちゃんと絆、もう一回は、藍円寺の享夜さん。享夜さんは、行きたくないって半泣きで、僕を連れ出したんだ」
「――嫌なら、行かないという選択肢は無かったんですか?」
「うーん。昔から、一人は玲瓏院の関係者、本家か分家、もしくは親戚の誰かが出ないとならないんだって。今年は僕が行くと話したから、みんな気楽そうだったよ」

 それを聞き、何度か火朽は頷いた。二人が座ってすぐに、獅子舞が始まった。


 本来であれば、開始すれば、魔の存在は遠ざかるのが常だ。
 しかし――次第にその数が増えていく。五百、六百、七百、八百……数え切れない。
 集まってくる魔は、品定めをするように、客である人間の周囲を彷徨いている。

 誰にも見えていないようだった。紬も含めて人間には、誰も。

 口しかない神隠れの面が動く度、火朽にはその牙が、人間の血肉を欲しているように感じ取れた。うねる胴体は、人間の体を拘束し、この場所から逃さないようにするための闇に見える。蠢く黒い闇だ。

 獅子舞よりも、火朽は周囲の観察に熱心になった。
 理由は、紬を喰べたそうに見ている妖魔が多いからである。
 火朽がそばにいるから近寄る事が出来ないようだったが、それが皆、悔しそうだ。

 ――喰べる。吸血鬼でなくとも、人間を食べる事が可能な存在は多い。

 むしろ、食事の仕方が綺麗なだけ、生命を奪わないだけ、ローラなどはマシな方なのかもしれない。

 彼らが共通して求めているのは、人間の霊能力と呼ばれるような力だ。それらが宿る血肉は、人に害なす、人を餌だと思うような種族にとっては、非常に美味だと火朽は聞いている。つまり、この場にいる中で、玲瓏院紬など、最高のご馳走の一つだ。

 獅子舞が終わり、神隠れの面が安置された時――松明が落ちると同時に、周囲に甘い香りが満ちた。花の香り、椿を彷彿とさせる匂いだと、火朽は考える。

 ――確か、名称もそのままで、椿香(ツバキコウ)という名前だったはずだ。

 妖(アヤカシ)の世界には、いくつかの人の世にはない、特殊な品が存在する。その中で、花の名前を持つ香り伴う品は、大体が人間の意識を曖昧にさせる暗示をかける代物だ。火朽は、何度かローラが、薔薇香という品を用いている姿を見た記憶がある。用途は様々であるが、基本的には、餌を食べやすくする品と言える。

 人間には、椿香が感じ取れない様子であり、自分達の意識が曖昧になりつつあるという認識もないようだった。だから、神隠れの面が自動的にその香りを放ち始めた事にすら、誰も気が付いていない。

 火朽は紬を一瞥した。紬は小首を傾げている。さすがと言うべきなのか、紬には、暗示にかかっている様子はない。

「僕は、不思議なんだ。いつもここに来ると、甘い香りがする気がして」

 それを聞いて、香りの判別まで出来ている点を、火朽は素直に評価した。
 見えずとも、やはり紬は強い力を持っている。
 だが――だからこそ、美味しい餌になり得るのだろう。


 目を凝らさなければ何も見えない――いいや、人間にはもう何も見えないような闇が、安置された面から溢れ出す中で、その宴は始まった。

 一人、また一人と、人間達が喰べられていく。一人の人間に、蛾のように数多の魔がまとわりつき、本能のままに霊力を貪っている。その内の何体かは、紬を欲しそうにしていたが、火朽が眼光を厳しくすると、諦めるように散っていった。

「紬くん」
「何? ごめんね、退屈だった?」
「いえ――非常に興味深い獅子舞だと感じますが、あまり僕の好みではないというだけです」
「好み、かぁ」

 火朽の声に、獅子舞の好みとは何だろうかと、紬が首を傾げている。
 紬としては、少しでも火朽に楽しんで欲しかったから、少し落胆していたし、どうしたら友達を喜ばせられるのかばかり考えていたから他に注意を払っていなかったのだが――何一つ、気付いた様子がない紬を見て、暗闇の中で火朽は溜息を漏らしそうになった。

 散らしてはいるが、今尚、隙あらば紬の力を喰べたいというように、視線を投げてくる妖魔が跋扈している。嘆息してから、火朽は紬の腕を取り、自分の方へと引き寄せた。

「火朽くん? どうかしたの?」
「絶対に僕から離れないで下さい」
「え?」

 肩を抱き寄せるようにして腕で紬を庇いながら、火朽は周囲を睨めつけた。

 土着の行事であるから、この地域の人ならざる存在と揉めたいとは思わないが、火朽は己の友人が被害にあうのを、むざむざ見過ごす性格ではない。

 帰るべきだと判断したが、数が多すぎて、迂闊に動けば移動中に喰われる可能性の方が高かった。だから火朽は、時折狐火をそれとなく操りつつ、その人間を食すという怪異達の宴が終わるまでの間、紬の盾になっていた。

 その間、紬の方は、別の意味で気が気ではなかった。火朽の腕の中で、心臓がどんどんうるさくなっていく。抱き寄せられているような体勢に、胸が苦しくなっていく。

 自分の胸の音が聞かれてしまったらと焦ったし、なぜこのように動揺しているのか、自分の気持ちもよく分からない。やはり恋なのだろうかとばかり考えてしまう。真剣な顔で周囲を見ている火朽をちらりと見たが、その後は恥ずかしくなって終始紬は俯いていた。


 ――落ち着いたのは、丑三つ時が終わってからだった。

 ひとつ、またひとつと、妖の姿が消えていく。
 次第に人間の数の方が、妖魔の数より多くなってきた頃、松明が再び灯った。

 神隠れの面を安置する場所の、扉を閉めるためらしい。
 これが最後の所作だという。

 それを見守ってから、火朽は紬の手を取り立ち上がった。

「帰りましょう」
「うん」

 既に時刻は四時を回っていた。